第8話 「砲術訓練」
天保七年(1836年)十月。
意義とカイのふたりは、ひと月かけて江戸から大坂へ辿り着いた。
現在の大阪市北区天満、桜の名所で知られる造幣局のある地域だ。
そばには大川が流れている。
意義たちは目的地に向かう途中の川崎橋から、河原で繰り広げられる非日常的な光景を見た。
橋の上には見物客もまばらにいる。
「あれは一体何ですかな?」
旅商人らしき者が通行人に訊く。
「ああ。洗心洞の砲術訓練ですわ」と事もなげに言うから、さほど珍しい行事でもなさそうだ。
侍と思しき男たちによる砲術訓練。
砲術と言うと現代では大砲やランチャーをイメージしがちだが、この時代は火器類全般の射撃術を指して言う。
「せんしんどう? ほうじゅつ?」
旅人が首を捻るのを、地元の町人がニヤニヤ笑った。
「ちょいちょい豆が爆ぜる音がするさかい、腰抜かさんときや」
塾生の多くが扱うのは弓矢の先に火薬を付けて飛ばす「棒火矢」や、種子島銃に毛の生えた程度の火縄銃だ。
その火縄銃も弾の重量によって「細筒(弾の重量10~20g)」「中筒(弾の重量40g)」と分けられるが、洗心洞で使われているのは主に細筒であり、確実な射程距離は50メートル程度の単発銃だ。
このわずか二十年後に登場する、戊辰戦争で使用された自動小銃には遠く及ばない代物である。
火縄銃射撃術の中心は命中率にある。
なにしろ連射はできないのだから、一発必中が求められる。
射程距離、斜度、仰角、火薬の量、射撃姿勢、息遣い、各部への力の入れ方、侍たちの大好きな技術が詰まっていた。
そしてもっと好きな精神統一も。
意義とカイは土堤まで降りていき、訓練を観察した。
塾生のひとりが細筒で二十間(約40メートル)先の板切れを狙っている。
火皿に火縄を置く。狙い定めること十数秒。
引き金を引いた。
鉛玉が弾ける音ともに板切れが吹き飛んだ。
「手引書を研究しているから、腕は確かだぞ」
意義に教えられ、カイは感嘆した。
だが、とも思う。
火縄銃は全長三尺(約1メートル)ある。
右手首のない自分には、銃身を支えることはできないだろう。
やはり、俺はこれか。
懐にしのばせた拳銃を握りしめる。
「おっさん。短筒は? ここで短筒も習えるのか?」
「うむ。大塩先生もおまえのと同じ銃をお持ちだ。名手だから、あとで教えてもらうといい」
旅の途中何度も聞いた名だが、いま初めて会いたい学びたいと思う。
一体どんなひとなんだろう?大塩平八郎って。
一方の意義は訓練全般を観察している。
彼自身若い頃に中島流の砲術は会得していた。
洗心洞の塾生たちの練度はまずまずと見ていいだろう。
今日は大筒の訓練はなかろう。
あれは轟音を伴うから、それなりの許可も必要だ。
(さて、格さんは今も砲術の責任者のはずだが……)
眼で探すと、火縄銃の指導をしていた大塩格之助が意義に気づいた。
「おおーい、田沼……いや渡辺殿。久しうござる」
手を振りながら、格之助が意義の前に歩み寄ってきた。
相変わらず前向きで明るい男だ。
年下だが、意義が腹を割れる数少ない友人と言える。
カイは隣でぽかんとしている。
格之助が田沼意義を「渡辺」と言い直したからだ。
「ああ、言ってなかったな。ここでは、俺の名は『渡辺良左衛門』だ」
「また、侍のめんどくさいやつか? いいけどよ」
この頃のカイは、武士の慣習や言動にとやかく言わなくなっていた。
侍は侍、自分は自分と割り切れるようになっていた。
「格さん、子どもが生まれたらしいな。おめでとう」
挨拶がわりに、意義は格之助を祝福した。
「いやあ。それがなんと、あの鬼の平八郎までがでれでれの可愛さですよ」
「ははは」
ふたりのよもやま話をよそに、カイは訓練する塾生たちの近くまで歩み寄って、その所作を食い入るように見ている。
格之助がカイに気づき訊いた。
「あれは?」
「うん。先生の用心棒にどうかと思って連れてきた。先生は?」
「塾です。一緒に参りましょう」
鴻池屋から無心を断られた平八郎は、やむなく金を稼ぐために別の手段を講じた。
五万冊もある蔵書を売って工面するのだ。
講堂の少し離れたところにある図書室では、古書屋の主人が膨大な蔵書を前に算盤をはじいている。
彼の指示で店子が次々と中庭の大八車に書籍を運んでいくのを、平八郎は見守っていた。
「大塩様、ほんまによろしいんでっか。どれも貴重な御本ばかりでっせ」
古書屋にとっては宝の山でありがたい限りだが、念を押してみた。
「背に腹は、ちうやつや。うちの塾生や街中で飢えとる連中に、米を買ってやらねばならんのでな」
古書屋は改めて目の前の人物に感服する。
「さすが、大塩様や。ほな、なるべく高うに引き取らせてもらいまっさ」
とはいえこれだけの蔵書なので少し時間はかかる、とも言った。
「うむ。よしなに頼む」
つづく
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