船が進む先
大変お待たせしております。本当にすいません。
ほぼ闇に覆われた空に、パンっという発砲音と共に、照明弾が打ち上げられた。その後に続くように、別の方向にも光が放たれる。一つは市街地から。そしてもう一つは街の外れ辺りから。港の組合事務所の窓から、偶然にもその光を目視してしまったマクルノは、憚る事なく舌打ちをした。
「今の光は何だ?」
組合長であるゴーランが、眉を顰めて寄ってくる。そしてマクルノと並んで窓の外に視線を向けたところで、再び二発の照明弾が打ち上げられた。
「あれは誘ってるな」
「陽動でしょうか」
ナジは別の窓から空を照らす光を眺めており、短刀の手入れをしていたロックもそれに混ざった。グレイはいまだ落ちたままで、ジュネスは付き添いの為奥の部屋に籠っている。締め切られた部屋で光は届かなかっただろうが、発砲音は聞こえたはずだ。
「陽動だって分かってて動きたくねぇなぁ」
「だが放置するわけにもいかないんじゃないのか?」
うんざりと声を出すマクルノに、ナジは至極もっともな意見を口にした。この日、この時間を狙ったようなタイミングで、ここまであからさまな照明弾の打ち上げ。しかも二か所。どう考えても狙っているし、誘っている。
行きたくないなぁ。面倒だなぁ。と考えていたが、周辺偵察していたパーティスの一言で行動せざる得なくなった。
「マクルノ隊長ぉ。一発はワムロー邸からの発砲が濃厚です〜」
「あっちゃー」
「これで男爵からの連絡は期待できないな」
思わず天を仰いだマクルノに、ナジは冷静な判断を下す。あの屋敷に使用人は極端に少なく、また勤務しているのも半端者ばかりだというのは、街全体の周知の事実だ。そんな屋敷に警備などいるはずもないし、期待できるはずもない。
「ロックとパーティスの二人と、ナジと俺で手分けして当たるか」
やれやれと実際に声に出しつつ、首の後ろを掻きながら窓際を離れたマクルノは、部屋の中央にあるテーブルセットの椅子に座り、微動だにしないロージィに近づいた。
「ここに残るのはグレイとジュネス、あとロージィだけだ。まぁちょちょいと捻って戻って来るから、勝手な行動するなよー」
「……」
「―――ま、ほどほどにな」
返事のないロージィの態度をどう受け取ったのか、マクルノは小さく苦笑するだけで、それ以上何も言わなかった。そして、手早く準備をしたパーティスとロックに手早く指示を出すと、それぞれ目的の場所に向かって駆けて行った。まだ経験不足だといっても、パーティスもロックも軍人の端くれである。動き出せば早かった。
「陽動と分かっていて向かうなど……」
事務所でポツリと残されたロージィは吐息のような声で小さく呟いた。ゴーランは変わらず外を眺め港を警戒しているため、小さな呟きは聞かれていなかった。
―――では、陽動部隊と別に本体がいるということだ。
そう思い至ってゆっくりを顔を上げる。ワムロー邸はここからさほど離れているわけではないが、それでも足で駆けるにはそれなりの距離がある。今から向かったところで事が決した後では間に合わないだろう。
―――ん?なんだ……なにか思い違いをしているような?
ふと胸の奥をよぎった引っ掛かりに、ロージィは考えるように顔を上げ、何もない宙を見上げた。視界に広がるのは薄汚れた事務所の壁紙だけ。暫く考えてみるが、何に引っ掛かりを覚えたのかもわからず、結局は有耶無耶に霧散していきそうになる。それを繋ぎとめて改めて考え直す。
―――いや、そもそも相手に陽動の意思が無ければ?
打ちあがった照明弾は二か所。それぞれが連絡用として打ち上げたものであり、二連続したのもそれに対する返事だったとしたら?
―――それはないか。あんなに目立つのだから、こちら側に知られるリスクは覚悟しているだろう。
つまり……いや、違う。考え違いをしている……。
「相手は、わたしたちの存在を認知しているのか?」
船を用意しろと連絡を受けたワムロー。その情報は本楽秘匿されるべきもので、彼が誰かに知らせることを想定していない筈だ。それであるならば―――抵抗なくこちらに姿を晒すだろう。ある程度の警戒はしているだろうが、油断している事に違いはない。
「おい」
「!」
考え込んでいたロージィに、ゴーランの鋭い声が耳に届いた。
「来たようだぞ」
その声にロージィは窓に駆け寄った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
空に上がった光の弾丸に、男たちは顔を見合わせて頷きあった。
「上がった」
「今のうちだ、行くぞ」
木箱を積んだ馬車には幌が掛けられ、外から見ただけでは何が積まれているのか分からなくなっている。
男たちは光が上がった2か所を確認し、馬に鞭を当てると馬車を港へ向かって走らせ始めた。馬車が2台とそれぞれの御者。ほかの仲間は幌の中に身を潜めている。馬は街を入ってすぐに売り払った。
幌の中では、男たちが身を寄せ合い小声で話をしていた。車輪が石畳を駆ける音で、小声での会話なら外に漏れ出すことはないだろう。
「あとは積み込んで引き渡しだな」
「バーカ。海を渡らなきゃなんねぇんだぞ」
「少なくも気は抜けるだろ」
「確かにな」
「それにしても、ジトゥカに任せてよかったのか?」
その言葉に男たちはしん、と静まり返った。二か所目の照明弾を打ち上げると言い出したのはジトゥカで、自らその役目を志願したのもジトゥカだった。
「何考えてるか分からねぇ奴だったな」
「最初から最後まで、な」
「あいつが打ち上げた場所ってどこだ?」
「街外れだって言ってたけど、それ以外は知らねぇよ」
精霊を使役する能力のない男たちには、すぐに連絡を取る手段が無い。そのため取られた対策が照明弾だった。はっきり言って目立つし、使用するのは極力避けるべき手段だ。だが、ジトゥカは一か所からだけの照明弾では狙い撃ちにされるが、複数の場所から印が上がれば、陽動にも攪乱にもなると言い放った。そのため最低二か所からの照明弾打ち上げを提案し、提案者として2か所目の作業は自分がすると言いだしたのだった。
「とりあえず2発の照明弾が上がった。船は用意されてるってことだ」
「荷物をドルストーラに届ければ、仕事は終わり。暫く遊んで暮らせるぜ」
潜めた声だったが、仕事の終わりが見えて来て気が抜けているのだろう。口の端が上がり、下卑た笑いを浮かべていた。
ふと、一緒に笑っていた男が思い出したように話題を提供する。
「そういや、もう一つの仕事はうまくいってるのか?」
あくまで自分たちは『精霊を感知できる子供』を集めて届けるのが役目だ。もう一つの『体力のある男』を請け負っている仲間たちはどうなっただろうかと考える。
「あっちは楽勝だろ。なにしろ賃金チラつかせて堂々と国境越えだ。羨ましいね」
「こっちはガキども集めだかったからな。親はうるせぇし、周りもうるせぇし、なによりガキ自体がうるせぇし。子供ばっかり集めて国境越えなんてよ。楽じゃねぇ方割り当てられて散々だ」
「お前は報酬がいいからってこっちを選んだんだろ」
「へへへ、まぁーな」
顔を見合わせた男たちは、この数日中には手にできるだろう報酬を思いにやりと笑い合った。
そしてそのまま馬車は走り、ついに目的地である港近くに到着した。
静まり返った港に明かりはなく、ただ月の光だけが降り注ぎ、それが唯一の明かりだった。まず一人が船の有無を目視で確認しにいき、確実にあったことを伝えた。
「よし。運び込むぞ」
「箱ごとか?」
「バカ言え。全員箱から出しちまえ」
最初の計画では箱ごと運ぶつもりだったが、荷物たちには有難いことに自分で動く足を持っている。使わない手はない。
「一人ずつ出して、全員猿轡だ」
暗闇の中、箱から出された子供たちに男たちは次々と荒縄を使って口を封じていく。目の粗い荒縄は皮膚に擦れればそれだけで痛みを伴う。ましてそれを口に銜えさせられるのだ。思わず身を引いた少女に、男は冷たい視線を向けた。
「抵抗するなら殴っちまえ。一人や二人、担いで船まで運んでやらぁ」
唾棄するようにそう吐きだされた言葉に、少女は震えながらもその荒縄を受け入れた。そしてそれは当然、ライナとアンヌにも訪れる屈辱だ。ソニールも含めた3人と子供たち12人。合わせて15人の『商品』たちはそれぞれ適当に5つに分けられ、男たちがそれを牽引するかのように船に向かって歩き出した。
ライナは目の前に広がる初めての景色に思わず歩みを止めた。空に浮かぶ月が反射して煌めく水面。嗅いだことのない磯の香。初めて見る海の広大さに腕輪の重さも、猿轡の苦痛も一瞬忘れた。だが、すぐに背中をドンと押され現実に立ち返る。
腕には【精霊封じ】の腕輪。口は荒縄で猿轡。前後には屈強であり荒くれ者の男たちがそれぞれ囲っているのだ。
冷静に周りを見れば、幼い子供たちは海に反応を示すことも無く、ただ恐怖で顔を強張らせていた。現状、逃げ出すという気持ちすら砕かれても仕方ないだろう。
せっつかれ小突かれながら歩いた先に見えたのは、小ぶりと言って差し支えのない船だった。ゆらゆらと不安定に揺れている5隻の船は頼りなく、不安な気持ちを抱かせる。そしてそれは、大の大人が4人も乗れば満杯になりそうな船だった。
「全員乗れるのか、これ」
「チビどもは二人で一人って計算するしかねぇな」
「沈みゃしねぇだろ。詰めさせろ」
「さっさと乗れ。乗ったら座れ、動くな」
撓んでいたロープを手繰り寄せ、子供たちが乗り込むのを急かしていた男は、ふと動きを止めて立ち上がった。
「おかしい」
そう、おかしい。船を手放すことになるというのに、海の男たちが誰もいない。一人くらい見に来るだろうと予想していたのに、本当に誰もいないのだ。隠れて見ているのか?
どんな騒ぎになるかわからないため、体力自慢とはいえ一般人を巻き込むことを良しとしなかったマクルノ達により、港の男たちは全員立ち入り禁止を言い渡してあったのだが、もちろん知る由もないだろう。
「誰も居ないなら居ないでいいじゃねぇか」
五艘の船にそれぞれ乗り込み、男たちは櫂を手に取り漕ぎ出し始めた。波のある海での操作は河で扱うのとは違い、慣れるまでに時間が掛かりだったが、悠長にはしていられない。
「おい、あの沖合を見ろよ」
一人の男が水平線を指さす先、そこには巨大な船のシルエットが待ち構えるように浮かび上がっていた。
ちょっと駆け足で進めました。
各キャラの動きなど、かなり粗削りかもしれません。