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第二話

 この神社は、小さく古びている。参拝客があまり来ず、静けさに包まれている。


 森を割るように神社から伸びる石段は、住宅街に続いていた。赤い鳥居が何かの境界線かのように思えてくる。


 無理矢理契約をかわされて一日が開けた朝。イヅナは箒を持って境内の落ち葉の掃除をしている。

 かわされた直後は騙されたと言う気分でどんよりしていたが、美味しい夜ご飯と温かな布団で全てを忘れた。


 鼻歌交じりで箒を動かしていると、あくびを噛み殺しながら鈴乃がやってきた。

 髪はボサボサで、白い寝間着姿のままだ。


「おはよう〜……早いわね」

「おはようございます鈴乃さん。昨日は夜どこか行っくすりと笑われたことに、てたけど、何かあったのですか?」

「んー仕事よ仕事。夜の巫女さんには色々と秘密があるのよ」


 彼女の言っている意味が分からず、首を傾げる。そんなイヅナの頭に、彼女の手が乗せられた。


「わわっ」


 驚いた声が漏れるが、撫でられて耳がぺたんとなってしまう。ついでに尻尾も少し揺れている。


「わかりやすく小動物ねあんた」

「はうわ!」


 クスリと笑われたことに顔を真っ赤にする。箒で鈴乃の足を払って、照れ隠しをした。


 頬を膨らませて不機嫌アピールをするのだが、彼女は謝るどころか小さく笑っている。

 馬鹿にされていることはわかるのだが、怒る気にはなれなかった。小さくため息をついてから、落ち葉掃きを再開する。


 そんな様子を見ながら、鈴乃は鳥居下のちょっとした段差に腰をかけた。頬杖をついて、こちらをジーッと見つめる。


「イヅナっていつからこの山に住んでたの?」

「いつからですか?」


 箒を持つ手を緩めて、顎に指を当てた。視線を上に彷徨わせて、考える。


「五年くらい前からですね」

「はえ!?」


 イヅナの答えを聞いて、巫女が素っ頓狂な声を漏らした。唐突なことにびっくりして、肩を跳ね上げる。


「たった五年で、妖怪化したの!? あんた!?」

「ど、どういうことでしょうか?」

「いや、普通はこういうのって何百年とか生きてないとダメなんだけどね……」


 頭に手を当てて、大きくため息を吐いている。一方のイヅナは、自分何かしちゃいました? とでも言いたげの表情だ。


「あんたがまったく邪気とか含んでない理由分かったかもしれないわね」

「……?」


 わけがわからなくなり、イヅナは首を傾げた。耳も考えるように垂れている。

 そんな彼女に、鈴乃は笑顔を返すだけだった。


「ほら、朝ごはんにするわよ」

「朝ごはん!」


 先ほどまで垂れていた耳は、ピンと立ち上がる。尻尾の揺れも大きくなった。

 イヅナはどうしても素直な感情が漏れてしまう。そのことを恥ずかしいと思いつつも、狐時代の名残なので半分諦めている。しかし、今そんなことを気にしないで、鈴乃の後ろをぴょこぴょこと軽い足取りでついていくのだった。



 食卓に並べられたのは、日本の平均的と言われている朝食。味噌汁に煮魚にご飯だ。どれも湯気が立ち上っていて、イヅナの鼻を柔らかく刺激する。

 口の端からは涎が垂れて、つばを飲み込む。


「そんなに待ちきれなさそうにすると、作った甲斐があるわね」

「だ、だっておいしそうですから」


 イヅナの涎を、鈴乃が苦笑しながら拭った。


 狐のときは、山になってる果物やネズミが主食だった。味重視というより、生きていくための必要最低限という要素が強い。だからこそ、人間の味を楽しむという文化は、今のイヅナにとってはとても魅力的だ。


「ちゃんと手は洗ったわよね?」


 朝ごはんをジーッと見つめながら、耳をパタパタさせている。鈴乃の言葉を半分聞き流すように頷いた。

 そんなとき、額にチョップを食らう。


「あいたっ!?」


 思わぬことに、イヅナは目を白黒させながら額を抑えた。涙目になりながら、手を構えたままの鈴乃のほうを見やる。


「な、何するんですか……!」

「放っておいたらそのままがっつきそうだったからよ。ほら、ちゃんとお箸を使って」

「お箸……?」


 彼女が指を差したのは二本の木の棒。それを顔を近づけてジーッと見つめる。

 これを一体何に使うのだろうかと思っていると、向かいに座る鈴乃が「いただきます」と、手を合わせた。

 イヅナも遅れて見様見真似でいただきますというと、そのまま「お箸」なるものを手に掴んだ。


 結果から言って惨敗だ。

 ご飯をつかもうとして暴れまわり、みそ汁をかきこもうとして舌を火傷し、煮魚の骨を喉に詰まらせた。

 昨日の夜ご飯では好き勝手食べれてたが、今日は鈴乃の目があるせいで変に緊張してしまったからだ。


 朝食が終わった頃には、机に突っ伏していた。

 溶けそうなくらい柔らかい頬は、天板に張り付いて伸びている。耳と尻尾は、元気なさげに垂れていた。


「人間のご飯……。自然界とは違った意味で難しいです……」

「まぁ、最初からなれろというほうが無理よ」


 食器洗いから帰ってきた鈴乃が、少し苦笑いをしている。

 机に突っ伏したまま顔だけ上げて、頬を膨らませながら彼女のほうを見つめた。


「どうせお腹に入るんだから、食べ方なんてどうでもいいんじゃないですか……?」

「教養がないって周りから馬鹿にされるわよ? 私はあんたのことわかってるから良いけど、わからない人から見たらどう思われるか」

「うぅ、人間ってややこしい」


 大きくため息をつくイヅナ。

 動物にも社会性はある。しかし、それは縄張りという本能に直結しているだけだ。

 体裁を気にし、他人の目を気にし、建前を整える。なぜそこまで気を遣わなければならないのか、イヅナには到底理解できない。


「それが人間だからよ」


 鈴乃にそう言われたところで、納得できるものではなかった。


「でも、そんな人間になりたかったんでしょ? それは何で?」

「他人に気を使える優しい種族だと思ったからです」


 これはイヅナの心からの本音だ。やはり思い起こされるのは、男の子に助けられたことである。

 あの時があったから、イヅナは今を生きている。だから、いくら難しいことがあっても、理解しようとは思った。


「その気遣いも、社会性の上に成り立ってるのよ」

「そんなものですか?」

「そんなものよ」


 イヅナは顔を上げて大きく息をついた。

 少し納得するように笑みを漏らしたら、鈴乃も笑みを返す。

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