再会と交渉2
大変お待たせしております。そして短いです。ごめんなさい。
小さく頷いた妹に、アロイスは困ったように微笑みかけた。顔を俯けようとしていたライナは、そんな兄の様子に顔を上げてしまう。
「俺が怒ると思ったのか?……怒るわけないだろう?ライナが自ら選び取った道を、俺は遮ったりはしないよ。それに、一人生き残ったのだとずっと信じていたライナが、将来を含めて考えて選択したのが魔法士だとすれば、それは仕方ないことなんだと思う」
「……っ」
アロイスの言葉にライナは顔を上げると、一度だけ大きく頷いた。その力強さは、今歩んでいる道が決して間違いではないと、兄に知ってほしいという願いも込められているのだろう。
「それに俺が思うに、ライナは精霊士でも魔法士でも関係なく受け入れられると思うよ」
「?」
「割って入って申し訳ないが、どういう意味か教えて頂いても?」
首をひねるライナに、ファーラルがアロイスに問いかける。アロイスは改めてファーラルに向きなおると、困ったように微かに微笑んで見せた。そして部屋中を飛び回る精霊たちと、ライナについて離れない精霊たちを見て視線を和らげた。
「この部屋にいる精霊を見て頂ければわかる通り、彼らにとってライナが何者でも関係ないんですよ。ライナがライナであれば、それだけで満足している。ライナが父ディロの娘であり、その血を継ぐ精霊士だということに変わりはないのですから。それに、俺が思うに、ライナは魔法士としての知識を身に付けたかもしれませんが、それだけでライナの本質は変わらない。根幹にあるのはもっと別の―――そう、ライナが精霊と共にありたいと願う気持ち一つだと思うのです」
「結論を言えば、ライナは魔法士ではないということですか?」
アロイスの返答に、思わずといった風にグレイが口を挟んだ。不作法さにファヴォリーニは眉をしかめたが、アロイスもファーラルも気にした様子がなかったため、注意できなかったようだ。
「厳密にいえばそうなるのかもしれません。魔法士は精霊を使役する者。精霊士は精霊と共にある者。その括りで言えば、ライナは後者なのだと思います。いえ、あと一つ言うなら―――精霊が自ら動くことが精霊士の証なのかもしれません」
グレイの脳裏に咄嗟に浮かんだのは、花祭りでライナが襲われたあの時―――自発的に精霊がライナを守るために風を巻き起こした出来事だ。あの頃にはすでに魔法士としての授業を始めていたとはいえ、そう考えれば精霊は『ライナ』であるから力を発揮したと言うのが正解なのだろう。
「使役しなくても、お願いをしなくても、精霊が自らの意思でその人物を助けたいと動くことが精霊士にとって一番の誉れなのだと……そう、幼い俺に父は言っていました」
「父さんが?」
ライナの掠れた声に、アロイスは微笑んで頷いた。
「では、結論から言えば……ライナはドルストーラの役に立つと」
「役に立つどころか、最高の人材です」
アロイスのこの一言で、ライナのドルストーラ行きは確定となった。グレイは行かせたくないという気持ちが溢れそうで知らず奥歯を噛みしめ、隣に座るライナの手に指を絡ませ強く握った。そしてライナはグレイを振り返り、その表情を心配そうに見上げていた。
「バーガイル伯爵。そのように思い詰めないでください」
二人の様子を見ていたアロイスは、思わずそう声をかけていた。大切な妹が自分以外の男を一番に思っているのは、決して愉快な事ではなかったのだが、思い詰めた顔を見続けるのは楽しいものではない。
「俺はライナの将来をドルストーラのために決めてしまうつもりはありません。こんなに大切にされているのです、ライナはここに……伯爵に嫁ぐことで幸せになれると信じています」
「…!アロイス陛下……ありがとうございます」
ライナ唯一の肉親から、はっきりと結婚への許しが出たことにグレイは立ち上がり、深く頭を下げた。それに続く様にライナも兄に向かって頭を下げる。見ればファヴォリーニやミラビリス、公爵夫妻やアンヌまでもが揃って頭を下げていた。
「みなさん、頭を上げてください。俺こそみなさんにお礼を言いたいのです」
アロイスの言葉に、幾人かが下げていた頭を戻し始めた。それを確認し、今度はアロイスが立ち上がり頭を深く下げていた。その姿にファヴォリーニとシュバルツは目に見えて狼狽した。
「アロイス陛下!」
「おやめくださいっ」
止めさせようとしたシュバルツだったが、アロイスの隣にいたファーラルが片手でそれを制した。ここは非公式の場。気の済むように動くことのできる唯一の場でもあるのだ。彼がこうして気軽に他国を訪れ、まして非公式に身内に会うなど今後は難しくなるだろう。それが分かっているからこそ、ファーラルはアロイスを止めることはしなかった。
「ドルストーラの王としてではなく、ただのアロイスとしてお礼を申し上げます。……ライナを護り慈しんで頂きありがとうございました。あなた方に保護されなければ、出逢わなければ、ライナはここにいなかったかもしれない」
ゆっくりと姿勢を戻したアロイスは、身動きの取れないままでいるグレイに視線を合わせた。
「―――特に伯爵。あなたはライナの命を救ってくれた恩人です。だからこそ、貴方にはライナを任せられる……ご存知かもしれませんが不器用な妹です。心を許した人にしか甘えられない子なんです。けど貴方には甘えられるようだ……どうぞこれからもライナをよろしくお願いします」
「……はい、必ず」
ライナを見つめるアロイスの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。死に別れたと覚悟を決めた妹の無事をこの目で確かめられたことへの安堵と、その妹の未来が望まれる人々と共に在る事への感謝だ。
父は村で自分だけには言っていた。森神さまなどいないのだと。それはただの精霊たちの意思であり、それが反映された事象でしかないのだと。だが、こうして精霊が見えるようになった今なら、また違った見方が出来る気がした。
ライナは確かに精霊に愛し護られている。それは森神さまの意思と言えるのではないか、と。
その後会談は穏やかに過ぎ終了した。アロイスはライナと同様に旧後宮の一室に泊まることになった。必然的にグレイたちは帰されることになり、ライナとアロイスは二人だけで語らう時間を持つことが出来た。ようやく再会できた兄妹の短い語らいの夜を、誰も邪魔しようとはしない。この旧後宮内であれば、闇の精霊に護られているため間者が聞き耳を立てることもない。たとえそうした者が潜り込んでいても、音の遮断は確実だ。ファーラルに深く感謝すべきなのだろうが、彼はきっとなんでもない顔をして聞き流すのだろう。
晴れた夜空に雲はなく、明るい月光がまっすぐに庭を照らしている。その庭を見ながら、兄妹は並んでテラスに立っていた。
「いざ二人になると、何を話せばいいか迷うな」
困ったような声に顔を上げれば、実際少し困り顔の兄がいた。生き別れたあの頃とは違う大人びた表情。離れていた時間が彼をどれほど急速に大人にしてしまったのだろう。森の中で精霊に護られ育ったアロイスとライナは本来、とてもゆったりとした気性の持ち主だ。けれど、それを許されない立場に追いやられたのだとすれば、現状はアロイスにとって不幸なのかもしれない。
「……兄さんが王様に、なるの?」
「ライナ……」
そんなことを考えていたライナは、するりと口から洩れた問いかけに自分で驚いた。聞いていいことではなかったのかもしれない。いや、せっかくの再会の時間にふさわしい質問ではないだろう。本当は懐かしい昔話や、離れていた間の生活を話そうと思っていたのだ。そして、母がどれほど勇敢に自分を逃がしてくれたのかを。だが、無意識に口にしていたのは―――
「悪い王様を、兄さんたちが倒したんだよね……」
「ああ、そうだ」
「代わりに今度は兄さんが王様になって……誰も怒らない?」
「……」
「兄さんを誰かがやっつけに行ったりしない……?」
「ライナ」
名前を呼ばれて、胸がきゅっと苦しくなった。ドルストーラはアロイスたちの活躍で、ひとまずは安泰なのだろう。諸所の問題はあれど、以前のような無茶はなくなると信じている。けれど、今度はアロイスの『何か』を許せないと、牙を剥く者が現れるかもしれない。打ち倒すと気勢を上げる者が出るかもしれない。そして今度はアロイスが追われる立場になるかもしれない。
考えれば考えるほど、ライナは未来が怖くなった。
天涯孤独になったと信じていたら兄と再会できた。それはライナに、驚きと幸せを与えてくれた。だからもう、次にまた生死にかかわる事変が起こるのだけは止めてほしい。二度も同じことは耐えられない。
「正直、王になるっていう現実は今でもよくわからない。俺には荷が重すぎるとも感じてる。だけどここで逃げ出したら、父さんや死んでいった村の皆に顔向けできない」
「……」
「だから、今は出来るだけの事をやってみようと思ってるよ」
そう言って柔らかく微笑んだアロイスの瞳は、決して悲壮感漂うものではなく、いっそ決意に満ちた輝きを放っているように感じられた。そしてその瞳の輝きと迷いのない口ぶりは、ライナにそれ以上の問いかけをさせないだけの力強さを感じさせたのだ。
「―――うん、わたし応援してるね」
だからライナは笑顔を向け、アロイスが進もうとする道を信じることにした。もう進みだしている新体制を止められない事も要因の一つだろう。犠牲を出しつつ築き上げて来た新ドルストーラを、このまま放り出すことは出来ない。
「わたし、絶対に兄さんの味方だから」
「ああ、ありがとう」
「……わたしに何か、出来る事ってあるかな……兄さんの役に立ちたいの。」
そうぽつりと零れた呟きに、アロイスはライナにある提案を持ちかけたのだった。