The forgotten flame
眼前に浮かぶはかつて愛した故郷の人々の哀れな目。
そこに笑を浮かべる魔物の目。
摩天楼の先から男は落ちる。
空を掴み、誰からも必要とされていない悲しみに包まれ無様な姿。
誰も彼を救う者はいない。
彼は幾度となく皆を救ってきたのに――
いくらか昔の話。
故郷の街を愛する男。市長として就任したこともあった。
今は退いたものの、寄付やボランティアなどに従事するような献身的な人。
気がつけば街は彼が子供の頃から随分と成長し、摩天楼を築くほどにもなった。
そう、この街と彼は共に成長していた。住人もまたこの街を愛していたはずだった。
そんな中、異形の魔物が街を襲い始めた。
人に似ているがそれは住人を誑かし、悪意に染める者。もしくは人を餌にする者。概ねこの2種類の魔物が街を脅かしていた。
暗雲が立ち込める街にただ1人、彼だけは街を救いたいと立ち向かおうとする。
その意思を見透かした知恵のある魔物は言った。
「お前の心は面白い。力が欲しいか?」
力強く答える。
「当然だ。身体の一部ぐらい、くれてやる」
「よかろう。俺が直接お前の腕になろうではないか」
肉がうねり、眼球がグリグリと動いている、そんな不定形な魔物は男の左腕に飛びつき、取り込み始めた。
男は苦悶の表情で痛みに悶える。
自分の腕がぐちゃぐちゃになっていく。
神経や筋肉はばらされ、再構築されていく。
魔物の声は男の頭に直接届く。
「これでよい。お前の意志、しかと受け止めた」
汗だくの男はへたり込み、痛みから解放され、荒れた息を整える。
腕は自分の意思で動かしているのかよくわからない酷い違和感に苛まれていた。
見ると、腕にいくつか眼球がギョロギョロしている。皮膚は魔物のざらついた肉肉しく気味が悪い色。爪は鋭く尖り、骨張っている。脈動する腕はそれ単体が生きている様。
「戦い方を教えよう――」
魔物はそういった途端に頭の中に様々なビジョンが過ぎる。
この腕が出来ること、動かし方……一瞬のことだったが、彼は理解した。
そして鋭い爪を使い、魔物達を切り裂いていくのであった。
その時救われた人はその力や姿に慄きながらも感謝は述べていた。
これ以上恐れさせてはなるまいと、男は仕事を終えると直ちにその場を去る。
そんな生活が翌る日も……いつまでも続いていく。
それが敵と共存する自分の宿命だと言い聞かせながら。
しかし、敵の数は想定よりも多かった。
人々に活気はなく、虚な目は男に怖れと哀れみを送る。
不満に満ちた口は蔑みと諦めを送る。
救われることが当たり前のような風潮。
戦いに専念することでその風潮に対する疑念を消していた。
そして事は起きた。
今日も人目を避けて敵に狙いを定めるために摩天楼の先に立っていた。
その足場は突然、崩れ落ちる。
――群衆はもはや敵、そうは思わないのか?
何のために戦う?
腕の魔物は問いを投げつける。
アスファルトに叩きつけられ、瀕死の男。
声は当然出せない。骨は全て折れ、血が拡がる。
おそらく絶命しているが、魂はまだそこにある。
意識の中で男は答える。
「この街は友であり家族。決して人に認められたくてやってきた事じゃない。だから……まだ私自身も、この街も死ぬわけにはいかない。この身体全てを使ってでも戦い抜くつもりだ!」
心の叫びは魔物を突き動かした。
「ほう、もう後戻りはできんぞ?どのみち死にゆく身体。まだ未練があるなら足掻いてみるといい」
男の身体全体が魔物の肉で覆われる。
群衆の目はあらゆる窓からその姿を監視している。
男の身体は肉の蠢きと共に再構築されていく。
鋭い爪をもつ足。異形の腰、かつて不定形の肉であった腕とは異なり、硬質で更に鋭くなった手先。
もうかつて人間だった面影はない。頭は悪魔の如き角が生え、瞳を持たずただ燃ゆる目、口には牙といった魔物そのものへと変貌を遂げていく。
そして顕現が完了する。
「どうだ、新たな身体は。御してみよ」
また彼の頭にビジョンが浮かび、理解する。
言葉はいらない。やるべき事はわかっている。
人を超えた更なる力はすぐに魔物を察知できた。
把握できた弱い魔物に関しては男が念じるとその場で爆ぜた。
群衆は突如爆ぜた隣人を見てパニックを起こす。
人は散り、自分に向けられた冷たい目はもうない。
そしてその騒動に釣られた一際大きな魔物の気配は、もう近くに迫っていた。
男はただ、それが近づいてくるのを仁王立ちで待つ。
声は突然に空気を伝って届く。
「よくも眷属を。君は魔物でありながら邪魔をしてくれる。何が目的だ」
黒い霧が言葉から遅れて魔物の形を整えていく。
やがて現れるは人の形をしているものの、口が上下に二つ付いている。
上のの口で話し、下の口からは舌がだらりと垂れている。
角と尾が魔物たらしめている。
「……沈黙ねえ」
先手必勝、その鋭い爪で敵に向かう。
しかし敵は黒い霧へ変わる。
「おやおや暴力的だな。本質は魔物のようで」
攻撃は外れて口撃が飛ぶ。薄ら笑いでこちらを皮肉ってくる。
黒い霧は見えるがそこに敵はいない。
空振る腕は苛立ちを覚える。
「人々に見放された理由は何だと思う?与えるものを間違えたんだよ」
姿を現すまで耐える他ないかと口撃を受け続ける。
「君が救いたいのは救済を望んでいない人々か?それともエゴか?」
考えてはいけないと、揺さぶられてはいけないと、考えれば考えるほど余計に不安が湧き上がる。
一気に萎む戦意。自然と臨戦体制を崩している。
「それでいい。楽になればね」
黒い霧が少しずつ姿を、形を成していく。
その刹那、頭に声が響く。
「貴様の思いはその程度だったのか?現状をよく考えるんだな」
ハッとした。不安という枷は引きちぎれ、クリアな思考へ。
眼前の黒い霧もまた完全に形を成した。
崩した臨戦体制から繰り出される不意打ちの一手。
その指先には生々しい感触。
「な、なぜ……?諦めていたはずでは……?」
驚く敵は胸を貫く腕を見つめて呆然としている。
「こっちは1人じゃないんでね、私だけを誑かしても無駄なのさ」
そして腕を引き抜く。ずるりとでた敵の体液は腕から滴り落ちる。
「そうか、そういう事か」
敵は何かを悟り、静かに息絶えた。
パニックになっていた人々は知らぬ間に落ち着きを取り戻し、目の前の異形に偉業を讃える。
ようやく得られた称賛に涙が出そうになる。
しかしこの身体はその機能が無かった。
魔物は涙を流せない。
ただ心は人。温まった心はそのまま役目を終えた身体を蒸発させるほどの熱量があった。
そう、彼は役目を終えて消え去った。
人々の記憶に残り続けながら。




