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無声の少女  作者: けい
その先にある選択肢
133/145

傾く天秤

毎度お待たせしております…ほんとに。

 読み進めていくごとに、知らずグレイの手が震えていく。


師匠(せんせい)、これは……どういう……」

「読んでの通りだ。お前なら内容をすぐに理解できるだろう?」


 さも当然と言わんばかりのおざなりな返答であったが、それに反応する言葉も思い浮かばない。なぜなら読み解けるから。読み解け、理解できてしまうから。ただ、それを認めたくなくて口をつぐむ。


「ライナをドルスーラへ戻す」

「!」

「そんなっ」


 ファーラルの言葉にグレイは息をのみ、ジュネスは思わず声を上げていた。そんな主従の姿を横目で見つつ、ただ淡々と決定事項を言葉にするのみだ。


「残念だが、ライナとグレイの婚約を許可することはできない」


 改めはっきりと告げられた内容に、グレイはふらりと視線を彷徨わせた。遠いどこかで耳に届く声がある。


 『ライナの傍に。』


 たったその一言がグレイの体を突き動かしていると言ってもいい。

 ゆるゆると動く視線はファーラルを捉え、心配そうに己を見ているジュネスを経由し……今は閉じられた扉へと向く。

 つい先ほど、不安そうな顔をしたままのライナがそこにいた。見送った姿が脳裏に浮かぶ。


 ―――ライナ!


 突如動き出し、グレイが扉へ向かって駈け出すのと、ファーラルが能力を示すのはほぼ同時だった。いや、予期していたファーラルの方が一呼吸早かったかもしれない。

 ドアノブに手を触れようとする寸前、黒い(もや)が現れ行く手を阻む。ただの無機質な靄ではない。圧倒的な威圧を含んだ黒い靄だ。だが、躊躇したのは一瞬。

 グレイは勢いよくその靄の中に右手を突っ込み―――弾かれた。


「ぐっ!!」


 本能的に手を引き、思わず弾かれた右手を左手で握りこむ。痛みと痺れが残り、ずきずきと痛んだ。あのまま手をひかず進めていれば、指先が消し飛ばされていたのではないかと危惧さえ生まれるほどの威圧と痛みだった。


「グレイ様、大丈夫ですかっ」


 ジュネスが駆け寄り、グレイの右手を見て顔色を変えた。本人は気にしていないようだが、指先から手の甲にかけて、火傷のように赤く腫れあがっていたのだ。


「すぐに冷やさなければ……っ」

「それはライナを取り返してからだ」


 戸惑うジュネスの肩を押しやり、グレイは表情を変えることなくソファーに座ったまま、成り行きを見続けていたファーラルに向きなおった。この扉はファーラルの許可がなければ決して開くことはないだろう。


師匠(せんせい)……ライナを返してください」

「それはできない。ライナは新しいドルストーラ国にとって重要なパーツだ。それはつまり、我々ロットウェルにとっても、彼女はよい交渉カードになるということだ」

「ライナは物じゃない!」

「ああ、だが国と国との交渉においては違う」


 冷たいとさえ思える声は、いつも弟子をからかい遊ぶ師匠のものではなく、ロットウェル議長としてのものだった。それでも数々の発言を受け入れ許容することはできない。


「彼女は、すでにロットウェルの戸籍を有したロットウェルの国民です。その彼女を他国に譲り渡すというんですか!師匠(せんせい)は、議長は……ロットウェルの国民を守るのだと言っていたではないですかっ」

「ああ、そうだな」


 正しくはガーネットが過去子供の頃に言った『みんなが幸せな今の時代に生まれてよかった』という願いをファーラルは叶えているに過ぎないのだが、グレイはそのことを知らない。

 ファーラルはソファーから立ち上がり、グレイに向かって歩を進めた。五歩ほどの距離を残し立ち止まる。


「ライナも守られるべき国民ではないのですかっ!」


 振り絞られた声は悲痛なほどだ。グレイはファーラルに考え直してほしいと切に願うしかない。ライナもファーラルが守るべきロットウェルの国民なのだと。こうなれば情に訴えるしか方法がないのだ。


「すでにリグリアセット公爵家の養女として登録されています。それともファーラル議長にとって、それはあっさりと覆されるほど軽いものだと言うんですか!」


 息を荒げつつ言い切ったグレイは、表情を変えるどころか身じろぎ一つしないファーラルを半ば睨み付けるようにして見据えていた。身長的にはグレイが高い。けれど数歩離れている距離が、二人の目線を同じにしていた。


「……確かに、ライナはロットウェルの国民として登録されている」


 ファーラルが口を開く。一歩進む。


「だが、ライナ一人を守ることと国を守ることは同位ではない」


 静かな青い瞳は、波立たない湖のようだ。その奥深くに何が潜んでいるかは一見しただけではわからない。


「わたしはロットウェル全体の平和と利益を守らなければならない。それをライナ一人返すことで有利な条件を得られるというのであれば、わたしはその選択を選ぶ」


 変わらず扉は靄に包まれているが、闇の精霊は出現していない。だがファーラル本人から発せられる空気はとても冷たく、暗いものだった。


「お前がそんなわたしを非情だと断じるのも仕方ないことだろう。だが覚えておけグレイ。優しさだけで国は守れない。時には冷徹な判断も必要になるのだと。そして最小の犠牲で決着がつくのであれば、その判断を迷うわけにはいかないのだと」

「……っ」


 大声で反論したい。そんなこと関係ない。ライナを奪うなと叫びたい。

 だが―――できるはずもない。ファーラルはただ、国と国との取引で『より最小の犠牲』を選択しているだけなのだ。ここでライナを守ることを選んだ場合、ライナを求めるドルストーラがどのような行動を起こすか、もしくは突飛もない要求をしてくるかわからない。

 拳を握りしめ、激情に耐えるグレイにファーラルは少し表情を緩めた。


「ライナは殺されるわけではない。その逆だ。ドルストーラで大切に守られ生かされるだろう。犠牲だと考えるな。ライナは故郷に帰るだけなのだ」


 わかっている。そう、ライナは故郷の国に―――求められて帰るだけ……。


「―――」


 頭で理解していても、心が納得をしない。ファーラルの言うことは正しくて、一人を守るために国全体の不利益が発生する可能性があるのであれば、それは最初から選ばざるべきだ。


 わかってる。わかってる。


師匠(せんせい)の、言っていることは……理解できるんです。それでも、俺からライナを奪わないでくれと願うことは……ねがう、ことは……」


 頭の中が沸騰するかのようだ。

 遠くで、近くで誰かが『ライナを守れ』と囁き叫び怒号を飛ばす。

 近くにないはずのディロの形見である黒い石の存在を感じる。

 ここでファーラルに引けを取るな、ライナを選べ、精霊はお前の味方となるだろうと甘言を吐く。


「グレイ、お前は囚われすぎている」


 数多の声が響く中、ファーラルの声は矢のように鋭くグレイの思考を切り裂いた。思わず顔を上げれば、まっすぐにグレイを見据えている瞳とかち合う。

 ライナに手渡したディロの形見である護り石。それはもう、グレイの手元にはない。だが、弱まることなくグレイを虜にし続けているのだろうか。ライナを守る盾とするために。


「マーギスタに連れ去らわれた時とは違う。命の危険はないんだ」


 言い聞かせるように伝えられる言葉は、先ほどまでにない穏やかさでグレイを包み込もうとする。理性と感情の狭間で、グレイの心は揺れ続けていた。


「ライナの身柄はわたしが預かる」

「……」


 ファーラルにそう告げられても、グレイは身動きすら取れなかった。再度『いやだ』と拒否することも出来ず、『はいそうですか』と受け入れることもできない。残された手段は口を閉じ、声を発しないことだ。それでも、握りしめられた拳が震えることだけは止められない。


「ジュネス、明日にでもライナの私物と着替えを届けさせてくれ」

「はい……」


 成り行きを見守るしかなかったジュネスも悔しい気持ちを秘めているのだろう。ファーラルと目線を合わさないように微かに伏せられた視線が物悲しい。

 扉の結界を解き、グレイとジュネスに帰宅を促すが、二人の足取りはとても重いものだった。広い旧後宮内でライナの居場所を瞬時に探し出すことは不可能だ。そしてまた、ファーラルの闇の精霊が監視していることは明白で、この場で実力行使しようにも文字通り『叩き出される』のがオチだ。それほどの能力差がファーラルとグレイには存在している。


「今日明日にライナをドルストーラに返すことはない。お前たちの頭が冷えれば面会も許そう」


 項垂れ去る主従の背中に声をかけるが、グレイはそれに対し黙礼するだけに留めた。

 帰りにガーネットの案内はないが、二人は一度通った通路を間違えることなく戻り、気づけば見覚えのある通路まで歩いてきていた。見回りの兵士がグレイたちに気付いて頭を下げていく。そのまま通路を進んでいけば、中庭が現れた。ふと立ち止まり、天を仰ぐ。


 満天の星空が迫りくるかのような迫力で煌めいていた。


「グレイ様……」

「……俺は、情けないな……」


 ライナを絶対に護ると誓った。その身を、その心を、ライナのすべてを。けれど国と国との関係を持ち出され、『ライナ』と『国』を天秤にかけた。天秤にかけてファーラルのいう事が正しいのだと理解してしまった。それ以上の反論が出来なかった。言い返す言葉が見つからなかった。


 なぜなら―――ファーラルの立場であったならば、どんなに苦しくしてもどんなに悔しくても、自分も同じ選択をするだろうとわかってしまったからだ。


 ライナを渡さなかった場合、どうなるのかは分からない。ただの脅しかもしれない。だが、相手は腐敗していたとはいえ、前王権を滅ぼした勢いのある新政府だ。実力派ぞろいの傭兵や兵士たちも揃っているだろう。そしてライナが書面にあったように【精霊士】の始祖の直系であるのであれば、ドルストーラはその身柄を何としてでも奪おうとする。精霊の激減しているドルストーラには、ライナは必要不可欠なのだ。

 何もしていなくとも精霊が周りを漂っている。ライナには日常の風景で、不思議な事ではなかったかもしれないが、あんな数の精霊が呼びもせず集まってくることが異常なのだ。そのライナが本気で精霊を呼び集めれば、ドルストーラの精霊不足は急速に解消されるだろう。頭を悩ませている『枯れ被害』も減少するだろうし、そうなれば林業や鉱山も復活する。

 つまりドルストーラの国民生活が向上し、ライナを返したロットウェルは恩を売れるというわけだ。


「ライナが今のドルストーラに必要なんだとわかっているんだ。なのに俺は―――それでも手放したくないと思ってる……ひどい男だ」


 ふと背後を振り返れば、静かに佇む旧後宮が見えた。闇の精霊に守護されし場所。何人にも侵されない難攻不落のファーラルの居住―――いまそこに、ライナがいる。

 グレイは振り切るように背を向け、速足で白薔薇城を進む。


「屋敷に帰る。父と公爵に話をしなくては」

「―――はいっ」


 二人は帰路につく。打開策を求め奔走するために。


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