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産声

あれから何時間か経った。

侍女である彼女の名前は、『フィリア』というらしい。

私が呼ぶと瞳を輝かせて「何でございますかっ!?お嬢様!」と言って迫ってくる。



怖いから止めて欲しいと思った。




旦那様は仕事の途中だったらしく、執務室に戻って仕事を片づけているそうだ。食事のときにまた会いに来る、とフィリアは言っていた。


つまり、これが意味していることは…










「お嬢様、此方のドレスは如何ですか?」


「……」


「そんなに気になさらなくてよいですよ?旦那様は此処を開けて見せてあげなさい、と申していらっしゃってますから!」










ドレス選び、だ。

私は正直、ドレスなどに感心を持っていない。着てみようが誰かに見せるわけではないので、幼い頃から興味を持たなかった。加えて、乳母のこともあったので、私は毎日着せ替え人形になっていた。

着せ替えの後は、乳母の望む『あのお方』になっているので、乳母は大変喜んでいた。

つまり、私には服なんてどうでもいいと思っている人間なのだ。選べ、と言っても無理すぎるお願いだ。

しかし、いつまでもこの病人のような白いワンピースを着ている訳にもいかなかった。しかも先程は、この格好で旦那様と会っていたのだ。恥知らずにも程があるのだ。

そんな私の心の葛藤など知らないフィリアは、私がまた健気な姿を見せていると思っているようで、また大きな瞳に涙を浮かべていた。いくらなんでも、泣きすぎだと思った。


とりあえず私は、衣装室に沢山入っているドレスの中から手前に取りやすくあった薄い水色のドレスを取った。特に派手な装飾はついていないので、私はこれにした。


因みにこのセンスは、私の個人ではなく『あのお方』のものだ。乳母から沢山、言い聞かされたのだ。







――『あのお方』は、派手好きではありませんでした。だからあなた様、あなた様もこれを着るように。








そう言って渡されたのは、この水色のドレスのような感じのものばかりであった。


私は手に取った後、すぐに着替えた。この行動には流石のフィリアも驚いた様子だった。一介の淑女としてありまじき姿だろう。しかし、此処での私は『記憶喪失』の人間だ。関係ない。


城では沢山の侍女が、服を着替えるときに手伝ってきた。私は煩わしかったのを覚えている。だから、偶に1人で着替えると怒られた。淑女がすることではない、と。


やはり、侍女はどこにいっても変わらないようだった。










「お嬢様、なりません!一介の淑女がそのよなことをなされては、恥知らずでございます!」


「でも、1人で着替えるから……」


「“でも”では、ありません!僭越ながら、このフィリア。手伝わせていただきます。」










そう言ってからのフィリアの行動は、とても早かった。一瞬にして私の手にあったドレスは奪われ、私はコルセットをつれられ、ドレスを着ていた。

そして、いつも無造作に流している髪に櫛を通して、あっという間に私の髪は結られていた。

その調子で化粧もされていき、すぐに終わっていた。


終わった自分を鏡で見ていると、まるで違う人間がそこにいるようだった。化粧もされたのも髪を結ったのも初めてだった。城にいた私は、いてもいなくて同然の扱いだ。夜会などには一生いかないだろうし、かと言って父と母に会うこともない。だから、こうしたことは何一つ知らない。




でも、少しだけだが綺麗な格好が好きになった。










「綺麗ですわ、お嬢様!やはり、元もお美しいので更に映えますね!!」


「いや、私は…美しくはないから。フィリアのお蔭だよ、ありがとう。」


「…っ!!お嬢様っ!?」


「……?」










私は嬉しかったから、フィリアにお礼を言った。少しは笑えた、と思った。でもフィリアの様子を見ると、どこか違うようで、また両手で顔を覆いながら、また泣き崩れてしまった。










「お嬢様ぁぁぁっ!!」


「……フィリア?」


「うっうぅ…その健気なお姿を見せられては、私はまた泣いてしまいそうです!」










――もう、泣いているよ。


私は言葉には出さなかったが、心の底で思った。

でも、私はそんなフィリアの様子を嫌いにならなかった。寧ろ、大好きになっていた。

城には、こんなに行動一つ一つに感心を持ってくれる人は居なかったから。乳母は見てくれた、でもそれは違うものだった。


乳母の前では、私は『あのお方』の仮面を被っていたから。乳母を笑わせようとしていたから。

でも、フィリアは素の私を見ていてくれる。それが、嬉しかった。



















それから、フィリアに色々話を聞いた。国のことだ。父が治めている国を私は、一度知りたかった。

私に家庭教師は居なかった。私に父は国を治めてほしいとは何一つ思っていなかった。だから、家庭教師は居なかった。


では誰が次に国を誰が治めるのか――父は代わりに貴族の子息を跡継ぎにするつもりだろう、と乳母や侍女たちは言っていた。私は、悲しかったのを覚えている。


フィリアに聞くと、今は王太子の婚約者を決めるのに国中が騒がしく、貴族の娘たちの中では、毎日火花が飛んでいるらしい。…怖かったから、余り聞かなかった。


しかし、この話の中に私の記憶と明らかに違うことがあった。王太子の話は良かった。私の代わりの子だと思っていたから。でも、王は違う。





「現在、国王陛下は病を患い、大変な状態です。国のことは王太子殿下が治めている状態と言っても過言ではございません。だから、王太子殿下の婚約者が決まった時には――王太子殿下がこの国の王になるでしょう。」






私の父は、生きている。健康で病を患ってなどいない。それは確かだ、とは言えないが、流石に蔑ろにされている“王女”にも聞かされるはずのことだ。


――おかしい。


それしか言えなかった。


嫌な汗をかいてきた。背中にも手にも全身にかいていた。


嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、と本能が告げている。それでも聞くしかなかった、私にはそれしかなかったからだ。

私の勘が正しければ、ここは“違う”のだ。




ここは私の父――“ダンケルハイト王”がいないかもしれない。

そして私の国――“エウィルネダス”ではないかもしれないのだ。










「ねぇ、フィリア。」


「何でございますか?」


「……この国の名前は?国王陛下の名前は?」










ねぇ、嘘だといって、










「この国の名前は“アメタトス”、国王陛下のお名前は“グラナヴェート”陛下ですわ、お嬢様。」










私は、頭が真っ白になるのを感じた。



















あれから私は、フィリア何も質問しなかった。彼女は私の様子を察したようで、何も言わなかった。ただ傍にいて、お茶を入れてくれた。ハーブのお茶だった、私が好きだと主張することが出来るものだ。


私は最初は下げるようにお願いした。好きなものでも今は、とてもじゃないが飲む気にはならなかったからだ。でも、フィリアは下げる素振りを見せなかった。

段々と私は居心地が悪くなった。暫く経ってから躊躇いながらも、コップに口をつけた。



…おいしかった。



フィリアはそんな様子をただ、嫌な顔を一つも見せずに笑顔だった。








それから旦那様との食事までの時間は、ゆっくり過ぎていった。私は椅子に座って、窓の外に見えた庭を見ていた。驚いたのは、そこに見えたのは乳母が慕っていた『あのお方』の趣味の花たちだった。

私は、少し気持ちが軽くなった。母に奪われてしまったものだったから。あんなちんけな花壇と一緒にしてはいけない立派な庭だが、私には同じものが広がっているように見えた。










「気分はどうだい?大した話もできなくてすまない。少し仕事が溜まっていたんだ。」


「いえ、大丈夫です。それよりすみません…っ気を使わしたようで…」


「いや、構わないよ。それよりフィリアは凄いだろう。彼女は押しが強くてね、その様子だとやられたようだね。」


「……」










ごもっともだった。


そんな風に言われている渦中の当人であるフィリアは、私の後ろにいてニコニコしている。やっぱり、彼女はとても強い人だと思った。肝が据わっている。

旦那様はハハハハハッ、と笑っていた。此方も肝が据わっている。なかなか怖い図だった。


私と旦那様の前には、豪華な食事が広がっていた。私に気を使わしたようで、私が嫌いだと言った肉類を使った料理は一切なかった。代わりに魚料理が沢山あった。

この様子に申し訳なくなった。旦那様は肉料理がお好きかもしれないからだ。私は謝った。

そんな私の謝罪に少し目を開いて旦那様は、驚いていた。でも、すぐに笑って「気にしなくてもいい」と言ってくれた。


少し、心が暖かくなった。






それから、私の記憶の話となった。

私が言えたのは、恐らくこの国の出身ではない。身内がいないということだ。そして、名前を含めた一切の自分のことは分からないということだ。

私は嘘をつくのに慣れていない。今まで嘘をつくような生活をしていなかったから。

旦那様は私の話を聞くと、とても悲しい顔をしていた。

私は申し訳なくなった。嘘をついているから。


流石に名前がないと不憫だと、旦那様は言った。しかし、私に“名前”という概念はないから、少し疑問に思った。


“名前”はそんなに大切なのか、なくてはならないものか、と。

私の両親は私に贈ってくれなかったものだ。普通の人間なら、受け取ることが出来るものを私は出来なかった。

1ヶ月前は悲しかった、でも割り切れた。

――何で名前は必要なんだろう?


今の私には分からなかった。










「…―『ラヴェリア』。」


「えっ、…?」


「君の名前だよ。まあ、名前は私の亡くなった娘の物になるはずだったものだが…」


「……」


「嫌かい?」


「いえ、嬉しいです!」










私は、笑顔見せた。嬉しかった。


旦那様も笑って、フィリアも笑った。


しかし、私はすぐに顔を曇らせた。原因は旦那様が言っていたことだ。


旦那様は、娘と妻を16年前に馬車の転落事故で亡くしたと言った。そんな大切なものを私は、貰うわけにはいかなかった。私は断った。そしたら、悲しい顔をされた。










「やはり、嫌だったかい?私は君を娘の代わりにしているわけではないんだ…」


「い、嫌な訳ではないんですっ!大切なものをこんな私に贈るなんて……」


「そんなに自分を卑下するんじゃない、君は綺麗な子だよ。今時、居ないんじゃないかっていうくらいね。だから、私は君に名前を上げた。ダメかい?」


「……」










私は泣きそうな顔をして旦那様を見つめた。優しい顔で笑って、私に返してきた。

私は旦那様の好意に嬉しくて嬉しくて、嬉しいのに涙が出てきた。

泣き始めた私に旦那様とフィリアは、呆れた顔もせずにただ笑っていた。フィリアは、布を持ってきて私の頬に流れていた涙を優しく拭いてくれた。益々、私は嬉しくなった。


私は泣きながら、首が取れるんじゃないかというぐらい縦に振った。

目の前の旦那様は、微笑みながら頷いていた。























嬉しい嬉しい嬉しい、嬉しい!!

さっきまで考えていたことが一気に馬鹿馬鹿しくなった。




今日は一番、悲しい日だった。

―母に思い出を焼かれてしまったから。


今日は一番、嬉しかった日だった。

―“名前”を貰ったから。



















そして、『ラヴェリア』は初めて世界に産声を上げた。

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