階下での再会
「おら、入れっ」
男は鉄の扉を開けると、ライナたちを一纏めにし乱雑に船室へと通じる扉へと押し込んだ。そしてその勢いのまま床に転がされる。折り重なるように放り込まれたライナたちが起き上がるより早く、扉は勢いよく閉じられた。ガンッという激しい音がした後は、外との喧騒と切り離され、驚くほど静かに感じる。
うっすらと明るいのは、階下に明かりが灯されているためのようだった。洩れた光がライナたちにまで届いている。完全な暗闇ではない事が、少なくとも今は行幸に感じられた。かなり勢いよく放り込まれたというのに、階段下まで頃勝ち落ちずにすんでいたのは、どうやらソニールが踏みとどまってくれていたからのようだ。小さな子供たちを両手でできるだけ支えつつ、自分の体を盾にして転がり落ちるのを防いでくれていたらしい。
「大丈夫か、みんな」
ソニールが声をかけるが反応は薄い。先程目の前で見せられた現実が、子供たちの心に深い影を落としていた。
モノのように扱われ、役目が終われば甲板に無造作に投げられ、そして邪魔だと判断されれば、容赦なく海に放り棄てられる。攫われてからずっと一緒にいた子供たちの一人ではなかったが、きっと同じように破落戸たちに攫われてきたうちの一人だったのだろう。遠目でも、鉄の腕輪をしているのがわかった。きっとあの子も【精霊士】の卵だったのだ。その子のあんな最後を見せられ、自分と重ね合わせるなと言う方が難しい。
「……とりあえず下に行ってみよう。こんな扉の近くにいたら―――いつまた、いいように利用されるかわからない……」
静かだが、全員の心に確かに響く声は、否応なしに全員の体を動かした。
「ねぇライナ……」
全員がのろのろと立ち上がり始めた時、俯き項垂れていたアンヌが声を出した。ライナは小さな声を聞きとるため、隣に並ぶ。
「ロージィたち、来てくれたわ。きっと、大丈夫……よね?」
震える声は弱弱しく、けれど期待を滲ませるものだ。期待したいと、信じたいと祈っている声だった。ライナはその声に大きく頷き、すっかり荒れてしまったアンヌの手を握りしめた。微かに震えていたその手は冷たいものだったが、それでもライナの手を強く握り返してきた。
「足元、気を付けて」
ソニールが先頭に立ち、一人の子供の手を握り階下へ向けて足を踏み出した。狭い鉄製の階段をゆっくり降りていく。子供たちはそれぞれ手をつなぎ、数珠のように連なって幅の狭い階段をゆっくりと進んでいった。
すでに靴を履いている方が少ない。いつの間にか脱げてしまったのかと考え、この巨船にロープで登るときに脱いでしまったことを思い出した。冷たい床の質感が、直に肌に伝わり、その冷たさは体の芯にまで届く。ひたひたと静かな足音を立て、ソニールを先頭にした子供たちはゆっくりと階下に向かっていった。
子供たちの中で年長である事。そしてその中でも唯一の男であることが、ソニールを奮起させているのは間違いない。加えて同年代だと思われるアンヌは貴族のお嬢様で世間知らずの様子だし、なにより気丈にしようとしていても、すぐに非日常の状態に心が浸食されて落ちてしまう。ライナに至ってはまだ少女の域で、そして言葉が発せないため相談相手にはならない。そうなってくれば、ソニールが一人で頑張るしかないのだと心に決めるのは致し方ない事だっただろう。
「もうすぐ着くよ」
暗く急な階段を子供たちはどう感じていたのか。確実に一歩一歩を進め降りていく。時折、甲板からだろう。外から男たちの怒声や悲鳴が聞こえてきて、知らず体が強張った。
ふっと目の前の光が強くなった。足元を見れば階段はもうなく、そこが最下層だと知れる。先頭だったソニールは、顔を上げそのまま固まった。
全員が到着し、殿をしていたアンヌとライナもその場について顔を上げ―――同じく体の動きが止まった。
「遅かったね」
目の前に現れた男は、そう言って軽く声をかけてきた。その男の周りには5対の金の瞳があり、それぞれ微動だにせずライナたちを眺めている。
「え……な、なぜここに……?」
アンヌは目を見開き、その男を見た。
いま、この現状に陥っている答えを持っているだろう―――ディクターを。
「簡単に言うなら招待されたからかな。それにしてもその恰好はひどいね。あいつらはレディに対する扱いを知らなすぎて困る」
飄々と悪びれた様子もなく、ディクターは椅子に座ったまま軽やかに返事をしてきた。本人は笑顔であるというのに、その周りにいる金の瞳を持つ男たちは鋭い眼差しでライナたちを威圧してくる。
「ディクター議長。あ、あなたが……あの男たちを指示していた、のですか?」
ずっと考えていたことだ。馬車で連れ去られたあの夜。馬車を用意してくれたのも、護衛を貸してくれたのもディクターだった。そして、荒野でその馬車から引き摺り下ろした浅黒い肌をした男もまた、いまディクターを守るように囲んでいる金色の瞳の持ち主だった。
繋がっているとしか思えない。
「わたしがあんな奴らの総締めだと思われるの心外だ、とだけ言っておこう」
「どういう意味でしょうか」
ずっと気落ちしていたアンヌだったが、今この場で議長であるディクターと対話できるのは彼女だけだった。ディクターとその周りから発せられる威圧感に、ソニールも子供たちも体を強張らせ身動きが出来ないのだ。アンヌが自然とディクターと対話を始めたのはごく自然な成り行きだった。
「伯爵達が来たのかな?」
「……はい」
伯爵とは、間違いなくグレイの事を指しているのだろう。そしてアンヌの質問には答えるつもりはないようだ。
「鎮圧は時間の問題かな」
「ディクター議長、どうか答えてください。この現状は誰が望んだもので、誰が指示した物なのですか。議長が主導権を握っているのではないのですか!?」
答えを躱そうとするディクターに、アンヌは思わず声を張り上げた。胸の内は不安で押し潰されそうなほどだというのに、その原因である男は答えを示す様子が無い。周りを囲む金色の瞳は怖かったけれど、すでに散々な目に合ってきた。そう思えば、これ以上何を恐れる必要があるのかと開き直ることもできる。
見知った人物であるが故に、心のどこかに甘えが出たことも否めないだろうが。
「残念ながら、答えることは出来ない―――それよりも」
きっぱりと言い切った後、チラリと視線を向けライナを手招きした。
「君は……そうライナ。こっちへ来なさい」
「……」
「そんなに警戒しなくてもいい。取って食いはしないよ」
そう言われてあっさりと足を踏み出せるはずもない。アンヌも警戒しており、ライナの手を握って離そうとしなかった。そのまま動かない事に焦れたのか、金色の瞳の男が一人進み出て、アンヌの手を引きはがすとライナを引っ張りディクターの前に連れて行った。
「ライナ!」
思わず手を伸ばすが、届かないまま空を切った。その様子を見ていたディクターは大業なため息を吐き出しアンヌを見た。
「公爵令嬢、淑女が大きな声を出すものじゃない。少々大人しくしていなさい」
「……なにを偉そうに……っ」
ギリッと音がしそうなほど歯を噛みしめ、アンヌは忌々しげにディクターと目を合わせる。大人しく従順にと育てられた公爵令嬢の姿は面影もない。家族やロージィ、ライナの前では晒し出していた素の表情。それは綺麗に塗り固められていたものより、よほど生き生きとしていた。
「ライナ、腕輪を見せてごらん」
「……」
言われ、おずおずと腕を持ち上げる。武骨な腕輪が華奢な腕にぴたりとはまっており、動く様子もない。だが、改めて見てライナは少し表情を変えた。
―――ヒビが入ってる。
「抑えきれないか。まさかヒビを入れるとは……」
ディクターの長い指が撫でるように腕輪に触れた。ゆっくりとヒビのある部分を往復している姿は、まるで何かを探っているように見えた。
「だが、まだ解放には足りない」
ぽつりと呟かれた言葉の意味はわからない。その言葉が聞こえたのは、正面に立たされていたライナだけだろう。
「ところで、伯爵も腕輪を付けられたのかな?……その顔を見たところ、そのようだね」
ディクターの質問には誰も声を出さず答えなかったというのに、それぞれの表情見ただけで答えを導き出したようだった。
いつもありがとうございます。
短くなってしまった気がする&後日一部、改稿するかもしれません。