触れた心
お待たせいたしました。漸く彼女と向き合えた主人公です。
あのドレスでの一件からフィリアは、私の侍女としてまた働き出した。フィリアと話しようになり、私は心に余裕を持てるようになった。しかし、それに比例するかのように私とナジャの間には、底知れぬ溝が目に見えるかのように入っていった。彼女と言葉を交える回数は、一つまた一つと減っていき、今ではまともに話すのは朝の挨拶ぐらいになっていた。しかし、そんなことを気にしている場合ではなかった。
―――ついにやってきたのだ。
王太子主催の舞踏会、またの名を『王妃選抜』の舞台の日が。
*
「ラヴェリア様、如何でしょうか。」
「ありがとう、素晴らしい出来です。テイラー。」
「喜んでいただけて、幸いです。」
ドレスは、注文するのが遅くなりまさかの5日前となってしまっていた。これに対して、テイラーさんには申し訳ない気持ちで一杯だった。何しろ王都一の仕立て屋。お父様にお願いしていたのだが、予約を取ることが出来ない状態が続いていた。そして、連絡がついたのがちょうど5日前だったのだ。
5日間という短い間に彼は、素晴らしいドレスを仕上げてくれた。まず一番目を引かれるのが、濃い紺色だった。そう、ドレスの色は私が今まで着たことがない原色だったのだ。これには、目に入れた瞬間―――思わず驚きの声を上げてしまった。それによりテイラーさんが、少し不安そうにしていたのが視界の片隅に見えた。ごめんなさい。
そして、次に目に見えたのは、自己主張しすぎない装飾だった。少し胸元が開けていて気が引けてしまった。しかし、装飾のおかげである程度緩和されており、逆に魅力を引き立てるようだった。花をモチーフにされているようで、所々にレースであしらった花があった。
『綺麗』―――その一言に尽きるものだった。
テイラーさんに御礼を述べ、早々に着替え始めた。舞踏会までの時間があまりなかったからだ。申し訳なかったが、彼は気にすることもなく、部屋を退室していった。今度、改めて御礼を言いに行こうと心底思った。
そんなことを思っている間にも、準備は着々と進んで行った。何人かの侍女にあれこれ言われながらの作業だった。
コルセットをいつも以上に締め付けられた。「うっ…」と思わず声を漏らしてしまったが、侍女の一人は「我慢してくださいまし。」と澄ました顔で言われた。少し酷いと思ったが、他の人もこれぐらいしているのだろう。そう自分に言い聞かせた。
腰が細いのは、いい女の条件だとネピィオ先生が言っていた。我慢しよう。そうしているうちに、ドレスを着る準備が出来上がった。侍女たちは一つ一つの動作を丁寧にしてくれた。ドレスを着た私が、鏡に写っている。その姿は、あまり似合っていないように見え、またドレスに着さされているように見えた。落ち込む私を侍女たちは気にすることもなく、準備を先に進めて言った。
「では、髪を結いますね。」
「あ、うん。」
普段はただ流しているだけの髪は、フィリアに結われていった。結われただけなのに鏡に写った自分が、ほんの少しだけ綺麗になれた気がした。次にナジャが、化粧道具を持って待ち構えていた。これには、驚いた。だって彼女は、今日は朝から見かけていなかったからだ。違う仕事をしていたと思ったのに。
「失礼します、ラヴェリア様。」
「……えぇ。」
―――重く、感じた。
ナジャは、そんなことを気にしている様子もなく、私の頬に触れて化粧を施していった。化粧の邪魔になると思ったのだろう、フィリアを含む他の侍女たちは次々と後片付けをするために私たちの周りから離れていった。周りから人の気配が消えていくことで、私の心も比例するかのように重くなっていった。
彼女と私の間には、沈黙しかなかった。実際にはそんなにも長くはなかったのだろう。しかし、私には永遠に続くような長い長い沈黙だった。ふと鏡を覗くと、いつもとは違った自分が移った。ちょうど彼女が紅色のクリームが入った容器を持っていた。ちょうど唇に紅を塗るらしい。彼女は今まで下げていた視線を上げ、私と同様に鏡を覗いた。鏡の中で目線が合うと、少し驚いたような表情をした。それに釣られて私も少したじろいだ。そして、また空気が重くなった。
鏡の中では私と彼女は合わさったままだ。私はどうしていいか分からず、呆然と目を合わせたままだった。そんな私の様子に呆れているのか、それとも興味はないのか分からないが、彼女は少し眉を顰めて、キッと鏡の中で私を見ていた。・・・・・・怒らせてしまったのか。私がそう思っていると、彼女の手が離れていった。終わったのだろうかと思い、鏡の中の自分を見てみると、まだまだ淑女とは言い難い野暮ったい小娘が写っていた。仕事は最後までやり遂げる彼女がどうしたのだろうか。
「ナジャ?」
「…………さい。」
「えっ…どうし「勝ちなさいよ。」
―――勝ちなさい。
どう思って言ったかは分からない。しかし、鏡を通して見た彼女の目は真剣だった。日頃は貴族ではないここではただの平民である私を拒絶していた彼女が、応援をしてくれた。自惚れてもいいのだろうか。これは彼女が私との約束を守ってくれるという意味ではないか、と。
「言ったからには守りなさいよ。じゃないと私は許さないから。」
「ナジャ」
「……何よ?」
「ありがとう。」
お礼を言った私からの視線を逸らし、誤魔化すかのように彼女は、何も言わずに道具へと視線を向けた。私の見間違いではなければ、その頬はほんのり赤みがかかっていた。
初めて、彼女の心に触れた。