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無声の少女  作者: けい
ドルストーラ
14/145

奴隷商人

 気を失った母の腕をつかみ、引きずるように悠々と歩く粗野な男を睨む。ライナ自身は巨体に男に小脇に抱えられたままだ。


 熱い涙が頬を流れていくのを止められない。


 男衆がいなくなって、それでも村を守るためにみんなで頑張って過ごしてきた。食べ物も少なくなり笑顔も減った。行商人も来なくなって、寂れていくばかりだったけど、それでもみんなの帰りを待って、いつか必ず元の生活に戻るのだと信じてた。信じたかった―――。


 けれど、そのささやかな望みは砕け散った。


 村を襲ったのは、奴隷商人だった。


 精霊がなぜ森から姿を消したのか、それはいまでもわからない。けれど、そのために加護が薄れていままで隠されていた道が開いてしまったのだということは、ライナにだけは理解できた。本当なら、朝の時点でその懸念に気付かなければならなかったのに、それにまったく思い当らなかったことが、本当に本当に悔しい。

 森に囲まれたこの村は、精霊と共に過ごす村だったけど、精霊に守られている村でもあったのだ。


 と、男の歩みが止まり、抱えられていたライナはまるで荷物のように地面に投げ出された。


「…ぃ…たっ!」


 起き上がろうとした上から、さらに何かが降ってきてライナは重みに潰された。が、それが自分の母だとわかると大急ぎで態勢を戻して母の状態を確認する。

 腫れ上がった頬はすでに色を青紫に変えていた。唇も切れており、もしかしなくても、口の中も切れているだろう。あんな太い腕を持つ男が容赦なく殴ったのだ。華奢な母などひとたまりもない。


 倒れたまま、いまだ意識戻らない母の頭を抱え、ライナはそろりと顔を上げて周りを見渡した。


 無残にも棍棒で殴り殺されたのは、あの一人だけではなかった―――。


「ひ……っ」


 視界に映るあまりの惨状に、ライナは言葉を発することもできず、ただ目を見開いて息をのんだ。


 連れてこられていたのは、村の中心。社の広場だった。そこに村の女たちは集められていた。そして剣を持った男に囃し立てられるように追いかけられている老女。悲鳴を上げ続けながら凌辱されている女たち。子供を返せと怒鳴る女の目の前で、小さな子供が殴られている。そして箱のような馬車に、詰め込まれていく村人……。


 炎は家々に燃え広がり、今朝まで静かだった村は今まさに、滅びようとしていた。


「あ……ぁあ……っやぁ……っ」


 ガクガクと震えだした体をどうすればよかったのか。口から洩れる言葉にならない悲鳴は、意識のなかった母を覚醒させるきっかけにはなったようだ


「ラ、イナ……逃げなさぃ……」


 母は痛々しい姿のまま、それでも毅然として顔を上げた。


「か、かあさん……どうすれぱ、いいの……」

「逃げなさい」


 はっきりとした声に、ライナは頷こうとした―――が。


「面白れぇこと言うな。どこに逃げるってんだ?」

「!」


 笑いを含んだその声に、ライナの肩はびくりと揺れた。恐る恐る、ゆっくりと後ろを振り返り、再び「ひっ」と息をのんだ。いつの間にか最初に見た巨体の男が、自分の後ろにぴたりと立っていたのだ。


「お前たちは高く売れそうだからな、殺しゃしねぇさ」


 ニヤニヤとした顔をライナに近づけてくる。それだけで全身に嫌悪感が沸き上がった。


 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い


「そっちの年増はお前の母親だな。ちっ、腫れが引くまでは商品にならねぇな」


 母の痛々しい顔を見ても、男の感想はそんなものだった。けれど行幸だ。売り物にならないということは、いずれ逃げ出すチャンスもあるということだ。そう思わなければこんな地獄で正気など保っていられない。


 だが。


「とりあえず、売り物になるまでは俺たちの相手をしてもらうさ」


 そういって男は母に手を伸ばすと、乱暴に抱え上げて仲間たちのもとへ歩いて行ってしまう。母の顔から血の気が引いたのが見えた。


「離してっ!」


 拳をふるって男の体に打ち込むが、何の成果もない。殴られていることにすら、男は気づいていないのかもしれない。そんな風にさえ思えた。


「母さん!!」


 連れ去られる母を追い縋ろうとライナは立ち上がったが、全身の震えと恐怖が足を絡ませ、数歩歩いたところで再び地面と向き合ってしまった。転がったまま、連れ去られてしまう母を見送るしかない絶望感。


 こちらを見ている母が、口元を動かし何度も『逃げろ』と言ってくる。それに応えることもできず、ライナは溢れ流れる涙を止めることもできなかった。



 ―――そして男たちに勝手に都合よく選別された村の女たちは、数個の箱のような窓のない馬車に詰め込まれたのだった。


 何度か止まり、男たちは休憩を取っているようだったが、ライナの乗せられている馬車の扉が開くことはなかった。異臭が充満し、吐き気が襲っていたが、空腹のためなにも吐き出すこともなかった。時々、思い出したように腕一本分しか通らないような小さな蓋が開いて、水の入った革袋が差し入れられるだけ。それを奪い合うように飲んでいた。


 体力的にも精神的にも限界は近かった。気力も何もない。村人の半数はあの場で殺され、一部は犯し殺された。一部は男たちの慰み者として連れていかれ、その他の「商品価値あり」と判断された者たちだけが、こんな扱いを受けて運ばれている。


 商品だと思うなら、もっと大事に扱えってのよ……。


 ライナはため息をつき、次に大きく息を吸い込んでしまい、また吐き気に襲われた。




 少ない水だけで3日間。もはや飢餓状態だった。大きく揺れる馬車の中、ライナはもうすぐ死ぬのだと疑わなかった。だが、その晩馬車が止まった時、いつもと違うことが起きた。


 開かずの扉だった馬車の扉が大きく開かれたのだ。


 流れ込む新鮮な空気と、目の前に広がる森の気配に、ライナは生き返ったかのような喜びに包まれた。粗野な男が鼻を押さえながら、出ろと指示する。女たちは、凝り固まった体を伸ばしゆっくりと馬車から降りていく。ライナはその最後尾をおとなしく付いて行った。


「この中に【精霊士】の娘がいるというのは本当か」


 集められた女たちの前に姿を現したのは、豪奢な服を着た恰幅のいい男だった。けれどその口元は面白そうに歪んでおり、瞳の中にあるのは大勢の粗野な男たちと同じように、人を見下す侮蔑の光だけだった。


「森が開くと教えられて、女たちを攫ったが……まさか娘がいるとは想定外だった」


 ニヤリと笑み女たちを見渡す。視線を流すように全員の顔を見ていき、ライナと目が合いぞっとした。けれど、豪奢な男は特に気にせず配下の男たちに指示を出した。


「いますぐ大人しく名乗り出ろ。そうすれば、その他の女たちは開放してやってもいい」

「!」


 男の言葉で村人たちの空気が変わったのが肌で感じられた。


 恐ろしくて顔を上げることができない。

 村にとって【精霊士】は生活する森と人とを繋ぐ橋渡しの役割。けれど、その村はもうない。森は加護を失った。ディロという【精霊士】がいなくなり、森の加護は―――。


 命すらかかったこの状態で、すでに何人もの無残な死を見せつけられていた村人たちがどう思考するか。そんなことは、まだ子供のライナでも充分理解していた。


「いるわ!この中に、いる!」


 だから、女の一人が髪を振り乱してそう叫んでも、ライナは何も感じなかったし、その人を恨もうという気持ちも一切浮かんでこなかった。


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