第三話
「あの、これは本当に必要なのでしょうか?」
境内に立たされたイヅナ。そんな彼女に鈴乃は何をしているのかというと、お札を指の間に挟みながら呪詛を唱えている。
正直言って、何をされるかわからなくて怖い。
イヅナは肩を落とし、逃げ腰になる。しかし、睨まれて元の位置に戻った。
鈴乃が唱え終わると、お札が勢いよくイヅナの額に貼られる。パチンととても軽快な音が鳴り、耳と尻尾が一気に立ち上がった。
「あいた〜……」
真っ赤に腫れ上がってるであろう額を抑えながら、イヅナはうずくまる。
「な、何するんですか……?」
「町に出るために必要なことよ。ほら、あんたが“ついていきたい”って言ったんでしょ? 我慢しなさい」
一体何をしたんだと思って違和感に気づく。耳と尻尾の感覚がない。思わぬ重心の寄り方によって、イヅナは体勢を崩しそうになった。
「わ、私の耳と尻尾は!?」
「あのね、そもそも人間に狐の耳と尻尾がついてる人なんていないの」
その言葉を聞きながら、体の重心を保とうとする。しかし、転びそうになって慌てて体勢を立て直した。
尻尾がないとやはり違和感が凄まじい。つい後ろに重心を預けようとして、尻尾がなくてバランスを崩す。
「うぅ、お嫁にいけないです」
手をだらんとさせて落ち込むイヅナに、鈴乃が大きくため息をつく。
「一時的に人間化を促進しただけたから、安心しなさい。時間で元に戻るわよ」
「ほ、本当ですか?」
彼女の言葉に、ホッと胸を撫で下ろす。そして安心してる自分に、首を傾げた。
人間になりたかったのではなかったのか。むしろ、今のこの状況は喜ぶことではないのか。と思ったが、あまり深く考えないことにする。
頭がこんがらがることを考え続けるのは、イヅナは苦手なのだ。
「ほら、行くわよ」
石段を降り始める鈴乃の後ろを、転ばないように気をつけながらついていった。
一段一段降りていく。履いている下駄が、石段とぶつかって小気味のいい音が響き渡る。
緑の匂いから、住宅街の温かみのあるものに変わっていく。
自分はこれから人間たちの世界に足を踏み入れる。そんなワクワク感で心が満たされていく。
最後の段を降りて、出入り口となっている鳥居を潜った。目の前の景色の印象はさほど変わってはいないのに、どこか別世界に来たような感覚を受けた。
「あら鈴乃ちゃんお出かけ?」
通りがけのおばさんが、声をかけてくる。鈴乃は親しげな笑顔を見せていた。
「買い物にね」
「そう、いつも助かってるわ〜。あとで、野菜でも持っていくわね?」
「いえいえ、私の仕事なので」
おばさんは少し話してから、イヅナのほうを向いた。
視線は柔らかいが、どこか探るようなものが含まれている。
「見ない顔ね〜。こちらは?」
「は、はい! 私は……っ!」
鈴乃とは別の人間に話しかけられた。そのことで舞い上がり、舌を噛んでしまった。
痛みに悶えて、イヅナはうずくまる。
呆れたため息を漏らした鈴乃が、代わりに答える。
「私の親戚のイヅナよ。巫女修行でしばらくうちの神社にいるわ」
「へぇ~。鈴乃ちゃんの親戚可愛いわね〜」
「それ、どういう意味かな?」
「うっふふ。鈴乃ちゃんは可愛いというよりシャンとしてるって感じだからね〜」
舌を噛んだままうーうー唸ってるイヅナを置いて話は進んでいく。
二人は暫く立ち話をしてると、おばさんのほうから挨拶を言って立ち去っていった。
「……何緊張してんのよ?」
「だ、だって人間に話しかけられたんですよ!」
「一応、私も人間なんだけど?」
少し間をおいて考え、そっかと手を打つ。
「鈴乃さんはその、人間って言うより巫女! って感じですので」
その言葉の後、イヅナは鋭いチョップを食らった。
涙目になりながら、鈴乃のことを見上げる。
「はぁ〜、今から慣れてかないと本当に先が思いやられるわよ?」
「しょ、精進します……」
鈴乃は姿勢よく歩き始める。その後ろを、イヅナがひょこひょことついていく。
しばらく歩いて分かったことは、鈴乃はものすごく顔が広い。地元の人とすれ違うたびに挨拶をかわし、一言二言話していく。
そして何より、彼女はその一言二言のために毎回立ち止まるのだ。
「そう言えば、イヅナは人間化する前に何か特別なことあった?」
「何でですか?」
「やはり、五年程度しか生きてない動物が人間化するのは、どこか引っかかるのよ」
尋ねられて考える。しかし、思い当たることはなかった。
「強いて言えば、人間には毎日なりたいって思ってました。あと、古い祠の前で寝てたとかそんな感じです」
「古い祠……あー……」
鈴乃は納得したかのように唸ると珍しく頭を抱えてうずくまる。
「どうしたんですか?」
「ごめん、うちのアホ神のせいだそれ……」
「アホ神?」
イヅナの問いに、彼女は何でもないと返した。立ち上がり、服装を整えた。
そのまま心配そうに見つめるイヅナの頭に手を置いた。撫でられると、無意識に手に頭を擦り付けてしまう。
「は! 私、懐柔されてます!?」
「うん、完全に人間に慣れた小動物だね」
「ち、違います! これは、本能です!」
イヅナの返答に、鈴乃が笑う。
顔を真っ赤にさせるイヅナから視線を外して、鈴乃は先に進む。その後ろを、頬を膨らませながらついていった。
「原因がこっちにあるって分かったから、本気であんたの願いを叶えてあげるわ」
「願いですか?」
「ほら、あんたは何で人間になりたかったかよ」
顎に手を当てて少し考えてから、イヅナは小さく答える。
「私を助けてくれた男の子に会いたいです」
「そっか、その男の子に会ったのはいつ?」
「私がまだ小さい頃ですね」
イヅナの言葉に、鈴乃は真剣な表情で考える。いつも飄々としている彼女の珍しい顔に、思わずジーッと見つめてしまった。
視線が合い、またチョップされる。
「あう……動物虐待です……」
「調子に乗ってそうな気配があったからよ」
どこか照れ隠し気味にそう言ってから、鈴乃は先に歩みながら指を振る。
「ま、人間は五年やそこらじゃ大して変わらないことが多い。多分、イヅナが探している人もまだここら辺にいるかもね」
「ほ、本当ですか!」
鈴乃の言葉に、イヅナは尻尾があれば完全に大きく左右に振っていただろう。




