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仙人と鬼 その2

「仙気とはいわば素質そのものを指す。要するに仙人になりやすい人間を表す、一種のぱらめーたーのようなものじゃな」

 日輪の説明を受けてはいるものの、どこか遠い世界のことを話しているような、ふわふわした感覚に襲われていた。

「人間には誰しも仙気を宿しておる。裏を返せば、人間はすべて、仙人になれる可能性を秘めているのじゃ。しかし、初めから仙気を使えこなせる人間は少ない。むしろ自分に仙気があることすら気づかずに一生を終えるものがほとんどじゃ」

「その仙気がこころちゃんは普通の五十倍あるっていうのかな?」

 ゆめ姉がおずおずと訊くと日輪は「その通りじゃ」と答えた。

「それがどれだけ凄いことか。常人の十倍でも天才と呼ばれるのに、さらにその五倍あるとは、なかなかいないのじゃ」

「じゃあこころは天才の中の天才ってことなのね」

「そういうことじゃな。しかし一番というわけではないがな。ワシが今まで見てきた人間でもっとも仙気を保有していたものは常人の千倍じゃ」

 千倍と聞いても、それがどれだけすごいかは理解できない。

 自分で自分が凄いなんて思ったこと、ないのだから。

「まあ日本人は仙人になりやすい人種だから珍しくないと言ってしまえばそれまでじゃがな」

「ねえ、日輪。仙気が重要だってわかったけど、そもそもどうやって仙人になるのさ。仙気がどう関係していくのさ」

 ぼくが訊くと日輪は「まず仙気を引き出すことが第一段階じゃな」と答えた。

「普通は仙気の量を増やす修行が必要じゃが、お主の場合はそれが必要ない。そのまま仙気を引き出せばよいのじゃ」

「それで仙人になれるのか?」

「ああ、仙人にはなれるじゃろう。もっとも半人前に過ぎんがな。仙人と言ってもぴんきりあるのじゃよ」

 なんだ、意外と簡単になれるんだな。

「ちょっといいかな?」

 ゆめ姉がなんともいえない表情で訊いた。

「もしも仙人になったら、どうなるの?」

「どうなる? まあ人間ではなくなるじゃろう」

「人間ではなくなるってどういう意味よ」

 今度はゆかりが厳しく訊いてきた。

「文字通り人間ではなくなる。具体的に言えば肉体の成長がゆるやかになり、年を取るのが遅くなるじゃろ。だが不老になる修行は何十年もかかるから、ある程度長期的視野を持っておくことが肝要じゃ」

「他にはあるかな?」

「なんじゃ十六夜ゆめ。お主が仙人になるわけでもないのに、なぜそこまで訊こうとするんじゃ?」

「家族だから、だよ」

 ゆめ姉は毅然とした表情をしている。

「後悔するのは嫌なの。たった一人の姉弟なんだから、真剣になるのは当然でしょう?」

「ふむ。なるほど、少しは理解できたぞ」

「日輪さん、ちゃんと答えてほしいの。仙人になったらどんな影響があるのかを」

 ゆめ姉の質問に日輪は「そうじゃのう」と腕組みして考えて、そして言った。

「身体能力や五感が強化されるな。それに修行次第では空を飛べたり、深海に潜れたりする。仙界へ行けるのもめりっとの一つじゃな」

「そっか。じゃあデメリットはあるの?」

 ゆめ姉の慎重すぎる質問に日輪は頬を掻きつつ「孤独感、じゃな」と答えた。

「大事な者を失う苦しみに耐えなければならん。先ほど話したが、仙人は死んでも生き返る。仙人は輪廻の輪から外れた者になってしまうのじゃ。自殺もできん。だからその覚悟がないものは基本的に勧誘しないのだが――」

 日輪はぼくをちらりと見た。

「十六夜こころはすでに契約書に自身の名を記してしまった。もうお主は仙人になるしか道はないのじゃ」

「こころ、あんたそれでいいの?」

 ゆかりがぼくに迫ってきた。

「いや、良くはないけど……」

「安易に契約書にサインなんかするから、こんな目に遭うのよ。ねえ、今からでも契約を破棄できないの?」

「できるがその代償として、願いを取り消すことになる。一生歩くことはできんぞ」

「…………」

 それを聞いて、ゆかりは黙り込んでしまう。

 ゆかりは知っていた。ぼくがどれだけ陸上に打ち込んでいたのか。どれだけ辛い思いをしてレギュラーを獲得したのかを。

 そんなぼくに、一生走るななんて言えるわけがない。

 だから、ぼくはこう言ったんだ。

「いいよ。仙人になっても」

 ぼくのこの発言に、ゆめ姉とゆかりが同時に立ち上がった。

「こころ、あんた話聞いてた!? 死ねなくなるのよ! あんたいつも死にたいとか言ってたじゃない!」

「でも、歩けなくなるよりはマシだよ」

「後悔しないの?」

 ゆめ姉の質問にぼくは「するだろうね」と答えた。

「それでも、ぼくは走れるようになりたい。それぐらいしかとりえのないぼくだから。ぼくが誇れるものを捨ててしまうより人生よりはだいぶマシさ」

 ぼくのこの言葉にゆかりは「私は反対だからね」と言う。

「仙人になったとしても、絶交するとかそんなことは言わない。けど、間違った選択だったって言い続けるから」

「お姉ちゃんはどちらとも言えないよ。こころちゃんの決めたことに文句は言わないよ。だけど、よく考えてね、仙人になっても鬼退治をしなくちゃいけないんだから」

 そうだ。鬼退治のこともあった。

「日輪、ぼくは鬼に勝てるの?」

「仙気を引き出し操ることができれば勝機はあるじゃろ。それに弱い順に鬼は下界に下りていくから、最強の鬼と対決するまでに一通りの修行をしておけばよい。まあお主の頑張り次第じゃな」

「さっきも訊いたけど、鬼ってなんなのよ?  化物だって言ってたけど、鬼と仙人ってどういう関わりがあるのよ?」

 ゆかりが訊くと日輪は「陰陽師を知っておるかの?」と言った。

「この国独自の仙術師の集団じゃが、もう何百年も昔に滅んでしまったと聞かされていたが、知っておるかの?」

「漫画やアニメでやっているからある程度は知っているわ」

「ぼくも知ってる」

「私はよく分からないよ」

「ふむ。十六夜ゆめにも分かるように説明すると、鬼は仙人にとっての式神、つまりは下僕のようなものじゃ」

 式神とは陰陽師が使役する霊的な鬼神のことである。

 鬼神。

 そして鬼。

「まあ作り方は異なるがな。仙界では美人の鬼を侍らして暮らしておる数寄者もおる。ワシは鬼は好かんがな」

「どうして? こういったらなんだけど、便利じゃないの?」

「鬼は主に対して絶対服従じゃから、つまらんし、むなしく感じるのじゃ。いえすまんを揃えても、新しい発想が生まれないのと同じじゃ。逆らうからこそ、話していて面白くなるのじゃ」

 聞いていると、まるで奴隷だと思った。

「特にワシと対決しておる嫌な奴は鬼を作るのを得意としているのじゃ。だから嫌悪感で作りたくないのじゃよ」

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い理論だ。

「特に奴がワシに向けて放つ十二の鬼は仙界において『十二鬼』と呼ばれるほど優秀な鬼の軍隊であり最悪の集団なのじゃ」

「十二鬼って安直なネーミングね。センスの欠片もないわ」

 ゆかりの言っている通りだと思った。

「そうじゃろ。あいつの名づけは下手なのじゃ。せっかくワシが『なまらすっごい鬼たち』という名前を考えたのに却下しおった」

「それは却下されるよ」

 なんだそれ。小学生が二秒で考えたみたいなだせえ名前だ。

「お主にはワシのねーみんぐせんすの良さが分からんのか? これだから人間は……」

「他の仙人たちには聞いたの?」

「ワシの弟子たちは『素晴らしい』と言ってくれたぞ。なぜか顔が引きつっておったが」

 その弟子たちに同情するよ。

「それはそうと、鬼が嫌いでも自分で鬼を作って対抗できないの?」

「うん? 十六夜ゆめよ、それはどういう意味じゃ?」

「だから、日輪さんが鬼を作って、その鬼で十二鬼を倒せばいいんじゃないの?」

 おお、盲点だ。流石はゆめ姉。

「確かに反則ではないが、それはできん」

「どうして? なぜできないのかしら?」

 ゆかりの追及に日輪は忌々しいとばかりに言った。

「十二鬼を倒すにはそれ以上の鬼を作らねばならぬ。しかし、そんな素材と時間はないのじゃよ」

「素材と時間? 時間は分かるけど、素材ってなんなのさ」

 ぼくの問いに日輪は「素材は秘密じゃ」と言って答えてくれなかった。

「鬼一体を作るのに最低でも一年は必要じゃ。しかし、急造の鬼など、十二鬼に圧倒されてしまうじゃろ」

「十二鬼が強いのか、急造の鬼が弱いのか、どっちだい?」

「両方じゃな。まあ十二鬼でも強さが分かれとる。最弱の鬼は半人前の仙人でも倒せるし、最強の鬼は一人前の仙人でも手こずるじゃろ。ちなみに急造の鬼は人間でも殺せる」

「どうして強さが分かれるんだ?」

「素材の問題もあるな。まあ敢えて強さを分散させる意図もあるじゃろうが、ワシには分からん。あやつの考えていることは分からんし考えたくもない」

 さっきから酷い嫌いようだ。そんな奴とどうして勝負なんて――

「ねえ、どうして嫌な奴と勝負なんかしているのよ。そもそも勝ったらあんたに何の利益があるのよ」

 ぼくの訊きたいことを先に訊いてくれた。

「そうじゃの。それを話しておかねばならんのう」

 意外にもあっさりと教えてくれるみたいだった。

「一つはあやつを桃源郷送りにしてやることじゃな。あやつは一度頭を冷やす必要があるのじゃよ」

「つまり、殺すために闘うわけ?」

「星野ゆかりよ。仙人は死なん。ワシはあやつのことは好かぬが憎んでもおらぬ。ただ、一度だけでも傲慢な考え方を思いなおしてほしいのじゃ」

 結構複雑な関係なんだな……

「他にもあやつの仙界での地位を奪うためじゃ」

「仙界にも仙人にも地位とか役職とかあるのか?」

 まるで会社みたいだ。というより社会と言い換えたほうがいいのか?

「当然ある。あやつは序列三位。ワシは序列四位じゃ。つまりワシは上から四番目に偉いのじゃ。おっと、敬っても良いのじゃよ?」

「へえ。偉いと何か得があるのかな?」

 ゆめ姉感心して訊ねると「得というより徳じゃな」と日輪は答えた。

「みなから尊敬されるし、崇拝される。名誉が与えられるのじゃ」

「……たったそれだけで、殺し合いをするわけ? 理解できないわ」

 ゆかりが軽蔑したように吐き捨てた。

「うん? 人間でも偉い地位や尊敬されるために必死で出世したりするじゃろ? それとどこが変わるのじゃ?」

「だからよ。仙人って、もっと清廉なものだとばかり思っていたわ。それがそんなに俗っぽいとは想像できなかったわ」

「お主、馬鹿じゃな」

「はあ? 馬鹿って何よ!」

 ゆかりの反発に日輪は呆れ果てたように言った。

「言わなかったかの? 仙人は元々人間であると。その仙人が俗っぽくなるのは当然じゃろ? それに不老かつ事実上不死なのだから、名誉ぐらいしか満たされるものがないのじゃよ」

「……言われてみれば、そうね」

 実際に俗っぽい日輪という実例もいるもんな。

「それと最後に一つ。あやつの野望を止めるために、勝たねばならぬのじゃ」

「野望? もしかして序列一位になることかな?」

 ぼくの言葉に日輪は「似たようなものじゃな」と溜息をついた。

「あやつの野望は仙界だけではなく、下界の人間を滅ぼす結果になるじゃろうな」

「そんな危険思想な仙人がいるわけ? 仙人ってろくな奴がいないわね」

「ワシも含めて、か? まあ否定はせんよ。人間を辞めるような輩にろくな奴はおらぬ」

 日輪は自嘲するように笑った。

「他に聞きたいことはあるか? なければ十六夜こころを仙人にするが、良いか?」

 これが最後の質問になる。

 そう覚悟してぼくは訊いた。

「仙人から人間に戻る方法はあるの?」

「ない。理論もなければ実践もない。一生仙人は仙人のままじゃ」

 それを聞いてぼくは「ああ、やっぱり」と呟いた。

「こころちゃん、それでも仙人になるの?」

「ゆめ姉。それしか脚を治す方法がないんだ。ぼくは仙人になるよ」

 ついに断言してしまった。

 ゆめ姉は悲しそうな顔をした。

 ゆかりは怒っている。

「そうか。よく決断してくれた。安心せい、必ず一人前の仙人にしてやろう」

 日輪が微笑んで、そして言った。

「それでは、これから仙人にする儀式を行なう。少し苦しいが我慢せよ」

「儀式って何をやるんだ?」

「仙気を引き出すには仙気を抜き取りつつ、与えればよいのじゃ」

 矛盾するようなことを言う。

「つまりはどうすれば?」

「簡単じゃよ。まず上着を脱げ。そして右手と左手を出せ。仙気を循環させる」

 日輪は明日の天気を話すように言った。

「死ぬこともないが、かなり苦痛を感じるじゃろ。さあ、始めるぞ」



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