仙人と鬼
「それで、その子は日輪って名前の仙人で、脚を治してもらったわけね。不思議な力で」
「不思議な力というのは語弊があるが、まあいいじゃろう」
現在午後八時。
ぼくの家のリビングにいるのは四人。
ぼくとゆめ姉、ゆかりに日輪の四人だ。
あの後、二人をなんとかぼくの家に連れてきて、説明しようとしたところに、ゆめ姉が料理を作っている光景を見て、ゆかりが「手伝いますよ」と言って、参加した。
「ワシは料理ができんので頼むぞ」
そう言ってリビングの机でテレビを見ながらくつろぎ始めた日輪。少しは遠慮する気持ちはないのだろうか?
ていうか、仙人もテレビ見るんだ。
ぼくも手伝おうとしたのだけど「病み上がりなんだから座ってなさいよ」とゆかりに言われてしまったので、不本意ながら日輪と一緒にテレビを見て待った。
しかし、どことなくゆかりが怒っている気がする。幼馴染だからなんとなく分かることだけど。
しかし、どうして怒っているのか、よく分からなかった。
料理ができたのはきっかり四十分。
ぼくの好物ばかりが並んだ食卓にぼくは子供のようにわくわくした。
「召し上がれ。あ、無理しないで食べてよ。食べすぎで入院なんてしないようにね」
ゆめ姉の言葉を皮切りに食事が始まった。
病院食は薄い味付けだったから、塩気のあるものは久しぶりだった。
がつがつ食べていると、ゆかりが「この煮物、どうかしら」と訊いてきた。
「うん、最高に美味しいよ。ゆかりが作ったのか?」
「ええ、そうよ」
「絶品でたまらないな。毎日食べたいくらいだよ」
そういうと照れたように「何馬鹿なこと言ってるのよ」と言って背中を思いっきり叩いた。危うく吐き出すところだった。
何かおかしいこと言ったかな?
ちらりと日輪を見ると、礼儀正しくゆっくりと味わっていた。
「うむ。美味じゃの」
「仙人も食事とかするんだね」
ゆめ姉が訊ねると「いくら食べても満腹になることはないし、いくら食べなくても餓死することはないのじゃ」と言った。
「常に腹八分じゃな。思い出すとワシが食事したのは八年ぶりじゃ」
「……本当にあんたは仙人なの?」
ゆかりが疑いの目を日輪に向ける。
「仙人なんて、信じられないんだけど」
「ふむ。どうすれば信用されるかの? 空でも飛んでみせればよいか?」
「……なんでゆめさんもこころも信じているのよ?」
日輪を半ば無視するようにぼくたちに訊いてくるゆかりにぼくは答えた。
「実際に空を飛んでいるところとか見たし、それに脚を治してくれたから信じるしかないじゃん」
「……まあその通りね」
「ワシは別に信じなくても良いのじゃが。用があるのは十六夜こころだけじゃからな」
「なぜこころなのよ。さっき教えてもらったけど、鬼退治するなんて無茶をどうしてこころにやらせるのよ」
それはぼくも疑問に思っていた。下半身不随の人間を鬼退治させようと考えた根拠が分からない。
「ああ、脚が動かないのは知らんかったのう。もし願いを叶えなかったら、そのまま闘ってもらうところじゃった。危ない危ない」
「……無計画なのね」
呆れるように言うゆかりに日輪は「結果は良い方向へ向かったから良いではないか」と嘯く。
「もしも別の願いでも、ワシの力で治すと思うぞ? 一個願いを損したな」
「いや、特に願いなんてないから、別にいいよ」
「無欲じゃのう。ま、仙人になる人間らしいと言えばらしいが」
「そもそも、仙人って何かな?」
ゆめ姉が焼きたてのアップルパイを持ってきて言った。
「ふむ。仙人について説明する前に、このでざーとをいただくとしよう」
大好物のアップルパイが出てきたので、異論はなかった。
大き目のサイズのアップルパイを食べ終わり、ようやく仙人についての説明が始まる。
「そもそも仙人とはこの国でいうところの八百万の神に近い存在じゃ」
口元を拭きながら、日輪は言った。
「つまり神様ってことかな?」
「いや、違うぞ十六夜ゆめ。神は仙人とは異なる概念じゃ。八百万のいうたとえは人数がたくさんいることや権限が少ないことを表したかったのじゃ」
「権限が少ないとはどういう意味なのよ?」
「ほれ、米粒にも神が宿るように、八百万の神は役割が決まっておろうが。たとえば米の神は小麦に対して何も干渉はできぬ。そういうことじゃ」
うーん、分かりづらい。
「八百万の神というたとえは悪かったかの? まあ神とは違うところは、仙人は元々人間であったことかの」
「日輪も元は人間だったんだね」
ぼくが訊くと「そうじゃな」と肯定した。
「遠い昔の話じゃ。もう記憶はおぼろげになっておる。人間時代の思い出など、それこそ米粒ぐらいしか覚えておらぬ」
それはそれで寂しい話だ。
「それで、なんでこころを仙人にしようと思ったのよ」
ゆかりが同じ質問をした。
「うむ。答えを訊く前に、どうしてワシが下界に下りたのかを説明したほうが良いな。安心せい、必ずすべてを話そう」
そう言われては口も挟めない。ぼくとゆめ姉とゆかりは黙って肯定した。
「分からんことがあればいつでも訊いてくれ。そのほうが説明しやすい。さて、この下界にきたのは、とある嫌な奴とのげーむのためじゃ」
ゲーム。契約書にも書かれていた。
「げーむの内容は簡単じゃ。童でも悪童でも知っておる、単純な遊戯じゃな」
日輪はまるで天気でも話すような気軽さで言った。
「それは――鬼ごっこじゃ」
「はあ? 鬼ごっこ?」
ゆかりがいち早く反応したけど、ぼくも同じ気持ちだった。多分ゆめ姉も同じ気持ちだろう。
「なんじゃ? 知らんのか?」
「いや知ってるけどさ。なんで仙人が鬼ごっこなんてしているのかな?」
ぼくの素朴な質問に日輪は「馬鹿にするでない」と少し怒った。
「これは真剣な遊戯ぞ。負ければ桃源郷に行かねばならぬのだぞ」
桃源郷と言う言葉は知っているけど、そこがどんな場所か知らない。
嫌そうな顔からして天国ではなさそうだけど。
「それで、鬼ごっこと鬼退治がどうつながるのよ」
ゆかりが促すと日輪は「るーるの抜け穴を見つけたのだ」とにやりと笑った。
それは底意地の悪い微笑みだった。
「まずはるーるの説明をせねばな。まず鬼から逃げ切る期間は一年。そして鬼は全部で十二体おる。また一ヶ月に一体ずつ増えていく。つまり最後の月は十二体から追われることになるのじゃ」
ふむふむ、なるほど。
「その鬼って強いのかな?」
ゆめ姉の質問に「ワシなら十二体襲ってきても余裕で倒せる」と日輪は豪語した。
「しかし、反撃は禁止されておるのだ。あの嫌な奴はそういういやらしい嫌がらせに長けておるのじゃ」
本当に嫌いなんだなと思うくらい苦渋に満ちた顔をしている日輪だった。
「鬼ごっこということは、捕まったら終わりなの?」
「いや、捕まえるのではなく、殺さないといけないのじゃ」
殺すって物騒だな……
「まあ仙人は殺されても魂が桃源郷に封印されて、しばらくしたら復活するから、構わないのじゃがな」
「仙人って死なないんだ……だったらデメリットはないじゃない」
ぼくの言葉に日輪はキッと睨みつける。
「だから、桃源郷には行きたくないのじゃ」
そこまで嫌がるくらい行きたくないのかな?
「ともかく、一年間逃げ切ればワシの勝ち。殺されればあの馬鹿の勝ちじゃ」
何か質問あるか? と日輪は訊いてくる。
手を挙げて訊いたのは、ゆかりだった。
「逃げられる範囲は決まっているのかしら?」
「この国、つまり日本国の領土と領海と領空に限定されておる」
「期限は?」
「今年の四月一日から三月三十一日までじゃ」
「ゲームに参加しているのは、あなただけ? それとも他にもいるの?」
「いや。ワシとあやつの二人の勝負じゃ」
「鬼ってなんなのよ?」
「ふむ。お主たちの想像するとおりの化物じゃ。まあ外見は人間に近いがな」
「禁止されていることは他にある?」
「ワシの友人や弟子の協力は借りてはならぬことが挙げられるな」
「じゃあなんで、こころを弟子にしたわけ?」
ゆかりが不可解だと言わんばかりに訊いてきた。
「あなたさっき言ったわよね。弟子の協力を受けないって」
「そこがミソなのじゃ」
日輪はシニカルに微笑んだ。
「あらかじめ、あの馬鹿と細かく罰則について話し合ったのじゃ。その際、ワシの友人や弟子の名前をすべて禁止帳と呼ぶ誓約書に書き連ねた。これがどういうわけか分かるか?」
ぼくの頭が悪いせいか、話が見えてこない。
「つまり、下界で新しく弟子を作っても、るーるに抵触しないというわけじゃ!」
「それって、屁理屈じゃないの?」
ゆかりは呆れたように言った。
「いーや、問題ない。禁止帳に記載のない場合はせーふじゃ」
子供の理屈というか、なんというか……
「ここまで言ったら、ワシの目論見も分かるじゃろ?」
「ええ、分かったわ」
「……こころちゃん、大丈夫かな」
二人は分かったようだけど、ぼくはさっぱり分からなかった。
「どういうことかな?」
「こころ、最初に何に協力してほしいって言われたの?」
「えーと、鬼退治、だね」
そう自分で言っておいて、ようやく気づいた。
「もしかして、ぼくが――」
「そうじゃ。やっと理解したか」
日輪は愉快そうに笑った。
「十二体の鬼を弟子のお主が退治してしまえば、ワシは逃げる心配はない! つまり楽して勝負に勝てるというわけじゃ。あはは!」
十二体の鬼を、ぼくが退治する?
「そ、そんなの、無理に決まっているに決まってるじゃん!」
ぼくがほとんど悲鳴のように言うと「なんじゃ、男のクセに軟弱じゃのう」と拗ねたように言う。
「いや、無理だって。ぼくは格闘技とか習っているわけでもない、ただ脚の速いだけの一般人なんだよ?」
そう言うと、日輪は「疑問に思わなかったのかのう?」と逆に訊いてきた。
「どうしてお主を弟子にしようと思ったのか。なぜ怪我人のお主を選んだのか。星野ゆかりが先ほどから訊いておったじゃろ? どうして十六夜こころをワシが見初めたのか」
確かに、それは聞いていなかった。
「たまたま病室を覗いていたわけではないのじゃ。たまたまお主を選んだわけでもない」
日輪はぼくを指差し、こう言った。
「お主には仙気が常人の五十倍はある。つまりは仙人になりやすい才能を持っておるのじゃ」
仙気? なにそれ。




