夜の白薔薇城へ
ごく内輪だけで済ませた婚約式、その当日にファーラルからの一報が届いた。日が暮れ始め、庭で行われた立食パーティはすでに片付けられた。
客人兼、見届け人兼、親族として招かれていたリグリアセット公爵夫妻とアンヌ、ロージィは、伯爵家の居間にてくつろいだ時間を過ごしていた。ライナを構うアンヌには、あれほどグレイに執着していた面影はすでになく、吹っ切れた様子で義妹に笑顔を向けていた。公爵夫妻も伯爵夫妻もそれぞれアンヌのことは気にしていたが、心配無用とばかりに明るく振る舞うアンヌに胸をなでおろした。彼女の内心は誰にも推し量れないのだが、以前のような傍若無人ぶりを発揮することが無くなり、精神的に安定した様子に誰もが安堵していた。
「グレイ様、こちらが届きました」
それぞれ歓談している時にクレールが差し出したのは、ファーラルの印が押された封書。宛名の文字はおそらくガーネットの代筆だろうと思われた。
「なんだろう」
受け取りつつ首をひねる。緊急性があるのであれば、ファーラルは闇の精霊に報せを届けさせるのだが、闇の精霊は他の精霊たちに畏怖されているため、よほどのことがない限り使わないようにしているらしい(時々嫌がらせじみた時には、わざと使ってくる時もあるが)。普通に早馬に届けさせたということは、緊急性を伴うものではないという事だろう。だが、こんな時刻に報せを届けるという事自体、なにかよくない事の前触れではないかと勘繰ってしまう。
グレイは皆に断りを入れ、ジュネスだけを伴い書斎に向かった。軍機密の可能性があるため、無関係の人々の前では開封できないからだ。
引き出しからペーパーナイフを取り出し、丁寧に封を切り一枚の紙を取り出す。たった1枚の薄い紙が取り出され、グレイはそれに視線を走らせた。
「…………」
微動だにせず食い入るように紙面に向かうグレイからは、何の反応もなく、当然内容も予想できない。最近は政変のあったドルストーラからの流民の流入もなく、国境付近の緊張感も緩和されてきている。詳しい内情はいまだグレイたちの耳には届いていないが、それでも以前よりは安定した政策が執られているのだろうということは想像ができる。枯れ被害の発生していた森も、回復を見せ始めているという事だけは教えてもらっていた。
「グレイ様、何が書かれてますか」
一枚の紙に書かれている文章は、それほど長くないと思われる。にも関わらず、無言で内容を何度も読み返しているグレイに、ジュネスは思わず気になって声をかけた。ようやく顔を上げたグレイが珍しく困惑の表情を見せる。
「なんだろうな。とりあえず時間が出来たら顔を出せということらしいが」
「拝見します」
言いながらジュネスに紙を差し出してきたため、ジュネスはそれを受け取った。
『グレイ、伝えたい案件がある。時間があるときに顔を出せ』
「……なんでしょうか、これは」
とても簡素な一文だ。内容は緊急を要するものではないのだろうと思う。だが、それであればわざわざこんな時間に送ってきた理由が読めない。急ぎでないのであれば、明日ガーネットを通して口頭で伝達でも可能だろう。結局、ファーラルがグレイに伝えたい用件は、急ぎなのか急ぎでないのか。それすらも曖昧だった。
ふと、一つの予感が頭をよぎった。
「もしかして……」
「グレイ様?」
「わかったぞジュネス。師匠に今日のことがバレたんだ!」
実はグレイとライナの婚約は親族関係者以外には伏せられていた。ランディ侯爵の妨害を懸念しての処置だったが、アンヌという婚約者がいなくなり、グレイをこっそり懸想している貴族子女たちからライナを守るためでもあった。どこから洩れるかわからないため、職場である白薔薇城でも一切口にしてこなかったのだ。
「しかし、一体どこから……」
「ロットウェル内で、あの人から情報を隠そうとするのが難しいという証拠かもしれないな」
楽しげに笑うグレイは、自分の予想が間違いないと確信しているようであった。だがジュネスは、言い知れぬ不安が胸に広がるのを感じていた。しかし、ライナとの婚約を済ませ、幸せそうな主に忠言することも憚られ、結局もやもやとした気持ちは自分の中にぐっと押し込めたのだった。
「せっかくだし、今からライナを連れて参上するか」
「え、今からですか?!」
グレイの発言にジュネスは目を大きく見開いた。通常であればすでに退勤の準備をしている時間だ。それにあと1時間もすれば夕食が始まるだろう。
「ファーラル様は時間があるときに、と仰っているのですから、明日出仕してからでもいいのではありませんか?」
「きっと俺とライナの婚約をこっそりお祝いしてくれるんじゃないかと思うんだ。今日のために、ここ暫く軍務に穴もあけたから、明日からは泊まり込みになるだろう。急用でないなら師匠に顔を出すのも難しい……となれば、善は急げだと思わないか?」
「しかし……」
「色々と迷惑もかけているし、報告しないままというのは気になっていたんだ。師匠がこうして連絡してくれるなら、気負いなく前に立てそうな気がする」
仮にも【魔法士】の師弟関係である。さらに言えば、仕事の上でもファーラルは最上位の上司だ。結婚ではなく婚約とはいえ、報告できていないという状態を、グレイが心苦しく感じていたのは事実だった。
「……わかりました。けれど、長居しないためにもわたしも同席しますよ」
「ああ。それにライナも連れて行こう」
浮かれた足取りのグレイは、そのまま居間でくつろいでいたライナを連れ白薔薇城へ向かうことを告げた。当然のごとく、アンヌやミラビリスは『こんな日にまで!』と憤ったが、ファーラルからの呼び出しと婚約の報告をしてくると伝える事で、しぶしぶ了承を得たのだった。
暗闇の浮かび上がる巨大なシルエット。篝火が焚かれ、白薔薇城は昼間にはない荘厳な美しさを見せていた。バーガイル家の馬車でその城門をくぐった三人は、人気もまばらになった城内に足を踏み入れた。途中馬車を下り、徒歩にて入口まで向かう。
城の警備を行う兵士たちの中にちらほらと顔見知りを見つけ、軽く挨拶を交わしつつ通り過ぎていく。グレイとジュネスも下っ端の頃は夜間警備などにも従事したものだ。マクルノは上官になった今でも率先して夜間警備に加わっているという。
夜間のためすでに閉まっている通用口を避け、別の違う小さめの出入り口に向かった。入ってすぐ、警備兵が出入りを確認している兵士がおり、顔を上げた兵士と目が合った。
グレイの顔を見て、すぐに誰かを察した兵は、姿勢を正し敬礼する。
「バーガイル隊長とロア卿ですね。どうされましたか」
「遅くにすまない。ガーネット女史を呼んでもらえないか」
「暫くお待ちください」
慌ただしく立ち去った伝令兵を見送り、三人は備え付けの椅子にそれぞれ腰を落ち着けた。一緒に連れてきたライナは少し不安そうな顔をしていた。華やかな白薔薇城しか見たことのなかったライナには、裏側ともいえる物々しさに驚いているのだろう。
「ライナ」
右隣から甘い声が名前を呼び、ふと顔を上げた。それと同時にライナの手をグレイはぎゅっと握りしめる。その力強さと温かさは、不安を散らしてくれるようだった。
―――あったかい……。
「報告したら、すぐ帰るよ」
笑顔ととにも降ってきた優しい声に、ライナの肩の力が抜ける。
「そうですよ。料理長渾身のディナーを一緒に食べれないなんて!って、ミラビリス様は嘆いておいででしたからね。早く帰って食後のお茶だけでもご一緒してあげて下さい」
左隣にいたジュネスはそう言いながら、どこから出したのか焼き菓子を差し出してきた。
「耳が痛いな……で、なんだそれ」
「帰るまでお腹が減るだろうと、アンヌ様が渡してくださったんです。少し食べておくだけでも違うから、ライナも食べてごらん」
―――わぁ!
一日緊張とドキドキで、立食パーティの時もあまり食べれなかったライナは、差し出された焼き菓子に喜色を浮かべた。こんがり焼けた菓子を口に含むと、甘さが口に広がり幸せな気持ちになる。
「俺も一つ……」
三人それぞれ数個ずつ食べたところで、ガーネットのお迎えがやってきた。
「まさか今日来るなんてね」
「何の用件なんだろうと気になって眠れなくなるのが嫌だったもので」
ガーネットの先導で案内されつつ、グレイたちは白薔薇城の最奥へと進んでいった。いつもファーラルと会うときは執務室を利用しているのだが、今日は珍しく早々と引き上げていたらしい。ガーネットも仕事はしていなかったようだが、ファーラルが闇の精霊の探知でグレイの訪問を知り迎えに来てくれたのだ。常であれば咎められるアポなし訪問だったが、予想に反して機嫌は悪くない。
「ジュネスはともかく、どうしてその子まで一緒なの?」
「主役の一人だから」
「?」
グレイの返答が意味不明で、ガーネットは不思議そうな顔を隠そうともしない。追及してやろうかと思ったところで、現在ファーラルが住み込んでいる旧後宮へと到着した。物々しい警備兵がいると思っていたが、予想外に警備が緩い―――外見上は。精霊が見えるグレイとライナには、この旧後宮が闇の精霊で隈なくガードされているのを視覚で知り、肌で感じ取った。ファーラルの能力を知っている者であれば、とてもここに無断で侵入しようとは思わないだろう。
「このままファーラル様の居間に案内するわ」
ガーネットは迷うことなく広々とした建物内に足を踏み入れ、歩を進めた。あまりにも広い旧後宮のほとんどを今は使用していない。ほんの一部の部屋だけをファーラルが使用しているのだ。余った部屋は物置になっていたり、資料が詰め込まれていたり、客間になっていたりする。それでも使い切れない部屋は多く、ほとんどは鍵をつけて封鎖されている。
「どんな用件で呼ばれたか、グレイは知っているの?」
「それが詳しいことは何も書かれていなくて。でも予想はしてるんだ」
「へぇ」
昼間会うときは他人の目があるため、ある一定の距離間で接しているが、ファーラルとガーネット。そしてグレイとジュネスは子供時代を一緒に過ごした事のある間柄だ。そのため、気が緩むと少し砕けた口調になり、気安い雰囲気にもなる。
「その子を連れてきたのは、グレイの言う『予想』のためなの?」
「ああ。ライナを連れて来いとは書かれていなかったけど、そこは俺の機転だよ」
楽しげに笑うグレイからは幸せオーラが溢れていた。近年稀に見る笑顔の大盤振る舞いに、さすがのガーネットもそれ以上の追及はし辛くなったのか、グレイの話に適当に相槌を打つだけになった。その様子を後ろから付いてきていたジュネスは、ますます不安を大きくしていた。
ファーラルの専属秘書であるガーネットが何も知らされていない事。
時間があるときに来い、と伝えながらわざわざ早馬に文を届けさせた事。
白薔薇城の執務室でなく、旧後宮というファーラルの根城に招き入れた事。
―――なにか、ある……?
ただの勘繰りで済めばいいと思いながら、ジュネスは胸に広がる不安をどう処理すればいいのかわからなかった。
予想以上に進みませんでした。
そして文章が所々おかしいので、後日編集すると思います。
すいません…