近づいた距離
約半年前に行われた建国記念パーティは国を上げての行事であるのに対し、デビュタントは貴族社会においてのみ重要視されている行事である。大多数の一般国民には可もなく不可もないものであり、排他的な者の中にはデビュタントという行事そのものに嫌悪を表すものもいる。
だが、貴族社会に身を置く者たちにすれば、この行事は欠かせないのだ。
16歳のデビューは大人への入り口。つまり結婚が許される歳である―――。
「さぁライナお嬢様。完成ですよ」
ニーナの声と共に、目の前に大きな鏡が用意された。そしてそこに映し出された自分の姿に、ライナは思わず息をのむ。うっすら施された化粧により、幼い顔立ちが少し大人っぽくなっていた。背中の半ばまで伸ばした小麦色の髪は毛先を鏝で巻かれ、いつもはないボリュームが出ている。
そして輝かんばかりの白さを主張するドレス。繊細で薄いレースを重ね、ドレスの膨らみを作り出した。緻密な刺繍が銀糸の糸で刺繍されており、光の反射でドレス自体がまさに輝くようだった。スカート全体をぐるりと囲うように純白の石『パール』が数多に縫い付けられている。パールはこの三年ほどの間に突然ロットウェルに現れた宝石だ。ただの真っ白な石だと思っていると、光の当て方により淡い七色の煌めきを醸し出す。希少価値が高く、貴族たちはこぞってこの新しい宝石を手に入れようと躍起になったが、数もなく高価で小粒のものを一つ、二つ手に入れるだけ精一杯だと噂になった。市場に出回ることも少なく、大粒のパールなどは持っているだけで宝石商の株が上がるとさえ言われている。そんなパールを惜しげもなく使われたそのドレスは、会場の中でひときわ目を引くことだろう。
問題の『真珠』はネオルスティガが産地であり、ディクターが買い付けてワムロー男爵に仲介を依頼した渡来品だ。仕入れ責任者であるディクターは誘拐事件の謝罪の意味も込め、公爵家に献上したのだが、それを公爵夫妻は「これはいい!」と声を揃え、ライナのドレスの飾り使うように仕立て屋に指示したのだった。
胸元はすっきりと無駄な装飾をなくし、首にはドレスとお揃いで作られた白いチョーカー。その淵も銀糸で緻密な刺繍が施されている。チョーカーには等間隔でデマントイドガーネットが配され、真っ白の中で首元だけが鮮やかな色彩を放つ。それは白に押されて顔色が悪く見えるのを防ぐことも目的の一つだ。
大粒のパールとデマントイドガーネット。そして銀細工で作られた髪飾りは圧巻の出来栄えだった。銀を細かく薄く伸ばし、一つ一つを花びらの形に加工した後、それを大輪の薔薇のブーケのように仕上げていく。ところどころにパールを絶妙に配置し、デマントイドガーネットで彩りを加える。そして出来上がった両の手のひらで納まるほどの髪飾りと、揃いの意匠で作られたネックレス。
そのすべてを身に着けさせられずっしりとした重さに、ライナは俯きそうになる頭を支えなければならなかった。
「なんてお美しい」
「お似合いですわ、お嬢様」
手伝ってくれていた侍女たちが、花開こうとする間際の儚い美しさを感じ、熱い溜息を吐きだした。バーガイル家に身を寄せるようになりもう二年。当時の面影を残しつつも、ライナは確実に大人への階段を上り始めている。
鏡の前にいるのは確かに自分だというのに、緊張と戸惑いで顔が強張ってしまう。絞められた体、重い頭、慣れない化粧。建国記念パーティの時も着飾ったがあの時はアンヌが一緒だったし、ドレスもお揃いで一人ではないという気持ちが強かった。だが、今日は違う。突然手を離され独り立ちを促される。それがデビュタントだ。
「グレイ様が見られたら、『デビュタントに連れて行きたくない』と駄々を捏ねられるかもしれませんね」
ライナの緊張が分かったのか、ニーナが茶化すようなことを言った。思わずその発言を反復し、その起こりうる状況を想像できたのか、室内に侍女たちの明るい笑い声が響いた。
「確かに仰いそうだわ」
「それだったら同じこと……ファヴォリーニ様もあり得なくない?」
「!」
「あり得るっ」
「強制行事じゃないんだから欠席すればいい、とかね」
「想像できちゃう!」
きゃいきゃいとはしゃぐ侍女たちの姿に、ライナも声が出ないまま口を開けて笑った。
「さぁ、件のグレイ様もファヴォリーニ様も、ライナ様の登場をお待ちですよ」
楽しげな様子を眺めていたニーナが明るく声をかけると、侍女たちは緩やかに頭を下げて両端に下がった。それを目の端に入れつつニーナが最後の仕上げと、肘まである白い手袋をライナに着ける。するりとした肌触りは極上の絹だ。
「温かいお風呂を用意してお待ちしておりますからね、ゆっくり楽しんでいらしてくださいな」
優しい眼差しで部屋を送り出されたライナは、真新しい白い靴で階下へ向かった。
居間には準備万端なアンヌと、伯爵夫妻がライナの到着を今か今かと待ち構えていた。そわそわと落ち着きのない貴人たちを、クレールは半ば呆れつつ眺めていたところだった。そこへライナの到着を告げられ、一斉に視線を向ける。
「ライナ似合うわ!かわいいのに大人っぽくて素敵よ!」
薔薇色のドレスに身を包んだアンヌは、現れたライナを絶賛した。そういうアンヌのドレスもかなり高級な品だ。上半身は体に沿うデザインで、体系に自信がなければ決して身に着けられない意匠だろう。スカート部分は布を巻くようにアレンジされており、襞が何重にも重なり出来上がっていた。ライナのドレスと同様に、パールが多く使われており、薔薇色の中に輝く白い煌めきは上品な出来栄えだ。
「本当、素敵だわ。けれど……ライナのデビュタントを見守れないのは不満ね」
「仕方ないだろう。会場には入れるのは付き添い二名までなのだから」
ライナの装飾品をチェックしていたミラビリスは、唇を尖らせ不満を口にした。それをファヴォリーニが諌めている。
デビュタント会場に入る資格のあるものは当人と、付き添い二名と決められている。そして17歳から30歳までの未婚の男女のみ。その他は親族であろうと会場には入れない。デビュタントが別名『お見合い会場』とこっそり呼ばれている所以である。
「変な男に引っかからないように、アンヌしっかり見張っていてね」
「もちろんですわ、おばさま」
両の拳をぐっと握り、アンヌはミラビリスと目を合わせて頷きあっていた。それを苦笑しつつ眺めていたライナだったが、そこにさわやかな風を感じ顔を向けると、扉の所にグレイがいた。居間には最初いなかったので席を外していたようだ。
銀灰色の揃いの燕尾服。光沢感のある生地は、一歩間違えば下品に見えるだろうに、グレイはそれを見事に着こなしていた。白いブラウスと胸元から見えるチーフは、ライナのドレスと同じ生地で仕立てたものだ。ボタンにデマントイドガーネットを使用し、そこも揃えている。過度な装飾は抑えているが、素材と仕立ての良さが十分に伝わる出で立ちだった。その姿を目にし、ライナは心臓が大きく脈打ったのが分かった。
―――かっこいい……。
「ライナ」
うっとりと見られていることに気付いたのか、グレイは相好を崩しライナに近寄ると、手袋に覆われた手を取った。そのまま抱きしめようとしたが、せっかくの髪型が乱れてしまうと悟ったのか、片膝をついて視線を合わせた。
「綺麗だ、ライナ。俺のお姫様」
思わず室内にいた全員が呆気にとられたが、言った本人はいたって本気である。言われたライナは顔に熱が集中するのが分かった。見なくてもわかる。きっと真っ赤だろう。
「誰かに見せるのが勿体ないよ。けど、見せびらかして自慢したい気持ちもある。難しいね」
グレイはライナを下から覗き込むように顔を傾けた。そして赤く染まったライナの頬に素早く口づけを落とした。
「本当は唇にしたいけど、化粧が落ちちゃうから我慢するよ」
「~~~~~っっっ」
甘く蕩けるような笑顔で、聞いているだけで恥ずかしいセリフを堂々と言う息子の姿に、ファヴォリーニもミラビリスも思わず顔を赤らめる。クレールも見ていられないと顔をそむける中、アンヌもまた、見たこともないグレイの姿に口をぽかんと開けて眺めていたのだった。
甘々しいやり取りは、なかなか出発しないのを不審がったニーナによってかき消された。その後公爵家の馬車に乗り込んだライナとグレイ、アンヌの三人は白薔薇城へと向かった。
[ジュネスは?]
会場に入れば黒板は持ち込めないが、馬車の中であれば人がないので気にする必要はない。ライナは愛用の黒板にチョークで素早く文字を綴った。
「あいつは今日の警備だよ。俺が出れないからね、任せてある」
[じゃあ、着いたら会えるかな]
「会場周辺の警備らしいから、ちょっと難しいかな」
隣に座るライナの手元を覗き込みながらグレイは穏やかに返事を返していた。それを向かい側に座るアンヌは眉をしかめて眺めている。
グレイはライナに接することに今まで以上に躊躇しなくなったし、ライナも恥ずかしがっているが以前のように拒絶や抵抗は皆無に近い。それどころか、目の前にアンヌがいるというのに、寄り添いあってベタベタしている姿は、目の毒だ。
「それよりもライナ」
「?」
「俺のブラウスのボタン、ライナの宝石とお揃いなんだよ」
言われ、ライナはにっこりとほほ笑んだ。『気づいてたよ』という合図。
「今になってちょっと後悔してるんだ……ライナに青い宝石を付けてもらえばよかったなって。そうしたら、俺はライナ瞳の色。ライナは俺の瞳の色を身に着けられたのに……って」
ライナの美しい緑色の瞳を覗き込み、グレイは穏やかに微笑みつつ青い瞳を煌めかせた。
「次のライナの誕生日には、青い宝石を使った指輪を贈ろうかな」
白い手袋に包まれた左手を取り、きゅっと力をこめられた。その発言とその行動の意味を取り違えるほどライナも子供ではない。思い返せば父も母も、それぞれ揃いの指輪をしていたことを思い出す。
二人の世界に浸っているのを見ざる得ないアンヌは、誰かに咎められたとしてもロージィと共に御者台に座ればよかったと心から後悔していたのだった。
イチャイチャしてますねー
誰も止められないグレイ。