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鬼の切り札とぼくの伏せ札 その3

「ぼくの勝ちだと? 若き仙人よ、笑わせてくれるじゃないか。この圧倒的不利な状況からどうやって逆転できるというのだ?」

 牛角が煽るように言ってくる。ぼくは軽く笑った。

「じゃあ見せてあげるよ」

 そう言って仙気を手のひらに集中させた。

「百聞は一見に如かず。実際に体験してみるがいいよ」

 ぼくは言い終わると牛角に向けて――

「喰らえ牛角! これが伏せ札だ!」

 手のひらから青い仙気に包まれたあたかも光速に近い光弾――仙弾を放った。

 牛角は息を飲み、仙弾を避けようとしたけれど、回避動作が遅れてしまったみたいで、仙弾は牛角の左肩に命中した。

 ビシュンと肉を貫く音がした。

「――なんだと!? 仙弾だと!?」

 牛角は驚きを隠せないと言った表情でぼくを見つめる。どうやら今起こったことが信じられないようだ。

「貴様は仙人に成り立ての人間だったはずだ! 当然、仙脚や仙手はともかく、仙弾を放つほどの仙気のコントロールができない! なのになぜ貴様は仙弾を撃てるのだ!」

 牛角が喚くように言うと、ぼくは静かにこう返した。

「努力したんだよ。仙弾が撃てるようにね。それに日輪に無理言って仙弾の修行をつけてもらったんだよ。たとえ仙脚や仙手の威力が多少下がってしまっても、対処できるようにね。加えて、仙弾習得のほうが最優先、最善手になるのは、牛角、君の戦闘から見てわかったんだ」

「拙者の戦闘からだと? どういう意味だ? 貴様は何を言っているんだ?」

 うろたえていると言うよりも混乱していると言った方が正しいようだ。

「牛角、君は中国刀を持っているじゃないか。それはすなわち遠距離の攻撃に弱いと言っているもの同じだ。それをカバーする得物がないのは日輪に近づいて斬ろうとしたことからも推測できる。あとついでに君の特鬼仙力の前提として近距離戦を想定しているのはこれまでの闘いで理解できた。だから仙弾は有効なんだ」

 そう。だから牛角が現れた日からぼくは仙弾の修行を積んできた。ゴールデンウィークを丸々使っての特訓だ。周りのみんなが遊んでいるのを尻目に必死に修行したんだ。

 修行は――努力は嘘をつかない。

 現にこうして牛角を追い詰めている――

「さてと、こうしてあとは仙弾を撃ち続けるだけだ。もうこれで勝敗はついたね」

「……まだ負けたわけではない。舐めた口を利くな、若き仙人よ」

 牛角は底冷えするような声音で言う。

「貴様に近づき牛歩仙術を発動させれば勝負はつく。決して貴様が有利なわけではない」

 牛角は中国刀を構え直す。明らかな前傾姿勢、突撃の体勢だった。

「間合いが離れていようがいまいが確実に貴様を一撃で殺す」

「……その近づくっていうのが、無理だって言っているんだよ」

 ぼくは内心冷や冷やしながら牛角の言葉を否定した。

「仙弾の威力は折り紙つきさ。鉄板を貫く、いわゆる貫通力は日輪も手放しで喜んでくれたさ」

 ぼくのこの言葉に牛角は「それはどうかな?」と否定した。

「だが、撃てる数にも限りはあるだろう?」

 ――くそっ! 気づきやがった。

「…………」

「確かに仙気の回復は可能だ。仙気を吸収すれば良いのだからな。しかし仙弾はどうだ? 熟練の仙人ではない貴様に仙弾を撃ちながら回復に努めることははたして可能だろうか?

答えは否だ」

 流石、歴戦の戦士。よく分かっているな。

「仙人に持久戦を持ち込むのは愚か者だ。しかし若き仙人相手ならば勝機は十二分にあるだろう」

「まさか仙弾を喰らいながら前進してぼくを斬り殺すつもりか? そんなのは無茶だ。やめておくことを提案するよ」

「貴様に言われずとも、無茶だということは百も承知だ。しかしそれでもやらねばならぬのだ」

「どうしてだ? 自分のためか? それとも主のためか?」

「己の矜持のためだ。負けると分かっていても闘わなければならない場面があるはずだ」

「……牛角」

「それが、この局面なのだ」

 牛角の目が鋭く光った。そしてまるで闘牛のようにさらに前へ傾いた。

「貴様が死ぬか、拙者が死ぬか。二つに一つ。さあ、始めよう。命がけの根競べだ」

 その言葉を最後に、牛角はぼくに――突貫した。

「う、うおおおおおお! 仙弾! 乱射!」

 ぼくは右手と左手の両方から仙弾を発射し続けた。その場に立ち止まって、牛角に向かい合うようにして。

 一発一発が鉄板を破壊する威力の光弾。それが牛角の身体を貫き抉り穴を空ける。

「う、くっ、うぉおおおお!」

 牛角が唸り声を上げてぼくに近づいてくる。

 牛角の間合いまで十歩。

 鎧が砕けて素肌が見えた。

 牛角の間合いまで八歩。

 左腕が吹き飛び、明後日の方向へ飛んでいく。

 牛角の間合いまで五歩。

 膝に当たったけど少しぐらついただけで迫り続ける。

 牛角の間合いまで二歩。

 右目が消し飛んだ。

 牛角の間合いまで――一歩。

「殺った! 死ねえええええ!!」

 牛角が勝利の咆哮をあげる。

 ぼくは迫り来る刃を避けることなく、牛角の左胸、つまりは心臓を狙って、仙弾を放った。

「う、ぐ、ふうう」

 牛角はぼくの右肩に中国刀を振るった。

 皮を破き肉を引き裂いたけど、骨を折ることは叶わず、そのまま刺さったまま、牛角の右手は離れてしまった。

 牛角は「また、届かなかったか……」と呟き、そのまま前倒しに倒れてしまう。

「……勝った」

 そう言葉に出してみたけど、全然勝った気がしなかった。気迫とか心構えとか、そんなところでは負けた気がした。

 それにしても自分でも甘い気がしていた。

 最後の一撃、牛角がぼくの肩の肉を切り裂いた一撃は避けようとすれば避けられた。第一間合いを詰めてくる牛角にぼくは馬鹿みたいに立ち止まって仙弾を乱射したのは愚かしい。逃げるとまでは言わないけど、下がることも出来たはずだ。

 なぜそれをしなかったのか。それはひとえに牛角の矜持に対して真っ直ぐ向かい合いたいからだ。負けたくなかったからだ。

 ここで退いてしまえば、今までの努力とか苦労とかが無駄になってしまうと感じたからだ。

 なんて一人よがりの考え方だろう。

 もしも牛角がタフで力が残っていたら、ぼくは反対に死んでいただろう。牛角が袈裟切りではなく頭を狙っていたら、頚動脈を狙っていたら、ぼくが死んでいた。

 あっさりと何も言い残すことなく死んでしまっただろう。

 だけど――それでも牛角と向かい合いたかった。

 ぼくの努力と牛角の実力。

 その優劣をはっきりさせたかったのだ。

「終わったようじゃの。今回もお主の勝ちじゃな。素晴らしいのう」

 日輪の声がしたけど、振り返ることはしなかった。ずっと牛角のことを見ていた。

「日輪、下がって。まだ死んでいない」

「この時点からの逆転はないじゃろう」

「妖鼠のときは反対だっただろう? 何が起こるか分からないだろう」

「その慎重さも素晴らしいのう。だが、訊かねばならぬこともあるのじゃ」

 日輪は牛角の身体を反転させて仰向けの状態にした。

「牛角よ。もって数分の命じゃ。死ぬ前にお主に訊くべきことがあるのじゃ。良いか?」

「……なんですか、日輪さま」

 牛角は残った目も閉じて日輪の顔も見ない。声も掠れてしまっている。

「次の鬼について、話してくれぬか?」

「……答えると、お思いですか?」

「いや、一応聞いただけじゃ。答えぬならばそれで良い」

 日輪の行動は意味が分からなかった。答えるはずがないのに、訊くなんて――

 まるで何かを確認しているような感じがした。

「このまま失血死で地獄に行くか、十六夜こころに殺してもらうか。好きな方を選べ」

 日輪の提案に牛角は頬を引きつらせた。どうやら笑おうとして失敗しているみたいだ。

「それならば、若き仙人に、殺してもらいましょう。頼みます」

「よし、十六夜こころよ。遠慮なく殺すが良いぞ」

 日輪の提案に、ぼくは黙ったまま動かなかった。

「どうした? なぜ殺さない?」

「ぼくは――快楽殺人者じゃない。もう死ぬと分かっている相手にとどめなんてさせないよ!」

 牛角に同情したわけじゃない。

 日輪に反対したわけじゃない。

 ぼくは――今更になって怖くなった。

 自分のやったことに恐れを抱いたのだ。

「なんじゃ? どんどん人間ではなくなる己に恐怖を覚えたのか」

 日輪はやれやれといった感じでぼくの心中を暴く。

「お主が何もしなくとも牛角は死ぬのじゃ。それは避けられぬぞ」

「日輪、ぼくは初めて妖鼠を、鬼を殺した。そのときは殺すってことが分からなかった。だけど、経験したから分かる。ぼくは殺すのが怖く――」

「甘いことを言うな、若き仙人よ」

 遮るように、牛角は言った。

 もう死にそうなのに、死んでもおかしくないのに、そんなことを言ってきた。

「勝負には勝者と敗者が存在する。敗者は黙って死んでいく。勝者は黙って殺していく。それが勝負の真理だ」

「だけど――」

「ネズミも――妖鼠も自分の矜持を保ったまま、死んでいったのだろう?」

 牛角は穏やかな口調で言う。まるで聖人のようだ。

「だから殺せ。そして乗り越えるのだ。あと十体の鬼を倒せるかどうか分からないが、それでも倒せ。そうしないと拙者が浮かばれぬ。地獄に逝っても心残りになってしまう」

 ぼくは――それでも迷って迷った挙句。

「日輪。ぼくは殺さないといけないのか?」

「もちろんじゃ。ワシは殺すことを禁じられておるからのう」

 ぼくは肩から中国刀を引き抜いた。痛かったけど我慢した。

「分かった――殺す」

 その言葉に牛角は微笑んだ。

「ありがたい。それではさらばだ。若き仙人よ」

「……若き仙人じゃない。十六夜こころ、だよ。牛角」

 ぼくの言葉を受けて「そうか。良い名だな」と応じる牛角。

「これから拙者以上に強い鬼が貴様を殺しに来るだろう。願わくば誇りある闘いをしてほしい。それではまたいずれ。十六夜こころよ」

 ぼくは中国刀を上段に構えた。

「さようなら、牛角」

 そして、振り下ろした。

 肉が裂けて骨が砕ける音がした。

 こうして牛角は死んだ。

「ようやった。これで一ヶ月は安心じゃの」

 日輪は背伸びをしてリラックスしている。

「日輪。日輪は人を殺したことがある?」

 ぼくは多分うつろな目、死んだ目をしていたと思う。

「うん? あるがそれがどうした?」

「後悔、してない?」

「なぜ後悔しなければならぬのじゃ?」

 日輪は不思議そうに訊ねる。

「死ぬべき人間を殺すことは悪ではあるまいじゃろ? 違うか?」

 ぼくは死ぬべき人間ほど救うべき対象であると誰かの名言を思い出していたけど、言葉に出すのは控えていた。

「そっか。分かったよ、日輪」

 闘っている最中はアドレナリンが噴出して何が何だか分からないけど、冷静になれば自分のやっていることは間違いだって分かる。

 ぼくは、仙人は、鬼は、闘うために生きているのだ。なんて罪深いんだろう。

「それでは死体を片付ける。お主は先に帰れ」

「分かった。また明日な。日輪」

 そう言ってぼくは日輪に背を向けて歩き始める。

 手に残る感触がぼくの心を苛む。

 はたして今夜は眠れるのだろうか。

 流れ星が横切った夜空は残酷までに綺麗だった。

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