幕引き5
ディクターの衝撃的な発言に、グレイはすぐに言葉が出ないようだった。戸惑いと疑問が入り混じった顔をしているのを見て、すぐに返答は無理そうだと判断する。
気づけば巨船は静かに動き出していた。大きく旋回した先―――船首が指し示す方向にあるのはマーギスタの港だ。はっきりとは確認できないが、暗闇に包まれていた町はいたるところに明かりが灯されており、町中が港に向かう巨船に注目しているのが伝わってくる。いつもは静かな港町の夜は乱され、人々のざわめきがここまで聞こえてくるようだった。
「操舵室は無事占拠できたようですね」
デラストの声には、知らず自慢げな響きが混じっている。それに気づかぬふりをしつつ、ディクターは静かに首肯した。
「ピーネに任せておけば間違いないだろう」
もともと、この船を操っていたのはガードロスの手下ではなく、操舵に精通したプロの男たちだ。見張りはいただろうが、ほどぼどの手練れ程度ではピーネにかなうはずもない。
「いまごろマーギスタの中枢は上へ下への大騒ぎだな。真夜中に上がった閃光弾。そして他国の船。極め付けが闇の精霊だ」
ふっと表情を和らげ笑みをこぼす。楽しげに笑っているが反省の色は見当たらない。今言った騒ぎの原因3点ともにディクターが関わっているというのに、まるで他人事のように感じさせる。
だが、その中においてグレイは意識を他に向けることなく、ディクターを見据えている。ようやく頭の中が整理されたのか、目には落ち着きがあった。
「ディクター議長……あなたは、それを良しとしたのですか」
潮風が髪を、頬を撫でていく。海とは無縁に生きてきたグレイにとって、潮風はあまり心地よいものではなかった。べたつく風が不快さを増す。
グレイの言葉にディクターは口元に皮肉気な笑みを浮かべて見せた。
「バーガイル伯爵。君とわたしたちでは意識に差がある」
「どういう意味ですか」
「……君はすべてを守りたいのだろう。悪を裁き弱きを助け……まるで物語の英雄のように」
「そんな美談ではありません。ただ……一人でも多く、理不尽な境遇を救えるのであれば―――」
思わず反論するように口を開いたが、自分でもその言葉の内容自体が『夢物語』のようだと気づいていた。そうとわかっていても、言わずにはおれなかったのだ。
「それこそが美談だ」
案の定指摘された。
「わたしたち六人会議は『個』に執着することはない。『国』という全体を見、そして今ではなく未来を見る役目がある。わたしたちは最初から、すべてを守るという選択肢は捨てている」
たとえその結果、罪もない国民が幾人か命を散らす結果となったとしても―――犠牲となった人以上が救われるのであれば、実行するしかない。それが心を悪魔に売る行為だとわかっていても、恨み言をぶつけられる結果になったとしても。周りに理解され難いことだとしても。
「船が港に着くまでが期限になるだろう。手早く説明する」
いまだグレイの胸の内は混乱していたが、港に降り立てばそれぞれの立場上、ゆっくりと話す時間は取れないだろう。今聞いておかねばならない話があるのであれば、自分の意見をぶつけるよりも聞くに徹するほうがいいと判断した。
「今回ドルストーラに連れていくのは【精霊士】であり、子供であることが前提だった」
「いろいろ言いたいことはありますが、続きを」
グレイに先を促され、ディクターは小さく首肯する。
「言葉は悪いが、従順にさせ精神的に支配するには子供である事が重要だと考えられた。そのため、狙うのは子供を中心とした【精霊士】、もしくはその卵であり、大人は重要視されていなかった」
「しかし、同時に屈強な男たちを集めていたと思いますが」
「ああ、それは別件なんだよ。行き先は同じドルストーラなのだけれど、それぞれ依頼主が違う。この男は、ついでとばかりに違う依頼を同時進行させた。そのため一時はこちらも攪乱されたことは否めない」
言いつつディクターはガードロスを見下ろし、目を合わせた。何か冷たいものを感じ取ったのか、ガードロスはすっと視線を外してしまう。
「依頼主が違う……どちらかディクター議長が関わっているのではないですか?」
目を細め、グレイはディクターの真意を探るつもりで見据えてみたが、表情にも態度にも焦りなど微塵も出さないディクターの内面は知ることが出来なかった。
「これに関してはどちらもロットウェルは関わっていない。子供の【精霊士】を集める依頼を出したのは―――誰だったかな、ガードロス君?」
「へっ、ドルストーラ国だろ。いちいち言わせんな」
笑顔を向けられたガードロスは、まさに吐き捨てるように答えを口にした。それを満足げに見やり、グレイに視線を戻す。
「補足するとすれば、ドルストーラ国王の指示ではない。今もこの依頼に関しては、国王には秘匿されているはずだ。【精霊士】を毛嫌いしているからねぇ、あの御仁は」
「ということは実質、国の運営を行っている宰相クラスが動いていると?」
「まぁそういうことだ」
国内に広がっているという「枯れ」の症状を重く見た国王以外の者たちが、秘密裏に動いたということだろう。国中の【精霊士】を惨殺した後で、他国に救助を求めることもできず、隣国ロットウェルからまずは孤児を中心に連れ去ることにした。だが、数が足りず下級層に住む子供を狙いだし、その結果家族や周りの住民も殺されたのだろう。そしてその矛先はさらに進み、マーギスタにまで及びだした。
「結局、ディクター議長のロットウェルでの役目はなんだったのですか」
「出来るだけ身寄りのない【精霊士】の子供を見つけることと、こいつらのアジトの提供だな。あとはライナを狙っていたので、実行を遅らせていた」
「!」
「わたしもはっきりと知ったわけではないが、どうやらライナの父親は、ドルストーラの中枢では名の知れた【精霊士】だったようだ」
「どういうことですか」
ライナの父親というば、グレイが看取ったディロのことで間違いないだろう。死の間際に接しただけではあるが、それでも他に類を見ないほど精霊に愛された人物だと思っていた。そしてまた、自然と精霊と接しているライナを見て、ディロとライナの血の繋がりを確信したものだ。そのディロがドルストーラ国の中枢で名前が通っていたという。
「詳しくは調べきれていないのが実情だが……ライナの父親は【精霊王】と所縁があるとされているらしい」
「【精霊王】?」
さらりと言われたがそれは初めて聞く単語だった。聞き覚えのない単語に、グレイは眉根を寄せる。その様子を見て、ディクターはそれ以上の発言を取りやめた。
「ファーラルは教えていなかったのか。それならば、わたしがこれ以上言うことはできない。聞きたいのであれば、自らファーラルに聞きたまえ」
「……ディクター議長。あなたは謎が多すぎる……」
グレイの小さな呟きは、風にかき消されつつもディクターの耳には届いたらしい。顔を向け、小さく笑みを浮かべる。それは伊達男にふさわしい蕩けるような微笑みだった。
「わたしには謎などないよ」
ゆっくりと巨船が減速を始める。照らされた明かりが港を包んでいる。遠目にも人々の姿が見え、興味と畏怖をもって巨船を見ているのが分かった。さらに目を凝らせば、軍列らしきものも見える。間違いなくマーギスタ軍だろう。
グレイは飄々としたまま態度を崩さないディクターに苛立ちを感じた。顔を合わせてからずっと、焦っているのは自分ばかりで面白くないというのも原因か。
「存在そのものが謎です。ロットウェルの議長がマーギスタの、よりにもよってこの船にいることが普通ではないことなど明白です。このままではマーギスタの軍に拘束されますよ」
「わたしには誰も危害を加えられない。心配しなくていいよ」
「そんな心配してません」
笑みを崩さないその顔を、そろそろ殴りつけたくなる衝動をどうにか抑え込む。
「ははは、伯爵はなかなか面白い」
「……」
掴みどころがない会話は、結局最後までグレイが主導権を持つことはなかった。気が付けばパーティスとロック、そしてここまで展示船を操ってくれた港の男たちが甲板に集まってきていた。生き残った捕虜はそれぞれ縄をかけられ、船尾に連れられて行く。船尾には避難用ボートが設置されている。それを利用して港に向かうのだろう。
この巨船は大きすぎて、港に接岸するには海底の深さが足りないのだ。
捕虜の列を眺めていると、ディクターは微かにため息が交じった声を出した。
「マーギスタとは話し合いで済ませる。君たちは先にロットウェルに帰りなさい」
言いつつ後ろに控えていたデラストに目で合図を送ると、甲板に転がしていたガードロスを引きずるようにして立たせた。足腰に力が入らないのか、ガードロスは支えがなければ膝から崩れ落ちそうに体を震わせていた。
「もっと色々吐いてもらう予定だったんだけど、また後にしよう」
口元の笑みを深め言う。それはガードロスの恐怖を煽るには十分な効果を生むだろう。実際、ガードロスはさらに顔色を悪くした。その様子を満足そうに確認し、手で追い払うような仕草をすると、デラストは縛り上げた縄を引きずり船尾に向かっていった。
「議長、最後に一つ」
「なにかな」
背後から掛けられた声に、ディクターは振り返るとしっかりとグレイと目を合わせた。
「屈強な男たちを集めていた依頼。あれはこの件とは無関係だったのですか」
「【精霊士】集めとは無関係だな」
依頼内容を思い出し、大きく頷く。そして視線はグレイを捉えたまま離さない。
「無関係―――だが……君は今後、関係するかもしれない」
「え」
ディクターが意味深な言葉を発してすぐ、巨船が揺れと共に停止した。それに合わせるように船尾からディクターとグレイを呼ぶ声が聞こえてくる。港からのざわめきも、はっきりと耳に届いた。
「さぁ行こうか伯爵。誘拐事件は犯人確保、殲滅。君の仕事はここまでだ。あとはわたしの仕事だから邪魔しないように」
最後まで飄々とした様子を崩さないまま、ディクターは巨船を降りて行った。そしてグレイが気を失ったままのライナを連れて船を降り、港に到着した時には……大部隊だったマーギスタ軍の大半が消えており、同じくディクターとその部下たちの姿も消えていたのだった。
狐に抓まれたような心境のまま、グレイたちは急ぎマーギスタを出ることにした。捕虜の手配も、巨船の扱いもグレイの管理からすでに離れており、港に残っていたマーギスタ軍の小隊が引き受けてくれることになっていた。
だが、小隊からの視線は冷たくとても好意的なものとは思えず、いらぬ諍いが起こる前にと港町を出ることにしたのだ。
捕えられていた子供たちの中で、マーギスタの民だと名乗るものは小隊に預け、それ以外の出身者についてはグレイたちと共に連れ出した。世話になった人たちに挨拶もできない慌ただしい出立になってしまったが、のんびりしていて、火種をまき散らすことは本意ではない。
幸いにも組合長が馬車を用立ててくれたため、詰め込むように子供たちとライナたち負傷者を乗せた。
「馬は2頭しか用意できなくてな」
「十分です、ありがとうございます」
体格の大きいグレイは御者台に乗り込み、ロージィとジュネス、パーティスとロックで相乗りとなった。ロージィは不服そうだったが、致し方ない。それに町を出てロットウェルとの国境までたどり着くまでの旅である。
「助けていただいたのに、ろくにお礼もできないままで申し訳ございませ
ん」
出発前、御者台から頭を下げたグレイに組合長はゆっくりと首を振った。
「ほとぼりが冷めたら、また来ればいい」
「待ってるぞー」
「しっかり鍛えろよ、パーティス、ロック!」
港の男たちに見送られ、馬車と単騎は駆け足気味にマーギスタの町中を駆け抜けていった。小隊は不審な目を向けてきてはいたが、グレイたちを引き留めはせず傍観するにとどめていた。それが彼らの意思なのか、なんらかの指示の結果なのかはわからない。
町中を抜け、もう少しで街道に出るというところでマクルノとナジが待っていた。そして馬車の後方に付くと、駆け足で共にマーギスタの街を抜けた。
ナジは駆けていくマクルノに、大きく手を振り続けていた。
駆け足ですいません!
「幕引き」はこれにて終わります。
ちょっと補足説明しつつ、閑話をいくつか挟みたいと思います。
その後、最終章に向かいます。
「あれはどーなった」「あそこが消化不良だ」
というところがあればご連絡ください。本編ではないと思いますが、1つの番外編として答えさせていただきます。
―――正直、自分でも抜けてる部分あるだろうなぁ。とは思ってます…すいません。