鬼と修行 その2
「その中身は普通の水道水か?」
「そうじゃ。ただの水じゃ。みねらるうぉーたーのほうが良いか?」
「いや、そういう確認じゃないけど……」
拍子抜け――という言葉が、この状況に似つかわしい。
「なんじゃ? ワシの修行に文句があるのか? これでも初歩の修行の中でも難易度が高いぞ」
まあ、仙気でお湯を沸かすという行為をしたことがないから、どう難しいのか、はっきりしないけど。
「そんなので強くなれるのかしら?」
ゆかりがぼくたち三人の共通の疑問を言った。
「逆に訊くが、なれない修行をやらせて、ワシに何の得があるんじゃ?」
もっともな正論だった。
「疑うわけじゃないけど、もっと、こう、滝にうたれたりとか、山で瞑想したりとかしないの?」
ゆめ姉の言葉に日輪はふんっと鼻を鳴らす。
「滝にうたれても身体が少し強くなるだけじゃろ。山でぼうっとしても得るものは何もないじゃろ。人間は無駄なことが好きじゃの」
身も蓋もないことを言われてしまった。
「仙気を制御できなければ、一人前とは言えぬ。そのために行なうのじゃよ」
「仙気を操るのに、どうしてお湯を沸かす必要があるんだ?」
ぼくの質問に日輪は溜息をついた。
「仕方ないのう。一から説明するから、ちゃんと聞くように」
日輪は何もない空間から紙と筆を取り出した。
「机を借りるぞ。まず仙人には大きく分けて四つの基本技能がある」
そう言って紙に書き始める。
「まずは仙気。次に仙道、三つ目に仙術。最後に仙法。この四つじゃ」
上から仙気、仙道、仙術、仙法と書き、間に矢印を記した。
「まず仙気。これは精神力を示す。また、昨日説明しなかったが、大気中には仙気が漂っている」
「仙気って人間の本来持つ、潜在能力を示すんじゃないのか?」
ぼくが訊くと「その通りじゃ」と答えた。
「しかし、人間や仙人が持つ仙気と空気中に漂う仙気には明確な違いはない。また仙人は漂う仙気を利用して闘うのじゃ。だから便宜上、仙気と呼ぶことにしておる」
日輪は仙気の隣に『精神力』と書く。
「次に仙道じゃが、これは体力、体術を表す。常人では真似のできない仙人特有の武道と思えばよい」
仙道の横には『体力・体術』と書いた。
「そして仙術。これは仙気と仙道の応用したもので、これを扱えることで一人前の仙人と認められる。これは――お主らの言葉で言えば超能力となるのじゃ」
仙術の横に『超能力』と書いた。
「最後に仙法。これは修行で発現させるのはかなり難しい反面、ふとしたことがきっかけで簡単に顕現される、あやふやなものじゃ」
「それなのに、最後に説明するってことは何かあるのか?」
ぼくの言葉に「その通りじゃ」と答える日輪。
「仙法は協力無比。絶大な力を示す。これは必殺技とか固有能力と評したほうが良いかのう」
そして仙法の横に『必殺技・固有能力』と記した。
「……必殺技って、なんだかゲームみたいだな。それに固有能力ってなんなんだ?」
「仙法とは一人の仙人に一つだけ宿された能力じゃ。つまり仙気と同じく、仙人であれば必ず秘めておる。だから固有能力じゃ。それと、必殺技としたのには理由がある」
日輪はここから重要と言わんばかりに、言葉を溜めた。そして言う。
「仙法は親しい間柄でもめったに教えん。知られてしまえば、当然対策をされるし、仙術次第では打ち破ることも可能となる。敵だけではなく、自らも必ず殺されてしまう技。だから必殺技なのじゃ」
「聞いている限りだと、悪いようにしか聞こえないけど」
「うむ。切り札であり伏せ札であるのだと言えば分かるじゃろ?」
つまり、めったに使えないけど、使えば効果は絶大と言えるのだろうか。
「まあ仙法の話は後じゃ。今重要なのは仙気、それと仙道じゃ。最優先でこれを仕上げなければならぬ。そうしなければ十二鬼には勝てぬぞ」
「そのためにお湯を沸かす修行をするのか? そんなんで間に合うのか?」
「お主、馬鹿にしておるようじゃが、ただの人間が手を触れずに水を沸騰させられるわけないじゃろ」
そう言われてしまえば、そうだけど。
「なんか想像していたよりも地味というか華がないというか……」
「仙人の修行などに派手さを求めるのはどうかと思うぞ」
「とりあえず、やってみればいいよ」
まあ、ゆめ姉の言うとおり、やってみないとどうしようもないな。
「分かった、とりあえずやってみる。仙気を使うって、どうやってやるんだ?」
「手を触れずに仙気でこっぷを覆いつくすようにするんじゃ。まずは手に仙気を集中させて、さらに集めた仙気を水に与えるいめーじで発散させよ」
なるほど。まずは仙気を両手に集中させるのか。
心臓に蓄えていた仙気を両手に集めようとする……あれ?
「日輪、どうやって手に集中させるんだ?」
「感覚の問題じゃから、口で説明するのは難しいが、とりあえず全身に仙気を循環させてみよ。そして徐々に仙気を両手に集めよ」
とりあえず、言われたとおりに仙気を全身に巡らせる。青い仙気が身体を包み込むのを見て感じた。
この青いのを、両手に集中させる。仙気が上半身、肩、腕、手首の順に流れていくのを感じた。
そして両手に仙気を集めることに成功した。
全身に巡らせたときと違って、量が多い気がした。
「集めたのなら、それをこっぷに触れずに仙気を与え続けよ。沸騰するまでやめずに続けるのじゃ」
言われたとおり、仙気を送る。仙気がぼくの両手とコップを包み込んだ。これは仙気を集中させるのと要領は同じなので、比較的楽にできた。
「ふむ。なかなか筋は良い」
日輪は褒めてくれたけど、誰かと比べたことがないから、良いのか悪いのか判断がつかない。
そのまま、十分くらい送り続けていると、コップの水がコポコポと泡が出てきた。
「……本当に沸騰したわね」
ぼくもゆかりの言葉通りの感想だった。半信半疑だったもんなあ。
「もう少し続けるんじゃ。完全に沸騰したら第一段階は終了じゃ」
「なんか、身体がだるくなってきたんだけど」
「それは仙気を出し続けているからじゃ。我慢せい」
完全に沸騰したのはそれから十分後だった。
「はあ、はあ……疲れた」
「こころちゃん、大丈夫? 何か飲む?」
全然動いたりしてないのに、あたかも全力疾走したかのように疲労が出てきた。
「見た目よりはハードな修行なのね」
ゆかりがぼくにタオルを手渡す。気がつけば汗だらけになっていた。
「ありがとう。それで日輪、この後、どうするんだ?」
「まずは沸騰した水を常温に戻す。ああ、これはワシがやるから良い」
そういうと、日輪は白い仙気を右手に少しだけ出して、コップの上をすっと撫でるだけで、沸騰させた水を常温に戻した。
「……どうやったの?」
「それはこれからやる修行じゃ。次はこの水を凍らせるのじゃ」
今度は真逆のことをやるのか。
「ちょっと休憩させて――」
「何を言っておるのじゃ。疲れているからこそ、この修行をやるのじゃ」
どういう意味だ?
「さっきの修行は自身の仙気を発散させることを主眼においておる。次のこの修行は仙気を取り入れることを目的としておるのじゃ」
「つまり、仙気を吸収して、今発散した仙気を回復させるために、行なうってことかしら?」
「そうじゃ。星野ゆかり、お主の理解力は優れておるのう」
仙気を回復させる、ねえ……
「どういう理論で仙気を与えると沸騰できて、仙気を吸収すると凍るんだ?」
「知らん。ただ大昔からこの修行は行なわれていたのじゃ」
なんていうか、アバウトだなあ。
「言ったじゃろ、大気には仙気が漂っておる。それを吸収することは、仙気を扱うのに必須条件となる。また仙気のこんとろーるを体得すれば、その先の仙道や仙術の修行をすむーずにできるのじゃ」
「吸収するとどうなるんだ?」
「仙気の回復は疲労や怪我の治りを早める。また、すたみなを回復させるのにも役立つ。つまり、今こうして疲れてはいるが、仙気の吸収をすれば、疲れたりはしなくなる。お主に分かりやすく言えば、全力疾走しても息切れはしないということじゃ」
できたら凄いけど……
「とにかくやるんじゃ。両手に仙気を集中させ、水から仙気を吸収するいめーじで行なうのじゃ」
そう急かされたので、言われたとおりにやってみる。
「吸収する、吸収する、吸収する」
声に出してやってみるけど、上手いこと吸収することができない。
「なあ日輪。これって、沸騰させるよりも難しくないか?」
「じゃから、最初に沸騰させる修行を行なったじゃろ?」
そう言われては立つ瀬がない。ぼくはコップを穴の空くように見て、そして吸収する。
「仙人になるのも大変ね」
「こころちゃん、頑張ってね!」
二人の同情&応援に応えるように、ぼくは意識を集中させてコップの中の水を凍らせる。
変化があったのは、三十分後。
「おっと、なんか表面が凍ってきたよ」
「どれどれ、まあ半分と言ったところかの」
「これで、半分か……」
「初日にしては早いほうじゃ。一般的な仙人なら沸騰させるのに一時間、凍らせるのに二時間は必要じゃからな」
そう言われると自分に才能がある気になってきた。
「あまり調子に乗るでない。ワシが見てきた弟子の中では十分で両方行なった者もおる」
心を読み取られた? 読心術か。なかなか油断ならない。
「さっさとやらんか。あと二十分で完全に凍らせないと罰を与える」
「ええ!? ギリギリじゃないか!」
「罰が嫌なら早く凍らせよ」
コツを掴んだと思ったら、そんなことを言う。ぼくは必死になって修行を続けた。
結局、ぼくはギリギリ一分前に凍らせることに成功した。
「ようやった。五十分でやるとは改めて言うが筋が良い」
「ありがとう。しかし、本当に疲労がなくなったなあ」
ついさっきまで疲れていたのに、今では全然元気なままだ。
「どういう原理なんだろうなあ」
「仙人には科学者がいないことはないが、全員さじを投げてしまったわい」
「つまり、科学的根拠はない、ってわけか」
ぼくは学者でも頭が良いほうでもないのでどうでもいいけど。
できればいいのだ。
「では次は交互に沸騰と冷却を行なうのじゃ。沸騰したら冷却、冷却したら沸騰。これを繰り返しやるのじゃ」
「……マジで?」
「大真面目じゃ。ほれ、さっさとやらんか」
ぼくは凍りついたコップに仙気を送り込む。
いつの間にか全身を循環させずに両手に仙気を集中できるようになった。
「これは慣れたからかな?」
「自転車や水泳と同じじゃ。一度身体が覚えたらできるようになるじゃろ」
たとえが俗っぽいのは気のせいだろうか。
「だけど、凍ったものを沸騰させるって、どれだけ時間がかかるんだ?」
「お主のスピードなら一時間でできるじゃろ。多分じゃが」
「一時間も仙気を放出できるのか?」
「できぬ。だから休み休み行なえ。ああ、冷却は休憩なしでやるように。発散に比べて吸収はお粗末じゃからな」
日輪はそう言ったあと、何もない空間から本を取り出し、読み始める。
「十六夜ゆめと星野ゆかり。お主たちは昼ごはんの準備をせい。ワシの計算じゃと、沸騰させるまでの時間ぴったりに食事は用意できるじゃろ」
ゆかりは「偉そうに言うわね」と不満げに、ゆめ姉は「うーん、何がいいかな」と悩みながらそう答えた。
「それじゃ、一時間以内にできなかったら腕立て五百回じゃな」
「日輪! 今休み休みで良いって言わなかったか!?」
「それこそ馬鹿も休み休みに言えじゃ。それでは修行にならんじゃろ」
うぐ、もっともだ……
「仙気を発散するコツは包み込むようないめーじを持て。逆に吸収は一点集中で仙気を取り込むのじゃ」
本を読みながらそんなことを言う。アドバイスはしてくれるみたいだ。
「包み込むように、仙気を発散……」
イメージしながら仙気を発散させると、心なしか、氷が溶けた気がした。




