変わった学園生活 その2
「遅かったのう、十六夜こころ。さあ、今日も始めるぞ」
屋上のドアを開けるとすぐにそんなことを言われた。
ブレザー服に身を包んだ黒髪の少女。可憐といった単語がよく似合う、可愛らしい容姿を備えている。しかし、発せられる言葉は老人そのものの物言い。赤い唇を皮肉混じりに歪めている。
そんな少女、日輪は腕組みして、さらに仁王立ちして屋上で待っていた。
いや、ここでの名前は太田陽子だっけ。
「ちょっと友達と話し込んじゃってさ。遅れてごめん、日輪」
日輪か太田陽子か、どちらの名前で呼べばいいのか、未だに悩んでいるけど、日輪のほうが言い易いし、馴染みもあるから、結局は日輪と呼んでいる。
「ふむ。まあ良かろう。今日は仙気の操作と仙道の基礎からじゃ」
そう言って、何もない空間から水筒とコップを取り出した。
「この水は仙気の発散と吸収を阻害する性質があるのじゃ」
コップ地面に置いて、その中に水を注いでいく。
「今日は手を使わずに、吸収と発散をやれ。それができたら組み手を行なう」
「……了解」
ぼくは目線を合わせるように座って、じっとコップの水を見つめる。
……結構難しい。昨日ただの水でやったけど、これってさりげなく難易度が上がりすぎではないか?
「ささっとやれい。仙気の発散と吸収は呼吸のようにできないと話にならん。三十分でできなければ罰として腕立て五百回じゃ」
高校生になってから、かなりスパルタになっている気がしてならない。
ここで一つおさらいしておかないといけないことがある。なぜぼくがこんな地味で辛い修行を行なっているのか。
実を言うと、ぼくは人間ではない。そしてぼくに修行を課している少女、日輪も人間ではない。
ぼくたちは仙人だ。
仙人とは日輪いわく人間を超越した存在らしい。人間にできないことを軽々行なう、まさに人外の存在らしいのだ。
まあぼくは仙人としては半人前だし、そこまで人間をやめているつもりもない。仙気を使わなければ普通より、少し運動能力に優れた人間なだけだ。スポーツテストで上位に入るくらいの、人間だ。
そんな半人前の仙人がどうして高校生をやっていて、通っている高校の屋上で修行に勤しんでいるのか。
それは日輪がぼくの恩人で、契約主だからだ。
発端はぼくが交通事故に遭ったことだ。ぼくはその事故で重傷を負い、下半身不随になってしまった。要するに走ることも歩くこともできない。陸上をやっていたぼくにとってこれは本当に辛いことだった。
死にたいと思っていた。もう希望なんてないと絶望していた。
しかし、そんなぼくを救ってくれたのは、ぼくの姉である十六夜ゆめでもなければ、ぼくの友達の星野ゆかりでもなかった。
そう。仙人である日輪だった。
日輪は自分の条件を飲むことを条件にぼくの下半身不随を治してくれた。
そのときの喜びを、ぼくは一生忘れないだろう。
絶望を希望に変えてくれた日輪の頼みはかなり難問だったけど、それに応えないのは男じゃない。
恩を忘れて恩知らずでいるのはぼくにとって耐え切れないことだった。だから一にもなく条件を受け入れることにした。
その条件は、仙人になって、鬼退治すること。
正直訳の分からないことばかりだったけど、きちんと説明を聞くと、どうやら日輪が下界に下りた理由でもあるらしい。
日輪は嫌な奴という名前の分からない仙人とゲームをすることになったらしい。
そのゲームは『鬼ごっこ』だ。
十二鬼と呼ばれる十二体の鬼から逃げ切ること。鬼は初めの月は一体、その次は二体と順々に増えていく。最終的に十二体の鬼から逃げ切るのがゲームの勝利条件だ。
他にも条件がある。日輪が鬼に攻撃するのは駄目。他の仙人に頼るのも駄目と色々と不利な面が多々ある。
しかし、日輪は発想を逆転させて、こんなことを思いついたのだ。
鬼を新たに仕立てた仙人に退治させれば、逃げる必要はないと。
そういうわけで白羽の矢が立ったのはぼく、十六夜こころだった。
なんでも、ぼくは仙人になる前の人間の状態で仙気が人の五十倍あったらしい。
仙気とは人間に備わっているもので、これが多いと仙人に成りやすい才能を持つと日輪は言った。
ぼくは日輪と契約した。脚を治す代わりに鬼を退治すると。
そうして、ぼくは仙人になった。
しかし、仙人になったからといってすぐに強くなるわけではないらしい。
地味な修行の果てに、一人前の仙人になれるようだ。
そして修行を積み、十二鬼が一体の妖鼠を倒すことができたのだ。
それが今月の四日のことである。
そして、今日は二十五日。
次の鬼がやってくるのはあと五日もない。
そのために今日も修行を行なっている。
行なっているのだけど、どうも地味でしょうがない。
基礎は大事だって心の中では思ってはいる。
応用にはまだ早いということも重々承知だ。
かといって、不満を胸に修行を行なっても、やる気は起きない。
だから、毎日コップを見つめて仙気の発散と吸収を同時に行なうのは正直飽き飽きしていた。
「……終わったよ。何分経った?」
「ふむ。二十五分じゃな」
よし、罰ゲーム回避!
「ワシの予想よりも早いのう。よろしい、これから仙道の修行に移る。ぶれざーを脱いで身軽な格好をせよ」
そう言われたのでぼくは上着を脱いで、床に置いた。
「仙道の修行と言っても、何するんだ? 組み手なんてしたことないし」
妖鼠との闘いの前は殴り方とか蹴り方とか教えてもらったけど、それ以外は何も教えてもらっていない。
「まずは仙気を身体全体に纏わせるのじゃ」
言われたとおりに仙気を纏わせる。
「それを徐々に広げるいめーじを持て。初めはそうじゃの、半径2mくらいの球を作って中に入ってみよ」
ぼくは仙気を操ってやってみるけど、どうしても1mくらいしかできなかった。
「日輪、無理だよこれ以上は」
「ふむ。これは課題じゃの。明日から練習するぞ。まあそれを維持しておれ。これから仙気の球を触ってみるぞ」
そう言って日輪はぼくの仙気でできた球体を触ってみる。
うん? 触れられていないのに、触られているような奇妙な感覚がする。
「これは、どういう仕組みなんだ?」
「仙気は潜在能力であり、同時に感覚器官でもある。仙気を広げれば広げた分だけ感覚を感知できるのだ。つまり、殴られる前にそれを感知でき、蹴られる前に感知できる」
「じゃあ動きを予測できるってことか?」
「その通りじゃ。これは仙道において基本の状態じゃ。このまま、ワシと組み手を行なうぞ」
日輪はぼくから少し離れて、構えを取る。
ぼくは仙気を身体中に巡らせ、半径1mの球体を作る。
「ゆくぞ。まずは小手調べじゃ」
その言葉と共に、一気に間合いを詰める。
右手の正拳突き――ぼくの身体の中央を狙ってくると分かる。
普通の人間なら避けられないだろう。いくら予告していても絶対に回避できない速度。
しかし、ぼくは当たる瞬間に後ろに飛び退く。
仙気が触れたときに、日輪の行動が手に取るように分かったのだ。
「よし、次はどうじゃ?」
日輪は正拳突きの勢いのままぼくの懐に入り、顎をめがけて掌底を食らわす。
ぼくはとっさに両腕を交差させて、防御するが、その防御を貫くように、掌底が決まる。
「ぐっ……」
ぼくは後ろに吹っ飛び、そのまま、倒れ込む。片膝を着き、日輪のほうを見る。
「上じゃ。馬鹿者」
見上げると日輪は空高く飛び上がり、その勢いを衝撃に変えて、ぼくにかかと落としをする。
やばいと直感で悟れたので、ぼくは転がるように右へ退避する。
どがん! と音がして、屋上のコンクリートが割れた。
「ちょ、タンマ! 待ってくれ!」
いくら仙人でも、この攻撃を喰らったら、頭蓋骨が割れてしまう。
「なんじゃ? もうへばったのか?」
「違うって! なんでそんな本気で殺す気でやってるんだ!? 死んでしまうだろ!」
「この程度では死なんよ。さあ続きを――」
「だから待てって! いや、待ってください!」
とうとう敬語になってしまった。
「さっきの稽古で分かったでしょ!? ぼく攻撃できてないじゃん! それ以前にいきなり襲い掛かってきたし!」
ぼくの必死な抗議に「ならもっと弱くなるかのう」と気の無い返事をした。
「しかし、これぐらいではないと、次の鬼は倒せんぞ? 妖鼠であれだけ苦戦したのじゃ。今度は幸運で勝てる相手ではない」
まあ妖鼠を倒したのはビギナーズラックとかラッキーパンチとかの次元だからなあ。
「分かったら続きをやるぞ。安心せい、怪我は治してやるからのう」
それからぼくは、まるでぼろ雑巾のようにボロボロになるまで組み手を行なった。殴られ蹴られ、投げられ関節を極められ、時には頭突き、時には飛び膝蹴り、そして自分の未熟さを痛感した結果となった。
「よし、これで今日は終わりとする」
日が暮れるまで組み手をやって、ようやく開放された。
長かった……
「明日も屋上で修行じゃ」
「その前に、少し、いいかな?」
息を切らしつつ、ぼくは日輪に訊ねた。
「ぼくらの高校は必ず部活に入らないといけないんだけど、日輪はどうしてる?」
「うん? 部活じゃと? そんなのは初耳じゃ」
「クラスで話題にならないのかな?」
「ワシに話しかけてくるくらすめーとはおらぬ」
それってシカトされているってこと? まあ話しかけづらい雰囲気はあるけど……
「ぼくは陸上部に入るか悩んでいるんだけど、日輪はどうする?」
「馬鹿者。陸上部はなんだか知らんが、部活に入ってしまえば修行の時間が減ってしまうじゃろ」
「まあそうなんだけどさ、でも部活に入らないといけない規則だからさ」
「ふむ。それでは困る。何か良い考えはないものか――」
腕組みをして考える日輪。
「部活は必ず入らねばならぬのか?」
「さっきも言ったと思うけど、そういう規則なんだよ」
「しかし、その分修行はおろそかになる」
「そうだね。それは仕方ないね」
「ならば、話は簡単じゃ」
日輪はにこりと笑った。
「とりあえず解決できるぞ。さあ、ワシの担任に会いにいくぞ」
「どういうこと? 自己完結しないで話してよ」
ぼくが問い質すと日輪は「上手くいくか、分からんからなあ」と言う。
「まあ良い。今話してもいいじゃろ」
なんだろう? 嫌な予感しかしない。
「部活をワシらで新たに作るのじゃ。それしか修行を滞りなくできぬ」
……ある程度予想していたけど、なんだかなあ。
簡単に言うけど、実際認められるかどうかは分からないなあ。
「なんじゃ? 言いたいことがあるなら、今ここで言うが良い」
「なんでもいいのか?」
「ああ。ワシは寛大じゃからのう」
日輪は胸を張って偉そうに言った。
それが少し気に食わなかったので、意地悪を言ってみる。
「じゃあ言うけど、日輪、せめてズボンを履いてくれ。パンツが丸見えだった」
「……はあ!?」
日輪はまず顔が赤くなり。
そして青ざめ。
それから再度赤くなり、ぼくを睨んできた。
「この変態め! なぜ言わぬ!」
「いや、だから言ったし今」
「いつから、いつからじゃ! ワ、ワシの下着をいつから見えておった!」
「えーと、最初のかかと落とし――」
「死ね! このエロガキ!」
日輪は疲労困憊で避けることのできないぼくに思いっきり平手で殴った。
バチンと全然軽くない一撃がぼくの脳を揺らす。
「ぶべ!」
汚い悲鳴をあげながら、薄れていく意識の中、仙人のクセに羞恥心はあったのか、それと言わなきゃ良かったと考えた。
そして最後に見た景色は。
涙目になりながらぼくを睨みつけている、日輪の顔だった。




