第3話 「ペッパーボックス・ピストル」
唖然とした少年が、落ちた笹竹を睨みながら言う。
「あのなあ、先に教えとけよ。返り討ちするはずが、返り返り討ちになるとこだったんだぜ。おっさん」
「何があった?」
少年は不満げに事情を説明した。
「オイラが寺の中で寝てたらよ、外から葉っぱを踏む音がしたんだよ。だから急いで茣蓙ん中に鍋や桶をしのばせて、戸口の裏に隠れて待ち伏せたわけさ」
「うむ。悪くない対処だ。おまえ、策士だな」
「茶化すなよ。で、やつが入ってきて茣蓙に刀を突き立てた。こっちもここぞとばかりにこいつを振り下ろした。ところがだ。頭に当たった刃が跳ね返ってきやがった」
「斬れなかったわけだな?」
「しょうがなく奴が頭を押さえて転げまわってる間に、手裏剣を取り出して喉にグサリ。野郎は寺を飛び出して逃げたが、止めを刺す前におっ死んだっつうわけさ」
話を聞き、ドタバタ劇を想像しながら意義は大笑いした。
「笑いごとかよ!」
意義は小刀を自分の脇差に戻し
「おまえはやはり、飛び道具の方が向いているのかな」
と、先程まで遺体の首にあった手裏剣を返してやる。
「ケッ。下人に武士の魂は使いこなせねえってか? ああ、そうかよ。じゃあせいぜい手裏剣の腕でも磨かせてもらいますわ」
「いや。もっといい飛び道具があるぞ」
意義は帯に差した革の袋を取り出した。
革の袋はホルダーで、そこから金属製の鈍く光るものを抜いた。
アメリカのアレン社が西部開拓時代(1830年代)に普及させたペッパーボックス・ピストル、つまり拳銃だった。
「短筒だ。これなら片手で撃てる」
少年の左手に握らせた。ズシリと重い。
「な、なんでこんなものを」
手に入れることができるのか? 自分にくれるのか?
「今日からおまえの雇い主は俺だ。その道具で俺を守ってもらう。それと……」
今度は預かっていた巾着に二十両ほど入れて渡した。
「一世一代の刺客だ。小僧、俺と一緒に大坂に参れ」
「刺客?」
「うむ。相手は数百人だ」
ああ。イカれたおっさんだったか、という呆れ顔。
「怖いなら断ってもいいぞ。小僧」
イカれてる上に腹が立つ。
「小僧小僧って。名前で呼べよ、おっさん」
「そうか。互いに名乗っていなかったな。俺の名は田沼意義。おまえは?」
言い澱んだ。名前? ええっと、確か。
「……カイだよ」
意義が首をひねる。苗字なのか名なのか。甲斐の国の出なのだろうか。
「どう書く」
「書くって……書いたことねえよ」
「……そうか。おまえは少し先生に指導を受けた方がよさそうだな」
いい土産ができた、と意義は楽しそうに笑った。
ふたりが旅に出た九月。
江戸城本丸の御所には、幕閣が顔をそろえていた。
上座に家斉とその息子の家慶、下座に水野忠邦以下老中三名、若年寄の林忠英。
「越前。この夏は、稀に見る大風と寒さであったな。米はどうか?」
家慶が、自分の後見人とも言える水野越前守に訊いた。
「はは。遺憾ながら飢饉の影は広く天領を覆い、報告によれば奥羽、陸奥、さらには西方にも凶作の知らせがありますれば……」
「他は大過なし。なべて安泰かと。御前」
林に口を挟まれ、忠邦は忸怩たる思いで家慶を窺った。お気をつけあれ、と。
「さて、公方様は残暑にお疲れのご様子。御前建議の儀はこれにて」
やはり家慶は父親の側近を御しきれない。忠邦が代わるほかない。
「林殿、しばし。これより評定に上りし建議をば……」
「安泰ならばよし!」
不都合な真実など聞く耳は持たぬ、と殿上人・家斉から声がかかる。
「代替わりの儀は派手にやろう。のう、家慶」
「こ、光栄至極に……存じまする」
「わが嫡男も、西の丸老中も、よきにはからえ」
家慶も忠邦も「御意」と答えるしかなかった。
「余は、二の丸に戻るぞ」
話は終わった。老中部屋に戻る忠邦に、勘定奉行の矢部定謙が耳打ちしてくる。
「御老中。琉球慶賀使の儀は、いかが致しましょう?」
「無論、前例に倣うのみです」
老中は吐き捨てるように言った。
「支度金を工面なされよ。勘定奉行殿」
「しかして飢饉の煽りで租税は減る一方であり、工面となれば冥加金を復活させねばならぬかと。ひいては賂にも頼らざるを……」
老中が勘定奉行に釘を刺す。
「それはなりませぬ。家慶様が公儀におなりあそばすその祝いの席で、賂などという不浄の金を使えば不敬となり申す。断じてなりませぬぞ」
「されば、いかように」
当代きっての切れ者は頭を巡らせた。
(例の件、良弼を急がせるとするか)
箱根関所に続く街道。馬上の意義が車の後につくカイに言う。
「そろそろ関所だ。おまえは何も喋るな、いいな」
「わかってるよ」
つづく




