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無声の少女  作者: けい
その先にある選択肢
143/145

森の途中

 馬車は森の中をゆっくりと進んだ。ある程度は轍で踏み固められているとはいえ、所詮は山道だ。舗装されていない道は凹凸もあり、決して快適な行程ではない。騎馬だけであれば流れるように過ぎ去る景色も、ライナとアンヌが乗った馬車を先導しながらでは駆け足程度が関の山だった。


 そんな馬車の内部は、とても静かだ。最初は会話していた二人だったが、森の奥に進むごとにライナの口数は減り、今では窓からずっと外を眺めている。代わり映えの無い森の景色を食い入るように見ているのを邪魔することも出来ず、アンヌは持参していたハンカチに刺繍をすることにしたのだった。


 リリーも同乗していたが、主人二人が黙しているのに何も言うことはない。これ幸いとアンヌと同様に刺繍を施していた。ただハンカチなどではなく、リリーはドレスの裾に精緻な模様を描いていたのだが。


 何事もなく進む何の変哲もない森の中。


 あの時(・・・)とは違い、明るい日差しが森を照らしている。けれどライナは決して忘れてはいない。確かにこの森の中で、自分の身に何が起こったのかを……!


 知らず手が震え、無意識に喉を抑えるように手を添えた。

 呼吸が苦しくなる。

 全力で走って逃げたあの感覚が、あの記憶が、あの情景が―――


「ぁぁあああっ!」

「ライナ!?」


 突然首元を押さえ悲鳴を上げたライナを、アンヌは刺繍を放り出して抱きしめた。それと同時に馬車も急停止する。御者をしていたロージィが悲鳴を聞いて馬を止めたのだろう。そしてそう思う間に扉が開いて血相を変えたロージィが飛び込んできた。


「お嬢様、どうされましたか!?」

「ロージィ!ライナが苦しんでいるのよっ」


 どうすればいいのか分からず、アンヌもまた泣きそうに声を荒げた。


「何がありましたか」


 そんな時、馬車に顔を出したのはアロイスだった。先行していたはずだが、止まった馬車に気付き引き返してくれたのだろう。アンヌはその時、ロージィには感じなかった安心感を覚えた。彼ならきっと、ライナを救ってくれる……そんな安心感だ。


「ライナ!」


 だが、アンヌがそんな安心感を抱いたのとは逆に、アロイスは苦しむ妹の姿に血相を変えた。苦しそうに浅い呼吸を繰り返すライナをアンヌから受け取り、そのまま小さな体を腕に抱いた。アロイスは背を撫で続け耳元に「大丈夫、大丈夫」と囁き続けることしか出来ない。

 時間をかけ、ゆっくりとライナの呼吸が戻ってくる。そろりと顔を上げたライナは、腕の主が兄だと気づき、くしゃりと顔を歪めた。涙で濡れた頬と腫れた瞼が痛々しい。泣き濡れた顔は蒼白で血の気を喪っていた。


「にぃ……さ、ん……」

「どうした」


 掠れた呼びかけに、アロイスは幼子のようにライナをあやしながら返事をする。ライナは小さく呼吸を整え、震える唇を開いた。


「もうすぐ、この先に……」

「ライナ?」

「―――っ母さんの体が、森の奥に……」

「っ!」


 ライナの振り絞るような声に、アロイスの声が詰まった。そしてそれは、聞いてしまったアンヌも同様だった。ライナが保護され、ライナの身に何が起こったのかは、直接ではないにしろ間接的には聞いている。村が襲われたことも、村人が連れ去らわれたことも、女たちだけが捕えられたことも。そしてライナを逃がすため母親が犠牲になったことも。


 どのような亡くなり方をしたまではアンヌは知らない。けれど穏やかなものではなかったという事だけは確実だ。


「父さんと―――一緒に……してあげたい、の」


 涙声の訴えに、アロイスの涙腺も一気に緩む。そしてライナを抱きしめることで顔を隠した。


「うん、うん。もちろんだよ、そうか。母さんこの近くに……」


 ライナはずっと、母がどんな死に方をしたかまでは言えなかった。ただ自分を庇って犠牲になったのだとしか伝えられず、それが限界だった。アロイスもまた、無理に聞き出すことはなく、このままライナの胸の内に仕舞われていくのだと感じていたのだ。けれどいま、ライナはアロイスを母の元に案内しようとしている。深い森の中で場所を確実にすることはできない。だが、正確な場所は精霊たちが案内してくれるだろう。


 母は【精霊士】ではなかったが、ディロの妻としてライナの母として彼らに認識されていた。それはきっと、今も精霊たちに健在だろう思念だ。


「アンヌ様」

「はい」


 アロイスは顔を上げ、何も言わず見守ってくれていたアンヌに視線を向ける。その瞳にうっすらと涙の膜が掛かっていることにアンヌは気づいていた。


「ここで暫く休憩いたします。俺はライナとこの場を離れますが、フォーデック師を残して行くのでご安心ください」

「わかりました」


 本来であれば二人だけで森の奥に行くことの危険性を言葉にすべきだったのかもしれないが、アンヌは何も言うことが出来なった。いや、言う権利がなかったというべきだろう。ただ黙ってその言葉に従い、寄り添うように兄妹が森の奥に向けて歩を進めていくのを見送っただけだった。


 二人の影が森に飲み込まれても、森は変わらず平穏で静かなものだ。思いがけず休憩になってしまったが、ライナの慟哭と混乱を目の当たりにしてしまったアンヌも心が疲れてしまっていたので、思いがけない休憩は正直ありがたかった。


「アンヌ様。外はいい天気です。出てみられませんか」

「そうですよ。それに馬車の中の空気、入れ替えますね!」


 ロージィがアンヌの手を取り、外へと連れ出してくれた。安心できる馴染みのある手の温かさに、張り詰めていた緊張感が緩んでいくのが分かる。こういう時、長年傍にいるロージィがいてくれることは心強い。


 アンヌが外に出ると同時にリリーは馬車の扉と窓を開け放し、森を通り抜けるさわやかな風を招き入れる。先行していたフォーデックも揃うと、ライナとアロイスが戻ってくるまで四人は言葉少なにその場で待機したのだった。





 アンヌたちが思わぬ休憩に一息ついている頃、ライナとアロイスは藪をかき分け森の中を進んでいた。道などない森の中。だが二人は迷いのない足取りで先に進んだ。それは誘うように飛び回る精霊たちが道を作ってくれているから。


 ただ、精霊たちは障害物も関係なく飛んでいけるのだが、ライナたちはそうもいかず、足元を取られ思うように先に進めずにいた。あの日、母が逃がしてくれた時は無我夢中で足元の悪さなど気にしている余裕などなかったが、きっとあの時も今と変わらず歩きづらかったはずだ。立ち止まることを許されない思いで森の中を逃げ回った事が走馬灯のように思い出される。


「はぁ、はぁ……」

「ライナ休憩する?」


 グレイに保護されてから、蝶よ花よと大事にされ過ぎた結果、ライナの持久力は格段に落ちていた。子供の頃の方がよほど体力があっただろう。それに引き換え、アロイスはいくらか呼吸に乱れはあるものの、平然としている。それは二人がこの2年半―――全く違う境遇にいた事を示唆していた。


「大丈夫。それに、もうすぐ……着くわ」


 そう言って顔を向けたライナの視線の先には、少し開けた空き地のようなものが見えた。森の中から這い出すように辿りついた二人は、草原で覆われたその場所で暫く立ちすくんでいた。なにがあったわけでもない。ただ、その場の空気がとても静謐に満たされていたのだ。


「……」


 ライナはアロイスの手を離れ、ふらりと歩き出した。その後ろをアロイスはゆっくりと付いていく。柔らかな草を踏みしめ、一歩一歩を進む。

 精霊たちの先導はもうない。それはもう必要なかった。草に覆われていても、暗い馬車に押し込められて連れて来られた場所だとしても、それがあの時(・・・)の場所であることはライナには一目でわかった。そう、だから。


「母さん……」


 自分の母親がどこで殺されたのかも覚えていた。忘れられるはずがない。

 娘を逃がすために、自分を囮にした母。

 逃げろと生きろと叫んだ母は、ここで―――首を落とされたのだ。


「かぁぁぁさぁあんっ!!」


 ライナは倒れ込むようにその場に膝をつき慟哭した。その前には、草に覆われ隠すかのように一つの髑髏が転がっていたのだった―――。


 アロイスはライナのその姿ですべてを悟った。そして転がる小さな髑髏が何者であるかも。


 胸の奥に湧き上がるのはただただ哀しみだけだ。そして自分の無力さを痛感する。父も母も守れなかった。村人も死んでしまった。隠され続けた小さな故郷は、精霊の加護を失い滅びてしまった。なにもかも失って、新しく手に入れたのは新王という称号。けれどそんなもの望んでいたわけじゃない。欲しがったこともない。


 ただ、穏やかに暮らしたかっただけだ。母親のこんな姿を見たかったわけじゃない。


「母さん、かあさん……ごめん……守れなくて、来るのが遅くなって、ごめん……っ」


 ライナと同じように地面に膝をつき、アロイスもまた止めどなく溢れる涙で頬を濡らし泣き叫んだのだった。


 二人の泣き声は精霊たちが空へと上げ、決してアンヌたちに届くことはなかった。


短いですが、キリがいいのでここで止めました。

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