修行と戦闘 その2
森の入り口ですでに異常が分かった。
あちこちの枝が折れているし、木が倒れているし、まるで巨大な生物が通ったみたいな荒れよう。
それに加えて、森全体を包み込んでいる、異様な空気。
鬼にも仙気があるのか分からないけど、とりあえず仙気ということにしておくと、その仙気には悪意と殺意が込められていた。
ナイフのように突き刺さる。
「これじゃあ、仙気を発散させないと進めないな……」
ぼくは全身に仙気を発散させて奥へ進んだ。
まるで子供の頃に入ったオバケ屋敷だ。得体の知れない恐ろしさを感じている。
その恐ろしさが目印となった。恐怖が強くなる方へ走っていく。
その中心に近づくにつれて、音が聞こえてくる。
何かが闘っている音。
それとも何かを傷つけている音か?
そして森の奥へ辿りついた。
そこはまるで酷い有様だった。
あっちこっちで血だまりがあり、入り口と比べてもへし折れている木の数が違う。
そして、そこには、日輪が居た。
疲労困憊といった感じで木を背に倒れている。服は血だらけで朱に染まっている。傷も無数に刻まれている。腕も変な方向に曲がっていて、折れているのかもしれない。
その倒れている日輪を、男が見下ろしていた。
神社の森という光景には似合わない、グレーのスーツに黒い革靴。オールバックに銀縁メガネ。年は二十代後半ぐらい。細い目が特徴。背は低い。そして倒れている日輪を見てにやにやしている。
そして、今。
日輪の顔面に向けて、まるでサッカーボールを蹴るが如く大きく振り上げた脚を放とうとしていた。
間違いない、敵だ!
「なあにやってんだお前えええぇえええ!」
ぼくは、大声を上げて、男に突貫した。
仙気をこれ以上ないくらい発散させて、男を殴ろうと走る。
「えっ? おおう!?」
男は予想だにしていなかったらしく、ぼくの突然の登場に驚いた。
しかし、驚いただけだ。
日輪を追い詰めた男が、ぼく程度の攻撃に動揺するわけがない。
ぼくの拳を顔を後ろに避けるだけでかわした。
「なんなんですかあ? あなたは?」
そう問いつつ、男はバックステップでぼくから間合いをあけた。
その隙に、ぼくは日輪と男の間に入る。
「日輪、平気か?」
「……なんでじゃ?」
「うん? 何が――」
「なぜ、ここに来た! お主、死ぬと分かってきたのか!?」
ああ、そういえばあのカラスと日輪はつながっていなかったんだっけ。
「話は後だ。とにかく、この男を倒す」
「馬鹿者! そんなことが――」
「できるわけがない、ですよね?」
男が後ろで手を組みながら、にやにや笑っている。
「あなたが誰だか知りませんが、邪魔しないでくださいよ。これは仙界の問題です。人間風情が関わっていい案件ではありません」
「……それがどうした?」
どうやらぼくが仙人だと気づいていないようだ。
「か弱い女の子を一方的に痛めつけるのは、いつの時代も悪なんだよ」
「か弱い、ねえ。その人の恐ろしさをあなたは分かっていないんですねえ」
男はメガネの位置を直しながら言う。
「もう一度言います。邪魔をしないでください。そうすれば五体満足で開放してあげますよ」
「馬鹿かお前? 邪魔する為にここに居るんだろうが」
馬鹿という言葉に、男はぴくりと反応した。
「せっかく穏便に解決させようとしたのに、厚意を無駄にするのは賢い選択とは言えませんね」
「友達が倒れているのに、わざわざ逃げられるか!」
ぼくは男を睨みつける。男もぼくを睨む。
「なら――ここで死にますか?」
殺気がぼくを包み込む。ぼくはそれを払拭するために、再度、男に攻撃を行なう。
仙気を発散させて、間合いを一気に詰める。
「なっ……仙人――」
「オラぁあああ!」
声を上げて、男を殴る。
しかし、それもかわされてしまう。
「くそっ!」
悪態をつきながらその場に留まり、殴り続ける。
だけど――当たらない。
「仙人にしては、仙気の扱いは雑ですね」
男は余裕を取り戻したのか、そんなことを言いながらまるで柳のように受け流す。
「ちくしょう――」
「鬱陶しいですねえ」
男はぼくの拳を掴んで自分のほうへ引き込む。その勢いのままぼくの顔面を殴りつける。
「か、はぁ……」
「邪魔ですよ、本当に」
倒れこむと危ないと感じて、横転びして回避する。
危うく踏みつけられずに済んだ。
「はあ、はあ」
「弱いくせに、守れもしないくせに、この場にいるのは場違いですよ」
男が余裕綽々でそんなことを言う。
「ですが、仙人なのは驚きました。日輪さま、あなたが目覚めさせたのですか?」
「……そうじゃ。別に新たに弟子を作るのは反則ではなかろう」
「ええ、反則ではありませんね。しかし賢い行ないとは言えませんね」
ぼくは何とか起き上がれた。どうやら追撃はしないらしい。
「半人前の仙人で、私に勝てると思ったのですか?」
「ワシの予定じゃと、まだ一週間は時間があったのじゃがな」
「私を、私たちを見くびっては困ります。あなたに勝てなくとも、特鬼仙力を使えば居場所を見つけることぐらい、たやすいのですよ。分かっていませんでしたか?」
「まさか、あんたが鬼なのか?」
ぼくは仙気の吸収を行ない、ようやく話せるくらいまで回復した。
修行の成果はあったようだ。
「鬼って、もっと化物を想像していたけど。本当に人間に近いんだな」
「ええ、真に遺憾ですがね。人間を超越した私にとって人間の姿をしているのは屈辱ですがね」
男は、腕を大きく広げて言う。
「私は子の名を持つ十二鬼が一体、妖鼠と言います。以後よろしく」
男――妖鼠はそう言うと含み笑いをした。
「どうやら、仙気を取り込むことができるようですね。なら、死ぬことはないでしょう」
「殺す気がないのか? なぜだ?」
ぼくの疑問に、妖鼠は「あなたを殺して何の得があるんです?」と聞き返す。
「半人前の仙人など、怖くともなんともない。
邪魔なことには変わりはありませんが、それでも日輪さまを殺すのに別段、支障はありません」
なめやがって……!
だけど、ぼくは怒りに任せて殴りかかることはしなかった。
日輪が動けるまで、時間を稼がないと――
「鬼に会ったのは初めてだが、みんなお前みたいに強いのか?」
「私は十二鬼の中でも最弱ですよ。しかし、そこらの仙人が造った鬼よりも強いと自負しています」
「マジか……自信なくなるよ……」
「何の自信ですか? まさか、十二鬼を全て倒すことですか? それとも、私を殺すことですか?」
「……さあね。ぼくは仙人になってから日も浅いんだ。だから、少しだけ天狗になっていたのかもな」
「仙人なのに、天狗ですか。それは面白い」
「自信っていうのは、あんたを倒すことだ」
ぼくは怪我はともかく、体力は完全に戻ったので、挑発することにした。
「あんたは人間のようだから、楽に倒せると思ったんだけどな」
「……見くびらないでくださいよ。身体の構成物質は人間と同じですが、それ以外は違います。筋力体力精神力も段違いなのですよ」
妖鼠は右手で木を掴むとべきべきと音を立ててむしりとった。
「あなたの骨や肉をむしることもできるんです。試してみますか?」
「遠慮しとくよ。ぼくは半人前の仙人だからな。そんなことをしたら死んでしまう」
日輪をちらりと見る。
だけど――
怪我が回復した様子は見られない。
「日輪さまの怪我なら治りませんよ」
ぼくの心中を見落としたのか、妖鼠は言う。
「何の対策もなしにゲームに臨むのは愚かしいと思いませんか? 無限に回復できる仙人に持久戦を挑むくらい愚かしい。ちゃんと回復できないように手は打っています。我が主の力を侮っては困ります」
「……くそっ」
これじゃあ対策も取れない。
どうする? 考えろ、考えるんだ。
「十六夜こころよ! 熱くなるな、頭を冷やすのだ!」
ぼくの様子を見かねて、日輪が声をかける。
「ここは逃げろ。ワシなら平気じゃ。何とか逃げ切ってみせる。だから頭を冷やすのじゃ」
「日輪……」
「脚に仙気を集中させれば、お主が逃げ切れるほどの速さを手にすることができる。頭を冷やすのじゃ」
なぜ、そんなことを――!
そうか、分かったよ!
「ああ、美しい師弟愛と言ったところですねえ。感動的です。感激しますね」
妖鼠は馬鹿にしたように手を叩く。
「逃げてもいいですよ。十六夜こころさん。さあどうぞ」
妖鼠はぼくの正面からどいた。
「――日輪、分かったよ」
ぼくは目を伏せて、言った。
「逃げさせてもらう」
「ほう。賢い選択――」
「諦めることから、逃げさせてもらう!」
ぼくは日輪に言われたとおり、脚に仙気を集中させて、妖鼠に――突貫した。
「なあ!?」
鬼も人間と同じ、不意をつけば反応が遅れる。
しかし、普通のスピードならさっきみたいに避けられてしまう。反応しなくても反射で避けられてしまう。
だけど、さっきより速く、反射できないスピードで近づけば、避けることはできない。
二回の突撃でぼくのスピードは理解しているだろう。しかし、脚を仙気で集中させていないスピードはたかが知れている。
二回の突撃は、伏線になる。
だから、容易に妖鼠の頭を掴むことができた。
「お、お前――」
「直接吸収すれば! 鬼だろうと! 避けられないだろうが!」
掴んだ瞬間、ぼくは吸収をした。
さっきべらべら喋っていた内容に、人間と構成物質と一緒だと言っていた。
つまり、人間と同じ、水分がある。
それを直接触って――凍らせる!
「ぐああああああああ!!」
頭蓋骨はコップだ。脳みそは水の固まりだ。
だったら凍らせることはできなくない!
今までの修行の成果、集大成だ。
ぱきんと音が鳴る。
完全に凍らせたことを確信して手を離す。
その場に倒れこむ、妖鼠。
「よし! ようやった!」
日輪は木を支えにして立ち上がる。
「日輪、大丈夫――」
「いいから、逃げるぞ!」
「えっ? 妖鼠は――」
「馬鹿者! あの程度でやられるほどやわではないわ! 三十六計逃げるにしかずじゃ」
ぼくは妖鼠を見る。
「き、きさま……きさまあああああ!」
頭を押さえながら、ぼくを形容しがたい眼でねめつけている。立ち上がろうとしても立てないらしい。
「たかが、半人前の仙人が、私に何をした――」
「逃げよう。こいつキレてるよ」
「そうじゃな。背負ってくれるかの?」
ぼくは日輪を背負うと仙気を脚に集中させて、森から逃げ出した。
「十六夜こころぉ! きさまは私が殺す! 必ず八つ裂きにしてやる!」
その叫ぶ声が聞こえなくなるまで、ぼくは走るのをやめなかった。
「あんなのがあと十一体もいるのか……」
「嫌になってくるのう。まあ今は妖鼠を何とかせんといかんな」
「とりあえず、ぼくの家に来る?」
「そうじゃの。少し厄介になるかの」
こうして、初めての戦闘は辛くも痛み分けとなったのだった。
しかし、相手の油断を誘っての攻撃で倒せなかったのはあまりにも痛かった。




