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無声の少女  作者: けい
その先にある選択肢
144/145

ドルストーラの大地

 二人は身を寄せ合って涙を流し、傷を労わるように手を繋いでいた。けれどずっとこの場でそうし続けることはできない。どんなに嘆いても、もう母は戻ってこないのだと分かっている。のろのろと先に動き出したのはアロイスだった。身に付けていた上着を脱ぐと、それに小さな髑髏を包み込む。雨風に傷んだ髑髏は脆く、軽い衝撃で割れてしまいそうだ。それを大切に大切に(くる)み、アロイスはその胸に抱きしめた。


「ライナ、戻ろうか」


 アロイスの呼びかけに俯いていたライナはようやく顔を上げた。


「……兄さん、体は……どこいったのかなぁ……」

「……」


 か細い声は母を探す迷子のようだ。ライナはふらりと立ち上がり、草生い茂る中を歩き回ったが首より大きい身体は見つからない。ライナは不思議そうに首をひねっていたが、アロイスは体は既に森の生物に食われたのだろうと推察していた。首は肉も少なく放置されたとしても、肉の塊である身体は野生動物には格好の餌であったはずだ。四肢は割かれ、すでに獣たちの血肉となっているだろう。けれど、そのことをアロイスは告げなかった。ただライナと同じように不思議そうに首をひねり、自分の心の中に隠したのだった。


 二人がアンヌたちの元に戻った時、すでに日は傾き始めていた。この場で野営することも考えられたが、あまりにも場所が母の死と近いため、アロイスが難色を示し一行を進ませた。

 言葉少なだったライナに、アンヌは何も言わずただ寄り添った。リリーが暖かなひざ掛けを用意し、それでライナを包み込む。見上げれば精霊がくるりと飛び、そのまま馬車から離れていった。それはまるで母のようで―――母がさよならを言っているように見えて、ライナは涙を一筋こぼしたのだった。




 森の奥で一行は行程を止め、野営の準備を始めた。


「お手伝いいたします」


 名乗り出たリリーだったが、何をすればいいのか分からず、結局右往左往して終わってしまった。

 リリーは侍女ではあるが、彼女自身平民の出自ではなく、行儀見習いに地方から伯爵家に出向いてきていた。ただ、仕事に充実感がありすぎて、実家に帰ることが億劫になっていることは否めない。地方の田舎貴族だが、実家の家系は貴族名鑑にもちゃんと載っていた。

 実家に帰れば『お嬢様』と呼ばれるくらいの身分はあるのがリリーだ。つまり野営の知識など持ち合わせているはずもない。


 あまりに簡素な夕食は男たちの手により手早く作られ、分配された。主に作業したのがアロイスとフォーデックで、ロージィの役目も微々たるものだ。リリーは彼らの手際の良さに内心驚きつつ、黙って食事を口にしたのだった。

 アンヌはマーギスタで囚われていた経験が生きているのか、簡素で粗末な食事であろうと喜んで口にした。公爵令嬢という肩書ごしにアンヌを見ていたアロイスは、彼女の見方を修正していったのだった。 


 女たちは馬車の中で。男たちは交代で見張りをしつつ夜を明かした。ライナはアロイスが見張りの時だけこっそり馬車を降り、二人肩を並べてぽつぽつとこれまでの事を話していたようだが、それを邪魔するような無粋なものは一行の中にはいない。




 馬車は翌日も翌々日ものろのろと森を進んだ。ライナは途中、故郷の村の近くに差し掛かったことに気付いたが、アロイスが止まる様子を見せなかったため、そのまま黙した。アロイスが事前に村の場所を確認していないわけがない。だというのに、立ち寄るそぶりも見せなかったという事は、戻ったところで荒れた村を見るだけだという気遣いなのかもしれない。


 本当は村に立ち寄り、生家を見たかった。捕えられた後は暗く狭い馬車に閉じ込められていたため、火の放たれた村がどうなってしまったのか確認も出来なかったのだ。そして出来るなら、家族の思い出を『何か』持ち出したかった。けれど振り切るようにアロイスが進むのなら、もうそこには何も残っていないのだろうと思うしかない。すべて焼けてしまったのだろうと……思うしかない。


 途中の泉で身を清めた以外、全員毎日ただ体を拭くだけだ。風呂に慣れた体には少々つらいものがあったが、湧き水などは豊富にあり、水には事欠かずに済んだ。

 幸いにも天候に恵まれ、一度も雨に降られることはなかった。明日にはドルストーラに着くだろうという野営最後の夜、嬉しそうにそう口にしたアンヌに、アロイスは笑みを向けた。


「ライナがいましたから。精霊たちが天候を操作しているようですよ」

「えっ」


 数日の間に一行の緊張はほぐれ、他愛もない話をするようになっていた。だからこれもただの軽口だと判断したアンヌは、さずにそれはないだろうとくすくすと笑う。


「アロイス様はご冗談がお好きなのですね。精霊とはいえ、さすがに天候を操るなんて」

「ええ、本当に。ライナがここに居なければ、これほどの好天候に恵まれることはなかったでしょう」

「……本気で仰っていて?」

「ええ、本気です」


 大真面目に頷くアロイスに、アンヌは何か言おうとしていた口を閉じた。そしてそのまま隣でシチューを食べているライナを見る。


「ねぇライナ。本当に?」


 天候を操るなんて神の所業だ。さすがに安易に『そうなんですね』とは言えない。


「(もぐもぐ、ごくん)んーと……わたしのせいかは、分からない。ただね、森の天気って崩れやすいの。こんなにずっと雨に当たらないなんて珍しいとは思う」

「そ、そうなの」


 平然と答えたライナに、アンヌは一言返事を変えることしか出来なかった。ライナの【精霊士】としての能力が素晴らしいのだという事は、周りからも聞いているしアンヌ自身もそう思っている。けれど天候の操作など考えも及ばなかった。

 困惑した様子のアンヌに、アロイスは楽しそうな笑みを向ける。素直な反応を見せるアンヌがアロイスの目にどう映っているかなど気づくことはない。


 ピンクゴールドの美しい髪を、今は邪魔にならないように編み上げている。動きやすそうなワンピースドレスは長時間馬車に乗ることを考え、ミラビリスやセリーナによって選ばれた衣装だ。公爵令嬢という地位に居ながら、声高に命ずることもなく、質素な食事にも文句も言わない。時おり木漏れ日が照らすだけの薄暗い森の行程でも文句ひとつ言わず、さらに大切な妹を気にかけてくれ、孤児であり平民であり異国民のライナを義妹として遇してくれる。アロイスがアンヌに惹かれない要素は何もないのだ。


「大袈裟なことをしているわけではありませんよ。我々の近くで降る予定だった雨を、遠く離れた森で降らせていたり、です。雨そのものを消すことは、さすがの精霊たちもできません。降る位置をずらしてくれていた、そう認識して下されば」

「えぇ。わかりましたわ」


 正直よく分かっていなかったが、思わずアンヌは頷いていた。そしてそのままアロイスは貯め込んだ知識を放出するかのように精霊と人との関わりについて話を始めた。今までの精霊と人との在り方。そしてこれからの事。国と国との関係性。アンヌもまた、以前は国の中枢にかかわることのあるグレイへと輿入れを目指していた女性だ。社交だけでなく政治も経済も、役に立てればと知識を詰め込んできた。日の目を見ることのなかった知識だったが、今夜アロイスの話に触発されてアンヌも話に飛び込むことにした。


「やはり国民の経済を回すには―――」

「精霊と対話できればその活用と共存が―――」

「施策には雇用が必要で―――」

「議論は幅広く―――」


 二人が繰り広げる、激しく難しい話にライナは目が回りそうだった。周りに視線を向ければリリーはニヤニヤしているし、フォーデックは表情には出ていないけれど面白そうな気配で二人を眺めていた。ロージィだけが困惑したような様子だったが、誰一人として口出す者はない。ライナも二人の意見を言い合う事を音楽代わりにして食事を続け、賑やかに夜は更けていった。




 翌日、ついに一行はドルストーラの都市部目前に到着した。そして森を抜けたことを確認し、ようやく馬車は速度を上げると、すぐに並走する騎馬がトントンと馬車の窓を叩く。リリーが素早く窓を開けると外には馬上のアロイスがいた。


「アンヌ様、これよりわたしは先に城に戻り、皆さまのお迎えの準備をしてまいります。フォーデックを残して行くのでご安心ください」

「はい」


 並走しながらだというのに、その声は驚くほど聞き取りやすかった。


「ライナ。あと半時ほどで着くからいい子にしておいで」

「なにその子ども扱い!」

「はははっ」


 アロイスは笑いながら手を振り、いっそう速度を上げて駆けて行く。その後姿を見送った後も窓は閉めず外の風を馬車の中に招き入れた。


 森を抜けた後、そこに広がるのは枯れた土地だった。草木の無い砂だけの地面がただ先まで伸びている。思い出したかのように雑草が生えている場所もあったが、それはとても物悲しくさびれた印象だった。


「なんてことでしょう……」

「これが、ドルストーラを襲った枯れの被害なのね」

 リリーは恐ろし気に身を震わせ、アンヌは眉をしかめて大地を見た。森の中は緑に溢れ、恵みと潤いを感じさせたというのに、人の領域に近づくだけでその被害が目の当たりになったのだ。実際、少し前までは枯れ被害は森の中にまで進行していたのだが、その進行は食い止められ息を吹き返すかのように回復した。しかし、それ以外の国内は未だ完全な復調の目途はたっていない。


「……わたし、緑の大地がみたい……」


 ぽつりと呟いたライナの言葉は誰の耳にも届かなかった。ただ、走り去った馬車の轍から次々と小さな若葉が顔を覗かせていたのに気づくのは、もう少し先になる。




 物悲しい大地を走り、眼前に現れたのはそびえたつ高い塔だった。それも1つや二つではない。等間隔に街を囲うように城壁に沿って作られていたのだ。高くそびえる城壁だけでも威圧感があるのだが、その高い塔がそれを助長して見える。


「ドルストーラの都って、なんだか物々しいところですね」

「本当に。特にあの塔。なんだか見張られているみたい」


 女3人が窓から交代で顔を出し、外の様子を伺うなんてロットウェルの中央都市では対面もあり出来る事ではない。幸いにもここは他国で、ぞろぞろと見張りも護衛も連れていないからできることだ。


「あの塔は国民を見張るために造られたんだ」

「あの、フォーデック師匠!詳しく教えてください」


 先ほどのアロイスのように馬車と並走して声をかけたのはフォーデックだった。その鋭い眼光にアンヌとリリーは引いてしまったが、ライナは身を乗り出して声を上げた。


「わたし、もっとちゃんと故郷の国のことを知りたいんです!」

「着いたらいやでも知ることになる。今は自分の頭の中で想像しとけ」


 言うだけ言うと、フォーデックはさっさと窓から離れスピードを上げてしまう。あっという間に馬車を先導する陣形になった。こうなればもう声は届かないだろう。つまり言い逃げだ。


「もう」


 馬車の影に隠れて見えなくなったフォーデックに対し、ライナは思わずむくれるが、彼のいう事は間違いない。確かに滞在中、ドルストーラの殺伐とした歴史は否が応にも耳に入るだろう。それは前王が【精霊士】を虐げた歴史であり、国を荒廃させた歴史なのだ。


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