彼の違和感と彼女の行動
―――おかしい。
グレイは次々と襲い掛かってくる敵を倒し、または避けつつ違和感を感じていた。体調は決して悪くはない。いっそもうすぐライナを救出できると思えば、気分は高揚し逸る気持ちを抑えるのがつらいほどだ。だというのに、この違和感は何だろう。
一つ、二つと自身の体に小さな傷が増えていく。敵は愚鈍ではない。そして圧倒的に数が多い。多少の怪我は覚悟してきた。
だが違う、そうじゃない。
―――この程度の敵に、傷が付けられている事がおかしいのだ。
「グレイ様、大丈夫ですかっ」
「俺の事は気にするな。目の前に集中しろ」
「はい!」
背中合わせのジュネスも何か異常を感じたのだろう。だが、意識をいつまでも主に向けていられるほど、今この甲板上は呑気なものではない。
いつもと同じ以上の気迫で敵をなぎ倒しているというのに、なぜこんなに―――敵に致命傷を与えられず、敵に傷を増やされているのだろうか。いつもと変わらない筈の立ち回り。いつもと変わらない筈の剣さばき。変わらないはず。変わっていないはずなのに……いつもより『ヒヤリ』とさせられる一瞬が多く感じる。
手元に視線を向ければ、装飾のない武骨な腕輪が目に入った。精霊を封じるという聞いたことも無い道具。これが違和感の原因なのか。
「おらぁ!」
目の前に突き出される鈍い銀の刀身を一歩半身を引くことで避け、その動きのまま剣を繰り出し側面から向かってきていた男の太ももに剣を突き刺した。
「ぎゃあ!」
思わず足を押さえて蹲る男を押しのけ、別の男がグレイ目がけて跳躍してくる。それを視界に留めつつ、背後を取ろうと向かってくる男たちの気配を感じ身を低くした。振りかぶられた剣は空を切り、ひゅんっという鋭い音だけを残す。体勢を立て直しつつ前方に迫った男に剣を繰り出し、利き腕だろう右上腕を切り裂いた。
「うぁあっ!」
咄嗟に剣を落とした男の腹を蹴り飛ばし、その反動で後ろを向き迫ってきていた男の顔面に向けて剣を薙ぐ。額に一文字の傷ができ、そこから信じられないほどの血が噴き出した。顔中を真っ赤に染めた男は悲鳴を上げて後ろに転ぶ。頭部は想定以上の出血になるというのは常識だが、それを自身で体験するのは初めてだったのだろう。
「あぁあああぁっ」
だが、額を手で押さえて慌てる男の心配をするような者はここにはいなかった。金だけで繋がっているのだろう、いっそ取り分が減って喜んでさえいるのかもしれない。戦えなくなった男たちは、邪魔だと言わんばかりに蹴られ押しやられ、強制的に戦線離脱させられていく。
「キリがないな」
さすがに息が切れて来た。強行訓練に慣れているパーティスとロックは、マーギスタに来てからマクルノに鍛えられてきたこともあり、まだ体力的には余裕がありそうだ。ロージィは元々の身のこなしから、まだ目立った傷もなく淡々と敵を倒していっている。ただし、ロージィに関しては『手加減なし』のため、すでに足元に何名か絶命しているのが転がっているのだが。
問題はジュネスだ。訓練はそれなりにしていたが、主にはグレイの従者をしていたためか、持久力に問題がある。特に今は、身を隠すこともできない360度ぐるりと敵に囲まれた窮地。精神的、肉体的にも疲労がピークに達するのは時間の問題だ。
そしてさらに―――
「っ!」
矢が降ってくる。
弓を使えるのが少ないのか矢が足りないのか、数は大したことが無いのだが、思い出したように飛んでくる矢は集中力を削るには充分な役割を担っていた。毒矢でないのがせめてもの救いと思うしかないだろう。それなりに揺れている甲板上でなければ、すでに2、3本は当たっていたかもしれない。
「グレイ様!」
「!」
逼迫したジュネスの声に意識を戻し、勘と言っていい動きで薙ぎ払われた剣を避ける。
「っ……」
だが、切っ先が微かに腕をかすめた。上着の一部が裂け、じんわりと腕に血が滲む。ピリリとしたその痛みに、剣で傷つけられたのはいつ以来だろうなどと考えてしまった。そう、思わずそんな事を考えてしまうほど、グレイは戦闘において『怪我をしたことが無かった』のだ。それは何を意味する?
「大した傷じゃない。気にするな」
顔を見ずとも感じられるジュネスの不安げな気配に、グレイは軽口に聞こえるように気を付けつつ口を開いた。そうしながら、グレイは気を引き締め周りを見渡す。
―――やはり、おかしい。
多勢に無勢。しかし敵の動きは見えている。避ける事も反撃することも、決して難しいことではない、それだけの訓練を積んできているし、それだけの戦闘も潜り抜けて来た。だが、いつもと何かが違う。
何かが足りない。
薙ぐように剣を払い、敵を倒しつつグレイはその違和感の原因を掴もうとあがいていた。
彼は気づかない。
今までずっと、精霊たちが見えないところで彼を助け、サポートしてきていた事実を。
ライナはメインマストに少しずつ近づいて来ていた。船首の方では相変わらず男たちの怒声と悲鳴が入り混じり、混戦の様相だ。アレが続いているという事は、グレイ達は無事だと考えていいと思えた。木箱の陰から周りを見渡せば、混戦の現場から少し離れた所に、奴隷商人のボスという男が、ふんぞり返って椅子に座っているのが見えた。ライナの視力では、いやらしく歪んだ口元までがハッキリと見て取れる。ボスを守るように、背が高く横にも大きな屈強な男が二人立っている。専属の護衛か何かだろうか。行われている混戦に参加する気配はない。甲板の中央あたりに、格子でカバーされた昇降口がある。そのすぐそばでメインマストが突き出していた。顔を上げれば、夜空に伸びる太い丸太が見て取れる。その途中途中に籠のようなものがあり、見張りにでも使われるのだろうと思う。が、今もそこに誰かがいるのが分かった。
―――なにをして……あ、あれは……!
ひゅん!
ライナが息を呑んだのと、見張り台から一本の矢が放たれたのは同時だった。矢はまっすぐ伸び、混戦している男たち目がけて飛んでいった。そしてそれはグレイのすぐそばにいた男の方に突き刺さる。
「はっはっは!」
ライナがほっと息をついた時、思いがけず笑い声が響いて思わず胸を押さえた。声の主は奴隷商人のボス―――ガードロスだ。
「バズ、また外したな!もう5本も無駄にしてるぞ」
甲板にいるというのに、その声はまっすぐにメインマストにいる男に届いていた。男の傍にはランプがあり、淡い光が手元を照らしている。
「いやいやボス。さっき一本いいところにいったでしょう」
「当たらなきゃ意味がねぇな。このままだとお前の取り分は減っちまうぞ?」
「それは勘弁してくだせぇよ、次は当てますぜ」
笑いを含んだ声が呑気に響く。そう言うと、バズと呼ばれた男は再び揺れる船の上で弓矢を構え、狙いを定めはじめた。連射で撃たないのは、矢に限りがあるからなのか、揺れ動いて狙いが定めにくいからなのか分からないが、少なくともライナより射るのは下手そうだ。
ガードロスは面白そうに混戦を眺めているが、メインマストに向かっては視線も合わせない。同様に、警護している屈強な男二人も、周辺に意識を向けてはいるが、上方に向かっては注意をしていないようだった。
―――それなら。
物陰で足に巻いたばかりの布を取り外し、矢筒を背負い弓を肩に掛けた。口にナイフを咥えその時を待つ。警護している男たちの意識がメインマスト周囲から逸れたのを確認し、一気に走った。そしてそのままの勢いでマストを登り始める。まっすぐに伸びたマストには、ささやかな凹凸が付けられており、そこに足をかけ、手をかけ登り進めていった。木登りで鍛えた腕力と脚力がまさか海の上で役立つ時が来るとは、森の中で育ったライナには予想していなかった。
甲板ではそこまで感じなかったた揺れが、登るたびに強くなる。これは確かに一矢射るために狙いを定めるのも楽ではないだろう。だが、そのおかげでグレイたちに射られる矢の数が少なかったのだ。感謝しなければならない。
見張り台に手をかけ、ライナは慎重に体を起こした。風が吹いているため、多少の音は消してくれるだろうが、物音をたてない事にこしたことはない。
―――どうしよう。
狙いを定めている男は、真後ろにライナがいる事に全く気が付いていなかった。そしてライナもまた、登って来たはいいけれど、この後どうするか全く考えていなかったのだ。勢いだけで、とにかく攻撃を止めさせたいという一心で来てしまった。こうして悩んでいる間にも、標準を合わせた矢はグレイ目がけて飛んでいくかもしれない。
そう考えるとぞっとする。
また外れるかもしれない。けれど今度こそ当たるかもしれない。そしてその確率は……。
―――わたしがこの人を止めれば、ゼロになる!
意を決したライナは、口に銜えていたナイフを手に持ち替え、男の首筋に押し当てた。
お待たせしました。
ライナの戦いが始まっております。
船の部位とか専門用語を使いすぎないように、出来るだけわかりやすく書いたつもりですがどうでしょう。
うっすらとでも情景が浮かんでくれたらいいなぁ。という感じです。
お粗末様でした!