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鬼と修行 その3

「よし、今日はここまでじゃ。仙気の扱いはだいぶ慣れたようじゃな」

 日がすっかり暮れた午後六時。

「……疲れた。いや疲れたり回復したりして疲れた……」

 ぐでーっとリビングの床にうつ伏せで倒れる。

 何回沸騰させたり、冷却させたりしたんだろう。同じことの繰り返しで流石に飽き飽きした。

 そういえば、拷問の中に穴を掘らせて、その穴を埋めるっていうのがあったけど、まさにそれに匹敵するだろう。

「明日も同じ修行を行なうぞ」

「マジか……いつになったら、修行が終わるんだ?」

「明後日くらいかのう? まあ最低でも五分でそれぞれできるようにならんといかんな」

「五分か……」

 今日の修行で沸騰は三十分、冷却は四十五分でできるようになったので、成長はしているだろうけど……

「熟練した仙人ならば三秒でできる。まあそこまでは求めないがな」

 気が遠くなる話だ。

 ちなみにゆめ姉とゆかりは買い物に行っている。五時ぐらいから出ていったので、もうすぐ帰ってくるだろう。

「五分ができたら、今度はどんな修行をやるんだ?」

「同時に行なう」

「はあ? 同時って……」

「見ておれ。こうするんじゃ」

 凍ったままのコップを撫ぜるように手をかざすと水が常温に戻った。

「これが仙人の領域じゃ」

 日輪は片手をかざしたまま仙気を出すと、馬鹿みたいな表現だけど、水が沸騰しながら冷却した。

「はあ!? どうなってるのそれ!?」

「水を熱く冷たくしたのじゃ。簡単じゃろ?」

「いやいや、物理的にありえないでしょ!」

 これができるようになるって、どんだけ仙人って凄いんだ?

「これが仙気の奥義じゃ。発散しながら吸収を行なう。さすれば攻撃しながら回復もできる。つまり闘い続けることが可能じゃ」

 理屈はそうだろうけど、どうやってやればいいのか、理解が追いつかない。

「そうじゃのう。まずは右手が発散、左手を吸収を行なって慣れることが肝要じゃな」

 日輪はコップから手をかざすのをやめると途端に水は常温に戻った。

「一度やってみよ。ああ、右手と左手は自分がやりやすいほうでやってみるがいい」

「う、うん、やってみるよ……」

 ぼくはコップを両手で包み、発散と吸収を同時に行なう。

 右手が発散で、左手は吸収。

 しかし、どうしても沸騰したり冷却したりして、上手くいかない。

「これは、むずかしいな……」

「そうじゃな。発散も吸収も完璧ではないものが行なうのは無理があるのう」

「……できるようになるのかな?」

「できるじゃろ。お主は仙人じゃ。人間ではないんじゃ」

 人間じゃないと言われるのは、少し辛かった。

「普通の仙人になるには才能は必要ない。どんな劣等生でも必ず熟練の仙人にはなれるのじゃ」

「じゃあ、才能がある仙人はどんな仙人になるんだ?」

「神に等しい力を得る――と言いたいが、普通の仙人と変わりはない。じゃが、決定的に、明確に違うところは存在する」

「それはなんだい?」

「仙術や仙法が精錬されていることじゃ。つまりは努力が必要じゃ。努力し続けれる才能。それを上位の仙人は持っておる」

 はあ、努力かあ。結局、それが必要なのは人間も仙人も変わらないんだな。

「千里の道も一歩から。お主は仙人になって間もないのじゃから、そこまで気負うことはないのじゃ」

「でも、鬼に勝てるようになるには、これまで以上の修行は必要だろ?」

 ぼくは日輪を見つめた。日輪もぼくを見つめる。

「今日は二十七日で四月まで日がない。そんなので間に合うはずがないと思うんだけど」

「焦っていても何も解決せんよ。四月一日まで今日を含めなくとも五日もあるじゃろ」

「たった五日しかないんだよ」

「まだ五日もあるんじゃろ」

「……仙人にとっては五日なんてすぐのことだと思っていたけど、そうじゃないみたいだね」

「時間感覚は長く生きても変わることはないぞ。変わるとすれば己自身だけじゃ」

「ねえ、前から気になっていたけど、日輪って何才で仙人になったんだ?」

 見た目はぼくとそんなに変わらないから、結構若いときになったのかも。

「ワシか? 確か十一才のときじゃな。それから不老の術を得るまで六年かかったから、肉体は十七のままじゃ」

「へえ、結構早いんだね」

 それくらい才能があったのだろうか。

「まあ、お主と違って無理矢理起こしたわけではなく、自然と仙人になったのじゃから、あまり偉そうなことは言えんのう」

「……自然と仙人になれたりするのか?」

 ぼくが訊くと「愚問じゃの」と冷たい目で見られた。

「自然と仙人になれる者がおらぬなら、仙人はどうやって生まれたのじゃ?」

「……あ、そう言えば仙人はすべて人間だって言ってたな」

 てっきり、日輪も誰からか仙人に勧誘されたものだと思い込んでいた。

「自然と仙人になるには、仙気を常人の百倍から二百倍以上の仙気を保有することが前提としてある。じゃが、仙人になる年月は人によってまちまちじゃ。ワシのように幼くして仙人へ昇華するものや、八十になってようやく仙人へとなるものがおる」

「じゃあぼくは仙人になる確率はなかったってことか」

「そうじゃのう。まあお主程度の人間は世界中に五万とおるわい。たとえばあすりーとと呼ばれる人間も仙気を常人よりも多いじゃろうし、政治家と呼ばれる人種にも仙気が多い傾向がある。まあ仙気をかりすまとかおーらなどの言い方で表すこともあるのう」

 ぼくは才能があると思っていたら、そんなでもなかったんだな。

「じゃあ、なんでぼくを選んだんだ?」

 さっきの発言で気になったこともあったので訊いてみる。

「ぼくみたいな人間は五万といるんだろう? だったらぼくみたいな怪我人を選ぶ必要があったのか?」

「ワシが下界に下りた場所がお主が入院していた病院の近くじゃった。そして仙気を多く備えていたのは、お主だった。それだけの話じゃ」

「それじゃあ、ぼくのいる病院の近くにいなかったら、下半身不随のままだったのか?」

「そうじゃのう」

 ゾッとしない話だ。

 もしも、ぼくが入院した病院が別の病院だったら。

 もしも、ぼくよりも仙気が多い人間が近くにいたら。

 今でもぼくはリハビリに励んでいたのだろう。

 いや、そもそも交通事故に遭わなければ、仙人になることはなかったんだけど。

「お主はお世辞にも仙人に相応しい仙気や性格はしとらん。普通の人間じゃった。じゃがお主を選んだのは間違いではないとワシは思う」

「どうしてだい? もしかして修行の出来がいいからか?」

「違う。お主は努力のできる、努力する才能を持つ人間だからじゃ」

「ああ、さっき言ってた上位の仙人になれる才能って奴か?」

「そうじゃ。お主は最初こそ、ぐだぐだ言っておったが、修行の最中は文句も不平も言わずにやっておったじゃ。それをワシは評価したい」

「……よく分からないな。できなかったら努力するしかないじゃないか」

 そうだ。ぼくには才能がない。

陸上だって一番になれるほどの実力はない。仙人になってしまっても、仙気を上手く制御できないのは、努力が足らないからだ。

だったら――努力するしかないじゃないか。

「お主は変わっておるのう。普通は諦めたり挫折したりして、人間は横道に逸れるじゃろ? なのにお主は諦めぬ。そこが変わっておるのじゃ」

「……会って間もないのに、ぼくの何を知っているんだ?」

「仙術には、人間の過去を覗くものもあるんじゃよ」

「勝手に見たのか!? ぼくの過去を!?」

「別に減るものではないじゃろ? 良いではないか」

「良くないよ! お前には罪悪感とかないのか!?」

「罪悪感? なんじゃそれ。ワシの辞書にはそんな単語はない」

 いけしゃあしゃあと抜かす日輪に、ぼくは怒るべきか呆れるべきか、それとも両方か、判断がつかなかった。

「まあ、お主が努力家だということは理解できる。むしろ本来そうあるべきじゃとワシは思う」

「何がどうあるべきなんだ?」

「人間が本来持つ性根のことよ。よしんば才能があるばかりに努力を怠り、破滅していった人間は数多くおる。仙人とて例外ではない。努力とは人間と仙人に共通する、美徳なのじゃよ」

「仙人が何言ってるのかと思ったけど、ぼくはその通りだと思うよ」

 修行を行なってよく分かる。仙人になってしまっても、根本は変わらない。努力して修行を行ない、成果を出す。

「才能に胡坐をかいとる馬鹿はいずれ努力の天才に足元をすくわれてしまうじゃろ。だからワシは努力を苦労だと思わぬお主を気に入っておるぞ」

 手放しに褒められて嬉しくない人間、いや仙人はいるだろうか? いや、いないだろう。

 反語を使って、照れ隠しをしてみるけど、気恥ずかしさは失われなかった。

「なあ、日輪。修行を続けて、いいか?」

「構わぬが、なぜじゃ?」

「日輪の話を聞いていたら、何だかやる気が出てきたんだ」

「……単純な男じゃの。まあ睡眠を十分とることが条件じゃ。眠気は仙人になりたてじゃと完全になくすことはできぬ」

「分かっているよ。無理はしないさ」

 ぼくはとりあえず、発散と吸収を極めようと、まず苦手な吸収を行なった。

 今日中に十分を切りたいと思った。

「今のお主なら、常温の水を十分で冷却できるじゃろ」

「心を読むのは、慣れないからやめてくれ」

 その後、ゆめ姉とゆかりが帰ってくるまで修行を行なった。

「日輪さん、夕食一緒にどうかな?」

「気遣いはありがたいが、遠慮しておく。ワシはこれからやることがあるのじゃ」

 そう言って断り、そのまま玄関から普通に帰ってしまった。

「地味なワリに大変な修行なのね」

 ゆかりはぼくの修行を的確に評して、料理を作って自宅に帰って行った。

 なんでもゆかりの両親に小言を言われたみたいだ。

「人様の食事に便乗するのはやめなさいって言われてしまったわ」

 別に遠慮しなくていいのにと思った。

 そういうことで久しぶりにゆめ姉と二人きりの食事になった。

「こころちゃん、修行は辛くないの?」

 貪るように一心不乱に食べていたところにゆめ姉が聞いてきた。

「辛くないよ。まあ楽しくもないけどね」

 ただ手をかざしているだけだからなあ。

「そう。辛かったら言うんだよ?」

「あはは、ゆめ姉、言っても日輪は変えないと思うよ?」

「それでも抗議しないのは駄目だと思うから。私はやるよ」

 ふんす、と胸を張るゆめ姉がなんだかおかしくて、噴き出してしまう。

「何? 何がおかしいの?」

「いや、なんだか昔を思い出してね」

 小さい頃はいつもゆめ姉が守ってくれたっけ。

「今でもお姉ちゃんに頼っていいんだよ?」

「いや、大丈夫。ぼくもそれなりに強くなったから」

「頼もしいけど、それはそれで寂しいなあ」

 ゆめ姉は目を伏せて、溜息をついた。

「ここ一ヶ月、いろんなことがあったよね」

「うん。ぼくが入院したり仙人になったりしてね」

「まるで小説みたいね」

「あはは、小説だったら売れないよ」

 こんな荒唐無稽な内容の小説が売れるわけがない。

「だけど、これは現実なんだね」

 ゆめ姉は箸をおいて、そして言った。

「こころちゃん、辛かったら一緒に逃げてもいいからね」

「は? 逃げるって……」

「鬼が適わないぐらい強かったら、一緒に逃げましょう」

 ゆめ姉が真剣な顔をしている。

「誰も知らないところで、一緒に暮らしましょう。大丈夫。遺産はまだたくさんあるから、しばらくは働かなくても平気。お姉ちゃん、アルバイトでもなんでもして、生活できるようにするから――」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 ぼくも箸を置いて、ゆめ姉を見据える。

 ゆめ姉は涙目になっている。

 涙? どうして?

「私、こころちゃんが死んじゃうのは嫌だ。鬼なんて怖いものを倒せるわけないじゃない。だったら、いっそのこと、逃げちゃおうよ」

「ゆめ姉、落ち着いて。大丈夫――」

「大丈夫なんか、ないじゃない!」

 ゆめ姉はほとんど叫ぶように言った。

 悲痛に叫ぶ、悲鳴のように。

「仙人になったからって、こころちゃんが死なない保証なんてないじゃない! 修行だって一日中、水を沸騰させたり凍らせたりしてるだけじゃない! そんなことで本当に鬼を倒せるの!? 私、怖いよ……こころちゃんが死んじゃうのが、怖い! だってお父さんもお母さんも死んじゃって! 私にはこころちゃんしかいないのに!」

「ゆめ姉……」

「こころちゃん、一ヶ月前に死にかけたじゃない! それなのに、死にそうな闘いなんて、しないでよ!」

 ゆめ姉は今まで誰にも言えなかったことを吐き出しているんだ。

そう思うと、ぼくは――

「こころちゃん、逃げようよ!」

「逃げたら、脚は二度と動けないかもしれないよ?」

「――っ! それは――」

「障害者の弟をどうやって、知らない土地で暮らしていけるのさ」

 ぼくは残酷なんだなあと思う。

 ゆめ姉が見ているのは現在で。

 ぼくが見ているのは現実だった。

「ゆめ姉、約束するよ。絶対ぼくは死なない。どんなことをしても生き残るよ」

「信用、できないよ……」

「お願い、ぼくを信じて。必ず生きてみせるから」

「…………」

 ゆめ姉が黙り込んでしまった。ぼくは立ち上がって、ゆめ姉の手を握って、ゆめ姉の目を見つめて、言った。

「もし、約束破ったらどうなるかってことぐらい分かるよ」

「……こころちゃん」

「ぼくは正直、怖い。だけどやるしかないんだ。できるできないの話じゃない。やるしかないんだよ」

「どうして、そこまで言うの?」

 ぼくはゆめ姉の頭を撫でた。

「ゆめ姉を悲しませたくないから。ぼくは約束を必ず守るよ。交通事故だって死ななかったじゃん。だから今度も平気だよ」

「……本当?」

「うん、本当だよ」

「……分かった。信じる」

 ゆめ姉が頷いてくれたので、ぼくはほっとした。

「さあ、ご飯食べよう。冷めちゃっても今のぼくは熱くできないからね」

「……ふふ。何言ってるの?」

 ゆめ姉が笑ってくれて良かった。この笑顔を守るためなら、ぼくは何でもする。

 たとえ、鬼だろうがなんだろうが、倒してみせる。

 そうたった今、誓った。




 その後、ぼくは四月に入るまで修行を行なった。

 成果としては発散と吸収を五分以内にできるようになった。

 二十九日のことだった。

 日輪の言ったとおりの日数になってしまった。

「まあ順調じゃの」

 そう言ったけど、ぼくは少しショックだった。あれだけ努力したのに、足りなかったのだ。

「普通なら一週間かかるのじゃが、三日でできたのは手放しに喜んでいいぞ」

 そう言われても喜べない。

 そして発散と吸収を同時に行なう修行もやったけど、結果は芳しくなかった。

 正直に言えば、四月までに一回も成功していない。

「どうしてできないんだろう」

「時間が足りないだけじゃ。努力の問題ではないぞ」

 ぼくはどうしていいか分からなかった。

 ゆかりもゆめ姉も励ましてくれたけど、ノイローゼになりそうなくらい悩んだ。

「仙気の制御は半年から一年かけて行なうんじゃよ。お主は悪くない」

 そう言ってくれたけど、何の解決にはならない。

 そうして――四月一日を迎えた。

 日輪は一週間程度の余裕があるって言ったけど、それは間違いだった。

 鬼一体の捜索ならば一週間はかかるだろう。

 しかし、その前提が崩れたとき、ぼくたちは窮地に追いやられることになる。

 それは流石の日輪でも予想できなかったのだ。


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