ベルと矜持
様子を見ていたクレールが、静かに一歩を踏み出した。そして、ライナの前にあるテーブルに、手のひらに収まる大きさのベルを置いた。
何事かとふり振り仰いだライナは、クレールの表情の読めない瞳とかち合い、視線を巡らせてグレイを見る。その視線の意味をすぐに理解すると、ライナから手を離してベルを手に取った。
「ああ、これは俺が用意してほしいと頼んでいたものだ」
小さなベルの根元には、可愛らしく赤いリボンが巻かれていた。そのベルを軽く振る。すると、涼やかなのにキーの高い、済んだ音が響いた。
「このベルは、ライナが持っていてくれ。何かあればすぐに鳴らすように」
そう言って手渡されたものの、『何かあれば』という意味が分からない。ここにいることで何かが起こるというのだろうか。
不思議に思いつつも、手渡されたベルの美しさと可愛さには心惹かれた。よく見れば、ベルの表面にはうっすらと彫りが入っており、花束が描かれていた。緻密な彫は触れるとその凹凸を指先に伝えてくる。高い技術を持った人物が施したとわかる、素晴らしいものだった。
そして更にみれば、持ち手のところにも何かが彫り込まれている。
―――二頭の馬……背景に盾?
ベルをじっと見ている姿が気になったのだろう、グレイがするりとライナの隣に座りなおした。先程まで向かい側にいたというのに、素晴らしい早業である。
「これは、バーガイル家の紋章だ。二頭の馬が一族の紋章で、あとは各家々で剣を足したり、縁のデザインを変えたりしている。うちは盾を使用しているね」
紋章は貴族だけが持つ、家名を表す重要なものだ。それがこのベルにも彫られているということは……このベルはきっと、バーガイル家にとって大切なものなのだと思われる。不勉強ながらもそう察したライナは、隣に来たグレイの手に慌ててベルを戻した。
「どうした?」
突然手渡されたベルと、小さく首を振って困った顔をしているライナを交互に見て、グレイは首をひねってしまう。そんな様子を見かねたのか、クレールが横から声をかけた。
「グレイ様。おそらくライナ様はそのベルにバーガイルの紋章が入っているのを見て、大切なものだとご理解されたのです。そのため、自分がそんな大切なものを使っていいのかと思い悩んでおられるのでしょう」
「ライナ……」
クレールの言葉に、ライナはこくこくと何度もうなずいた。ライナの後ろではそんな姿をジュネスが感心したように眺めていたが、グレイは違った。
「ライナ―――っ」
「!!?」
突然真正面から両手を広げ迫られ、ライナは避ける間もなくグレイの腕の中に閉じ込められた。そしてそのままぎゅう〜と抱きしめられる。
「なんて謙虚で奥ゆかしいんだっ。バーガイル家の紋章などライナには何の意味もない。どうだ、クレール!」
細い体を抱きしめたまま、グレイはクレールを見上げた。座った状態で抱き付いたので、立ったままのクレールには見上げないと表情が分からないのだ。当のクレールは目を白黒させているライナの様子を一瞥し、軽く首肯する。
「そのようですな。わかりましたので、とりあえず離してあげてください。苦しがっておられますよ」
「ご、ごめんライナ!」
クレールの言葉に、勢いよく腕を離したグレイだった。が、ライナが逃げ出さないことを確認するとそろりと手を伸ばし、今度はゆるく腕に抱きとめた。そして小麦色の髪に頬ずりしている。息も絶え絶えなライナは、抵抗する気力なく、されるがままだ。
そんな二人の姿にジュネスは諦め半分で、見ないふりをした。彼は空気を読める素晴らしい副官なのである。
「ライナの気遣いは嬉しいけど、気にせずこれは使ってほしい。このまま誰にも使われなくて、埃を被ってしまうのも可哀想だと思わないか?」
再びベルを握らされたライナは、困った顔で周りを見渡す。この場合、助けてくれそうなのはジュネスよりもクレールだろう。だが、ベルを渡してきたクレールが助け舟を出すことはなく、グレイの言うことは尤もだと、深く頷くだけだった。
それに確かに美しくて綺麗な音色のベルが使われないままというのも勿体ないとも思う。散々と心の中で葛藤していたライナだったが、最終的にはベルの持ち主になることを承諾したのだった。
美しいベルの音を鳴らし、にこりと笑って見せることによって。
その後も別館で思いのほか楽しい時間を過ごした。隣には必ずグレイがいたが。ジュネスも必ずついてきた。グレイはそんなジュネスを少々邪険にしていたが、ジュネスはお目付け役を任された為か、一切引かなかった。やはり彼は優秀な副官なのだ。
庭と言っていいのか、森のような場所を探索していると、精霊がたくさん寄ってきてライナを楽しませた。どこにでもいたずら好きな精霊や、甘えたがりの精霊はいるものだと思わず感心してしまう。姿は微妙に違うけれど、根本的にはなにも変わらない。それが精霊だ。精霊が見えない者たちにとっては『概念』だろうが、それでもライナにとっては『現実』だし、触れることのできる精霊たちは仲間のような、家族のような、そんな身近な温かさだ。
声は出ないままだが、それでも久しぶりに触れた森の空気と精霊たちに、心が落ち着くのを実感した。優しい時間は優しい過去をも思い出させるものだが、極力考えないことを心に決めた。
日暮れ前までの、短い時間だったが、ライナの頬が緩んで笑みが浮かぶ。 村にいたときのようにようやく自然に微笑むことが出来た瞬間だった。
グレイはそれを、ただ嬉しそうに眺めていた。
夕食は本館で一緒に。とミラビリスからの連絡をクレールから受け取り、グレイは渋面を浮かべていたが、ライナはとりあえずお腹がペコペコで、夕食という単語を聞いただけでお腹が鳴ってしまった。居たたまれないし恥ずかしいしで思わず俯く。身動き取れず、真っ赤な顔でお腹を押さえていると、グレイがライナの腰を持つと、そのままふわりと持ち上げた。
「―、―っ」
慌てるライナを無視してそのまま器用に横抱きに変えた。バランスを考えると、暴れると落されてしまうかもしれないという本能的な恐怖に、思わずライナは無意識にグレイの首に腕を回した。視線はグレイではなく、怖いもの見たさで床と自分の高さばかりを目測している。
「今日はクレールの用意した軽食だけだったから、お腹が減っただろう。準備が出来ているようだから、今日は本館に行こう。気詰まりだと感じれば、明日からはこちらで食べればいい」
大事に抱きしめつつ、本館への渡り廊下へ向かう。
常に抱き上げられている気がしたライナは、この体制に慣れつつあることに大いに慌てた。慌てたが、グレイが離してくれるはずもなく、ジュネスの制止も聞こえるはずもなく、堂々と本館食事室に到着した。扉の前で姿勢を正してグレイと客人を待っていたメイドたちは、現れた二人のその様子に体を硬直させた。
ドアを開ける役目の侍女が固まってしまい、思わずジュネスがドアを開けた。
「父さん、遅くなりました」
そう言いながら堂々と臆する様子なく、ライナを抱き上げたまま入室する。驚いたのは元当主と妻ミラビリスだ。
「グ、グレイ!」
甲高い声で息子の名前を呼んだミラビリスは、食前酒のグラスを大きく揺らしてしまい、床までこぼしてしまった。しかし、当の本人はそれどころではない。
「なにをしているの!どうなっているのっ」
硬派・堅実で通っている自慢の息子が、眩しいほどの満面の笑みで、ライナを抱いて登場してきたのだ。思わず声を荒げてしまうのも仕方ないだろう。
母親のヒステリックな声に、思わず足を止め、グレイは心底不思議そうな顔でミラビリスを見返した。
「何と言われましても……食事に呼ばれたので伺ったのですが」
「そうではなく!なぜ、その子を抱き上げているの!」
突き刺さる視線にライナはビクつき、思わず視線をうつむけた。止められなかったとはいえ、食事をするのに抱き上げてもらって入室するなんて、確かに情けないことだと思った。ライナはグレイの腕から逃れようと、落ちるの覚悟で体を捻る。ずっと森の中を走り回って育ってきたライナにとって、考えればこの程度の高さから身を投げるなど大したことではなかったのだ。怪我をして目が覚めてからずっと甘やかされていたから、心が弱くなってしまっていたのだろう。そう結論付ければ、もう戸惑いはなかった。
グレイは突然暴れはじめたライナを捕らえておけず、咄嗟に手を伸ばすが空を切っただけだった。
こける事無く床に足を付けたライナは、声を荒げていたミラビリスに頭を下げ、黙って成り行きを見ていたファヴォリーニにも頭を下げた。すると、動かなかったファヴォリーニが体の向きを変え、それまでとは違う厳しい視線をグレイに向けた。
「グレイ」
心臓が掴まれるかのような心地がした。全身から溢れる威圧感に、部屋にいる全員が硬直する。
「はい……」
「家族であろうと礼儀は必要だ。客人に頭を下げさせるとは、規律厳しいはずの軍部にいながら、何を学んできた」
「……っ……申し訳ございません」
「【魔法士】だからと甘やかされたか。ファーラルの弟子だからと優遇されたか。お前に副隊長などまだ早かったようだな」
「……っ」
厳しい声に頭を下げたグレイは唇を噛んだ。確かに浮かれて礼儀もマナーもすっ飛んでしまったことは間違いない。それに【魔法士】としてファーラルの弟子として優遇されたことがないのかと言えば、認めたくはないけれど、決して無かったわけではないだろう。それが分かっているから、悔しかった。
ファヴォリーニがちらりと視線を向けると、ライナが所在なさげに立ち尽くしつつ、グレイを心配そうに見つめていた。下を向いたまま顔を上げられないグレイ……そんな彼をどうする事もできずに見ているだけの少女。我知らず、ファヴォリーニは口元を微かに緩めた。
「ライナが我が家に来て初めての夕食だ。今日はこの辺にしよう」
その言葉が聞こえて、ライナはあからさまにほっとした顔を見せた。
純朴で悪意のない善良なオーラが全身からでている。それがファヴォリーニのライナへの評価だった。少しでも悪意があるようであれば、すぐに排除しようと思っていたが、案外いい方向に向くかもしれないと賭けをしたい気分になる。
正しくは四六時中精霊がまとわりついているため、空気が浄化され、精霊の姿が見えない人でもライナの傍にいると、不思議と浄化される感覚に陥るだけなのだが。
「クレール。食事を運ばせろ」
「かしこまりました」
ゆっくりと顔を上げたグレイは、何事もなかったかのようにテーブルに着く両親を見てようやく肩の力を抜いた。そして、自分の意志の弱さを噛みしめる。
「グレイ様、席へどうぞ」
「あぁ」
グレイがいつもの定位置の座席に腰を下ろすと、次にミラビリスがファヴォリーニの隣に腰を落ち着けた。それからようやくライナがグレイの隣に座る。
「今夜はアンヌが来れなかったの。残念だわ」
すでに気を取り直したのか、ミラビリスはお気に入りの娘の名前を口にする。それに応える者はなく、静かに夕食は始まった。
そして―――
マナーを知らないライナはろくに食事を食べることが出来なかった。
バーガイル家の爵位はすでにグレイへ引き継がれていますが
まだまだ最強なのはファヴォリーニさんです。
ついにグレイさん、怒られましたね。
そりゃ怒られるよ…と思った皆様、わたしもそう思いながら書いてました(笑)しかし、グレイの名誉のためにも、はやく色々解明してあげたいものです。。。
次回も本編更新になります(予定)。
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