ライナを護るもの
「石の呪縛、ですか?」
「師匠はさっき、護りだと言っていたではないですか」
会話に付いて行けないジュネスは、ファーラルの口から飛び出した穏やかではない単語に、訝しげな視線を向けた。同じく、グレイも石の説明として相反するような言葉に反論する。若干、口調が厳しくなってしまうのは仕方ないだろう。
「落ち着け二人とも。特にグレイが落ち着け」
ソファーから身を乗り出して抗議しようとしているグレイを名指しで押しとどめ、ため息を吐き出しながら、背もたれに体重を預けた。そして天井を見上げたまま、口を開く。
「その石は、ライナにとっては護りだ。だが、お前たちは、その作用によって囚われている」
大きくはないけれどよく聞き取れるはっきりとした声が耳に届いた。だが、聞き取れたからと言って、内容をすんなりと理解できるかと言えばそうではない。
「どういう、意味ですか……」
「言葉通りの意味だ。自分で考えろ」
身を起こしたファーラルは、グレイの目をしっかりと見据えた。そしてそのまま視線をライナに向ける。
「まったく、君の父上は大した【精霊士】だ。わたしの育てた弟子も未だに見破ることが出来ないとはね」
「……」
ファーラルから投げつけられた言葉には、少し毒が含まれていた。よく分からないままに、心に少し棘が刺さる。それに、大好きな父親を褒めるよりは、貶された気がしたのだ。思わず差し出していた石を握りしめ、自分の胸元に引き寄せた。
なぜ突然、そんなことを言われたのか理由がわからないから反論もできないし、声が出せないから、どちらにしても反論は出来ない。だからライナは、肩を落として俯くしかなかった。その様子を見たグレイは自分の師匠に今度こそ詰め寄った。
「師匠!ライナを責めるなんて―――」
「すまない。君は無関係だというのに。許してくれ、なんというか、悔しくてつい」
柳眉を上げ、ファーラルに対して声を荒げ始めたグレイの言葉を待っていたかのようなタイミングで、ファーラルは素直に謝った。だが、グレイの憤りは収まるどころか激しくなっていくようだった。
「悔しい!?つい!?そんな理由で意味もなくライナを責めたんですか!」
ライナの悔しさを代弁するかの勢いで、グレイはファーラルに激しく言葉を投げかけていった。見れば、俯いたライナを隣に座ったままのジュネスが慰めている。
「落ち着けグレイ。わたしが言った言葉を忘れるな」
「!」
さらに言葉を続けようとしていたグレイの眼前に掌を翳す。その掌から力が流れ込み、そして逆にグレイから何かを引きずり出された気がした。気が付けばあれだけ心に渦巻いていたグレイの苛立ちが消えている。
「お前の負の感情は吸い取った。まったく、簡単な手に乗ってくれるなよ」
グレイの中に急激に湧きあがっていた苛立ちが、霧散していた。一瞬、自分が何に対して声を荒げていたのかすら分からなく程に。
――― 黒い精霊が、増えた……
ライナは室内に蠢く黒い精霊たちから視線が外せない。隣でグレイが苛立っていたことも、ジュネスが慰めるように肩を抱いてくれていたこともわかっている。だが、ライナの意識は彼らにはなかった。空間に漂う黒い精霊から目が離せなくなっていた。
「おや。さすが【精霊士】の娘さんだ。わたしの闇の精霊……本質、いや。成り立ちに気が付いたかな……?」
面白がるような言葉が耳に届くが、ライナはそれどころではなかった。
――― ちがう、彼らは……精霊じゃない!
無機質な視線が自分を捕らえていると感じる。嬉しいも悲しいも何もない。この黒い精霊(ファーラルは闇の精霊と言っていた)には、いつもライナが接している精霊たちのような感情が何もなかった。
怯えた視線で精霊たちを見ていたライナに気が付いたようだ。
「後で教えてあげよう。先に君の持つ石について説明しようか」
ファーラルはそういうと、指先を軽く振る。それだけで部屋中に溢れていた闇の精霊たちが消え失せる。ただ、精霊の姿は見えないが、彼の周りに何か黒い靄のようなものが漂っているように感じた。
「ガードも見えるのか。本当に優秀だな」
靄を不思議そうに、けれど警戒を込めて見ていたライナに、ファーラルは嬉しそうに声を上げた。
「ファーラル師匠……あの、暴言をお許しください……」
冷静さが戻ってきたらしいグレイは、端正な顔を困らせながら頭を下げた。いついかなる時でも、師匠であるファーラルにあれほど声を荒ぶらせたことはなかった。あれはもはや、暴言と言っていい。礼に欠けていたし、我を忘れてしまったと釈明したい。
「まぁ座れ」
立ったまま頭を下げ続けていたグレイに座るように指示すると、彼は項垂れたままソファーに腰を下ろした。座ったのを確認してから、この部屋の主は再び口を開いた。
「嗾けたのはわたしだ。お前たちがどれだけ石の呪縛に囚われているか試したくて、わざとライナの心が傷つくような発言をしたのさ」
「!?」
「どういうことですか」
「試す?」
ファーラルの言葉に、三者三様の反応を示す。その様子が面白かったのか、ファーラルは口元に笑みを浮かべてゆっくりと口を開いた。
「結論を言おう。と言っても、これはわたしの仮定によってもたらされた結論だ。だから間違いがあるかもしれない。しかし……そう違っているわけでもないだろう」
石になんらかの呪を施したのはディロだ。そのディロが失われたいま、正しく石に施された力を知り得るには、同等以上の能力が必要になる。
「さっき言った通り、その石には護りが施されていると思われる。ライナの父によって成された、ライナにしか効果のない守りの力だ。そして、その効果としてグレイとジュネスはその力に囚われ、ライナを護る役割を与えられた」
「……」
ファーラルの言葉に、ライナは握りしめていた石をもう一度じっくりと見た。黒い滑らかな石は、ライナの小さな手のひらに収まってしまうほどなのに、そんな力が秘められているのかと疑いたくなる。だが、確かに石の奥に何かが瞬いて煌めいているのが分かる。この小さな石の中に、星空が浮かんでいるようだった。
「護りに選ばれたのは、俺とジュネスだけなのでしょうか……」
「いいや、違うな」
グレイの恐る恐るといった言葉に、ファーラルはきっぱりと否と答えた。
「その石はライナを護る者を選ばない。いまは偶々、お前たちが一番近くにいて、一番ライナと接する機会が多かっただけだ。このまま石の力を開放したまま過ごせば、ライナの近くにいるすべての人間が……グレイ、お前みたいにライナを最優先するようになるだろう」
「そんな……」
ファーラルに告げられた衝撃の内容に、グレイは言葉を失った。石の力でライナを大切に思うようになったのだと言われたことにではなく、このままでは自分のほかにもライナに近寄ってくる連中が増えてくる可能性に対してだった。
想像しただけでイライラが沸き上がってくる。
「ライナを護るのは俺だけで充分です!どうにかしてください、師匠!」
「……グレイ様、わたしも忘れないでください」
「ジュネス!悪いが、俺の方が石の呪縛は強いからな!」
ライナを挟んで実に下らない言い争いを始めた主従に、ファーラルは頭を抱えて項垂れた。自分の知っている弟子たちの姿はすでに過去のものなのだろうか。
そんな無益な争いに終止符を打ったのは、壁で状況を眺めていたガーネットだった。彼女は持っていた銀製の盆で二人の頭を交互に殴った。しかも、縦で。
「いっ!!」
「〜〜〜〜〜〜っっっっっ」
頭を抱えて蹲る二人に、ガーネットは何も言わず優雅ともいえる身のこなしで、先程まで立っていた壁際に戻って行った。
――― かっこいい……
「ラ、ライナ……見習っちゃダメだよ……」
憧れの眼差しでガーネットを目で追っているのに気が付いたグレイが、慌ててライナの視界を手で遮った。と、テーブルを挟んだ向こうから、痛いほどの視線を感じてゆっくり首を巡らせる。
「そろそろ続けていいか、二人とも。脱線し続けると終わらないぞ。わたしだってこの後、まだ議会案件が3つあるんだ。さらに視察部隊からの報告会もある。数々の陳情書にも目を通したい。わたしのサインを待っている書類の山が、あの執務机に山積みにされているのはわかるだろう?出来れば日付が変わるまでには帰宅したい。協力してくれるよな?」
「は、はい」
「もちろんです……」
ファーラルから放たれる殺気にも似たオーラに、グレイとジュネスは背筋を伸ばして座りなおした。『王子様』のような柔和な顔つきのファーラルだが、凄むとその表情も雰囲気も一変するのだった。
「つまりだ。あーー……その石の力を弱めことが重要だろうと思う」
「弱める?封じればいいのではないですか」
ファーラルの提案に、グレイは不思議そうに問い直した。それを聞いてファーラルは軽く眉根を寄せた。
「簡単に言うなよグレイ。お前にだってわかるだろう、この石の力。わたしにだって解明するのが精いっぱいで、封じるやら解くなんてこと、わたしでは不可能だ」
「まさか―――」
苦々しい口調に、グレイはその発言が謙遜ではないと確信した。そして、同時に戦慄する。ファーラルほどの使い手が、一介の【精霊士】の力を解けないというのか。
ライナの父ディロ。彼はいったい何者だったのだろう―――。
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