答えの出ない男たち
お久しぶりです。
遅くなりましたがあけましておめでとうございます。
番外編(短編)UPするとか言ってましたが、結局本編になりました
来る時には、確かに当主を含めた三人連れであったはずなのに、帰路の時には一人足りず、馬車を操る御者は首をひねった。誰が足りていないかなど、指摘されなくともわかっている。小麦色の髪をした小柄な少女が一人足りない。
「旦那様、ライナ様は白薔薇城に残られるのですか?」
「……ああ」
不思議そうな問いかけに、グレイは一瞬顔を強張らせたが、暗闇であることが幸いし、それを御者に見られることはなかった。グレイもジュネスもそれ以上は口を開かず、早々に馬車に乗り込んでしまう。それ以上の詮索は使用人である男に許されるはずもなく、扉が閉まるのを確認したのち、御者の男は馬に鞭を当てた。
ライナが来てからバーガイル伯爵家は変わった。当主一家だけでなく、使用人たちも明るくなった。その原因がたった一人の少女だったのだ。その少女を国の中枢である白薔薇城に一人残していくという現実は、関わりが深くない御者にとっても気分のいいものではなかった。さらに、まるで葬儀の後のような沈痛な顔をしている主従を見てしまうと―――嫌な予感が頭をもたげても仕方のない事だろう。
―――婚約したばかりだっていうのに、離されるとはグレイ様もお可哀想に。
御者の心の声は、馬車に乗り込んだ二人には届かない。
体を投げ出すように椅子に座っていたグレイだったが、馬車が走り出して暫くし、ようやく体勢を立て直した。横から突き刺さるジュネスの心配そうな視線をひしひしと感じつつ、思わず片手を振って無言で『見るな』とアピールした。そしてそのまま、両手で顔を覆う。
「……今日は、いい日になると思っていたんだがな」
車輪の音にかき消されるほどに小さな声が、ぽつりと漏れた。くぐもっていて、聞き取りづらい声だったが、それでもジュネスの耳にははっきりと届いていた。
「グレイ様……」
「未来の約束をして……ライナと―――」
それ以上は声にならなかった。顔を覆っていた手がぶるぶると震え、衝動を抑えるように組み合わされる。叫び、喚いて、暴れたいほどの凶暴な気持ちが内側から競り上がってくる。それを理性で必死に抑えるしかないのだ。
「しっかりしてください!ファヴォリーニ様と公爵閣下であれば、なにか良策を見つけて下さるかもしれません。諦めのも、落ち込むのも後回しです!」
声を張り上げたジュネスが、グレイの両肩をつかみ大きく揺らす。顔を上げたグレイの正面には、悔しそうに顔を歪めているジュネスがいた。そう、彼だって悔しいのだ。出会ってからライナの事は妹のように接してきていた。ライナもまた、今は亡き実兄と同い年であるジュネスによく懐き、親愛の笑顔を向けてくれていたのだから。今夜の出来事をグレイと同様に理不尽だと、納得できないと怒鳴りたいのは同じだろう。けれどその衝動を抑え込み、ファーラルの前でも荒げることなく粛々と指示に従ったのだ。
「―――ああ、ああそうだ。そうだな」
屋敷の門番から連絡が届き、クレールは出迎えのため玄関ホールに早足に向かった。家人と公爵家族は居間で和やかな歓談を続けていたため、ファヴォリーニに出迎えのため離れることだけを告げるに留めた。仲の良い二人が居間に姿を現せば、あの場はさらに歓談に花が咲くだろう。
バーガイル伯爵一家のすれ違いの時期を知っているだけに、まさかこれほど穏やかな時間が訪れるとは夢にも思わなかった。グレイは最終的にはアンヌを娶ることになると思っていたし、それにより夫婦仲が冷え切ってしまったとしても、そういう貴族婚姻は珍しい事でもない。ファヴォリーニとミラビリスもまた、そういった義務同士で繋がった貴族婚姻だったからだ。グレイとアンヌが結ばれたとして、そう時間をおかずどちらかが愛人を作ったとしてもおかしくないとすら思っていた(この場合、グレイにその確率が高いと思っていたわけだが)。
だが、今のこの現状はどうだろう。
グレイとアンヌの婚約はなくなり、そのため縁が切れたと思われていた公爵家との繋がりを、ライナが意図せず引き継いだ。(一方的に)反目していたアンヌが柔和になり、新しくグレイの隣を射止めた義妹ライナに親愛を注ぐ。このような構図は、きっと二年前までの誰もが想像していなかった。
静まり返っていた伯爵邸に笑顔があふれ、にぎやかな声が響く。穏やかで幸せな時間に使用人たちも嬉しくて笑顔がこぼれた。
このままゆったりと幸せな時間が続くのだと―――
「おかえりなさいませ―――グレイ様、ライナ様はどうされたのですか?」
一人出迎えたクレールは、玄関ホールに立つ人数の少なさに首をひねった。強張った主従の二人以外にあるはずの、小さな少女の影がない。後から来るのかと玄関扉に目を向けるが、すでに閉じられた扉からは動く気配を感じられなかった。
「……グレイ様?」
「クレール。父上と公爵閣下に相談したいことがある。執務室で待つとお伝えしてきてくれ」
顔はしっかり上がっているし、口調も力強い。けれどいつものグレイではなかった。ライナがどうしたのか、なぜいないのか。クレールは聞き出したいのをぐっと耐え、皆が集まっている居間に向かって歩を進めた。その間にグレイはジュネスを伴い本館にある執務室に向かって背を向けた。
体を滑り込ませるように居間に入ったクレールは、そのまま気配を消しファヴォリーニの元に向かう。ちょうど公爵と二人で話をしているところだった。
「旦那様」
「おお、クレール。グレイはどうした」
少し酒が過ぎたのだろうか。目元がうっすらと赤い。普段は酒量を抑えているのだが、今日は喜びの日だと言い、いつも以上に杯が進んでしまったようだ。
「グレイ様が旦那様と公爵様をお呼びです。急ぎ、執務室までご足労願えますでしょうか」
心もち抑えられた声と、平静を常とするクレールの焦りの混じる表情に何かを感じ取ったファヴォリーニと公爵―――シュバルツはそれまで緩んでいた表情を引き締め軽く首肯した。
「あら、揃ってどちらへいかれますの?」
ファヴォリーニの車椅子を押すクレールはともかく、一緒にシュバルツが退出していく姿を見つけたミラビリスは、楽しそうな声で二人を引き留めた。
「伯爵家秘蔵の酒を飲ませて頂こうかと思いましてね」
「まぁ!そんなもの、我が家にございましたかしら」
こちらも相当に酒が入っているのだろう、ご機嫌でころころと笑うミラビリスだったが、足元がたたらを踏んだところでニーナに介抱され椅子に座らされた。
「奥様、飲みすぎでございます」
「だってすごく楽しくて嬉しいのだもの」
年を経てなお色気のあるミラビリスは、酒が入ったことによりほんのりと肌を染めていた。とろんとした目は艶があり、同性であっても色気を感じずにはいられないだろう。
「それぞれ飲み過ぎないように」
「ええ」
「はーい」
「ほどほどにいたしますわ」
居間に残るミラビリスと公爵夫人、アンヌに声をかけると、お目付け役であるニーナに後を託して廊下に出た。背後で静かに扉が閉まると同時、酒で緩んでいたファヴォリーニの顔が引き締まる。
「クレール、説明しろ」
「申し訳ございません。わたくしにも状況が把握できておりません。ただ、グレイ様とジュネスが戻ってこられたときにライナ様のお姿がなかったのです。なにかあったのかとお聞きしたのですが、まずは旦那様と公爵様に話をするとおっしゃって……」
車椅子を押しながら、クレールは戸惑いつつ返答を返した。本当であればもっと詳細に事の次第を伝えたいのだが、残念ながらその材料が何もないのだ。あるのはただ、ライナが帰ってこなかったという事実のみ。
ライナの帰宅がなかったという事に、ファヴォリーニもシュバルツも眉根を寄せた。白薔薇城に向かい、婚約の『報告』に赴いただけだというのに、それが一体ライナにどう関わり現状につながったのか理解できなかったからだ。
三人三様、口を閉ざしたままグレイの執務室にたどり着くと、部屋の前ではジュネスが待ち構えていた。
「旦那様、帰還の挨拶が出来ず申し訳ございません」
「構わん。それよりグレイは中か」
「はい。クレールさん、わたしが引き継ぎます」
ジュネスはそういうと、ファヴォリーニの車椅子を押していたクレールをやんわりと遮った。そしてノックもせず扉を開けると、そのままシュバルツと共に執務室に姿を消す。役目を奪われ悄然としたクレールだったが、気を取り直し顔を上げた。
温かい紅茶を用意しよう。話がひと段落ついた時―――少しでも心和らぐように。
ライナの行方は気になるが、今自分が出来ることはそれくらいなのだと身に染みた。
室内に入ると、中は思いのほか明るく照らされていた。グレイは執務机にはおらず、細く開けたカーテンの隙間から外を見つめていたのだった。だが、ジュネスたちの入室に気付き、すぐに振り返るとその場で大きく頭を下げた。
「申し訳ございません」
「謝罪はいらん。先に説明しろ」
その謝罪は一蹴され、ファヴォリーニの鋭い声に半ば遮られたグレイは、ゆっくりと頭を上げるとシュバルツにソファーを勧め、自分も一人掛けに腰を落ち着けた。ファヴォリーニは車椅子のままグレイの隣に並び、ジュネスはグレイの背後に立つと軽く視線を落とした。
「何があったのか……いや……ファーラルに何を言われた」
開口一発ファヴォリーニは核心をついてきた。思わず鋭い誰何にグレイの肩がの揺れたが、すぐに建て直し顔を上げ―――白薔薇城でのやり取りを二人に聞かせた。
「……ドルストーラ」
シュバルツの声は重い。声には出さないものの、ファヴォリーニも大きなため息を吐き出すことで胸の内側にたまった気分を放出させていた。
予想していた方面とは違う横槍だった。邪魔立てがあるとすれば、ロットウェル内部からだと考えていたのだ。由緒正しきバーガイル伯爵家に、公爵家養女になったとはいえ身元もはっきりとしない娘が嫁入りするという事実。グレイが手籠めにしたという醜聞でも流れるか、もしくは面白おかしく公爵令嬢アンヌから、異国の流民が青年伯爵を寝取ったとか。そういった下世話な噂話を覚悟していた。だが実際は現在そういうこともなく、いっそグレイが溺愛をしている事実に対し、貴婦人方の格好の噂話のネタとなっているくらいだった。
だが、まさかドルストーラが噛んでくるとは思っていなかった。そしてファーラルがそれを今まで黙っていたことも。言うタイミングを計っていたのか、本当につい最近打診された内容なのかは、国の中枢にいないグレイたちにはわからない。シュバルツも公爵という肩書だけで、国の運営にはかかっていないため、寝耳に水のようだ。
「わたし一人では、判断できず……申し訳ございません……」
再び頭を下げたグレイは、悔しさと情けなさで拳を震わせていた。愛する少女を残してきた事実。そして今の現状に対する打開策が何も浮かばない事へのいらだち。ファヴォリーニとシュバルツも、国同士の繋がりの話を持ち出されては、安易に返答が出来ず口を紡ぐしかなかった。
「ドルストーラはライナが欲しい。ファーラル殿はライナを渡したい。けれど肝心のライナの気持ちはどうなのでしょうね……」
「……ライナの気持ち」
ぽつりと零れたシュバルツの声に、グレイはゆっくりと顔を上げ正面に座るシュバルツと視線を合わせた。
「ライナが故郷に帰りたいと言うのであれば、わたしはそれを叶えてあげたいと思う。その結果、グレイ君との婚約が無くなってしまったとしても……けれど、ライナがここに残りたいと言ってくれるのであれば―――どうにかして、その意思の尊重をファーラル殿に掛け合いたいとも思う」
「しかし公爵閣下。事は国と国との問題です。たとえライナがここに残りたいと願ってくれたとしても、ドルストーラとの争いの火種を熾すわけにはいかない」
足が悪くなるまで軍籍に身を置いていたファヴォリーニとしては、一個人の考えを尊重することに慎重に姿勢を示した。そしてそれはグレイも同様だった。
ライナの事は大切だ。けれどファーラルのいう事も理解できる。その板ばさみだからこそ、こんなにもつらく、心が引き裂かれるほど悩んでいるのだから。
「明日……ライナに会いに行きたいと思います。そこで彼女の意思を確認したい……」
二人に相談しても、結局解決策が出ず混迷は収まらなかった。ただ、同じ憤りを共有できたことは少しだけ―――救いになったかもしれない。
四人が無言で項垂れているところに、トントンと軽いノック音がした。ジュネスが断りを入れ場を離れる。扉を薄く開けると、クレールが紅茶の用意がされたワゴンを押して立っていた。
「ひと段落されましたか?温かい紅茶をお持ちしました」
漂う優しい香りに、思わずジュネスの頬が緩む。
「ありがとうございます」
クレールを招き入れ、一緒に紅茶の用意をしていく。マドレーヌも用意されており、グレイはそれにかぶりついた。作法は最悪だと分かっていたが、今はがっつきたい気分だったのだ。ファヴォリーニも気持ちがわかるのか、グレイを窘めることはない。
その様子を見ていたクレールがカップに紅茶を注ぎながら声を出した。
「何があったのか、わたくしには分かりかねますが……皆様にはまだお役目がございます」
「?」
クレールの言葉に、室内の男たちは不思議そうに首をひねる。お互いの顔を見合わせるが、やはり分からず、もう一度首をひねった。
「居間にて女性陣が説明を求めてお待ちです」
「ああぁ……」
クレールひとことは、今夜起こるであろう騒動を予感させ―――男たちの頭痛を悪化させたのだった。