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喧嘩は仙人も買わない その2

「それで、どういう経緯で岡島くんが気絶したんだ?」

 昼休みはとっくに終わって、授業が始まった頃。

 生徒指導室に移動したぼくたちは机に座らされて、説教を受けていた。

 この場に居るのはぼくと水戸くんと小山田先生だけだ。

 青空たちは関係ないとぼくが言って一緒に説教を受けるのを避けた。

 さて、この状況はどうしたものか。

「えっと、初めに水戸くんたちがぼくの教室に来まして――」

 水戸くんが話さないので、ぼくから事情を説明した。事実をありのままに言っていたので、水戸くんから「それは違う」という言葉は出なかった。

「それで、岡島くんがぼくのお弁当を床に落としたんで、キレて殴ってしまいました」

 結論を言うと小山田先生は「そうか。では水戸くん、十六夜くんの話に間違ったことはあるか?」

「ありません。その通りです」

 水戸くんがそう言うと小山田先生は「だったら岡島くんが悪いということになるな」と言った。

「そもそも、なんで十六夜くんのところへ来たんだ? 四人も引き連れて」

「その、十六夜が陸上部に入らないのに、ちょっと気になって」

「陸上部? それはどういうことだ? 部活に入るのは強制だが、それでもどこに入るかは自由だろう」

 小山田先生の正論に水戸くんは「でも、おかしいじゃないですか」と反論を試みる。

「先生は知っていますか? 十六夜が陸上部に入るべき人材だってことを」

「知らないな。それはどういう根拠で言っているんだ?」

「十六夜は50mで学年一位になったんです。それに全国でも屈指の実力を備えているんですよ」

 水戸くんがそう言うと「ほう、そうなのか」と感心したように小山田先生は言った。

「なぜ君は陸上部に入らなかったんだ? それにどうしてボランティア部をわざわざ創って入部しようとしているんだ?」

 小山田先生は本当に不可解そうに訊ねる。

「それは、前は言いませんでしたけど、太田陽子先輩がぼくの恩人なんですよ」

 前の説明のときに省いたことを言うと、小山田先生は「恩人? なんだそれは」と訊いてくる。

「えっと、詳しく話すと長くなるので、あまり言えないんですけど、とにかくぼくは陽子先輩に恩というか、頭の上がらないところがありまして。ですので陽子先輩が部活を立ち上げたいと思ったら協力しなければいけないじゃないですか」

 なるべく多い言葉で誤魔化して、肝心の恩のことをぼやけさせてみる。

「しかし、強制ではないだろう? 君自身やりたいことがあったはずだ。それを無下にしても協力するほどの恩があるのか?」

「ぼくにはやりたいことがありませんから」

 ぼくは嘘をついた。

「元々陸上部に入る気もありませんでしたしね。脚が速いからといって必ず陸上部に入らないといけない学則はないですし。それだったら、ボランティア部を創って人の役に立ちたいじゃないですか」

 本当は自分の為だけど、耳障りの良いことを言っておいたほうが心象は良い。

「そうか。そういう理由があったんだな」

 小山田先生もようやく納得してくれたみたいだ。

「それで、水戸くんはこれを聞いて理解できたか?」

「理解はできましたけど、納得はいきませんよ」

 水戸くんは腕を組んで言う。

「十六夜は確実に陸上で世界を狙える男です。そう確信しています。根拠は実際に見てもらえれば分かります。十六夜は普通の人間とは違う」

 普通の人間ではないという言葉に少しどきりとする。

「まあ普通の人間ではないのは分かる。元怪我人だった十六夜くんが、スポーツテストでそんな結果を出すのはおかしい」

 さらにドキドキする一言。もしバレてしまったら、日輪がなんとかしてくれるかな?

「元怪我人? どういうことですか?」

 水戸くんが不思議そうに訊いてくる。

「ああ、三月まで下半身不随の大怪我をしたんだ。なのに四月にはこうして元気に歩いたり走ったりしている。明らかにおかしい」

 疑惑の目がぼくに向けられていた。

「……信じられない」

 水戸くんはまるで化け物を見るような目でぼくを見つめる。

「下半身不随から一ヶ月も経っていないのにあのスピード。普通鈍ったりするはずなのに、お前は一体なんなんだ?」

 やばい方向に話が進んでしまっているなあ。

「ぼくだって知りたいよ。突然治ったんだから。それ以外に説明はできないよ」

 ぼくの発言にますます疑わしい目をしてくる。このままじゃ不味いと思ったので、ぼくは話を戻すことにした。

「そんなことよりも、ぼくの処分はどうなるんですか? まさか停学ですか?」

 自分でも話題に出すのは嫌だったけど、言わなければならないことなので言っておく。

「処分? ああ、停学にはならないと思うが、反省文ぐらいは書いてもらおう。岡島くんの怪我は酷いけど、悪いのは岡島くんだし」

 それを聞いて、ほっとした。ぼくが停学になるとゆめ姉が悲しむからなあ。

「水戸くんも反省文だな。まあそれくらいで妥協してくれ。部活動停止になるよりはマシだろう?」

「……はい、分かりました」

 水戸くんは納得していないようだったけど、まあこれぐらいが落としどころかな。

「しかし校内で暴力事件か。保護者への対応が大変だな」

 小山田先生が頬をぽりぽり掻きながらアンニュイな表情をした。

「人の口には戸が立てられない。多分学校中の話題になるだろう。一ヶ月は好奇な目で見られるようになるだろうな。それは覚悟してくれ」

 目立つのは嫌だけど、まあしょうがないか。

「それでは水戸くんは帰ってよろしい。十六夜くんは残るように」

 なぜぼくを残されたんだろう? 水戸くんも不思議に思ったらしいけど「分かりました。それでは先に帰ります」と一礼する。

「反省文は後で届ける。三日以内に書き終えるように」

 その言葉を背に、生徒指導室から水戸くんは去っていった。

「さて。十六夜くん。どうして残されたか、分かるか?」

 ぼくは正直に「分かりません」と答えた。

「君は暴力を振るった。その事実は変わらない。たとえ君の大事なものを壊されても、我慢することも大切だ。そうしないと、もっと大切なものが自分の手で壊してしまうことになるんだから」

 なんだ、説教みたいだ。

ぼくは「はい、反省しています」と頭を下げた。

「君はもう高校生だ。中学生と違って力もある。今日はたまたま打ち所が良かったおかげで、軽い怪我で済んだけど、もしも悪ければ人殺しになってしまうだろう。誰だって人殺しは嫌だろう?」

「…………」

 まあぼくは人殺しじゃなくて鬼殺しなんだけど。

 それでも、人の生命の重みは分かっているはずだ。

「時には耐えることも必要だって、君は理解できるはずだよ? 私の言ってることは分かるかな?」

 ぼくは、反論する気はなかったけど、口から出てしまった。

「それでも闘わないといけないときもあります。大切なものを守る為に」

 ぼくがそう言うと「じゃあ君はどうして今日、暴力を振るったんだ?」と小山田先生は言った。

「こう言ってはなんだけれど、たかがお弁当だろう? それが激高に繋がるとは思えないのだが」

「ただのお弁当じゃないんです。ゆめ姉が作ってくれたお弁当なんです」

 いつも大切に作ってくれる、お弁当だ。

「ぼくには両親がいません。なのでいつもゆめ姉が作ってくれます。ちゃんと栄養のことも考えて、愛情を込めて作ってくれているんです」

 ぼくは小山田先生の顔を見据えた。

「たかがお弁当じゃないんです。ぼくにとっては特別なお弁当だったんです。それを滅茶苦茶にされたら、ぼくは耐えられない。実際に殺意を抑えることができなかった」

 小山田先生は黙って聞いていた。

「滅茶苦茶にされた瞬間、頭に血が上りました。それと同時に今行動を移さないと大事なものが壊れてしまうような、自分の中の大切なものがバラバラに解れてしまうような感覚が静かに身体を巡ったんです」

 もしも、あそこでぼくが動かなかったら、きっとこれからぼくは何も得ることができなくなるだろう。

 この先の人生でも、大切なものを守れなくなってしまう。

 そう直感できたのだ。

「だけどその結果、こうして説教されている現状をどう考える?」

 小山田先生が厳しいことを言ってくる。

 ぼくは「後悔はしていません」と毅然として答えた。

「暴力行為は反社会的行為ですけど、それでも黙っていることのほうが、罪悪感を増します。ぼくは正しいことをしたと思います」

 そう、正しいこと。

 ぼくは鬼を殺したときの感覚を思い出していた。

 手に残った感触、血しぶき、肉片。

 今でも夢に出てくるほど、嫌なものだった。

 それに比べれば、人を殴ったことなんて、軽いことだ。

「君はただ中学生の気分が残っているみたいだな」

 小山田先生は厳しい声になった。

「子供が軽い感じで『殺す』と言っているのと同じだ。先ほども言ったが、もう身体は大人と変わらないんだ。自制心を持たないと簡単に人を殺してしまうんだぞ? それを理解しないと駄目だ。たとえ大切なものを守るためでも、手を出してしまえば、十六夜くん、君の負けなんだ」

 大人としての理屈だけど、それに納得できないぼくは、精神的には子供なんだなあと思う。もうとっくに仙人になって人間をやめたけれど。

「まあそういうところも反省しつつ、これからの学校生活を送ってくれ。それが今回の事件の何よりの教訓になる」

 そうまとめた小山田先生はこうも続けた。

「大切なものを守るのは尊い。しかしその為に犠牲を払うのは美しくない」

「……誰かの名言ですか?」

「いや、私自身の言葉だ」

 なんだ、名言っぽいのに。

「それでは教室に戻っていい。多分授業中だから静かにするんだよ」

 そう言われたのでぼくは立ち上がり、一礼をした。

「ご迷惑かけてすみませんでした」

「今度は話し合いで済ませるんだよ」

 その言葉を最後にぼくは生徒指導室から出た。

「あーあ、入学早々に早速怒られちゃった。死にたくなるなあ」

 そう呟いて自分のクラスに戻ろうとする。

「まったく、お主は何をやっておるんじゃ」

 気配もなく知覚もできないほどさりげなくぼくの正面に日輪は立っていた。

「おっと、にち、じゃなくて陽子先輩。どうしてここに? それに口調も戻っているし」

「替え玉を作っておるから平気じゃ。口調も別に良いのじゃ。それよりお主は仙人としての心構えがなっとらん。まあ仙気を抑えたことは評価に値するがのう」

 ぼくは歩きながら「説教なら小山田先生に散々聞かされたからいいよ」と言う。

「今度から気をつけるよ」

「お主のせいでぼらんてぃあ部が創立できなくなったら、どう責任を取るんじゃ?」

「そしたら別の部に入るさ。ぼくは困らないしね」

「お主が死んだらワシが困るんじゃ。まったく、半人前の仙人を育てるのは骨が折れるわい」

 溜息をついて、ぼくのほうを見る。

「お主は力に溺れるところがある上に、人を見下すところも出てきたのう。初めに選んだワシの目に曇りが出てたのかのう」

「そんなことないよ。ぼくは見下したりしたことない」

「自分が仙人だから、手を抜こうと思ったことないか? すぽーつてすとでの結果がそう表しておる」

「全力出したら、人間扱いされないじゃん」

「お主は仙人というより人間を演じている仙人じゃな。まあそこは追々直せばよいが」

 うーん、そんなことを言いにわざわざ来たのかな?

「まあいいさ。日輪、もう一人の部員は見つかったかい?」

「ああ、それはまだじゃ」

「あと四日しかないんだけど」

「小山田先生に期限を一週間延ばしてもらった。だからあと十一日ある」

「なんだ。それならいいよ」

 ぼくは階段を昇りながら、気楽そうに言った。

「ぼくの友達に入ってくれそうな人が居ないか探すよ。兼部はOKなのかな?」

「おーけーじゃ。それじゃまた屋上で待っておる」

 そう言うと音もなく消えてしまった。

「仙人って凄いなあ」

 ぼくは何の感慨もなく言って、自分の教室へと戻る。

 クラスのドアを開けると、みんながこっちに注目してきた。

 どうやら自習のようだ。

 クラスメイトの好奇と畏怖が入り混じった視線を感じた。

「おいこころ。結構時間かかったな」

 椅子に座ると後ろの席の青空が話しかけてきた。

 ぼくに怖がっていないようだ。

「まあね。反省文だけで済んだよ」

「てっきり停学かと思ったぜ」

「ぼくもだ。正直助かったよ」

 そう言ったら、今度は大地がぼくの席に近づいてきた。

「……こころ」

「うん? どうしたの大地?」

 大地はぼくの頬を強めに引っ張った。

「いふぁい。やめへ」

「こんな虫も殺さないような人間が、あんな強いなんて、信じられないぜ」

 まあぼくは仙人だからね。

「岡島の奴、病院に行っちまったみたいだ。こんな早い時期に病院送りってちょっと過激過ぎないか?」

 まあ過激かどうか問われたら、まあ過激な部類に入るんだろうな。

「まあそんなことはいいよ。それより、報復が怖いな。どうにかならないかな」

 まあぼくは対処できるけど、最悪の場合、ぼくの友人たちに危害が加えられそうな気がする。

「そうだな。岡島に謝るのもどうかと思うぜ? まあ明らかにやりすぎだけど、そうされるきっかけを作ったのは岡島だからな」

 大地がそう言うと、青空は「だったらこういうのはどうだ?」と提案してくる。

「こころと水戸が勝負して、勝った人間の言うことを聞くって言うのは?」

 勝負? 喧嘩かな?

「なあ青空、勝負って何をするんだ?」

「簡単だ。要するにこころの脚力が原因になったんだろう? だったらそれで勝負しようぜ」

 青空は自習中の教室に聞こえるくらいの大声で言う。

「100mで勝負だ。これなら誰も文句は言わないだろう」


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