護りの石
目の前に悠然と現れたのは、物語によく出てくる『王子様』だった。色素の薄い金の髪。柔和な微笑を浮かべた口元。瞳は濃い藍色で、じっと見ていると吸い込まれそうなほど優し気だ。長い手足と均整のとれた肢体。グレイも美丈夫だが、現れたこの男は、それにさらに色香を足していて、自分が相手にどう見えるか分かっているようなのがたちが悪い。
『王子様』。だが、ライナは警戒を解こうとは思わなかった。
彼と共に現れた黒い精霊たちが、ライナを取り囲うように旋回し始めたからだ。何の意図があっての行動なのかわからないが、すっかり身を隠してしまった緑の精霊たちとは相いれない存在なのだろう。
「君がライナ、かな?」
黒い精霊たちの謎の動きに、ライナは内心怯えていたが、さらに見知らぬ人物から名前を呼ばれたことに心拍数を上げた。
「驚かせた?倒れたと聞いて、気になったからさ」
グレイよりは年長だと思われる王子様は、身を竦ませるライナには構うことなく、一歩足を踏み出した。怖くてビクリと肩を震わせる。
「やはり精霊が見えるというのは間違いなさそうだ。しかも……わたしの使役する精霊たちの本質も見抜いているようだし。グレイもなかなかいいものを拾ったな」
「!」
男のつぶやきの中にあった、見知った人物の名前にライナは反応した。この人はグレイの知り合いなのだろうか。いや、知り合いだからと言って、人のことを物のように『拾った』などと形容する人物のことを信用する気にはならかったけれど。
そして精霊を使役とはどういう意味だろう。本質ってなに?
ライナにとって、精霊は共存共栄する存在であって、決してどちらかが強者弱者という関係ではない。そう思っているし、父にもそう教えられてきた。彼らは自由に世界を飛び、信用に値すると判断した【精霊士】をサポートしてくれる優しい存在なのだから。
だから『王子様』が精霊に対してそんな見方をしていることに気分が悪くなっても仕方ない事だと思う。
それにライナを値踏みするような無遠慮な視線が腹立たしい。ますます警戒感を強め、ベッドの上で膝を抱えていたライナの耳に、待っていた人の声が聞こえた。
「ライナ、お待たせ……―――えっ!?」
医務室に顔を出したグレイは、ライナのベッドを囲っていたカーテンが空いていることにも驚いたが、それよりもこちらを向いてニヤリと笑っている男の存在に驚きを隠せなかった。
「師匠、どうしてここに!?」
―――師匠って、わたしに会そうとしていた人の事、だよね?それにロットウェルの中でも、偉い議長をしてるって言ってなかった?
グレイの言葉に、ライナは記憶を総動員して思い出そうとしていた。意味は分からないが、父に託された巾着も、グレイは持って行った方がいいと言っていたはずだ。
だが、不信感は拭われていなかったが、グレイの知り合いだということがハッキリしたためか、ライナの緊張は少し緩めることが出来た。
「お前の客人が倒れたというから見舞いに来たんじゃないか」
「今日は時間が取れないと、散々ガーネット嬢に言われていたのですが」
首を傾げて疑問を口にするグレイ。その間に、連れ立って戻ってきたのだろうジュネスが、素早くライナの傍により、肩に上着をかけてくれた。彼には黒い精霊は見えないのだ。だから、ライナを取り巻く存在などまったく気にせず近寄ってきてくれた。見える人であれば、禍々しい様子の黒い精霊に囲まれているライナに寄りたくはないだろう。
今さら気づいたが、いつの間にか来ていたドレスは脱がされ、飾り気のない薄手のワンピースに着替えさせられていた。ワンピースというより、寝間着に近いかもしれない。
ライナが窮屈なドレスより、やっぱり楽なワンピースがいいなーと思っている間にも、師弟の会話は続いていた。
「予定通りにしていれば時間に余裕はない。だが、何事にも例外はある。例えば地方領主の謁見時間を減らしたり」
「……ほかには?」
「2時間の予定だった会議を1時間に短縮したり」
「……そして?」
「お茶の時間を君たちと過ごしたりさ。さぁ2時間はもぎ取ってある。じっくり楽しい時間を過ごそうじゃないか」
満面の笑みを浮かべ、芝居がかった動きで両手を広げたファーラルを、グレイは深いため息を吐き出しながら、視線を背けた。そしてライナの隣で指示を待っているジュネスと、笑顔のまま様子を眺めていた看護師に疲れた声をかける。
「……ジュネス、馬の鞍を外してきてくれ。ダリアナさん、ライナにドレスを着せてやってください」
「かしこまりました。あ、これライナの替えドレスです」
「こちらを着せればよろしいのね。では、男性の方々は全員退出してくださいませね」
ライナがぽかんとしている間に再びカーテンで仕切られ、それと共に黒い精霊たちも隙間から出ていった。視界からその姿がなくなっただけで、不思議なくらい安堵している。
「さぁ、着替えてしまいましょう。でも、これなら一人で着れるかしら?お手伝いは必要?」
言いながらジュネスがダリアナに託した替えの服を差し出してきた。先程まで着ていたドレスではなく、若草色のシンプルなデザインをしたワンピースだった。もしかしたら、着慣れないドレスがライナを圧迫したと考えたジュネスの心遣いなのかもしれない。そして、ドレスではないので、一人で着替えることが出来る。
ライナはダリアナからワンピースを受け止ると、大丈夫を表すためにしっかりと頷いてみせた。その様子にダリアナは満足げに笑みを返すと、するりとカーテンの向こうに姿を消したのだった。
着せられていた寝間着は、どうやら医務室に備え付けのものだったらしい。裾の部分に『医務室』と刺繍がされていた。咄嗟の病人などに対応するために置かれているものなのだろう。女性サイズらしいが、それでもライナには大きかった。脱ぎやすくて楽だったけれど。
渡されたワンピースに着替え、首にスカーフを巻き、鞄をしっかり肩にかければ準備完了だ。カーテンを開けるとダリアナと老医師がせわしなく働いていた。
「おお、終わったか。ダリアナー」
「はい」
出てきたライナに気付いた老医師がダリアナを呼んでくれる。カルテを抱えていたダリアナは速足でライナに近づき、曲がっていたスカーフを直してくれた。そしてライナの腕の中にあった寝間着を受け取ってくれる。
「外でバーガイル伯爵がお待ちよ」
「――、―――」
口パクで『ありがとう』と伝えると、ダリアナは小さく手を振って見送ってくれた。
ドアを開けて廊下に出ると、グレイとジュネスが揃って待っていた。ライナの姿を見て、二人ともほっとした顔をしている。なぜだか、そんな様子が気恥ずかしくて、でも嬉しくて、ついライナは二人の待つ場所に走って行き、両手を広げてグレイとジュネスに同時に抱き付いた。
「わ、どうしたライナ」
「……(小声)甘えてくれてる……」
抱きとめたジュネスは中腰になってライナと視線を合わせると、楽しげなその表情を見て、自分の表情も緩むのを感じていた。そして、先程まで重かった心のしこりが溶けて消えていくようだった。思わず手を伸ばして、ライナの小麦色の髪を撫でてしまう。笑顔のライナにジュネスは救われたような心地だった。
その頃隣のバーガイル伯爵は、ライナの今までにないスキンシップに激しく動揺していたのだった。ずっと、甘えたいけど甘えられない……を体現していた(と思っている)ライナが、突然全力で甘えだしたのだ。そして着替えた若草色のワンピースは、爽やかな色合いと雰囲気が、ライナにとても似合っていた。ピンクも水色も黄色だって、ライナは何色でも似合うのだが、やはり緑の精霊に愛されているライナは、優しい若草色や、瑞々しいもえぎ色がよく似合う気がする。
そしてやはり、笑顔が可愛い……。
「ライナ」
呼びかければ、笑みを浮かべたままグレイに視線を向けてくる。そのあどけなさに、グレイの胸からは愛おしいが溢れそうだった。
「何を着ても似合うね。ライナ、可愛いよ」
言いながら顔を寄せて、ライナの頬にすり寄る。少しひんやりとした滑らかな肌がたまらなく心地よかった。できればジュネス抜きで自分にだけ抱き付いてほしかったと願ってしまうのはダメなのだろうか。間違っているのだろうか。
いつの間にかジュネスはライナから離れていたが、それに気づかないグレイは医務室から老医師より『とっとと行け!』と怒鳴られるまで、ライナを片手で抱きとめて頬擦りしていたのだった。
「おっそーい!」
ファーラルの執務室に到着した瞬間に当人から苦情が飛んできた。まさか医務室前の廊下で、ライナに抱き付いて離れられない伯爵がいたとは言えないジュネスは、言い訳せずに謝罪して頭を下げた。
「申し訳ございません」
「後1時間半しかないじゃないか。色々確認したいこともあるというのに」
「とりあえず、二人とも座ってください」
ブツブツと文句を言っているファーラルを押しのけ、ガーネットがソファーに誘導する。見れば、テーブルの上にはすでにティーセットが準備されていた。甘い香りのケーキもある。
ジュネスは立って壁に控えておこうと動かなかったが、それに気づいたファーラルが指で座るように指示してきた。そんなことは稀なので、思わずガーネットに視線を向けるが彼女は同席しないのだろう、いつも通り壁際に移動していく。
「ジュネス、座れ」
「……はい」
ファーラルにそう言われてしまえば、断ることなどできない。
結局3人掛けのソファーに、ライナを挟むような形で収まることになった。ちなみにケーキが用意されているのはライナの分だけだ。そして向かい側の一人掛けソファーにファーラルが座ると、ガーネットがそれぞれのカップに紅茶を注いでいく。
「はじめまして。わたしはファーラル。もう気づいているかもしれないけれど、ロットウェル6人会議の議長であり、グレイの師匠でもある」
ファーラルにじっと見られたライナは目を伏せて、慌ててお辞儀をした。
「すいません、人見知りが激しくて。この子がわたしが保護したライナです」
口だけは謝っているが、ファーラルに懐こうとしないライナの頭を撫でつつ相好を崩している男は、ただの独占欲の塊にしか見えなかった。
「……まぁいい。さて、ライナ。単刀直入に聞くよ。君は精霊が見えるね?」
聞かれ、こくんと頷いたライナは不思議に思った。
―――さっき医務室で私に向かって、黒い精霊が見えるって言ってたのに……。
そういえば、黒い精霊はここにはいない。目の前の人物は使役していると言っていた。つまりは、彼が必要だと判断しない時には姿を現さないのだろうか。
「そして、君の父親の名前はディロ、で間違いないかな」
ライナはもう一度頷いた。父親の名前が出たことに、グレイは心配になったのだろう。頭を撫でていた手を止め、その薄い背中に手を当てた。大きな掌に支えられている気がして、ライナは俯きそうになる背中を伸ばすことが出来た。
「あの石を、もう一度見せてくれないか」
ライナは鞄から巾着を取り出すと、その中から黒い石を取り出して手のひらに置いた。温もりが伝わってくる。触ってしまうことで父の温もりが消えてしまいそうで、ずっと触れなかったけれど、いざ触れてみると滑らかな石の表面は冷たくなく、なぜか温かかったのだ。
「……グレイ、見えるか」
「そうですね……奥に何か力が宿っている、ような」
「これは、まさに【精霊士】ディロが仕掛けた護りだろう」
「護り、ですか?」
グレイの問いかけには答えず、じっと石を見ていたファーラル。そしてその様子を見ていたライナは、思わず覗きこむようにしてファーラルの視界に入った―――その瞬間、
「わ…ヤバい!」
ライナの視線に気づいたファーラルは、一気に身を引いた。そして同時期にどこから現れたのか、黒い精霊が湧きだしてきた。そしてファーラルの周りを囲うように旋回している。見れば、壁際に立っているガーネットにも数体寄って行っていた。
「しまった。迂闊だったな」
額を押さえてぼやくファーラルに、ジュネスは何のことは分からずぽかんとし、グレイは黒い精霊に囲まれているファーラルを見て硬い表情を崩せなかった。思わずライナの肩を抱いて引き寄せていた。
「師匠、なにごとですか」
「すまない。うっかりしていた。医務室では気を付けていたんだがな」
答えになっていない発言を繰り返すファーラルに、グレイは眉根を寄せて訝しんでいたが、それに対して言及できないのが師弟関係の力の差というものだろう。
「これくらいなら平気か。しかし強力だな、まったく……」
「いい加減説明してください、ファーラル師匠」
弟子からのいつにない厳しい声に、肩をすくめたファーラルは黒い精霊を纏ったままソファーに座る3人に視線を向けた。
「グレイ、ジュネス。お前たちは石の呪縛にとらわれている」
鋭い視線と共に投げつけられた言葉は、意味の分からないものだった。
お待たせしました。
なかなか進まなくて焦りましたが
ようやく石の話に持って行けそうです。
徐々にグレイのスキンシップが悪化しているのは仕様です