王女が「婚約者のいる騎士を侍らせたい」と言い出したので、女性騎士の私が誰かと婚約した上で侍ると申し出たところ、騎士団長の様子がおかしくなった
「ミュリエル殿下、そんなにも『婚約者のいる騎士を侍らせたい』とお望みなのでしたら、私が誰かと婚約した上で侍りましょう」
私は十六歳の第二王女殿下の前でひざまずいた。
ミュリエル殿下は不機嫌な顔をしておられる。
ここは第二王女宮の茶会室。
丸い茶会テーブルの前に、白い猫足の椅子が置かれている。
ミュリエル殿下は、その愛らしい椅子の一脚に座っておられた。
――これは私にとって、きっと良い機会なのだ。
私もそろそろ初恋など諦めて、身の丈にあった相手と婚姻する時期なのだろう。
騎士団なんて、もう辞めてしまって……。
そんなことを思う程度には、ミュリエル殿下の無茶ぶりは最悪だった。
……私は現実逃避を続ける。
あれは王立学院の入学式。
生徒会長として挨拶するルドウィク様を初めて見た。
王弟殿下が臣籍降下してできたレーヴェ公爵家のご次男だ。
王家の色である、黄金の髪、サファイアブルーの瞳。
整った顔立ち。
長身に、鍛えられた体躯。
ルドウィク様は、どこをとっても、あこがれるに足る方だった。
私は我がポルト侯爵家が騎士の家系であるのを良いことに、ルドウィク様の背中を追いかけて、女性騎士として王宮警備騎士団にまで入ってしまった。
そして、今では私は副団長。ルドウィク様は団長だ。
「まあ、リリアンが侍ってくれるの?」
ミュリエル殿下は、私と、私の背後にいる見習い騎士を見比べているようだった。
見習い騎士で子爵令息のポールは、婚約者で男爵令嬢のアデル嬢と寄り添って立っているはずである。
我が王宮警備騎士団に所属するポールは、女性からの人気が非常に高く、『美貌の見習い騎士』などという二つ名で呼ばれている。
ミュリエル殿下は、そんなポールとアデル嬢を呼びつけて、アデル嬢の同意を得た上で、ポールを侍らせようとしていた。
アデル嬢の同意があれば良い、というものではないだろう……。
「ミュリエル殿下、私ではいけませんか……?」
私は切なそうな顔をして、そっとミュリエル殿下の手を握った。
今は緊急事態であり、私は女性で、王家に忠誠を誓う騎士だ。
『わがまま王女殿下』の手を握っても、処罰などされないだろう。
私の名前であるリリアンは、男性にも女性にも付けられる。さらに、私が女性としては長身な方であることもあり、私を男性だと思っている者が数多くいる。
ミュリエル殿下も、私を男性だと勘違いしてくれていると良いのだが……。
「あ、あら……。困ったわね」
ミュリエル殿下がすんなり同意してくれない……。
なんと面倒なお方なのだ……。
ポールはふわふわの短いバターブロンドに、エメラルドグリーンの瞳を持つ、甘い顔立ちの若者だ。
だが、私だってプラチナブロンドだから金髪だし、瞳はエメラルドグリーンだ。
私がストレートの髪を胸まで伸ばし、首元で一つに束ねているところがダメなのか? 髪を切って、パーマなるものをかけて、ふわふわにしてくればいいのか?
私だって、十代のポールには及ばないが、まだ二二歳で若い方だ。女性としては、嫁ぎ遅れているがな……。
私の後ろにいる団長は二五歳で、さらに年上だ。しかも、男性である。ミュリエル殿下のおそばに侍らせるわけにはいかない。目だって、緑ではなく青である。
「待て、リリアン! リリアンがミュリエル殿下に侍るならば、つまり、リリアンは近衛騎士団に異動するということなのだろうかっ!?」
団長……、急にそんな大声を出して、どうしたのです……? それに、三回もリリアンと呼ぶ必要があったのですか……?
「近衛騎士団の騎士なんてダメよ! わたくしに侍っているのではなくて、ただの仕事中にしか見えないではないの!」
ミュリエル殿下が団長をにらみつけた。
まあ、たしかに……。近衛騎士が王女殿下のおそばに控えていたら、『ああ、勤務中なんだな』で終わりですよね。
「そんなの、王立学院で自慢できないわ! わたくしはアデル嬢みたいに美形に好かれて、みんなに羨ましがられたいのよ!」
ああ、そういう……。
ミュリエル殿下も、今年で王立学院を卒業だ。あと少しなのだから、おとなしく通っていてくれればいいものを……。
こんな風だから、ミュリエル殿下には、まだ婚約者がいないのだ……。
「リリアンだって美形だ! 美人だ!」
団長が私を売り込んでくれているが……。怒鳴らず、敬語を使ってほしい……。団長とミュリエル殿下は従兄妹同士だから、処罰はされないだろうが……。
今日の団長は、なんだか少しおかしいな……。
「団長、ありがとうございます! 私も美形ですよね!」
私は団長に返事をすることで、先ほどの発言は自分に向けられたものだとアピールした。ここでミュリエル殿下が団長に対して不敬罪などを持ち出してきたら、いよいよ収拾がつかなくなってしまう。
「リリアンはかわいい!」
「ありがとうございます!」
団長、感謝しますから、雑な売り込みはもうやめて!
「リリアンも、男女を問わず、とても人気のある騎士ですよ」
近衛騎士団の第二王女分隊の分隊長も、私を売り込んでくれる。
第二王女分隊は、『鋼の雌牛』の二つ名で呼ばれている女性騎士だけの隊だ。近衛騎士団の女性騎士の中でも、特に長身で屈強な女性たちが集められている。平民風に言うなら『ゴツい』だ。平民の出から侯爵家の娘まで、とにかく心身共に強い者たちだった。
「リリアンはっ、そんなに人気があるのかっ!?」
団長、そんなに驚くなんて、ちょっと酷くないですか!? それにしても、今日の団長は声が大きいな。
「リリアン様は、細身でお顔も麗しくていらっしゃいますしね」
分隊長が説明してくれた。
なるほどな。先ほどの団長の言葉と態度は、この回答を得るための演技だったのか。
団長……、役者には向いていませんね……。
「剣技も流れるようで、身のこなしがお美しいですわ。若くして王宮警備騎士団の副団長というのも、華やかさがあって良いですわよね」
ミュリエル殿下の侍女も加勢してくれる。
ミュリエル殿下には、なんとか私が侍るということで納得してもらいたい……。
「わたくし、本で読んだのよ。王女が美形の騎士を侍らせると、その婚約者は好きなことをし始めるのですって」
ミュリエル殿下が、またなにか言い出した。
「……好きなこと、ですか?」
今度はなんの話が始まったのだ? 本とは?
「婚約者の女性の秘められた力が開花して、パンに癒しの力が練り込まれて、淡く光るの」
「それは……、パンが淡く光ると……? パンが……?」
「そうよ、癒しの力をまとってパンが淡い光を放つのよ!」
パンは光らないだろう。だいたい、『淡い光』とは何色なのだ? 白いのか? 黄色か? ほんのり青いのか? それとも桃色か?
この光とは、まさか焼きたてパンの白い湯気のことか? 湯気は立ち上っているのであって、決して淡く光っているようには見えないと思うが?
この王女殿下は、なにを言っているのだ……。
「ミュリエル殿下は最近、読書を好まれまして……」
侍女が、わたくしに一冊の本を差し出した。私はミュリエル殿下の手を放し、両手で本を受け取った。
『王女様に婚約者を盗まれたので、わたくしは辺境で薬草パンを焼きますわ』
本のタイトルが長い。しかも、王女様が人の婚約者を盗むのか……。盗みはダメだろう……。それに、薬草が練り込まれたパンとは……。おいしいのだろうか……? いや、癒しの力が練り込まれたから『薬草パン』というネーミングなだけなのか? わからない……。
「王立学院で人気の物語なのよ!」
それで、現実で悪役王女の役をやろうというわけですか……。
ミュリエル殿下は、私の手から本を奪い取った。
「それで、私はどうしたら……」
意味がわからなすぎる……。
「せっかくだから、リリアンの婚約者には、『淡く光る癒しの薬草パン』を焼いてほしいの」
なぜ婚約者のハードルを上げる!? 私にパン屋の倅と結婚しろと言うのか!?
私には嫡男である兄がいるので、私がポルト侯爵家を継ぐことはない。
だが、私も貴族。侯爵家の娘で、身分は高めである。貧乏な男爵家や子爵家の令嬢が、裕福な平民と結婚するようにはいかないのだ……。
……どこの貴族令息がパンなど焼くのか!?
いや、違うな。令息ではなく、令嬢を探すのだった……。
パンを焼ける令嬢ならば、どこかにいるかもしれないな……。
しかし、どう考えたって、パンはまったく光らないだろう……。
「主人公のジゼルは、パンで疫病を治して、隣国の王太子と結婚するの。この王太子は疫病の治療法を探すために、お忍びで国境を越えて来ていたのよ。悪い話ではないと思うわ!」
悪い話ではないのかもしれないし、物語としては面白そうだとも思うが……。
現実では、隣国の王太子が疫病の治療法を探すためとはいえ、こっそり国境を越えてきたら……。両国間で問題になると思うが……。
「わかりました」
ミュリエル殿下の話を真面目に聞いてはいけないことが、わかりました。
「わかってくれたの! 良かったわ! 婚約者ができ次第、わたくしに侍ってちょうだいね!」
「ミュリエル殿下、しばらくお待たせしますが……。私を待っていてくださいますか?」
私は恋愛劇のヒーローのように、切ない顔をしてミュリエル殿下を見上げた。
「ああ、リリアン! もちろんよ! こうして見ると、あなたって、すごい美男じゃない! 王立学院で自慢できるわ!」
「では、さっそく婚約者を探しにまいります」
私は右手を胸に当てて、騎士の礼をする。
「実に良いわ! 美しいじゃないの!」
ミュリエル殿下からお褒めの言葉がいただけた。
私は必死で引きつり笑いを浮かべつつ、団長と共にポールとアデル嬢を連れて、ミュリエル殿下の前を辞した。
私たちが茶会室を出ると、第二王女分隊の分隊長が追いかけてきた。
分隊長は私に詫びてから、ポールとアデル嬢と話をし始めた。今回の件の口止めをしているのだろう。
分隊長が二人に革袋を渡す。あの革袋には、金貨が入っているのだろう。分隊長も大変だな……。
私は三人を残して第二王女宮を出ると、青い空を見上げて大きく息を吐いた。
「リリアン、大丈夫か?」
団長が声をかけてきた。
「どうでしょう……。あまり大丈夫な要素は見つからないですね……。パンを焼ける令嬢を探して、婚約者のふりを頼まなければ……」
普通の令嬢は、パンなど焼かないだろう……。
そういえば、王立学院の調理実習ではクッキーを作ったな……。クッキーならば貴族の女性でも作れるではないか。
なぜ淡く光ったのがクッキーではなかったのだ……。『淡く光る癒しの薬草クッキー』で良かっただろう……。
「そうか……。そうだな……」
「しばらく第二王女分隊に出向するので、後で書類を整えて提出しておきますね」
「お、おお。そうだな。書類の提出は必要だ」
王女殿下のご要望に沿うためである旨、正式な書類として残しておくのだ。宮仕えは危険がいっぱい。自分の身は自分で守らねば……。
「今日は書類の提出後、邸に帰り、婚約者の選定の手伝いを母と妹に頼みます」
お茶会が大好きな母と、社交界で美人と名高い妹ならば、パンを焼ける令嬢を一人くらいは知っているかもしれない。
「パンを焼ける婚約者、だったな」
「はい。良い方がいてくれると良いのですが……」
私が苦笑してみせると、団長は「そうだなっ!」とやたら大声で返事をしてくれた。そして、私をその場に残し、大股で王宮警備騎士団の詰所の方へと歩いていった。
団長は、一途に己の信じる騎士の道を歩んでおられる。
剣技は他を圧倒し、状況判断も早い。
私は、そんな団長の広い背中を追いかける。
団長が私を置いていくことなんて、今に始まったことではない。
私は団長のそんな生き様を尊敬し、いつか騎士として団長と並び立てたら、などと思っているのだ。
◇
私は王宮警備騎士団の副団長室に戻ると、さっそく出向のための書類作成にとりかかった。
本棚から書類の見本帳を出し、真っ白な紙に書き写していく。
私は肉体こそ『鋼の雌牛』の面々のように屈強ではいないが、剣技のスピードと身軽さでは彼らを上回っている。
いっそ私も、このまま『鋼の雌牛』に加わっても良いかもしれない……。
「異動するか……」
私も、もう二二歳だ。いつまでも王宮警備騎士団の副団長をしながら、団長を一方的に慕っているわけにはいかないだろう。
書類を書く手を止めて、ため息を吐く。
団長には、なぜかまだ婚約者がいない。あれほど素敵な方だというのに不思議なことだ。
私は祖父であるポルト侯爵から団長に婚約を申し込んでもらうことも、何度も考えてみたことがある。
団長が私を受け入れてくれるなら、婚約を申し込むのも良いが……。
私には、団長から婚約を断られた後も、団長のそばで副団長として働くことなどできそうにない。
それならば、今のまま、同僚として団長のそばにいる方が良いと思っていた。
私は、団長のそばで騎士の仕事をしていたいのだ。
しかし……。
「そろそろ、終わりにしなければな……」
今日、邸に戻ったら、お祖父様に頼んで、団長に婚約を申し込んでもらおう。
それでレーヴェ公爵家から断られたら……。
その時には、私も『鋼の雌牛』の一頭となろう。
いつまでも、このままではいられないのだから……。
ポルト侯爵家のためになる相手と結婚することも考えたが、おそらく私を娶ってくれる相手は、簡単には見つからないのではないかと思う。
私は王立学院時代から今に至るまで、誰からも言い寄られたことがないのだ。
兄や妹には縁談が来て、二人とも婚約には至っていないものの、相手と会ったりしている。
私より長身の女性騎士であっても、普通に結婚している者たちがいる。
だが、私には縁談が来たことがない。
容姿については、褒められることが多いというのに……。
それは、つまり、私の内面に大きな問題があるということだろう。
私は王立学院で、ルドウィク様が部長を務める騎士部に入った。そして、ルドウィク様の背中を追いかけて、剣と弓と乗馬に明け暮れた。さらに、卒業後もそのまま突き進み、王宮警備騎士団の副団長として、今もルドウィク様のそばにいる。
一人の男を執拗に追いかけ続ける、この執念深い性格がいけないのだろう……。
自分自身を辞められるものならば、こんな自分など辞めてしまいたい……。
団長が私を嫌っていない様子なのだけが救いだった。
――むしろ、団長に好かれているのでないか、と思う時すらある。
だが、常識ある人間ならば、職場の同僚に対し、あからさまに嫌っていると態度に出したりしないだろう。相手を好きでも嫌いでもなければ、親切にすることだってあるはずだ。
こうして考えるたびに、私が団長を好きすぎるから、『私は団長に好かれている』と思いたいだけである可能性が高い、という結論に行き着く。
私は団長に迷惑をかけたくない。一方的な好意が行き過ぎて、『勘違い女』になったりしたくない……。
いつか、こんな私にも、一つくらいは縁談が来るだろう。その縁談がポルト侯爵家にとって利益となるならば、私はその方の妻となろう……。父より年上の男の後妻であったり、放蕩者のお飾りの妻だったとしても……。
そんなことを考えつつ、かなりの時間をかけて書類を書き上げた時だった。
「副団長、王都守備騎士団から応援要請が来ています!」
副団長室の扉がノックされ、男性騎士が扉の外から呼びかけてきた。
「応援要請だと!? 何事なのだ!」
王都守備騎士団では手に負えない事態が起きているというのか!
今日はなんなのだ!? どうして、こう、次から次へと……!
「ヴィス通りで、女性による暴動が起きているそうです!」
ヴィス通りには、平民たちが買い物をする店が多い。そんなところで女性が暴動を起こすなど、たしかに普通の事態ではない。
なんなのだ……。
食料品が、蝗害や冷害などで不足しているということもない。
生活用品が、貿易摩擦などにより手に入りにくくなっているということもない。
暴動など、起きる理由がないではないか……。
「すでに騎士団長は、現場におられるようです」
「そうか。わかった。私も行こう」
私が返事をすると、騎士が駆け去る足音がした。
もう団長が現場に到着しているのか。
早いな……。
王族絡みか?
またあのミュリエル殿下がなにかしたのだろうか?
なにが起きているのかわからないが、とにかく行くしかない。
◇
私が現場に到着すると、たしかに女性たちのせいで、ヴィス通りの通行が困難になっていた。
王立学院に通っているような年齢のご令嬢から、舞踏会で見たことのあるご婦人方、平民の娘さんや奥さんが押し合いへし合いしている。
「ちょっと、見えないわよ!」
「あたしだって見えないよ!」
などと、女性たちは叫びあっている。
こんな大人数で、なにをしているのか……。
「ルドウィク様ー!」
女性たちが、たまに団長を呼んでいる。
だが、団長の姿は見えない。
「リリアン副団長、よく来てくれた」
王都守備騎士団の団長が、困惑した顔をして話しかけてきた。
「これは何事ですか?」
「ルドウィク団長がおられるので、何事なのか訊いていただきたい」
「その団長はどちらに……?」
「我らが血路を開きますので、リリアン副団長が店内に入っていただきたい」
「血路……? 店内とは? なんの店なのです?」
わけがわからない……。慌てすぎだろう……。
「パン屋です」
「パン屋……、ですか……?」
パン屋……? 団長がパン屋の店内にいるということなのか……?
王都守備騎士団の団長と部下たちが、身体を張って女性たちを押しのけて道を作ってくれた。私はその隙間を通り抜けて、木の扉を押し開け、石造りの店内に入り込んだ。
「きゃあ! リリアン様がお店の中にいるわ!」
「まあ、ルドウィク様のご様子を見にいらしたのね!」
「リリアン様ー!」
女性たちの騒ぐ声がした。
この店は、出入口の扉に向かって立つと、右半分が大きなガラス張りになっている。店内の様子が、外から丸見えなのだ。
店内には、いろいろなパンが並べられていた。丸いパン、四角いパン、動物を模したパンもある。どれもごく普通のパンで、当然ながら淡く光っているなどということはない。
――なぜパン屋の前で暴動など起きたのだ……?
私は疑問に思いながら、パンを見つつ、レジカウンターの方へと向き直った。
レジカウンターの向こうには、ガラス張りのパン工房が見える。
「えっ、団長!?」
団長が白い調理服を着て、頭にコック帽をかぶり、なにかやっている。
なぜだ!?
なにをしているのか!?
いや、落ち着け。ここはパン屋だ。
パン屋なのだから、パンを作っているのだろう。
なぜ団長がパンを作っているのだ!?
私はレジカウンターの後ろにある木の扉をノックしてから、返事も待たずに押し開けた。
「失礼する」
私はパン工房の中に片足を入れて、声をかけた。
「おお、あんた、騎士団の人か」
私の祖父くらいの年齢の男が、私に近寄ってきた。この男は、パン職人だろう。団長と同じ白い調理服姿で、コック帽をかぶっている。
「はい。王宮警備騎士団の副団長、リリアン・ポルトです」
「あんたのところの団長、あいつはなかなかの男だな! 女のためにパンを焼けるようになりたいからと、この俺に弟子入りしてきがやった!」
パン職人は「ガッハッハ」と豪快に笑った。
「親父さん、やめてくれ!」
団長がパン生地を切るのを止めて、顔を真っ赤にしていた。団長が手に持っている銀色の板は、たしかスケッパーだ。スケッパーとは、パンやパイの生地を切るための道具である。
「女のために……、パンを焼きたい……?」
団長が焼きたいパンとは、『淡く光る癒しの薬草パン』だろう。
このタイミングでパンを焼きたいとなると、それしか考えられない。
――まさか、私の婚約者になるためにか?
いやいや、そんなわけがあるか!
私が必要としている婚約者は、パンを焼ける令嬢だ。
それは団長だってわかっているはずだ。
パンを焼ける貴族令息など必要としていない。
ということは、つまり……。
「王女殿下のために、『淡く光る癒しの薬草パン』を焼きたいと……?」
まあ、そういうことだろうな。
団長とミュリエル殿下は、従兄妹同士。
二人の間には、私の知らない繋がりがあったということなのだろう。
これまで団長に婚約者がいなかったのは、ミュリエル殿下のご成長を待っていたということか……。
そうだったのか……。
私は心の片隅では、ずっと『団長は私に好意があるから、誰とも婚約しないのではないか』などと思っていたが……。
「パンは光らないだろ」
パン職人は、当たり前のことを言ってきた。私だって、パンは光らないと思う。
「だが、ミュリエル殿下は、そんなパンをお望みなのだ」
と、団長が説明した。
たしかにミュリエル殿下は望んでいた。だが、団長にそんなパンを焼いてほしいとは思っていないと思う。
「その『淡く光る癒しの薬草パン』とかいう妙なパンは、なんで光るんだ?」
「疫病を治せるパンだからだ」
パン職人の問いに、団長が答えた。
パン職人は大きく目を見開く。
「なるほど! わかったぞ! 王女様が、疫病を治せるパンをお望みだったのか!」
そういう言い方をされると、ミュリエル殿下がすごく良い方のように聞こえるが……。
「ご主人、なにか勘違いをしていないか……?」
私は心配になって、パン職人に問いかけた。
だが、パン職人は一人でうなずいたりしていて、私の声はまったく聞こえていないようだった。
「純粋な王女様は、民のために『淡く光る癒しの薬草パン』なんていう、おとぎ話のようなパンをお望みなのか!」
「そのような美談ではないのだ」
団長がきっぱりと否定した。
「そうか。俺はパン職人の家に生まれて、赤ん坊の頃からパン生地を握って育ってきた。任せろ、騎士団長! 王都の商人ギルドと職人ギルド、全国各地のパン職人の力を合わせて、この俺様が疫病を退ける『淡く光る癒しの薬草パン』を作ってやろう! 今夜はギルドの連中を集めて会合を開くぞ!」
パン職人はコック帽を脱いで調理台に放り出すと、店の裏口から出ていってしまった。おそらく、ギルドマスターのところに行って、会合を開くことを提案するのだろう。
団長はパン職人が出ていってしまったというのに、真剣な顔をしてパン作りを続けている。
団長の大きな手が、パン生地を細長い三角形に切り分けていく。
団長は、おそらくスコーンを作っているのだろう。スコーンも速成パンだからな。
黒い鉄板には、次々とスコーンが並べられていく。
団長の真剣な眼差し――。あのサファイアブルーの瞳は、今もこのスコーンの向こうに、ミュリエル殿下のお姿を見ているのだろう。
私は胸の奥が痛くなり、静かにパン工房の扉を閉めた。そのままパン屋を出ると、王都守備騎士団の団長が、女性たちを押しのけて近寄ってきた。
「ルドウィク団長は、なにをなさっているのですか?」
王都守備騎士団の団長に問われて、私はため息を吐いた。今日はため息を吐くことが多いな。
「申し訳ないのですが、団長の個人的な話ですので、私からはお伝えできません。ご自分で団長に訊いてみてください。私は一度、王宮に戻ります」
「そうですか……」
王都守備騎士団の団長は、あからさまに戸惑いながらも、うなずいてくれた。
それは戸惑うだろう。王宮警備騎士団の団長が、いきなりパン職人に弟子入りしているのだからな……。
「ルドウィク様は、平民落ちされるんじゃないかしら!?」
「平民になられたら、あたしらにもチャンスがあるんじゃないかい!?」
平民らしき娘たちから、「きゃー!」という悲鳴のような声が上がった。
――チャンスなどあるものか。
団長のお心は、ずっと前からミュリエル殿下のものだったのだ。
◇
私は一度、王宮警備騎士団の詰所に戻り、ヴィス通りの状況を上司である総騎士団長に報告した。
ミュリエル殿下の件も伝えて、『パンを焼ける婚約者』をやってくれる令嬢に心当たりがないか訊いてみた。
「パンを焼ける令嬢などいるのか? お菓子作りだって、料理人か侍女に任せる者が多いだろうに」
総騎士団長が半笑いになる。
「はい、そうなのです……」
「ミュリエル殿下には困ったものだな」
「ええ……。私の婚約者の件は、邸に戻って母と妹に相談してみようと考えています。帰宅してよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。ポルト侯爵家には迷惑をかけてしまうな。すまない」
総騎士団長は、あっさり私に帰宅の許可をくれた。
団長の様子がどうであれ、私には私のやるべきことがある。
パンを焼ける令嬢か……。
最悪、パンを焼ける平民の出の女性騎士を探し、貴族出身の騎士の家の養女ということにしてもらった上で、私の婚約者とするしかないだろうな……。
それでミュリエル殿下が納得するかどうか……。
なるべくならば、王立学院に通っている『パンを焼ける令嬢』が良いが……。
私は深く悩みつつ、騎士団の詰所を出て、愛馬で我が邸の近くまで行った。
「何事だ……?」
邸の門が開け放たれて、王家の白い馬車とレーヴェ公爵家の黒い馬車が入っていくのが見えた。
「なんだ? 私の見間違いか?」
二度見ても、三度見ても、二台の馬車に掲げられているのは、王家とレーヴェ公爵家の紋章旗だ。
しかも、どちらも儀礼用の馬車だ。
まさか、婚約の申し込みに来たのか?
団長が我が妹と婚約するのか?
それでは、王家の儀礼用馬車はなにをしに来たのだ?
兄がミュリエル殿下と婚約することになったのか?
では、あのミュリエル殿下が、ポルト侯爵夫人になるというのか!?
――私は目の前が真っ暗になった。
妹が団長と婚約するのも、兄がミュリエル殿下と婚約するのも、どちらも最悪だ。
私は馬を歩かせて、二台の馬車に近づいた。途中からは、王族に対して不敬にならないよう、馬を引いて歩く。
祖父母、両親、兄と妹が、館の前で国王陛下とレーヴェ公爵夫妻を出迎えていた。
国王陛下とレーヴェ公爵夫妻が一斉にこちらを見た。三人は、私が帰って来たことに気づかれたようだ。
「おお、リリアン嬢!」
国王陛下が呼びかけてきた。
「国王陛下とレーヴェ公爵ご夫妻に、騎士リリアン・ポルトがご挨拶いたします」
私はその場で右手を胸に当て、騎士の礼をとった。
「楽にせよ」
国王陛下がお許しをくださった。
「お姉様!」
「リリアン!」
妹と母が、私に駆け寄ってきた。
二人は国王陛下とレーヴェ公爵夫妻をにらみつけてから、私の身体を労わるように触った。
「お姉様、ルドウィク様とワンナイトしたの!?」
妹が叫んだ。
「ワンナイト!? ルドウィク様と!?」
ワンナイトとは、一夜限りの関係を持つということだ。
「シークレットベビーするために逃げるつもりだったの?」
母も問いかけてくる。
「シークレットベビー!?」
それは、女性がワンナイトした男性から逃げて、一人でこっそり赤ちゃんを産み育てることだ。
母と妹は、最近そのような恋愛劇を見に行ってきた。私が二人から大興奮で劇の感想を語られたのは……、あれは半月ほど前だったか……? その時に、私はワンナイトとシークレットベビーという言葉の意味を知ったのだった。
「ルドウィク様はリリアンに逃げられる前に、婚約に持ち込もうとしているのでしょう!?」
「……団長は、私と婚約するつもりなのか?」
「ルドウィク様がお姉様以外の誰と婚約するの? まさか、わたくしと!? ありえないわ!」
妹がまた叫んだ。……ありえない話なのか?
その時、馬が駆けてくる音がした。
私たちは、一斉に門の方を見た。
団長が白馬に乗ってやって来る。騎士用の白い儀礼服を着て、片腕に茶色い紙袋を抱えて……。茶色い紙袋さえなければ、物語に出てくる王子様のようだ。
「お母様、ルドウィク様よ! 見て! あの劇と同じだわ! お姉様がワンナイトからのシークレットベビーしようとしているのを、ルドウィク様が阻止しに来たのよ!」
「リリアン、ルドウィク様はどうやって迫って来たのです? お酒を飲ませて? それとも身分を振りかざして? 迫り方によっては、お母様が実家の力でお断りしてあげるわ! 安心なさい、リリアン!」
母の実家はジンベア辺境伯家で、屈強な辺境騎士団が隣国との国境の防備についている。
「団長と私は、騎士団長と副団長以上の関係などありません」
「ここまできて、なにもなかったと言うの!?」
「お姉様、嘘でしょう!?」
母と妹は、どうしてしまったのだ……。
なぜ私が、団長とワンナイトしたなどと考えたのだ……。
しかも、私からではなく、団長の方から迫ったなどと、どうして思えるのだ……?
現実は劇とは違うのだ。それこそ、ありえないだろう……。
私はいろいろなことに戸惑いつつ、団長が馬から降りて近づいて来るのを見ていた。
「リリアン」
団長が私を呼びながら、茶色い紙袋を渡してきた。
「スコーンだ。手っ取り早く作れるパンであるらしい」
「はい」
私は茶色い紙袋の中身を確認した。たしかにスコーンが入っている。
「私が作った」
「パン屋で作っておられましたね」
あの時、スケッパーで切っていたスコーンだろう。無事に完成したのか。
……なぜ私のところにスコーンを持ってくるのだ?
団長は、やはり私が好きなのか?
私が嫌いなら、他の誰かに持って行くだろう。
これは、間違いなく団長に好かれている!
私はスコーンから団長へと目を移した。
団長は私と目があうと、顔を真っ赤にして横を向いた。
「つまらないものだが、試しに作ってみたのだ。ご家族で食べてみてほしい」
「ああ、はい……。試作品なのですね。母や妹と共に食べてみて、ご感想をお伝えしますね」
このスコーンが、試作品だったとはな……。
――騎士たる者、日々の鍛錬を欠かすことはない。
私も、団長も、王宮警備騎士団の騎士である。王宮を守る日々が、常に真剣勝負の時だ。
考えてみれば、剣術大会だって、馬術大会だって、みんな練習を重ねてから挑むではないか。
練習して、ある程度の自信が付いてから、大会に出場する。
団長はパンを作れるようになりたいと考え、すぐに行動した。
パン職人はそんな団長の気持ちに応えて、スコーンの作り方を教えた。
私はスコーンのことはよく知らないが、『スコーン作りには、パン作りの基礎が詰まっている』とかなのだろう。何事も基礎が大事だからな。
団長はいずれ立派なパンが作れるようになったら、最高傑作をミュリエル殿下にお渡しするのだろう。
「バカなの……?」
妹のつぶやきが聞こえた。完全に呆れられている。
ああ、私は本当にバカだな……。団長に好かれているのかと思って、一人で舞い上がってしまった。
高揚していた気持ちが、ストンと落ちて、ひどく悲しくなった。
「ルドウィク、リリアン嬢は私が側妃に迎える女性だ。控えろ」
国王陛下が不快さをにじませた声で言った。
「そうですよ、ルドウィク様。リリアンも二二歳ですから、そろそろどこかに嫁がないといけません。我がポルト侯爵家は、王家と姻戚関係になるのです」
兄もルドウィク様をにらみつけている。
そうだったのか……。いつの間にか、そのような話になっていたとは……。
私は自分の婚姻であるのに、今の今まで、まるで知らなかった。
国王陛下の側妃であれば、たしかにポルト侯爵家にとって益がある。
行き遅れの二二歳には、身に余るほどの良い縁談だ。
私は国王陛下のお姿を見た。
王家の色である、黄金の髪、サファイアブルーの瞳。
整った顔立ち。
長身に、鍛えられた体躯。
国王陛下と団長は、伯父と甥だけあって、顔が少し似ている。
私は国王陛下のお姿の中に、団長を見ながら、お仕えしても良いだろうか……。
側妃であっても、夫の姿に他の男を重ねるなど、やはりいけないか……。不道徳なことを考えてしまったな……。
「リリアン嬢」
国王陛下が、まるで私を安心させるかのように、やさしくほほ笑みかけてくださった。
私は、この方を好きになれるだろうか……。
好きにならねばな……。
私は騎士を辞め、ゆっくり団長を忘れて、国王陛下の側妃となるのだ。
――ああ、ダメだ。今は泣いてはいけない。
側妃は、王妃に次ぐ高い地位だ。
国王陛下の側妃になれるなど、名誉なことではないか。
「伯父上、急にリリアンを側妃にするなど、どういうことですかっ!」
団長が吠えた。まるで、王宮に忍び込んだ刺客と対峙した時のようだ。全身に殺気まで纏っている。
「甥とはいえ、不敬だぞ、ルドウィク」
国王陛下が嘲笑った。
「ふざけないでいただきたい!」
「政治的判断である。私は国王であり、リリアン嬢との婚姻で、ポルト侯爵家、ジンベア辺境伯家と王家との関係を強化する。なにか問題でも?」
国王陛下がいつの間にか私の隣に立ち、私の肩をそっと抱いた。
私は、どうやら本当に国王陛下の側妃となるようだ。
「リリアン……、リリアンは……」
「敬え! 私の側妃となる女性だ!」
国王陛下が団長の言葉を遮った。かなり強い言い方だ。
団長は顔色を失い、唇をかすかに震わせた。
「私は両親に……」
「ルドウィク、黙れ! 今後、リリアン嬢のことは、ポルト側妃殿下と呼んでもらおうか。リリアン嬢の名を呼べるのは、国王であり、夫である、この私だけとなる」
国王陛下の声は、ひどく冷たかった。
二人は伯父と甥であると同時に、君主と臣下なのだ。当然ながら、越えてはならない一線がある。
「儀礼服まで着て、側妃を迎える私を祝いに来たのだろう。存分に祝うが良い」
国王陛下はまるで挑発でもするように、手のひらを上に向けて手招きした。
「私は……、私は……、リリアンに求婚しに来たのだ! 両親からポルト侯爵家に対し、正式に婚約の申し込みをしてもらうところだったのだ! たとえ国王でも、リリアンは渡さない!」
団長は私の肩にあった国王陛下の手を払いのけ、私を引き寄せた。
「リリアン、愛している! 私と結婚してほしい! リリアンには、偽物の婚約者だって持ってほしくない! 相手が女性でも嫌だ!」
団長は私をスコーンごと抱きしめて、震える声で叫んだ。
「はい」
私には、団長の求婚を断るなんてできない。たとえ不敬罪や叛逆罪で死ぬことになろうとも……。
「リリアン、心から愛しているのだ。リリアンが王立学院の騎士部で、何事にも真剣に取り組んでいる姿に惹かれ、リリアンだけを心に秘めて我が道を歩んできた。ずっと好きだったのだ……」
団長は、そんなに前から私を好きでいてくれたのか……。
「私も団長を愛していますし、ずっとずっと好きでした」
私は、団長の背中に片腕をまわした。
私と団長には、処刑まで後どれくらいの時間が残されているだろう……。
私は残り少ない時間を、団長と共に過ごしたい。
二人で国王陛下にお願いしたら、隣同士か向かい合う牢に入れてもらえるだろうか……。
「団長ではなく、ルドウィクと呼んでくれないか」
「はい……、ルドウィク様」
私が顔を上げて呼ぶと、ルドウィク様は赤い顔をして、蕩けるような笑みを浮かべた。
「愛している、リリアン。もっと早くに言うべきだった。リリアンを抱きしめられて、幸せすぎて、どうにかなりそうだ」
「私もうれしいです、ルドウィク様」
私は我慢できなくなり、涙を一粒こぼしてしまった。
ルドウィク様の長い指が、頬を伝う涙をそっと拭ってくれた。
「ルドウィク、この愚か者が! 何年も情けない姿を見せおって! 結局、伯父上の助力がないと、好きな女に求婚もできないのか! 伯父上はお前を心配して、国王陛下なのに、こうして来てくれたのだぞ! 伯父上にしっかりお礼を言うのだ!」
レーヴェ公爵が吐き捨てるように言った。かなりお怒りのようだ。
どうやら、レーヴェ公爵の話しぶりから考えるに、側妃の話は国王陛下の機転によるもののようだ。私たちが処刑されることはないだろう。良かった。
「なるほど。伯父上は私の助けになりに来たのか。そういうことならば、リリアンに触れはしたが、殺さないでおいてやろう」
ルドウィク様が国王陛下に凄みのある笑みを向けた。
「なにを言い出すのだ! いい加減にしろ! この馬鹿者が!」
レーヴェ公爵がルドウィク様を叱りつける。
「伯父さん、かわいい甥っ子のために、すごくがんばったのに……」
国王陛下は悲しそうにしていた。
「リリアン嬢、本当にルドウィクで良いのか!? 今なら国王陛下に乗り換えても、誰も文句など言わんぞ!」
レーヴェ公爵が私に問いかけてきた。
「それでもルドウィク様が良いです。そんなルドウィク様が良いのです」
ルドウィク様は、純情で、不器用で、少し情けない方だ。
私は、そんなルドウィク様が、ずっとずっと好きだった。
ルドウィク様は、人から見たらダメ男なのかもしれない。
それでも私は、誰よりもルドウィク様が好きなのだ。
◇
あの後、妹が国王陛下の側妃になることになった。本当にポルト側妃殿下が誕生してしまったのだ。
「国王陛下の当て馬ムーブ、すごく良かったです! 演技力の高さがたまりません!」
妹は国王陛下に近寄って行き、うっとりした顔で見つめていた。
「そうか? そう言われると悪い気はしないな」
「すごく素敵でした! 悪い笑顔が特に! こんな格好良い方、他にはいません!」
「では、そなたが側妃になるか?」
ははは、と国王陛下は楽しそうに笑った。
「なりたいです! 本気でなりたいです!」
「私はそなたの父親より年上だ。その場の勢いではなく、よく考えるのだ」
国王陛下は断った。けれど、妹は半年後と一年後にも、国王陛下に側妃にしてくれるよう訴えた。
両親や兄は妹を止めたけれど、妹はとにかく国王陛下が好きなようだった。
きっと妹は、私と好みなどが似ているのだろう。
私は『パンを焼ける婚約者』を持つことはなかった。
ミュリエル殿下が、辺境の修道院に送られたのだ。
私が総騎士団長に報告した『ミュリエル殿下が、婚約者のいる騎士を侍らせたがっていた』という件が、国王陛下のお耳にも届いたのである。
「ミュリエル、辺境で『好きなこと』とやらをやってみせろ」
という王命により、ミュリエル殿下は辺境行きとなった。
ミュリエル殿下が送られたのは、とても戒律の厳しい修道院らしいので、実際には『好きなこと』などできないらしい。
最近、その修道院の名物が、各種ギルドの協力により作り出された『王女のやさしさ輝く薬草パン』という薬草を練り込んだパンになったらしいと聞いた。
ミュリエル殿下は、パン職人たちの指導の下、ひたすらパン作りに励んでおられるようである。
私とルドウィク様は、結婚後も共に王宮警備騎士団で働いている。
いつか私に子供ができたら、その時には、二人で騎士団を休団するつもりだ。我が国の騎士団には、育児休団制度があるのである。
私はルドウィク様と共に、これからもずっと騎士として、王宮内外を駆けまわるだろう。
私の好きなことも、やりたいことも、『愛するルドウィク様と共に、騎士として生きる』なのだから――。




