第12話 「知行合一」
翌朝。本当に午前五時には講義が始まっていた。
洗心洞で大塩平八郎の講義を受けた者の顔ぶれは、十五歳から六十歳までの与力、同心、町方、商人など身分はさまざまだった。
塾長が元与力のため、町奉行に勤める者も少なくない。その中に眠気眼のカイもいた。
平八郎が教える陽明学は十五、六世紀に王陽明が興した儒教の一派だ。
朱子学が知識や論理のみを重んじるのに対し、陽明学は知を活かす行動力を重視する。
朱子学は礼儀と上下関係を厳格化したため、幕藩体制を確立したい徳川吉宗や松平定信ら権力者によって推奨された。
対してこの陽明学は、幕府にとっての危険思想になり得た。
行動しなければ知とは言えない「知行合一」というテーマは、悪を知ったら行動を起こすべしという過激思想につながる。
松平定信が、寛政異学の禁で最も排除したかった学問なのだ。
「米や作物、生きる糧を作るのが農民、それを売り買いし住家を建て着物を縫うのが町人、では武士の仕事とは何か? 吉見、答えてみ」
平八郎は吉見英太郎という同心の息子に問うた。
「は。年貢を取り立てる徴税でありましょうか」
俯きながら答えると、塾頭はぎょろりと目を剥いた。
「あほう! 次、河合」
河合八十次郎も東町奉行の同心見習だ。
「は、民を監視し管理することかと」
「このどアホども!」
一同は、一喝に怯んだ。
「民を守ること、やろがい。どいつもこいつも、何を驕り高ぶっとんじゃい。武士はな、何も作り出せへんねん。言うたら百姓や町人に食わせてもろてる居候や。いざというとき役に立てなんだら、武士の方が家から追い出されるんや。『れぼるうしょ』……えげれすの思想家ジョン六いうおっちゃんが唱えた、全ての民に天から与えられた権利や。わしはこの『れぼるうしょ』いう伴天連語をこう訳した」
平八郎は半紙に「革命」と書いて掲げて見せた。
「易経の言葉や。自分は天命を受けたと言い張る権力者どもを革める、即ち『革命』や。現に海の向こうでは、ナッポレヤンいうあんちゃんが王朝をひっくり返しとる。けど、わしはただの権力闘争とは別の意味で『革命』と呼びたい。己の命、運命を革めることこそが、真の革命なんや」
そんなことを言う侍は初めてだったので、カイは平八郎をまじまじと見る。
(カクメイ?かくめい、革命、か)
字は読めないが、カイはその響きを反芻した。
「陽明学では……」
と補足しようとする前に、カイは立ち上がっていた。
「先生!」
一同がカイを見る。平山が隣の席の吉見に小声で訊く。
(何だ、あいつ)
(渡辺殿が連れてきた下級武士だそうです)
吉見は仏頂面で答えた。
落ちたな、洗心洞も。ここいらが辞め時か。
ふたりは同時に匙を投げた。
吉見も河合も同心の家系だ。
その上司である与力OBが教えるこの塾に仕方なく通ってはいたが、教えが異端過ぎて違和感を感じていたのだ。
「カクメイって、どうやるんだ……ですか?」
わが意を得たり。平八郎はにやりと笑って答えた。
「必要なんは、まず力やな」
「力だけ? 侍ってのは、タイギとかいうのも欲しがるんじゃないのか?」
「大義か。時と場合によるな。大義、正義はあくまで手段。まずは目標をこれと定めて、そこに向けて力を吐き出すこっちゃな。要は具体性や。『義』などという漠然としたものに振り回されとっては、ひとを救うことはできん」
この人は、やはり普通の侍とは違う。
義だの礼だの忠だのは眼中にないようだ。
こういう学問なら習得したい、とカイは思った。
平八郎がこのような現実主義者になったのには理由がある。
彼が二年前の飢餓対策本部に呼ばれたとき、町奉行たちは「仁」の心をもって事に当たれ、などと具体性のない観念論ばかりをのたまわっていた。
だが、武士たちが机上の空論にうつつを抜かしている間に、次々と餓死者が出た。
平八郎は具体的に、どこそこに救済所を何軒設置し、滋養のある食べ物をどれだけ提供すべきかを割り出し実行した。
奉行を動かすために、自分が与力時代に得た情報で彼らを半ば脅迫もした。
まさに「知行合一」。
そこに、薄ぼんやりした朱子学が入る余地などなかったのだ。
つづく




