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第一話

 イヅナは視線を落とし、自分の手のひらを見る。

 毛がない人間の手だ。肉球もない。何より自分は二本足で立っている。


 自分は昨日までは狐だった。古びた祠があったから、今日はそこを寝床代わりにした。朝起きたらこうなっていたのである。


 脳の中は信じられないという思いで溢れかえる。近くの水場に四つん這いのまま急いで、覗き込んだ。


 金色のふわふわしてそうなボブカットの髪に青い瞳は、どこからどう見ても人間の顔。ただ、頭のてっぺんに主張するように狐の耳が生えていた。


 体全体は女の子特有の柔らかな曲線があった。白い肌に、細い腕と細い脚。胸はなだらかでどこかまだまだ発展途上の様相だ。

 そして、背後に揺れてる金色の大きな尻尾だけが、昨日まで狐だった証のように思えた。


「……もしかしてもしかしなくても」


 心が温かくなる。鼓動が速くなる。

 自分は念願だった人間になれたのかもしれない。そう思うと、嬉しくて足を慣らしてしまう。


 そんなとき、大きく風が吹いた。体中を駆け巡る冷たさに、思わず震える。口からはくしゃみが漏れた。

 

 イヅナが人間になってまず学んだこと。それは、肌が露出している人間は、冬は裸ではとても寒いということ。



※※※※※※※※※※



 イヅナは山に住む野狐だ。別に古くから住んでいたとかそういう妖怪の類ではなく、純粋に人間に憧れていた狐である。

 理由は、大怪我を負ったときに人間の男の子が治療してくれたから。そのときから彼の世界に憧れて、いつか人間になれたらいいなと思っていた。


 だからこそ人間になれた今、すぐに山を降りようとも考えた。しかし、人間の世界と狐の世界では大きな隔たりがある。


 まず、人間は裸では歩かない。服というものを身に着ける。

 何故かは分からなかったが、今なら少しわかる。


 体温への適応。毛並みがない分他の人への個性の違いのアピール。そして何より、裸でいることがとても恥ずかしい。なぜだか裸でいると、とても悪いことをしてる気分になる。

 胸の奥がモゾモゾするのだ。


 イヅナはこっそりと山を降りると、まず近くの神社らしき所に寄った。境内に人がいないことを確認すると、社務所の中に入る。不用心にも、鍵はついていない。


 棚を開けて、顔を突っ込む。何かないかなと、お尻を高く上げて尻尾を左右にゆらしていた。


「……誰?」


 唐突に聞こえた声に、慌てて顔を上げた。声の下方向に、ゆっくりと向き直る。

 黒髪セミロングの少女が立っていた。箒を持って巫女さんの服を着ている。赤茶色の瞳が、怪訝そうにこちらを見つめていた。


「ち、ちちちがいます! 怪しいものじゃないです!」

「いや、裸で社務所を漁ってる時点で怪しいけども」

「はうあ!?」


 断言されて、耳がピンと立つ。そして尻尾がだらりと垂れ下がった。


「耳……狐?」

「あ、あわあわ」


 思わず立ち上がった耳を手で隠す。


「ニンゲンデス」

「そんな尻尾ついてる人間いないわよ」

「はうあ!?」


 彼女の言葉が胸に突き刺さった。そのまま膝から崩れ落ちて、うなだれる。耳も尻尾もすっかり元気をなくしたようにたれてしまっている。


「はぁ、まぁいいわ。あんた服なくて困ってるんでしょ?」


 そう言われるとイヅナは顔を上げた。

 巫女は箒を壁にかけると、中にはいっていく。しばらくゴソゴソしてるなと思ったら、巫女服を片手に戻ってきた。


「え? 良いのですか!?」


 手渡されたイヅナは顔を輝かせていた。尻尾が高速で揺れている。

 

「裸でそのまま街に出られるよりは何倍もマシよ。それにあんたは悪い妖怪じゃなさそうだしね」

「妖怪?」

「あ、あー……」


 何かを悟ったように、彼女は小さく頷いた。


「どうやらあんたは“成り立て”みたいね」


 彼女の言っている言葉の意味はわからない。

 あまり深く考えても仕方ないかと、渡された巫女服に視線を落とした。そして、首を傾げる。


「これ、どうやって着れば良いのですか?」


 瞬間、巫女はガクリと頭を落とした。



※※※※※※※※※※



 巫女に服を着付けしてもらった。尻尾と耳は出放っしだが、一見するとコスプレに見えるだけだから問題ないという。

 彼女の言葉の半分も分からなかったが、取り敢えず納得するしかない。


 それよりも、イヅナは自身の尻尾のきつさに眉毛を寄せる。


「あ、あのこの下着というものはつけないとだめですか?」

「だめに決まってるでしょ? いや、一部の人にとっては常識じゃないかもしれないけど……」


 うーうー唸っている彼女に、巫女は大きくため息を吐いていた。


「ま、その巫女服着てたらあんたでも町中くらいなら安全に過ごせるから」

「あ、ありがとうございます」


 彼女は頭を深々と下げる。同時に、首を横にひねった。


「それよりも、なんで私のことをこんなに良くしてくれるんですか?」


 動物界では他人の心配をしている暇はなかった。自分のことは自分でなんとかする。なんとかできなければ見捨てられる。

 それは家族であろうと例外はない。


 弱いものは排他され、強いものが生き残る。そんな世界の隙間でイヅナは生きてきた。だから、人間に憧れた。

 怪我をしている他人に手を差し伸べることができる種族だから。


「強いて言うなら、あんたが悪い妖怪じゃないからね」

「……悪い妖怪?」

「ま、簡単に言えば、この世界を暗黒面に落とそうとしている者たちの総称よ。でも“あんたには関係ないことだからあまり深く考えなくていいわ”」


 その意味ありげな言葉に、さらに首を傾げる。しかし、結局のところは答えが出なかった。

 わからないものはわからないのだ。


 イヅナの思考を切るように、彼女は続ける。


「そもそも、この神社はそういう輩が入ってこれないようになってるわけ。ここに入ってこれた時点で、私はあんたの味方よ」


 その、笑顔混じりの彼女の言葉に、どこか頼もしさを覚えた。


「私は鈴乃すずの羽生はにゅう鈴乃よ、よろしくね」


 そう言うと彼女は手を伸ばしてくる。その手をじっと見つめながら、イヅナは固まる。

 その様子に、鈴乃は苦笑を漏らした。


「こういうときは、手を握りながら名乗るのよ」

「え、えっとじゃあ」


 恐る恐る手を差し出す。彼女の手は温かく、どこか心を安らがせてくれるような気がする。


「私はイヅナです」

「イヅナね」


 名前を聞いた瞬間、鈴乃は大きな笑みを作った顔を近づけてくる。


「服代だけでも、働いてもらうから」


 その囁きを肯定するかのように、繋いだ手が光った。甲には桜の木のような紋様が浮かび上がる。

 あ、これ何か良くない契約をかわされたと思ったが、すでに手遅れだ。


「てことで、よろしくねイヅナ」


 肩に置かれる手が重い。

 イヅナは涙目になりながら、尻尾と耳が垂れた。

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