港町へ
ジュネスとロージィがワムロー邸から港へやって来た時には、すでに夕暮れ時だった。赤い夕陽がゆっくりと時間をかけ、水平線に沈んでいこうとしている。眩しいほどのその夕陽が沈み切れば、港周辺にはろくに街灯もないため、辺りは暗闇に包まれてしまうだろう。
「グレイ様、遅くなりました」
馬をかなり走らせてきたのだろう。到着したジュネスとロージィは額に汗を浮かべていた。本来であれば、呼吸を整えたいところだ。
「すぐに打ち合わせに入るぞ」
「はい」
しかし間髪入れずのグレイの言葉にも、ジュネスは即座に頷き手早く身支度を整える。
組合にある会議室を借り切り、顔を揃えたのは総勢8名。グレイ、ジュネス、ロージィ、マクルノ、パーティス、ロック、ナジ、ゴーランだ。ゴーランは組合長として、港で行われるだろう事件の見届け人として席についている。ナジは本人たっての希望でこの会議に出席していた。
「ワムロー男爵は来ないか?」
「屋敷に連絡が届いた場合を考え、屋敷に留まるとの事です」
ジュネスからの報告に、グレイは一つ頷くことで返事とする。
「ロック、用意できる船は何艘だった?」
「全部で5艘です」
その返答に、グレイたちの表情が緩んだ。予想していたより数が多い。しかし、傍観者をしていたナジが手を上げて視線を集める。一番近くにいたマクルノが顔を向けると、少し気まり悪そうな表情で顔を顰め視線を逸らした。
「喜ばせて悪いが……その5艘の中には、相手さんに渡す船も含まれてるぞ」
「……なんだって」
「ロックが聞きに来たとき『すぐに使える船の数』って言うからさ」
修繕した船を含め、今使えるのは5艘。それは間違いない。しかし、それは相手側に渡す船の数も含めての5艘だ。決してグレイたちがすべて使えるわけでは無い。
「わりぃ」
「―――いえ、俺がロックに持たせた伝言が抽象的すぎたんです。申し訳ない」
ぶっきら棒な言い方ではあるが、その表情からも謝罪の意思を感じ、そしてまたグレイ自身も焦り、内容を吟味する間もなく伝達を出してしまったことを謝罪した。
「言い合ったところで答えは変わらねぇ、使えるのは全部5艘ってことだな」
「ああ」
マクルノが会話を引き取り、ナジが深く頷いた。
「相手かどれだけの船を使用したいと思っているかで、こちら側が使える船の数が変わるという事だな」
腕を組み、頭を垂れて考えるが船の数が増えるわけでもない。その様子を見つつジュネスはいやな予感を口にする。
「下手すれば5艘全部使いたいっていうかもしれません」
「可能性はあるな。しかしそうなれば、俺たちが使える船が無いって事態も考えられるか……」
「あのぅ」
主従で唸っていると、パーティスが恐る恐る手を伸ばし挙手していた。突然のようにパーティスに全員の視線が注目する。
「なにか案があるのか?」
「えっとぉ……すごく、簡単なことだと思うんですけどぉ」
一斉に集まった視線にビクつきながら、相変わらず間延びした声で言葉を続ける。
「簡単な事?」
「船に乗せるまでに……中身確認したらいいんじゃないですか……ね?」
船を使う事ばかりを考え、根本的なことを失念していた男たちは、一斉にパーティスを指さして声を揃えた。
「「「…………それだ!」」」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
体に伝わる振動の変化を感じ取り、ライナは抱えていた膝頭から顔を上げた。出発してからずっと感じていたざりざりとした振動は、先程から硬質な音と共に響く振動に変化した。その違いの意味を知り……馬車が舗装された石畳を走り出したと理解した。
ロットウェルも同様だが、街付近になれば道はそれなりに舗装され、水はけもよくなる。荷物を引く馬たちにとっては、石畳を走るのは蹄が痛むのであまり嬉しくないかもしれないが、少なくとも操る人間側から見れば、整えられた道を走ることは安心感もあり気分も楽だ。
だが、現在箱の中に詰め込まれているライナたちにとってはどちらでも同じ事。いっそ砂地を走っている状態だった時の方が、土が衝撃を吸収してくれていた分、尾てい骨に響く振動は軽減されていたと思えた程だ。
「すんなり街に入れるか」
聞こえてきた男の声はくぐもっていたが、どうやら荷馬車の真隣で話し出したのだろう、雑音が少なくよく聞こえた。声を出した男自身も、周りにいる仲間たちに聞こえるようにあえて声を張り上げた風だった。
「入るのは簡単だ」
答えた男もまた、声を高くしている。
「荷物の確認はあるのか」
「国境でもあの程度だったんだぜ。あったとしても、たかがしれてらぁ」
「まったくだな」
わはは、と笑いあう声が聞こえる中、ライナは会話を聞き逃さないよう、聴覚に意識を集中させていた。
「中に入ったらお前はボスの兄貴のとこに行けよ」
「りょーかい・・・名前なんだっけな」
「ワ、ワ、ワ、ワズロー男爵だった、かな。確か」
「ワムローだ」
訂正の声を出したのは、落ち着きのある低音。聞き間違いでなければ、出発前の地下室でアンヌだけが連れて行かれそうになった時、それを阻止してくれた金色の瞳の持ち主のはずだ。名は確か―――
「ジトゥカ間違いないのか」
「記憶力はある」
端的な返答に、他の男たちから反論はないようだった。
ジトゥカという人物は、この男たちへ指示を出しているわけでは無く、あくまで仲間の一人という位置づけなのだろう。だが、それにしては堂々と意見を言ったり、他の者たちのようにバカ騒ぎをしたり、口汚く第三者を罵ったり貶める発言をしていない。
だからと言って、ライナたちを攫ってきたのは間違いないのだから悪者だという事は確実だ。
「おい、門兵いないぞ?」
「マジか。ラッキーじゃねぇか」
向かう先にある街の入り口。いると思われていた門兵の姿はなく、自由に馬車や人が行き来しているのが見て取れた。国が変われば規則も変わる。ロットウェルでは国境を越えた後、そして大きな街に入るときなどに荷物検査を受ける。素性を検められたり、場合によっては通行手形の提出も促されることもあるほどに厳しい。しかし、どうやらマーギスタはそこまで締め付けた規則を設けていないようだった。
「そろそろ街に入るぞ。手筈通りいくぞ」
「おう」
「ああ」
「いくぜー」
思い思いの返事が聞こえて来て、それと同時ほどに馬に鞭を入れる音が響いた。一度揺れた後、ぐん、と後方に引っ張られる感覚を味わい、馬車が加速したのが分かった。
馬車は街の入り口である門を加速気味に通過した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
それと時を同じころ、グレイの胸元に入れていた護り石が、まるで心臓のように鼓動を打った。咄嗟に感じた違和感に、慌てて巾着の中から護り石を取り出したグレイは、その異様な熱と掌の上でなお、鼓動を刻む黒い石に注視した。
「なにかが起こった……?」
「隊長ぉ!」
その時精霊を使って周辺探査を行っていたパーティスが、慌てたように駈け込んで来た。話し合いをいったん終了させた後、パーティスには予定通り調べをさせていたのだ。
「どうした」
「せ、精霊……精霊が集まってますっ」
その慌てぶりよりも、精霊が集まっているという単語に反応し、グレイは組合事務所をの外に出ると、パーティスが指し示す方へ探査のための精霊を飛ばした。手のひらにある護り石は鼓動を落ち着かせたものの、相変わらず熱いほどの熱を放ち、その存在を主張している。それを握りしめながら飛ばした精霊と意識を繋げ―――
「……なんだ、あれは」
パーティスが慌てて駆けてきた理由もわかる。視えた状況にグレイも言葉が出ない。
見えたのは積み上げられた木箱。その箱に群がる数多の―――そう、言葉通り数多の精霊たち。目視で数えることなど不可能な数だ。だが不思議なのは、そんな精霊たちの中心に存在する箱の中からは、何の気配も感じないという事だ。
グレイが見えた事を簡潔に述べるのであれば、空の箱に精霊が山のように集っている。そうとしか言いようがない。不思議な現象と言えるだろう。
だが、グレイはこの状態に似たものを以前別の場所で見ている事に気が付いた。そう、あれは森で殺された一人の男。彼の亡骸は生命活動を終えた後も、数多の精霊たちに悼まれ続けた。彼が愛され、そして信頼されていたのだということがよく分かった。土に還るため埋葬した後も、精霊たちは傍を離れず一緒に土を被っていた。
「あの箱の中は……まさか……」
死してなお精霊に愛されたディロ。そして彼の娘であるライナもまた、精霊に愛されている。
「まさか、まさか―――!」
もし彼女がディロと同じように息絶えていた場合、精霊たちはディロの時と同じようにその死を悼むのではないだろうか。
同じように寄り添い、共に土に還ろうとするだろう。
絶望感と恐怖。怒りと焦燥が全身を一瞬で駆け巡った。
ライナが身に付けさせられている精霊封じの腕輪は、精霊への干渉だけでなく、その気配をも断ち切ってしまうものだった。その為、グレイにはライナを察することは出来ず、彼の思考は最悪な事態を考えるに至る。
「あぁああああっ!」
溢れそうな感情が決壊し、グレイは絶叫した。