ぼくと仙人 その2
人は衝撃的な出来事に遭遇すると、思考が停止してしまうらしい。そんな馬鹿なと思っていたけど、リアルに体験するとその通りなのだと感じた。
ぼくは女の子を見てフリーズしたし。
ゆめ姉はゆめ姉で無反応になってしまった。
動いたのは女の子だった。
ピースサインをしていた右手をグーにして、こんこんこんとこれまた礼儀正しく窓をノックした。
「えっと、ゆめ姉、窓開けてあげて、くれるかな?」
ようやく、ぼくの思考は回復したようだ。
「えっ? こころちゃん、その子を、中に入れるの?」
恐る恐るゆめ姉が訊ねる。ぼくも正直なんでそう言ったのか分からないけど、女の子を見つめていたら、なぜか中に入れないといけないんだと、思ってしまった。
「う、うん。一応、ノックしてるし」
「空中に浮いてるんだよ? そんな人を中に入れるの?」
「いや、上から吊るされているのかもしれないし。ワイヤーとかで」
「……そんなの、見えないよ?」
「見えないようにしてるんだって。人間が空を飛べるわけないじゃん」
ぼくはなぜゆめ姉を説得しているのか、理解できないけど、とにかく、中に入れないといけないとさっきから強く思っていた。
それになんだか息苦しい。
窓を開けてもらわないと、この閉塞感から開放されない気がした。
「ゆめ姉、早く……」
「う、うん。分かった……」
ようやく納得したのか、窓を開けようとするゆめ姉。じりじりと近づいて、鍵を開けて、窓を開いた。
女の子は、にこりと微笑んだ後、空中を滑るように進み、窓から病室に入ってきた。
窓が開いたので、ぼくが感じていた息苦しさがなくなって、何からか開放されたような清々しさを感じた。
急いで深呼吸をする。
そして改めて女の子を見てみる。
まるで巫女さんのような服装だった。
白衣に白袴、全身が真っ白で赤い刺繍がデザインされている。袖口が広く袴も折り目がしっかりとされている。
髪型はボブカット。いや、おかっぱと言ってもいいくらい、少女に似合う髪型だった。だけど、総白髪でかなり目立つ。
大きな瞳、赤い唇、頬は赤みを帯びている。
なんというか、全体的に幼い感じがする。
背も低いし、童顔だし。
女の子が病室に入るとゆめ姉は急いでぼくのところへ戻っていく。
「ゆめ姉、下がってて」
「う、うん。気をつけてね」
なぜだか分からないけど、さっきまで中に迎え入れないといけないと思っていたのに、今度は追い出さないといけないと思うようになった。
女の子はそんなぼくの警戒を無視して、病室の中を見回した。
物珍しいのだろうか?
しばらくそうしていると、飽きたのか今度はぼくのほうをじろじろと見てくる。
「あ、あの、な、なんですか? 何か用があるんですか?」
自然と敬語になってしまう。なんて情けない!
「…………」
訊ねても何も話そうとしない女の子。
「どうして、ぼくの部屋の前で、その、浮いてたんですか?」
馬鹿みたいな質問だ。だけど『飛ぶ』なんて自分の理解を超えていたので、せいぜいが浮いたという表現に落ち着いてしまった。
「…………」
「あの、何か言ったら――!」
再度質問しようとしたら、勢いよくぼくの顔面まで近づいてくる。
そのときカランコロンと音がしたので、下駄を履いていることが分かった。
いや、そんなことはどうでもいい。
女の子はぼくの顔をじっと見つめている。
息が顔にかかって、その、ぶっちゃけ、ドキドキした。
「ちょっと! こころちゃんに近づかないでよ!」
ゆめ姉が抗議すると女の子は離れていった。
一応、コミュニケーションは取れているようだ。
窓際まで下がると女の子はこほんと咳をして、そしてようやく口を開いた。
「……お主はアレだな」
お主? なんだか古風で似合わない話し方だ。
ぼくとゆめ姉は息を飲んで、言葉を待つ。
「……ぶらこん、だな」
はあ? ブラコン?
きょとんとしてしまったぼく。だけどゆめ姉は「な、なに言ってるの!?」と凄まじく反応した。
「な、なにを、なにをいきなり、言っちゃうのかな!? 君は!?」
「違ったか? ワシの知る下界の常識から判断すると、お主は相当のぶらこんだと思うのじゃが」
「そ、そんなこと、ないもん!」
おお、ゆめ姉が取り乱している。
「た、確かにこころちゃんは好きだけど、それは姉弟愛というか、プラトニックとかいうか、ピュアな愛情ていうか、とにかく、不純なものじゃないもん!」
「語るに落ちるとは、このことじゃな」
女の子はやれやれといった感じで腕を上げた。
「まあそんなことはどうでも良い。ワシが用のあるのは、そこの小僧じゃ」
自分から話題を振っといて、回収せずに別の話題に移行する女の子。まるでわがままお姫様だ。
だけど、そんなことはどうでもいい。
「ぼくに用事があるんですか?」
小僧呼ばわりは心外だけど、認めておかないと話が進まない。
「小僧、お主の名前は十六夜こころだな」
「どうして、名前を……? あなたは一体……」
「ふむ。そういえば人間は名乗らないと名前が判らんじゃったな」
女の子はにやりと笑って、自分の名前を言った。
「ワシは日輪。『輝かしい』という二つ名を持つ仙人じゃ」
「せんにん?」
「なんじゃ、仙人という言葉を知らんのか? お主のいめーじで言うなら、滝にうたれたり、山奥で瞑想したりして、神へ近づく修験者に近いな」
「はあ……あの仙人?」
「その仙人じゃ。敬っても構わんぞ」
ふふんと胸を張る自称仙人の日輪。
いや、敬うと言っても……
「あの、信じられないだけど」
ゆめ姉がぼくの代わりに訊いてくれた。頼りになるなあ。
「なんじゃ。そう言われると思って空を飛んできたのに、ワシの気遣いを無碍にする気か?」
「いや、無碍にする気はないんだけど、どうも信じられないんだけど……」
確かに空を飛んだのは凄いけど、凄すぎて実感が湧かない。
「そうじゃの。ならこれならどうじゃ?」
そういうと日輪は宙に浮かんだ。
…………
宙に浮いた!?
「それで、これならどうじゃ?」
日輪は上下を反転させて、天井に向かって落ちて、あろうことか天井を歩き回った。
しかも不思議なことに、袴がめくれたりしない。まるで重力を操っているみたいだった。
「これで信じたかの。ふう、疲れた」
こんな描写はしたくないけど、天井を一周してから壁をつたって降りてきた日輪は、言葉通り疲れたらしく、来客用の椅子を勝手に持ってきて、勝手に座った。
ぼくもゆめ姉も開いた口がふさがらず、訊くべきことも訊けなかった。
だけど、仙人がなんなのか分からないけど、とにかく普通の人間ではないことは二人の共通の見解であることに間違いはなかった。
「さて、そろそろ信じてもいい時間じゃな」
日輪がちらりとこっちを見た。
「えっと、信じてもいいけど、どうしてぼくたちのところへ来たんだ?」
仙人が平凡なぼくたちの元へ来るなんて、悪い子の元へサンタクロースが来るくらい不思議なことだ。
「別にぼくたちにお金とかあるわけじゃないけど」
いつの間にか敬語じゃなくなっているぼく。フランクになったつもりはないけど。
「お金なんていらん。そんなものがなくとも生きていける」
生涯で一度は言ってみたい台詞だ。
「じゃあなんで、来たんだ?」
「だから、お主に用があってきたのじゃ」
そういえばそんなことを言っていたっけ。
「こころくんに何の用ですか?」
ゆめ姉が警戒している。ぼくの手をしっかり握り、震えを必死に隠す。
「うむ、お主には用はないのだが、親族であるし、聞く権利ぐらいはあるじゃろ」
日輪はどうでも良さそうにそういうと指で頬を掻いた。
「実は――」
話し始めようとした瞬間、ノックの音が聞こえた。
「十六夜さん、検温の時間ですよ」
ああ、そういえばそんな時間だ。
本当は「ちょっと待ってください」と声をかけるつもりだったけど、いつもの癖で「はい、いいですよ」と言ってしまった。
「失礼します。あら、お姉さんも来てたのね。こんにちは」
ゆめ姉に挨拶すると看護師さんは日輪が目に入っていないように、ぼくのほうへ近づく。
「姉弟で手なんか握って。どうかしたの?」
「へっ? いや、その、手相を見てもらってたんですよ」
「へえ、そうなの」
感心する看護師さん。
「へえ!? そうなの!?」
驚くゆめ姉。
「うん? どうかしたの?」
「いや、あの、悪い相があったんでしょ? ゆめ姉」
「う、うん。そうなんです! 女運が悪いって出てます!」
とっさとはいえ、酷い手相だ。
看護師さんから渡された体温計を脇に挟み、しばらく待って測れたことを確認すると「平熱ね」と言って、ペーパーホルダーに書き込んで、それから帰って行った。
「アレが看護師か。なかなか素敵な衣装を着ているな」
そう言って何度も頷く日輪に、ぼくは「どうして看護師さんは君のことを見えていなかったんだ?」と訊いた。
「ああ、見えてはいたが、認識していなかったんじゃ」
「……意味が分からない」
「要するに存在感を極限まで薄めたのじゃな。まあこれも仙人の技じゃ」
まあ初歩の技じゃよ、と言って背伸びをした。
「さて、話の途中じゃったな。えーと、どこまで話したかの?」
「まだ何も話していないよ」
ゆめ姉はさっきの手相で戸惑いを見せたけど、それを挽回するように言った。
「どうして、仙人がこころちゃんに用があるのか。そもそも仙人ってなんなのか。あなたは一体どこから来たのか。いろいろ知りたいことが山ほどあるよ」
「ふむ。まずはそれを説明しなければならないな」
日輪は腕を組んで、しばし考え、そして言った。
「まず、ワシの目的は嫌な奴とのげーむに勝つことじゃ」
「はあ? ゲーム?」
「げーむと言ってもてれびげーむやぼーどげーむじゃないぞ」
日輪の訂正は不要なものだった。
テレビゲームをする仙人なんているものか。
ていうか嫌過ぎる。
「これは自分の存在を賭けたゲームじゃ」
何か大事になりそうな予感がした。
「そのゲームとこころちゃんは関係があるの?」
「もちろんじゃ。十六夜こころ」
日輪が真剣な顔をして、そして言う。
「お主を仙人にして、鬼退治してもらいたいのだ」
「うん? 仙人?」
ぼくが仙人?
「そうじゃ、仙人じゃ」
そう言われてもピンと来ない。
「それと鬼退治って言われても……」
「なんじゃ? 怖いのか?」
「いや別に怖くないよ」
「鬼が怖くないとは、お主見た目よりも剛毅じゃのう」
「いや、見たことも聞いたこともないから、怖くないって思っただけなんだ」
鬼なんて想像もしたことがない。
第一、鬼と聞いたらなまはげを想像してしまうくらい想像力がないのだ。
「なるほどのう。人間も変わってしまうのだな。昔の人間は鬼と聞いたら震え上がるほど怯えてしまったのだが」
「昔ってどれぐらい?」
ぼくが訊くと日輪は「分からん。忘れた」と言った。
忘れるくらい昔なのか、記憶力がないのか判断がつかないけど。
「まあともかく、お主は選ばれたのだ。ワシの目に適ったのだ。誇りに思うがいい」
上から目線だけど、褒められているのだろうか?
「ちょっと、待ってよ!」
ゆめ姉が遮るようにぼくと日輪の間に入った。
「仙人とか鬼退治だとか、そんな意味不明で危険なことを、こころちゃんにさせるわけにはいかないよ!」
ゆめ姉の言葉に日輪は「そうでもないぞ」と否定した。
「ワシの指導ならば安全かつ安心に鬼退治できるぞ。断言してもよい」
「その保証がどこにあるの? 仙人がどうだか知らないけど、こころちゃんは人間なんだよ? そんなことはさせない」
恥ずかしい話、ゆめ姉はぼくのこととなると一歩も退かない。特にぼくの不利益になることはてこでも動かない。
「ふむ。そうじゃの。これでは平行線じゃ。ならばこういうのはどうじゃろ」
日輪はなぜか悪い顔になって笑った。
「お主の願いを一つだけ叶えてやろう。ただしワシの力が及ぶ範囲でな」
その提案はぼくに抗えない誘惑を与えた。
「そんなの信じられないよ」
ゆめ姉の言葉に日輪は「安心しろ」と言った。
「ワシが願いを叶えるのを先でいいぞ。その代わりこの紙にさいんしてほしい」
ポンと音を立てて、一枚の紙が出てきた。そしてぼくの手元にすっと落ちた。
書いてあるのは、日本語だった。しかも明朝体。
内容は『私、輝かしい日輪は、契約者である十六夜こころと師弟関係を結ぶ代わりに、自身の力の及ぶ限りで可能な願いを叶えることをここに誓う』と書かれている。
続きを読んでみよう。
まずは師弟関係。『師弟関係の終わりは以下の二つを達成するまで継続される。一つは十六夜こころが仙人となるまで。一つは十二鬼の撃破もしくはゲームの期限まで輝かしい日輪が逃げ切ること。もしも条件不達成で死亡または脱落した場合、両者に同等の罰則を与える』とある。
その下に罰則についての記述がある。『罰則は輝かしい日輪には桃源郷に百年間拘束。十六夜こころには願いの取り消しが課せられる』とあった。
願いの範囲は死者の甦りとか永遠の若さとかを除外されている。結構、仙人にもできないことがあるんだなあと思った。
「これにサインしたら、願いは叶うのか?」
「そうじゃ。お手軽じゃろ?」
「こころちゃん、まさか本気なの?」
ゆめ姉がいつになく真剣な表情をしていた。
「危険な目に遭うばかりか、願いがなくなることもあるんだよ?」
「それでも叶えたいことがぼくにはあるんだよ」
「どんなこと? お姉ちゃんに言いなさい」
「ゆめ姉、なんでぼくがここに入院しているか、忘れたの?」
「……あ、そうだったね」
天然と言うか抜けているというか。そんなゆめ姉だけど、偏差値は高かったりするのだから、よく分からない。
「ゆめ姉、いいね? ぼくはサインするよ」
「でも、本当にいいの?」
ゆめ姉が不安になるのは分かる。僕自身不安でしょうがない。
ゲーテのファウストも悪魔と契約するとき同じ気持ちだったのかな?
「相談はまとまったかの? さあ、契約をするかしないか、決めてもらおうぞ」
「ああ、契約する」
「それではさいんを」
ぼくは日輪の差し出した羽根ペンで自分の名前を書いた。日輪もぼくの名前の横に自分の名前を記す。
「これで契約の完了じゃ。さあ願いを言え」
「ぼくの下半身不随を治してほしい。元通り歩いたり走ったりできる身体にしてほしい」
ぼくはできる限り余計な解釈の入らない言い方をした。
「いいじゃろ。それなら利き手を出してくれ。なあに、痛くも痒くもないぞ」
ぼくは右手を差し出した。
日輪はぼくの右手を握った。
女の子特有の柔らかさで何だか緊張してきた。身体が火照ってくる。
火照る? いや、かなり暑く感じてきた。暑くて熱い。身体から水分を失われるような、そんな暑さがぼくの全身を襲う!
「熱い熱い熱い!」
「我慢せんか。痛くも痒くもないじゃろう? ただ熱いだけじゃ」
「こころちゃん! 大丈夫!?」
「お主、触ると火傷じゃ済まんぞ? 離れておれ」
遠くでゆめ姉の声と日輪の声が聞こえた。
全身が火達磨になってしまったように燃え滾る。
手を引き離そうとしても、どこにそんな力があるのか分からないくらい強くきつく握ってくる。
「――、――」
悲鳴さえも出ない。声に出すこともできないくらい熱い。
それが三分くらい続いて、ようやく日輪の手が離れた。
「完了じゃ。これでお主の脚は元通り動けるじゃろ」
よ、ようやく終わったんだ。
全身の隅々まで汗をかいてしまったので、気持ち悪い。早く風呂に入りたかった。
「ほれ、立ってみろ」
日輪がそう急かしてきたので、ぼくは恐る恐る立ち上がった。
立ち上がった?
立ち上がれた!?
「ゆめ姉! ぼく立ってるよ!」
「こころちゃん! 良かったわ!」
嬉しさのあまり、その場を走り回る!
「やった! ぼくはまた走れるんだ!」
この狂人さながらの狂態は、看護師さんが騒ぎを聞きつけるまで続いた。
ああ、普通に歩けるってなんて幸せなんだろう!
だけど、後々苦労するって分かっていたらこんなに喜んだりしなかっただろう。
でも当時のぼくはそんなことは知らずに、ただ喜んでいたのだった。




