にぎやかな日常
瞬く間に季節は巡り、空気はすっかり春めいたものになった。マーギスタから帰ってきて早2ヵ月。当初はマーギスタとロットウェルの内々にて、協定が結ばれたとか同盟が云々と町中でも話題に上ったが、多くの者は【精霊士】誘拐事件など知ることもなく、いっそしばらく不穏な動きがあった地区が正常さを取り戻したことのほうが身近な問題として重要なことであった。
そして年越しの慌ただしさの中、徐々に話題は薄れていき、今はひと月後に迫った白薔薇城主催のデビュタントパーティのことで持ち切りだった。
庶民が参加できるものではないのだが、張り切って親が支度をするため、広く大きな需要が生まれる。白薔薇城の催しの後は、自宅の屋敷で二次会、三次会とパーティを続ける貴族も多く、そのため臨時雇いなども発生し、それなりの稼ぎになるのだ。
デビュタントは16歳の貴族の子弟、淑女に向けて行われる。グレイとアンナも16歳の年には通過儀礼のように出席した。そして今年、リグリアセット公爵令嬢として名を連ねることになったライナもまた、このデビュタントに出席する権利を得たのである。以前のままであれば、貴族名鑑に籍がなかったため出席することは適わなかっただろうが、今は違う。
ここはバーガイル伯爵邸の一室。広げられた宝飾品の数々は眩い輝きを放っている。数か月前、グレイ不在で行われた建国記念パーティの時も、相当数の装飾品が集められたものだが、今回はそれを上回る勢いだ。
「この装飾は外せない」
ソファーに座り、手ずから宝飾品を検分しているのはグレイだ。金で加工した小さな薔薇を集め、まるでブーケのような手のひらサイズのブローチを縦横斜め。あらゆる角度から眺め一人ご満悦である。彼は長期任務の褒章として長期休暇を願い出て受理された。当然、ジュネスも同じものを希望し共に穏やかな休暇を過ごしている。
「グレイさま、それよりもこちらですわ」
ピンクゴールドの髪を背に流したまさに適齢期の淑女アンヌは、グレイの目の前に輝く髪飾りを差し出した。色とりどりの宝石が散りばめられ、その中心に添えられたダイヤモンドはライナの小麦色の髪にも映えるだろう。
「グレイ、アンヌ……二人とも何を言っているの。こっちのほうがライナにはぴったりよ!」
再び遮る者が現れる。グレイの母であるミラビリスだ。その手にあるのは金細工のセットだった。髪飾りはもちろん、指輪、腕輪、イヤリングまで揃えた一級品である。眩しいほどに輝く金細工に彫られた模様は繊細で、二つとない逸品だと頷かずにはおれない。
「お言葉ですがミラビリス様。うちの娘には、そういったものは似合わないと思いますの」
そして現れる4人目……。リグリアセット公爵夫人セリーナ。アンヌと同じピンクゴールドの髪を、こちらは高く結い上げうなじを晒し色気を出している。もっとも、容姿は自他ともに『普通』という評価なのだが。何しろ生まれながらの貴族ではなく、公爵と結婚したことにより階級入りを果たした人物だ。今も昔も、本来であればドレスではなく綿のワンピースとエプロンで畑仕事をしていたいのが本音である。
「生花を使った髪飾りを添えるだけで、うちのライナであれば十分ですわ」
「デビュタントだというのに、飾りがそれだけだなんて寂し過ぎますわ」
「ライナの良さを出すのであれば、余計な装飾は不要でこざいましょう」
「ロットウェルの民全員が注目するパーティですのよ?うちのライナに恥をかかせるおつもりですの、公爵夫人」
「そんなわけございませんわ、ミラビリス様。ドレスは一級品を用意させましてよ。花の精のような愛らしい薄ピンクを用意いたします」
「あらあら。アンヌのデビュタントのことをもうお忘れですの?デビュタントのドレスは純白のみですのよ。余計な色が混じるなど言語道断ですわ」
バチバチと火花が散りそうなイメージだが、二人ともおっとりと微笑みながらの会話の応酬だ。それがとてつもなく怖い。最初に意見し合っていたグレイとアンヌは一歩どころか五歩ほど引いてそそくさと戦線から離脱した。
「皆様方、お待たせしました」
軽いノック音の後に扉が開き姿を現したのは、バーガイル家に仕えるニーナだ。その隣には室内の雰囲気に戸惑った様子のライナがいた。
「ライナ!」
瞬時に顔を輝かせたグレイは、手にしていた装飾品をアンヌに預けて手ぶらになると、ライナに向かって一直線で駆けてきた。両手を広げ満面の笑みで近寄ると、ライナもまた甘えたように両手を広げて抱き着く。
マーギスタから帰ってきてから、ライナはグレイに甘えることを遠慮しなくなった。まっすぐに向けられる好意に絆されたこともあるだろうが、あの一件で自分が誰のことを頼りにしていて、誰を守りたいのか、そして誰の傍にいたいのかを実感したのが一番の要因だろう。自分から抱き着くのは恥ずかしいし、子供っぽく思えて慣れないのだが、こういう仕草を見せるとグレイが殊の外喜ぶのが分かり、ライナは恥をかき捨てて甘えることにしている。
アンヌのことが気になるが、完全にグレイを吹っ切ったらしいアンヌは呆れた様子は見せるものの、その瞳に嫉妬の色はない。
「ライナは小柄だけど、それを差し引いても軽すぎだな」
ひょいと横抱きに抱き上げ、グレイは眉をしかめた。もうすぐ16歳になろうというのに、とても成人女性の体重ではない。誘拐され、マーギスタに連れられていた間ろくに食事が与えられなかった事と、ストレスも要因だろう。そして今もライナの食は戻っていない。
「~~~っ」
体重を指摘されたライナは頬を染め、恥ずかしさを隠すためにグレイの首に腕を回して抱き着いた。グレイからほのかにコロンに香りがして、ほっとする。
―――グレイの匂いだ。
ライナは肩口に頬を摺り寄せ目を閉じる。身を預けてくれていることに幸せを感じているのか、グレイも穏やかな表情だ。
「ニーナ、採寸は終わったの?」
二人べったりしているのを無視し、ミラビリスはニーナに問いかけた。ライナは別室でデビュタントのためのドレスの採寸を行っていたのだ。
「はい、採寸は終わりました。が、ドレスの意匠と装飾品が決まっていないので、奥様方のご意見を聞きに伺ったのです。わたくしのセンスで決めてよろしければ―――」
「絶対生花を使うべきだと思うのよ!」
「金細工が引き立てるに決まっています!」
「宝石!ダイヤ!これは必須ですわっ」
「ドレスも真っ白じゃなくて、ほんのり淡くピンク色にしてもいいと思うのっ」
アンヌも混じり、女が三人それぞれの意見を通そうと声を荒げ始めた。グレイとニーナは『またか……』という顔でそれを見ていたが、冷静なはずのミラビリス、温厚そうだったセリーナ、客観的に物事を見れるはずのアンヌ。それぞれの一方通行な騒ぎに、ライナはグレイの腕の中から思わず顔を上げてそれを眺めるしかなかった。
パン、パンッ!
だが、その騒ぎに割って入るようにニーナが手を打ち鳴らした。突然の音にアンヌ、ミラビリス、セリーナがそれぞれ顔を上げニーナに注目する。
「何を勝手なことを仰っているんです!」
仁王立ちのニーナからは、肝っ玉母さんの雰囲気がこれでもかと漂っている。廊下に目をやれば騒ぎを聞きつけ、ジュネスやクレールまで覗きにきていた。
「セリーナさま、デビュタントのドレスは純白!これはロットウェルに伝わる伝統でございます。曲げることは決して許されません!」
「は、はい」
「奥様、純白のドレスに金細工で飾り立てればせっかくの初々しさが掻き消えてしまいます。だいたい、ライナお嬢様に黄金のごてごてとした装飾がお似合いになると本気で思っていらっしゃるんですか」
「そ、それは……」
「アンヌ様、色とりどりの宝石でライナ様を飾りたい気持ちはよーく理解できますが、お金目当ての不埒者にライナお嬢様が目をつけられてもいいとおっしゃるのですか」
「そんなことないわ!」
ニーナの畳みかけるような勢いに、言葉少なに返事をするしかない三人だった。そしてその三人から返事をしたきり反論がないのを確認すると、ニーナは腰に手を当て堂々宣言した。
「デビュタントのドレスは純白。生地に緻密な刺繍を施し高級感を出すと共に、レースでふんわりとした愛らしさを出します。セリーナ様、この刺繍のためにお針子を10人は手配してくださいませ。装飾の宝石はパール!乳白色の大玉を中心にアクセサリーを作成いたします。髪飾りと首元を隠すチョーカーも必要ですね。ミラビリス様、腕のいいデザイナーをご紹介くださいませ。アクセントの宝石は瞳の色に合わせてグリーンで決まりです。あとで宝石商が参ります。アンヌ様もご一緒に選んでくださいませね」
見事な采配であった。
結局、中央都市の針子は他の貴族の子弟に借り出されており、満足いく人数は集められなかった。そのため、セリーナはリグリアセット領に在籍している針子を招集することにした。辺鄙な片田舎であるリグリアセット領民には、中央都市のデビュタントなど無関係でしかないのだが、公爵夫人たっての願いと知り、快く快諾してくれた。集められた針子たちは、しばらくは中央都市の公爵邸で滞在することが決まったという。
ミラビリスは懇意にしているデザイナー数人に声をかけ、装飾品のデザインを依頼した。屋敷に引きこもり招待もほとんど断っていた頃とは違い、今では積極的に出かけるようになり、交友関係も広がった。その中には新星気鋭のデザイナーもいれば、有名な老舗デザイナーもいる。そんな彼らにミラビリスはイメージを描きだしてもらい、最終的に一人に絞って依頼をした。
ニーナが呼んだ宝石商は全部で3名。それぞれ加工されていない石の状態のものを鞄にいっぱい詰め込んでやってきた。色とりどりの宝石を取り出す彼らに、緑色のものだけを厳選して出してもらった。エメラルド、ペリドット、ガーネット。翡翠、グリーントルマリン……。広げられた宝石をアンヌは元より、グレイとジュネス、ライナも一緒になって選んだ。その中で一番ライナの瞳に色と似通っているとして選ばれたのがデマントイドガーネットだ。採掘量も少なく、そのため希少価値の高い石である。だがなにより、その鮮やかな緑。太陽の光を浴び輝いている時のライナの瞳の色とよく似ていた。グレイは支払いをするための手続きをしようとしたが、その石は他の石に比べても高額であったため、ライナは身振りを使い抗議した。そんな様子をでれでれと眺めていたグレイだったが、素早くライナの腰に腕を回し引き寄せ、小麦色の髪に口づけを落とし、ライナが照れて顔をうつむけている間に支払い手続きを済ませてしまったのだった。
そうして慌ただしくも賑やかな日々は、誘拐されていた期間の暗い影を払拭してくれようとしていた。ライナは相変わらず黒板とチョークを利用しての会話が主だったが、グレイだけにはなぜか気持ちを先読みされることが多くなった。
主にはバーガイル伯爵邸で過ごしていたライナだったが、リグリアセット公爵夫妻が『家族水入らずがしたい!』と騒ぐため、週に2、3日は公爵家で過ごすこともあった。離れたくないグレイが一緒なって泊まりに来ることもあったが。
ゆっくりと、けれど確実に過ぎた1か月後―――白薔薇城ではデビュタントが始まろうとしていた。