幕引き4
事件の詳細が徐々に明らかになっていきますー
血濡れた甲板に転がされたガードロスは、もはや反抗する気力をなくしたように見えた。かろうじて身を起してはいるが、呼吸は荒く顔に浮かぶのはあきらめの表情だ。そんなガードロスを横目で見つつ、ディクターはその場に残らせたグレイと視線を合わせる。
「伯爵、今回の騒動……君はだれがどうなっていると思った?」
「……わたしごとき推測は邪推と思われます」
「ここにいるのはわたしたちだけだ。そして周りは海に囲まれた船の上。誰も聞き耳など立てていないさ。気持ちをため込むのはよくない。言いたいことがあるなら発言を許そう」
ディクターの言葉に、グレイは口を少し開けすぐに閉じた。だが、閉ざした唇は微かに震えている。それを見つつ、ディクターは焦ることなく声が発せられるのを待った。
「浅はかな、考えかもしれませんが……」
「どうぞ」
ようやく聞こえた静かな声に、先を促す。
「ディクター議長は、そこのガードロスとどういった繋がりでしょう……そして今回、ライナとアンヌの誘拐に議長は絡んでいらっしゃるのですか」
グレイは顔を上げ、ディクターをまっすぐに見つめ、自分の中にあった疑問をぶちまけた。本当は他にも聞きたいことは山のようにある。だが、一番の関心事はこの二点だ。もし、もしもディクターがガードロスと繋がりがあるというのであれば、それは一体いつからなのか。そして返答如何によっては、ディクターはロットウェルという国を裏切っていたことになる。
必死に言い募るグレイを見つめ、ディクターは唇をゆっくりと開けた。
「まず二つ目の質問。それに是か非かと答えるならば『是』と答えるしかないだろう」
「……!」
淡々と返された答えに、グレイは無意識に剣を握りしめていた。胸に湧き上がるのは焦燥と苛立ちと、裏切られたという怒りだ。グレイの心境の変化に反応し、周りの精霊たちもざわめきを増す。風が強くなり、波が立ち船が揺られる。ほんのわずかな間に、精霊を味方にできる能力を持つのだと改めてわかり、ディクターは知らず笑んでいた。
しかしその笑みはわずかな時間だけだった。
「伯爵、早合点はいけない」
ディクターが一歩踏み出した時、そのざわめきは瞬時に立ち消えた。グレイが思わず顔を上げて精霊たちを確認してしまうほど鮮やかに、精霊たちは平静を取り戻していたのだ。
「君はすべてを聞く義務がある。そのためにこの場に君だけを残した。その真意を探ることなく駆け引きもできないようでは、とてもファーラルの後継者とはなりえない」
「―――師匠の後継者などという、おこがましいものにはなる予定はありません」
「残念ながら、それを決めるのは君ではない」
くつくつと笑う姿は、白兵戦があったこの場では限りなく似つかわしくない。頼りなく、浮世離れしていると思わせるのに、なぜか反抗する気力をそがれるのだ。
「ディクター様、手早く願います」
「はいはい」
何をするでもなく立っていたデラストに諌められ、ディクターは肩をすくめて姿勢を正した。
「簡単に言えばわたしとガードロスは裏で繋がっていた、という仲だ。下町に拠点となる住居を与え、情報を与えた。人材を与え、仕事を円滑に進ませた。そしてわたしが背信行為をしていると臭わせ、こいつはわたしを強請ろうとした……まぁこれは結局上手くいかなかったけれどね」
「もしや各地の誘拐の手引きを、ずっとディクター議長がしていたということですか」
そう問いただすグレイの声は、心なし震えている。それを知りつつも悠然とした構えを崩さず、ディクターは淡々と問答を続けた。
「わたしが指示を出したわけではないよ。協力者―――いや、出資者というべきか」
「どちらでも同じです!各地で誘拐騒ぎが起きていた時、あなたは……あなたは止めることが出来る立場にいたということなんですかっ」
「そうだ」
あっさりと返された返答に、グレイは足元が崩れ落ちる感覚を味わった。ロットウェル最高機関『六人会議』。その一翼である人物が、国民の誘拐にかかわっていたという事実。確かにジュネスや、1国民であるロージィに聞かせられる内容ではない。
「あなたの正義とは、なんなのですか……っ」
喉から絞り出すように声が漏れる。それを正面から受け止めつつ、ディクターはグレイを『まだまだ若いな』と内心断じていた。だがそれを表情には億尾にも出すことはない。
「伯爵。いまドルストーラがどうなっているか、君は知っているか?」
「ドルストーラ……いいえ?」
突然の話題変換にグレイは眉根を寄せつつも『否』と答えた。実際、この数か月マーギスタにいたグレイにロットウェルを挟んだ遠方の国の状況など知りようがない。だが、グレイにとってドルストーラという国名はライナの故郷ということもあり、気になることでもあった。
「かの国はいま、重大な危機に瀕している。そしてその危機は放置することにより、ロットウェルにもいずれ被害が及ぶかもしれない重大な事案だ」
「どういうことですか」
訝しげに眉根を寄せ、グレイは真意を読み取ろうとディクターを見るが表情からは何も読み取れない。デラストのように、決して無表情というわけでもないのに、攪乱されているかに感じるほど、ディクターの様子から何かを察知することは難しかった。
そしてそこまで考え、おそらく【魔法士】であるデラストがなんらかの力を行使している可能性に思い至った。ディクターに膜を張り、外敵から守るそういった能力。
「ドルストーラ国内は今、飢饉に喘いでいる」
「えっ」
予想外の言葉が耳に届いた。ライナとアンヌの誘拐。その黒幕との繋がりを追及していたというのに、それがどうしてドルストーラ国内の飢饉にまで話が飛ぶのか理解ができない。
「その話と、今回の誘拐の話……繋がりがあるのですか」
「もちろん」
「……では、お聞きします。その飢饉と誘拐がどう繋がるのか」
「とても簡単なことだ」
そういうと、ディクターは座り込んだまま大人しくしていたガードロスの前まで行き、顔を合わせるように身を屈めた。
「この男は【精霊士】を集めていたんだ」
「……ええ」
ディクターの言葉に頷いたグレイだったが、その返答が気に入らなかったのだろう。ディクターは立ち上がり腕を組み、眉根を寄せた。
「察しが悪いな伯爵。いまドルストーラに不足しているのはなんだ」
「不足―――【精霊士】……まさか」
導かれ、はじき出した答えにグレイは顔色を変えた。
いまドルストーラに足りないもの。それは間違いなく【精霊士】という存在だろう。精霊を忌み嫌った独裁国王により、ドルストーラ内にいた【精霊士】【魔法士】はほぼ狩り尽くされた。ライナの父親ディロもその標的となり殺された。そして【精霊士】であったディロの娘であるライナも命を狙われ、母親を殺され命からがらロットウェルとの国境沿いまでたどり着き、運よくグレイが保護したのだ。
その後もドルストーラの【精霊士】狩りは続き、かの国に残された【精霊士】は全滅したか、隠れ住んでいたとしてもかなり少数だと思われる。
「ドルストーラに【精霊士】を送り込むつもりだったのですか!自国の国民を犠牲にしてまで……っ」
「落ち着け伯爵。誘拐の黒幕は他にいる」
「ではあなたは何だというのですっ」
「わたしはこの男らがロットウェル、そしてマーギスタで動きやすくするための協力者を名乗っていた。黒幕じゃあない」
「何がどう違うというのです。誘拐に協力していたのならば、あなたも同罪でしょう!」
「堂々巡りになる。まずわたしの話を聞け」
「あなたは議長という座にいながら、国民を他国に連れ去らわせ―――っ!?」
言葉は最後までいうことが出来なかった。いつの間に近づいたのか、背後にはデラストがいて、グレイの首に腕を回して締め上げたからだ。長身であるグレイの首に腕を回すなど、なかなかできるものではないのだが、デラストはそれをやってのけた。
「頭に血が上っているなら、下げてやろう」
「!」
言うが早いか、デラストは首に腕をひっかけた体制のまま、グレイを甲板に背中から叩きつけた。首への衝撃と背中の衝撃で、グレイは息がつまり激しくむせこんだ。
「デラスト、乱暴だよ」
「冷静に主の話を聞けないこの男が悪いのです」
ディクターの軽く諌める言葉に、デラストは面白くなさそうに呟くと、床に転がったグレイを一瞥した。感情の読み取れない金色の瞳が射すくめるようにグレイを見る。
「すまないね、うちの子はわたし至上主義なんだ」
へらりと相好を崩して言う姿は、威厳を感じさせない。まるで父親が息子を自慢しているかのようですらあった。
「話を戻そう。いまドルストーラでは飢饉が起こっている。食糧不足になり、食うに困った民たちは、暴動一歩手前といったところだろう」
「……食糧不足というのが否めません。あの国は森に囲まれた緑豊かな地形です。ロットウェルやマーギスタに比べれば発展が遅い傾向にはありますが、その分食糧自給率は3国内で1番だったはず。小麦に至ってはロットウェルもある程度仕入れていたと思いますが」
痛めつけられた首を摩りながら立ち上がったグレイは、ドルストーラの食糧状況を思い出していた。今の王になってから【精霊士】は住みにくくなってしまっただろうが、その他の国民にはさしたる変化はなかったはずだ。それが一転して食糧不足。
「そうだ。だが今ではかの国の田畑は荒れ、作物は育たない。嘘か本当か、雨雲もドルストーラを避けるように飛ぶという」
「ありえない」
「どこまでが真実かは実際見ていないから分からない。ただ一つ確実な情報がある」
「確実な情報?」
「エガッティ議長が確認した。―――ドルストーラは枯れ始めている」
「……枯れ?」
思いがけず別の議長の名前が呼ばれたが、その次に耳にした単語にグレイは意識を引きもどされた。
「枯れとはなんです」
「言葉の通り、そのままだ。精霊を蔑ろにしたばかりでなく、罪もない【精霊士】を多数殺され、彼らはドルストーラへの恵みを消し去った」
「……」
頭の中に蘇る記憶がある。ディロの死体に縋り付く精霊たちの嘆きの姿。共に土に埋もれても本望だと言わんばかりに、冷たくなった体に追いすがり墓の中にも付いていった精霊たち。その時は精霊を愛し、精霊もまたディロという【精霊士】を愛していたのだと。その絆の深さに感銘すら受けた。だが違ったのかもしれない―――彼らは、精霊たちは……数多の【精霊士】の恨みの概念により、その存在意義を捻じ曲げてしまったのか。
「今はまだ、ドルストーラ国内でだけの事象だ。だが、いつその被害がロットウェルまで及ぶかは想像もつかない。わたしたち六人会議はロットウェルに住まう民のため、その危険性を排除することを第一とした。幸いにもロットウェルには一定数の【精霊士】やその卵たちがいる。それは町にも、村にも、孤児院にも」
「それは、つまり……」
「集めた【精霊士】をドルストーラに送り込む、ということだ」
淡々と述べられた内容に、グレイは頭を殴られたような衝撃を受けた。