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無声の少女  作者: けい
波乱の起承転結
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特攻

 ―――愛し子を。


 囁くような声が聞こえる。

 今の状況を考えれば、囁くような小さな声が耳に届くことなど、あり得ないというのに。


 いまグレイたちは改装した展示船に乗り込み、沖合に浮かぶ巨船に向かっていた。10人にも及ぶ男たちが全力で漕いでくれていて、そのスピードは凄まじい。かけ声とともに櫂を繰り出すスピードからは、気迫と気合いがひしひしと伝わってきた。

 だが実際は、風の精霊が陸からの風を集めて船を後押ししてくれているのも高速になっている理由の一つだ。そして不可思議な現象はこれだけに留まらない。


「おい、波の方向おかしくねぇか!?」


 櫂を漕ぎつつ、男が一人声を張り上げた。その声に釣られるように海面に視線を向けた乗員たちは、最初何かわからないようだったが、異常性に気づいて顔を青ざめさせた。


「な、なんだ……!?」


 ひきつったような声には畏怖すらある。海に不慣れなジュネスたちには分からなかったが、日々海と接している彼らにしてみれば、まさに異常現象といえるだろう。

 波の向きが『逆』だったのだ。

 本来であれば沖から陸に向かう波が、自分たちの乗る船の周りだけ逆になっている。そしてその波は船を持ち上げ更に加速を加える事に繋がっていたのだ。


「どうなってるんだ、これ……っ」


 明らかに怯えの滲んだ声が上がる中、それでも速度は落ちる事無く突き進んでいく。


「みなさーん、これは精霊の助力ですぅ。異常現象でも怪奇現象でもないので安心してください〜!」

「せ、精霊が?」

「わたしと伯爵は【魔法士】ですぅ。安心してくださぁい!」


 間延びしつつ、それでも声を張り上げたパーティスの説明により、船内のざわつきはある程度治まった。パーティスは正しくはまだ【精霊士】止まりなのだが、今は細かい訂正は必要ない。

 すでに男たちの漕ぐ櫂の力は必要ではなくなっていた。加速の付いた船は、風と波の作用によって放っておいても一直線で巨船を目指していたのだから。


 ―――愛し子。

 ―――我の愛し子を。


 呼び寄せるように、訴えるような声。その声は相変わらずグレイにだけ届く。無意識に胸元へてをやり、石の在処(ありか)を確かめ強く握りしめた。


「ライナ……」


 唇から零れた小さな呟きは、人には誰にも届かなかった。風に掻き消され、その声は遠く彼方まで飛ばされていってしまう。けれどその名を精霊たちは決して逃さなかった。

 グレイの意思に呼応するかのように、波が一段と高くなる。そして背後からの風も一層強くなった。船体が浮き上がり、全員が思わず縁にしがみ付く。


「グレイ様!掴まってくださいっ!」


 ジュネスは舳先に立ち、前方に迫る巨船から目を離さず立ち尽くす主を見て、声を張り上げた。こんなに激しく揺れる中、片手で体を支えているだけで身動き一つしない。命綱も付けていない中、海に放り出されればそれだけで生死が危ういと思わせる海の荒れ方なのだ。

 波と風の音に掻き消されながらも、ジュネスは数度に渡り声を上げたが、グレイは一度として前方から視線を外さなかった。ただ一点、壁の様に思わせる巨大な船にだけ集中している。

 慣れない潮の香りと激しい揺れに、パーティスとロック、ロージィとジュネスは顔色を悪くさせていた。それでもグレイは動かない。ここが海の上である事すら、グレイには意味をなさないのかもしれない。


「―――ライナがいる……」


 ぽろりと零れた呟きは誰も拾わなかった。


「ライナだ。あれは、ライナだ……!」


 瞬きも忘れ、ライナの名前を連呼するのと同時、一段と大きな波が発生し、展示船を持ち上げるように浮き上がらせた。実際、持ち上げたといっていい。展示船が波の先に乗り上げた状態なのだから。高度をさらに上げ、風はその速度を上げさせる。まさに、波と風が船を押し運んでいるといって過言ではないだろう。


「うわぁぁっ」

「ひぃぃ」


 筋肉隆々な男の中にも、さすがに恐れを抱き蹲ってしまうものもある。だが、船頭をしているグレイは周りなど見えていない。神経のすべてはいま、前方にだけ向けられているのだ。そして彼は―――見つけた。

 個人を認識できる距離ではなかったにもかかわらず、見つけたのだ。巨船の甲板で身を縮ませている、その姿を。

 月明かりしかなくとも、その姿を見間違うことはない。


「ジュネス、ライナがいる!」

「本当ですかっ」

「アンヌ様は見えるか!?」


 呼びかけられ、ジュネスは体を支えつつなんとかグレイの傍まで近寄っていった。そして呼んでいないロージィも当然の如く隣に並ぶ。


「このまま突っ込む!」

「え」


 剣を抜き放ち、狙いを定めた。そして精霊たちは展示船をさらに加速させ、巨船の船首に見事船体を乗り上げさせたのだった。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 初めて乗った舟の乗り心地は最悪だった。乗り込み漕ぎ出すまで穏やかだった海が、突然荒れ始めたのだ。

 異常ではないのかと思えるほど波は高く、小さな舟はその波に大きく揺れた。乗っている男たちは縁にしがみついたりできるが、相変わらず縛られたままのライナたちにとっては、いつ海に投げ出されるかわからず恐怖心との戦いだった。

 体を縮め、床と壁に体を押しつけ、なんとか投げ出されるのを防ごうとするが、それをあざ笑うかのように、容赦なく波は舟を揺らし続けた。その揺れ幅は大きく、まるでライナを海に投げ出そうとしているかのようにすら思え、眼前に迫る真っ暗な海面に背筋を震わせた。

 ライナは声が出ないため静かなものだったが、ほかの小舟からは子供たちの悲鳴が絶え間なく聞こえてきていた。そしてそんな声は子供の物ばかりではなく、自分たちを攫った男たちの声も含まれていた間だった。

景色だけを見れば、月の瞬く風情ある夜だが、とてもそんな感傷に浸れる状態でもない。ただ投げ出されないよう体に力を入れて踏ん張るだけだ。


 そんな高い波間の中、大きな船の影が眼前に広がる。

 いま乗っている小さな船が何艘でも入ってしまうような大きな船。そびえ立つ山のように大きく高い。

 思わず口を開けて見上げている間にも、舟は徐々に船影に近づいていった。離れていても大きく感じた船は近づくと圧倒する大きさだとわかった。ロットウェルで城薔薇城を見たときも大きさと美しさに見上げて呆然としたが、それとはまた別の威圧感を感じる。

 ライナの乗る舟を漕いでいた男がランプの灯りを左右に振ると、大きな船からすぐに何かが投げ落とされた。落ちてきた何かを掴んだ男は、それを引っ張り巨船と繋がっていることを確認する。よく見れば、それは縄梯子だった。


「舟を集めろ。それからガキ共を上にあげるぞ」


 5艘の小舟が寄り集まると、離れないようそれぞれを荒縄で固定する。大きく揺れる海の上で、その作業は決して簡単なものではなかった。結ぼうとするたびに大波が船を揺らし、舟同士の隙間を広げてしまう。あまりに揺れに気分の悪くなった男たちは、時折海に向かって胃の中身を吐き出していた。

 幸か不幸か、子供たちは胃の中に何も入れていなかったため、この揺れの中でも体調を崩すものがいなかったようだ。


「手間取りやがる……ちっ」


 ようやく男たちが総掛かりで舟同士を結び合わせることが出来た頃には、不思議なほど海は穏やかになっていた。凪いだ海は静かで、あの悪夢のような揺れは真実、夢だったのではないかと疑いたくなるほどだ。


 舟をこぎ出した際には分けられていたライナたちは、今また一纏めに集められていた。ソニールを中心にアンヌとライナ。そして子供たちを二層の舟に分けて乗せていた。


「ライナ、大丈夫?」


 傍に来たアンヌが、ライナの耳元で囁くような声を出す。頷き返しつつ、視線を周りに向ける。小さな声はさざ波の音にかき消され、男たちの耳には届かなかったようだ。


「こんな大きな船……」


 海を見たことがないのはアンヌも同様だった。海の広大さだけでも唖然とするものがあったのに、いま眼前にそびえる巨船はいっそ恐ろしくも見える。


「おいガキども。これで上に(のぼ)っていけ」


 巨船から垂れ下がる数本の荒縄の梯子。集められた幼い子供たちは、無理矢理手に持たされた荒縄の束を、どうしていいのか分からず見つめる事しか出来なかった。


「足引っかける所があるだろ。順番に上ってけ」


 言われよく見れば、荒縄の途中に何個か結んで作った(こぶ)がある。それ以外には特になにも特徴がない。なれた船乗りでもない子供たちに、この男たちは力技で巨壁を上って行けといっているのだ。


「む、むり……」

「こんな……」

「うるせぇ!」


 そこかしこから子供たちの嘆きの声が漏れるが、男の一喝で黙るしかなかった。諦めたように、子供の一人が意を決したように荒縄を強く握りしめ―――その瞬間小さな体が浮き上がり、するすると巨船の上へと引き上げられていった。


「えぇえ!?あぁぁこわぃ―――っ」


 悲鳴が闇夜の中響き渡る。手を離せば真っ逆様に海に落ちてしまう恐怖と、握りしめた荒縄が柔らない皮膚を傷つける現実。

 小さな体が引き上げられ、ついに巨船の上に引き込まれたのを見て、固唾をのんで成り行きを見上げていたライナたちから、安堵の息が漏れた。そうして次々と上げられていく子供たちを見送り、今度はライナたちの番になった。ライナは木登りなどをしていたためか、ある程度の腕力はったのが幸いしたが、アンタはそうはいかず引き上げるまで時間が掛かった。結局、ソニールが縄でアンヌと体を括りつけ、二人揃って上げてもらう事になったのだが、甲板に上がってきたころにはソニールの掌は皮が捲れ、血が滲んでいた。泣いて謝るアンヌに、ソニールは弱弱しく微笑むことしかできなかった。


「待ちくたびれたぜ」

「ボス!」


 甲板に一纏めにされていた子供たちとライナだったが、そこに近寄って来た男が一人。その男に向かって、子供たちを小突き回してきていた男は『ボス』と呼んだ。


 豪奢な服を着た恰幅のいい男。手に持っているのは貴族男性がよく所持しているステッキだ。光沢ある杖は黒光りし、持ち手のところは金細工で整えられていた。少し太ってはいるが、貫録があるといえば頷ける。その男を見て、ライナは体を強張らせた。


 ライナはその男を覚えていた。


 故郷の村を襲った、母を殺した―――奴隷商人!


 ぞわりと一瞬で、体に震えが走った。視線が外せない。あの男、あの男……!


「商品は揃ってんだろうな」

「ああ、バッチリだ」


 ライナの視線など気づきもせず、ボスと呼ばれた男は口元に下卑た笑みを浮かべたまま甲板を歩き出した。この場に不似合いなピカピカと光る革靴。

 意識を他に向けることが出来れば、船内に通じているであろう扉から、幾人もの男たちがぞろぞろと集まり始めていたことに気が付いただろう。だがライナはいま、それどころではない。


「集めるのにも、ここまで運ぶのにも苦労したんだぜボス」

「その分の手当は弾んでるだろう」

「へへ……その報酬に色を付けてくれてもいい働きだったって話さ」


 ニヤニヤしつつの返答に、ボスと呼ばれた男―――ワムローの兄ガードロスは、鋭い視線を投げかけ、持っていたステッキで男の腹部を強打した。


「がっ……」

「あまり図に乗るなよ、ここから海に放り出すぞ」

「ボス、じょ、冗談だよ……」


 引く言い放たれた声音は本気にしか思えず、男は逃げるように視線を周りに走らせ―――動きを止めた。


 なんだ、あれは。


「おい、一人腕輪をしてないのがいるじゃねぇか。しかも依頼してた年齢より……おい、聞いてんのかてめぇ」


 後ろから聞こえ苛立った声に思わず振り返る事も出来ず、舳先の向こうに視線を向け続けている。ガードロスも釣られたように視線を向け、固まった。


 なんだ、あれは。


 見たことも無いほど高い波。しかもその波の上に船が一隻乗っている。それが真っ直ぐこの別大陸の巨大船に向け、飛ぶように向かってきているのだ。

 ガードロスを含めた男たちが、グレイの乗る展示船を目視した途端、前方から一気に強風が吹き荒れた。突風というには継続的すぎ、強風というには強すぎる。


「なにが起こってんだ……!」


 ガードロスが杖を甲板に突き立て、体勢を維持しようとしたとき―――


 ドォオォォン!


 展示船が先頭に突っ込んできた。


いつも少し長いです。

そして次回から、よーやく視点が一つになります。

ライナとグレイで分けなくていいんです!!ブラボーひゃっほー!!

というわけで、やっとやっと章の終わりが見えてきました(涙)

次回(多分)残酷表現が加わると思いますので苦手な方はご注意ください。

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