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無声の少女  作者: けい
その先にある選択肢
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2年後の約束

 バーガイル伯爵家の朝の風景。前伯爵夫妻と、若くして伯爵を継いだグレイ。そして2年ほど前に保護し、そのまま伯爵家で過ごしているライナ。いつも通り4人は時折会話をしつつ食事を進めていた。給仕の者は最小限に絞られており、主たちが食事をしている間に使用人たちは部屋を片付け、ベッドから手早くシーツを剥いで回っている。家の裏手では洗濯メイドたちが手分けして洗い物を行っている。すべて日常、いつも通りだった。


「あ、言う事がありました」

「どうした」


 ふと顔を上げたグレイは、手にしていたナイフとフォークを手放すと、背筋を伸ばして両親に顔を向けた。あまりにも真剣な表情に、思わずファヴォリーニもミラビリスも食事の手を止めてしまう。何だろうと思いつつ、ライナも咀嚼しながら視線を向けた。


「ライナと婚約します」

「―――っっ!!」

「まぁ」

「……突然だな」


 放たれた発言に三者三様の反応を示したが、極端に驚いたのはライナだけだったようで、ファヴォリーニもミラビリスも、さしたる驚きは見せなかった。それどころか、ミラビリスは楽しげでさえある。ライナだけが、口をパクパク動かしてグレイを見ていた。


 ―――聞いてないよーーー!?


 ライナの心の声は誰にも聞こえない。

 給仕をしていたクレールとニーナは、動きを止めたのは一瞬だけですぐに給仕の手を止めて壁側に引き下がった。これから行われるのは伯爵家未来の話だ。それを遮ってはならない。その様子を目の端に入れつつ、グレイは続きを口にする。


「血筋だ格式だとうるさいご老人方も、公爵家令嬢の肩書を手に入れたライナには、さすがに何も言ってこないでしょう。俺はライナがライナであれば、何も言うことはないんですけどね」


 貴族社会には、いまだに貴族の位を持つ者が優れており、人は階級の上で成り立っているという時代錯誤な思考回路を備えている老人が、それなりの数存在しているのだ。そういう者たちを一纏めにし、比喩も込めてこう呼んでいる『貴族会』。

 主には愚王の時代の生き残り―――捕え損ねた小物貴族のなれの果てというべきか。平和な世になってから、過去を懐かしむ回顧主義者でもあり、考えが凝り固まった困った人物たちの集まりである。ほとんどが高齢であり、一線を退いた老人ばかりだが、遡れば爵位を賜った当人たちであったりするわけで……その爵位を譲り受けた若い当主たちは強く出ることもできないのである。


「いずれ言い出すとは思っていましたよ。でもグレイ。ライナはまだ16歳になったばかりなのよ」


 ミラビリスの言葉に、グレイは強く頷いた。そしてそのまま視線を滑らせると、ぽかんとした顔で自分を見ているライナを見つめ、緩く微笑んだ。目が合ったライナは、恥ずかしげに目元を赤らめつつ、反射のように笑み返していた。


「ですから婚約です。何も今すぐ結婚しようとは考えていません。……俺はすぐに結婚してしまってもいいんですけど、ライナだって準備があるだろうし暮らす家は変わらないとしたって、やはり新居になるわけだから離れを建て直すか内装を変えたり……」

「グレイ」


 ごにょごにょと言い募るグレイを、ファヴォリーニが口をはさむことで止めさせた。今すぐにでも結婚してライナの隣を確定させたいという気持ちは十分伝わってきている。


「お前は結婚をいつ頃と考えているんだ?」

「そうですね。2年後くらいが望ましいかな、と。ライナが18歳になった年にでも」

「わかった」


 その時にはグレイは26歳。貴族男性としては適齢期と言える範囲内だ。軍に所属しているグレイにしても、ちょうど男盛りであり年齢的な問題はなにもない。

一つ頷いたファヴォリーニは、様子を伺い声を出さないようにしていた妻ミラビリスに顔を向けた。


「ミラビリス」

「はい、なにかしら?」

「2年のうちにライナに伯爵夫人になるための、そしてなった後のことを考えたマナーやルールを教えてやってくれ。挨拶状の書き方や、断り状の書き方も必要になるだろう」

「任せてくださいませ」


 にこやかに返事をするミラビリス。ライナが来る前までは、共に食事をすることもなく、会話も最低限しかしなかった。朝食も揃って摂ることはなく、屋敷という同じ場所に住んでいながら、家族は常にバラバラに動いていた。だが、ライナが伯爵邸にやってきてから止まっていた時間が動き出したかのように、物事が進む。ミラビリスが歩み寄りを始め、伯爵夫人としての仕事を進んでこなすようになった。使用人たちにも笑顔が増え、活気が出た。グレイの悩み種であったアンヌとの婚約も解消された。すべては小さな女の子が運んできた成果なのだ。


「クレール、ニーナ」

「はい、旦那様」


 呼び寄せたファヴォリーニに、壁際に控えていた二人は心もち早足で主の元へ向かった。


「仕事を増やすだろうが、ライナを頼むぞ」

「かしこまりました」

「はい!もちろんですとも!」


 クレールは静かに、ニーナは飛び上がるように喜びを表した。二人だけに限らず、ここにいない使用人たちにこの事が発表されれば、また祝いだのパーティだのと騒ぎを起こすような気がする。屋敷の主人たちの出来事に一喜一憂する姿も、以前までであれば見ることがなかった一つだ。


「ライナ」

「!」


 名前を呼ばれ、ライナは視線をファヴォリーニに向けた。ドキドキする胸を抑えつつ、言葉の続きを促すように一つ頷く。


「声が出ないことは、お前にとって引け目を感じることもあるだろう。本格的に社交界に出れば、それは否応なしに増える。―――だが、それを逆手に取り、他人(ひと)が何も言えないほどに完璧なマナーと教養を身につけなさい。身に着けたそれらは、ライナを守る盾にも武器にもなるだろう」


 その言葉に、ライナはただ深く頷いた。

 ふと影が差し、顔を上げると、すぐ傍までグレイがやって来ていた。手を引き椅子に座ったままのライナを立たせると、その足元に片膝をつく。


「!」

「ライナ」


 慌てるライナを余所に、グレイはすっかり聞きなれた甘い声でライナの名を呼んだ。繋がれた手に熱がこもる。それに比例するかのようにライナの頬も赤く染まった。いつまでも慣れない触れ合いに、グレイの顔に笑みが浮かぶ。

 緩みそうになった顔をなんとか引き締め、ライナの手の甲に口付けを落とした。


「ライナが好きだ。君の傍に居続ける権利を俺だけのものにしたい。ずっと守り続けると誓う……。2年後に、俺の奥さんになってくれる?」

「……っ」


 恥ずかしさと嬉しさがない交ぜになり、ライナは顔を真っ赤にしてグレイの青い瞳を見つめていた。涙が浮き上がり視界が滲んでぼやけていく。もう少しで頬に流れそうだった涙を、グレイが指で掬い取った。


「ライナの返事を知りたい」


 笑いを含んだ声に、聴かずともとっくに返事の内容など予想しているんだとわかる。意地悪をして首を横に振ってやりたくなる衝動を抑え、ライナは一つ大きく頷いた。その拍子にポロポロと涙が零れ、足元まで落ちて絨毯に吸い込まれていく。


「ライナ!ありがとうっ」


 突然大きな体に覆われ、ぎゅうぎゅうに抱きしめられているとわかった。『やった!』『ありがとう!』と繰り返すグレイ。そんな彼の背中にゆっくりを手を回し、ライナも身を寄せるように抱き着いた。


 ―――わたし、わたしも……グレイが好き。


 気持ちは空気に溶け出し、精霊たちも騒ぎ始めた。くるりくるりと二人の上を回りだした色とりどりの精霊たちに、顔を上げたグレイとライナは嬉しげに微笑み合う。さすがに両親の前で口付けするのは憚られたのか、グレイはライナの頬と髪に何度も口づけた。ライナにとってはどちらにしても恥ずかしいものだったが、この時ばかりは呆れたように見られていたが誰も止めることはなかった。


 その後婚約を知ったジュネスが嬉しそうにライナの頭を撫で、グレイにくどくどと説教をしたことにより、今回の『婚約します』発言がグレイの独断であることがばれる。ライナにも事前に伝えていなかった事がファヴォリーニとミラビリスにも知られることになり、グレイにはお仕置きとして数日間のライナ接触禁止令が発動されたのだった。





 温かな風が吹く、秋晴れの日。二人の婚約はごく身内の者たちだけの内輪で行われた。場所は伯爵邸―――その中庭。屋敷の中で一番精霊たちが多く住み、そしてライナ自身も好きな場所だ。どこから用意してきたのか、精霊たちが花びらを降らせ、季節外れの粉雪を舞わせる。

 婚約式ではそれぞれ、相手のことを想った贈り物をする。ライナはバーガイル家の紋章と、グレイのイニシャルを刺繍したハンカチを。グレイは青い石と緑の石が組み合わされたネックレスを贈りあった。本当は指輪を贈りたかったグレイだが、指輪は結婚式の一つだけでいいというライナの要望であっさりと覆ったのだった。


「ライナ、2年の間わたくしと色々な夜会に行きましょう。もちろん、グレイ様抜きでね」


 いたずらを計画するようにアンヌが耳打ちをする。アンヌも新しい恋を見つけるか、もしくは妥協できる嫁ぎ先を早急に決める必要がある。貴族子女として、適齢期後半に差し掛かっているため、焦りもあるのかもしれない。


「意地悪な女が居たら、すぐに教えるのよ。わたしくが返り討ちにしてやるわ!」


 新しくできた義妹をすっかり好きになってしまったアンヌは、楽しそうに返り討ちの計画を練っている。今のところ何度か出た夜会では意地悪などされずに済んでいるが、それは近くにミラビリスやアンヌがいて目を光らせているからだろう。今後、一人で乗り切らなければならない場面も出てくると考えると、やはり声が出ないのは色々と厳しいものがあると感じずにいられない。


 そんなことをライナが考えているとき、グレイはワイングラスを片手に不敵な笑みを浮かべていた。


「これで……あのいけ好かないランディ侯爵も手出しできまい」

「……グレイ様……」


 主から零れてきた言葉に、思わずジュネスは天を仰いだ。婚約を急いでいた理由がはっきりとわかったからだ。


「あの男!事あるごとにライナを狙ってたんだぞ。俺が近くにいるっていうのに、挑戦するように口説いたり手を握ったり!あわよくば地位を利用してライナを妻にと望もうと……!許せるものかっ」


 伯爵であるグレイと、侯爵であるオーソズであれば、貴族会の了承は侯爵家に傾く可能性がある。『貴族会』のご老人たちは爵位でものを判断する嫌いがあるため、万が一オーソズ侯爵家が動き出せば面倒なことになると考えていたのだ。


「気にしなくても、ライナが他には靡かないですよ」

「そんなことは心配していない」


 ジュネスの言葉に、グレイはきっぱりと切り返してきた。今は二人の気持ちが重なっていると確信しているからこその、力強い発言である。


「だが、地位権力階級……そういうものには抗えないものがある。なによりそんな無粋なものにライナを巻き込みたくない……まぁとにかく、今回の婚約が公のものになれば、もう誰も異を唱える者はいないだろう」


 悪巧みしそうな顔をしているグレイを半目で眺めつつ、ジュネスはテーブルに並んでいた菓子を口に放り込んだ。甘酸っぱいジャムが口の中に広がる。咀嚼し飲み込み、改めてグレイを見る。


「公にされるのですか」

「ファーラル師匠(せんせい)には伝えるさ。あの人が認めたとなれば、最大の後ろ盾になるからな」


 楽しそうに笑うグレイに、ジュネスも思わず笑ってしまった。





 その頃白薔薇城に、一通の書簡が到着していた。受取人はファーラル。差出人はドルストーラ新政府。秘書を務めているガーネットは、その書簡を急ぎファーラルの執務室まで運んだ。ドルストーラの前王が弑され、ついに隣国ロットウェルに対し何らかの要求を提示してきたのた。


「ファーラル様!」


 執務室にノックなしで駆けこんできたガーネットに、ファーラルは不思議そうな顔をする。礼儀だとか規律が大好きなガーネットらしくないと思ったからだ。


「どうした、ガーネット」

「ドルストーラ新政府より、書簡です」


 その言葉に、ファーラルがすっと目を細めた。そして無言で手を差し出す。


「さて、どんな要求が書かれているやら」


 手早くナイフで封を切ると、ふんわりと優しい香りが漂った。焚き染められた香が染み込ませてあるのだろう。上品な香りは新しい統治者の趣味なのだろうか。


「手探りの状態でしょうから、そんな大それた事は書いてこないと思いますが」

「技術提供か資源……手っ取り早く資金援助かもしないな……」


 言いながら薄い紙に目を通す。定型文のような挨拶から始まり、今回の騒動を詫びる文面が続く。経済の立て直しの予測や、排除していた【精霊士】の復権。ロットウェルに流れ込んでいた流民の対応―――そして最大の要求。


「……」

「ファーラル様?」


 無表情で読み進めていたファーラルの眉間に、深い皺が刻まれたのを見たガーネットは思わず声をかけた。


「う~~~ん」


 一人で唸っているだけで、返事はしてこない。何かいろいろ葛藤しているのかもしれないが、ガーネットに相談してくるはずもなく、数分して顔を上げたファーラルは諦めに似た顔をしていた。


「うん、斜め上だ」


 何のことか聞きたかったガーネットだが、機密に相当するであろう隣国からの書簡の内容をおいそれと聞くこともできない。おとなしく次の指示を待っていたガーネットに、ファーラルは少し悲しそうな顔をして口を開いた。


「グレイを呼んでくれ」

「かしこまりました」


 詮索せず執務室を出ていったガーネットに、ファーラルは天井を見上げてため息をつく。


「一波乱で済むかなー……」


 これから後の事を考え、さすがのファーラルも胃が痛くなる思いだった。


次回からごたごたし始めます

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