封じられた力
いつもより短いかもです。
『いいかグレイ。いつ如何なる時も【魔法士】は冷静でなければならないんだ』
『どうしてですか師匠』
『突発的な嵐を起こそうと、それが【魔法士】の願いであれば精霊は叶えてしまう存在だからさ』
『信頼関係があればですよね?』
『確かに信頼関係は必要だ。だが、それは【魔法士】の能力の差にも大きく差が出る事だ。精霊は個ではなく概念だと教えただろ?』
『はい』
『彼らは意思を持たない』
『でも師匠、呼べば応えてくれるのに意思がないというのはおかしくないですか?』
『うーん……グレイがそう考えてしまうのも仕方ない事だけど―――だが、彼らは自らの意思で人を傷つけたりはしない』
『?』
『精霊という存在を感じ取れる【魔法士】がこの世からいなくなれば、彼らは消えてしまうんだよ』
『だから、概念……』
『彼らは自分たちを認知してくれる存在を喜んで受け入れる。それがどんな心根を持つものであろうとも』
『【魔法士】が冷静でなければならないのは、精霊を守るため?』
『そう。わたしたちの行動如何で、罪のない精霊が悪し様に非難されてしまう』
『隣国のような悪習を、この国に招いてはならない』
『精霊を制御するために、まずは自分の感情を抑える訓練が必要だ』
―――なぜ突然、ファーラルに師事し始めた頃に聞かされた事を思い出したかといえば、こんな事態になる前に感情の制御など無視して、精霊を暴走させていればよかったと後悔したからだ。
冷たい金属の感触が肌に伝わり、カチリという小さな音と共に、それまで感じられていた精霊との繋がりが一瞬で絶たれた。囁くように聞こえていた『―――愛し子よ』という声も失くなってしまった。
「なんだこれはっ」
慌てて取り付けられた腕輪に触れるが、まるで誂えたかのようにぴったりと嵌った腕輪は動かすこともできない。
「グレイ様!?」
白煙の中、ジュネスが声を頼りにグレイに向かってきた。そして装飾のない腕輪を外そうとしている主と、その近くで怯えたように震えている小さな子供を見つけた。
「子供……?―――あっ」
眉を顰め、一歩踏み出したところで白煙の中から丸太のように太い腕が突き出された。その腕の持ち主は、荒くれ者というものを体現しており、またその口元は厭らしく歪んで笑っていた。
「うまくいったか、ガキぃ」
「ひっ」
無造作に掴み上げられた子供は、ガタガタと震え自らの体を両手で抱きしめている。その腕にもまた、グレイと同じ武骨な腕輪が嵌められている事に、グレイとジュネスも気が付いた。
「後は邪魔だ、おらっ」
大男は子供を放り投げた。その頃には白煙もほぼ海風に流されており、視界が広がってきていた。子供は毬のようにぽんぽんと二度ほど跳ね、そのまま甲板に蹲って動かない。だらりと力なく伸びた手足が、最悪な事態を連想させる。
「貴様っ!」
「おいおい、売りもの潰すなよ」
「弱って使いものにならねぇガキだったんだからいいだろ」
思わず声を荒げたジュネスの事は目にも入っていないのか、子供を放り投げた大男は下品な笑いを響かせ、周りの男たちも同じように笑い声を上げていた。
「さぁて、そこの【魔法士】は封じさせてもらった。この人数相手に、どこまで耐えられるか……楽しみだなぁ?」
大男は巨大な斧を持ち上げ、口元を歪ませて笑った。パーティスとロック、そしてロージィ。ジュネスとグレイの5人はそれぞれ背中を味方に預け円になる。グレイ達を囲うように、それぞれ手に武器を持った荒くれ者たちがじりじりと近づいて来ていた。その数は少なく見積もっても30人以上はいる。先程まで、グレイの能力によって一定距離まで近づけなかった男たちは、その防御が崩壊したことを知り、笑いが抑えられないようだった。
「こういうのを形勢逆転っつーんだろ?」
「船が突っ込んできたときは『やべぇ!』って思ったもんだが、こうなっちまったらあっけないもんだなぁ」
グレイたちを甚振るつもりなのだろう。そしてそうなる未来を疑うことも無い。パーティスは代わりに精霊とコンタクトを取ろうとしたようだが、グレイがそれを視線で制した。まだ能力値は低いとはいえ、パーティスが【精霊士】だということは、切り札にしておきたいと考えたからだ。
「伯爵。もう甘い事は言わないでしょうね?」
張り付く緊張感の中、今もずっと瞳をぎらつかせていたロージィが笑いを含んだ声を出した。彼はアンヌを攫い傷つけたこの男たちを、本心から殺してしまいたいと考えているのだ。さっきまではなんとか抑えようとしてくれていたようだが、こうなってしまっては手加減などしていられない。ある程度の犠牲は許容範囲だと諦めるしかないだろう。もちろん犠牲は相手側の身であることが前提だ。
「―――わかった。手加減はなしだ」
「最初から、あなたに指示される謂われもないんですがねっ!」
言うが早いか、ロージィは愛剣を素早く振るい、銀の煌めきに血糊を付けた。ロージィの真正面にいた男は、目を見開き口をぽかんと開け、膝から崩れ落ちた。一瞬の出来事で、瞬時に絶命した男は苦しむことなく逝けただろう。
「てめぇ!」
それが合図となり男たちがどっと押し寄せて来た。
「パーティス、目の前の奴を一人ずつ確実に沈めて行け!」
「はいっ」
パーティスはバレないよう自分の剣に風を纏わせ、その威力を増させていた。剣戟のスピードが上がり、また剣自体の重さも軽減されたため、疲れなく振り続けられる。小さないたずらのように、時々男たちの足を掬い転倒させたりもしていた。転倒した男たちは、入り乱れた甲板で誰かと足が絡んだとしか思わず、パーティスが【精霊士】だとは誰も勘付くことはなかった。
「ロック、特攻掻き乱して足並みを乱せっ」
「了解!」
返事と共にロックが構えた武器は短刀だった。それまで構えていた剣を鞘に戻すと、腰に身に着けていた短刀を抜き放つ。左右それぞれの手に持ち、胸元で十字にして構えると小柄な体を生かして敵陣の中に突っ込んでいく。これは大ぶりの刀を装備している者には難しい一手だ。
ロットウェルでの訓練ではずっと、兵士に共通の剣を使用していたが、この数日の間に短刀の方がロックに向いていると指摘したのはマクルノだ。実際マクルノは手ごろな短刀をいつの間にか用意し、ロックに手渡していた。ロック自身もその扱いにすぐに慣れ、いざとなったら短刀に切り替えようと持ってきていたのだった。
といってもまだ不慣れなため、致命傷は与えられない。それでも鋭い刃が小刻みに相手の体力と血液を奪っていく。
足の腱を切り動きを止め、手の甲を切り裂き武器を持てなくする。それだけで戦意は自然と消滅していくのだ。
「何やってやがる!たった5人だぞ!」
「とっとと殺せ!」
「おらぁぁぁ!」
甲板はさながら戦場のような有様だ。響く怒号と悲鳴。甲板に散る血痕。止まることなく煌めく剣技。
「ジュネス、前に出過ぎるな」
「はい」
二人はお互いの背中を預け、まるでお手本のように剣を繰り出し、少しずつ確実に敵の数を減らしていった。だがそれでも、敵の数は圧倒的であり、高揚しているとはいえ疲れがない訳ではない。
「ガキをまとめて船室に放り込んどけ!邪魔だ!」
「へい」
ガードロスの命令で、ライナたちは引きずられるように立ち上がらされた。グレイに腕輪をつけるために利用され、その後甲板に転がされていた子供はあれからも動かない。気絶しているだけなのか、死んでしまっているのか近づくこともできないライナには判別する手段も無かった。だがその心配する気持ちも無駄になる。男が転がされていた子供を掴み上げると、その小さな体を海に向かって放り投げたからだ。
「きゃあぁ!」
「やめろーーっ」
「―――!」
小さな体はなんの抵抗もなく、暗い闇の中に吸い込まれていくように消えた。周りの喧騒がうるさく、海に落ちただろう音すら聞こえない。アンヌは悲鳴を上げ、ソニールは憤り、ライナはこんな時にこそ使うべき力を封じられている事実に無力感を味あわされた。
―――わたしは、また何の役にも立たない……!
母親の敵が目の前にいるというのに、何もできずにいる現実はライナの心を蝕んでいく。無抵抗な存在が一方的に殺されていく。森の中で母親を失い、今度は海の上。
―――もう、いや……。
引きずられるように船室へ続く扉に向かわされながら、ライナは唇を噛みしめた。
お待たせしました。
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