94話 聖女の遺言
――カイ視点
淡い朝靄が木々の隙間を縫うように差し込み、古びた神殿跡地の石畳を柔らかな光で包み込んでいる。かつて瘴気に覆われたこの地は、封印の再生を受けてわずかな管理だけが残る静寂の世界へと変わりつつあった。だが、そんな静寂を破るかのように、傷ついた聖女セレスティアが倒れ伏している姿をカイは目にした。彼女の顔には痛みと疲労が浮かび、その手にはかすかに乾いた血が滲んでいる。
「セレスティア……どうしてお前がこんなところに」
カイは駆け寄り、剣ルクスを腰に収めながら彼女を支え起こそうとした。だが、セレスティアの頬には既に深い痛みが走り、微かな声でしか言葉を紡げない状態だった。かつて仲間と共に世界を救った力強い祈りの声は、今や静かに震えるだけで、聖女としての威厳を感じさせるものではなくなっていた。カイはセレスティアの眼差しに映る深い悲しみと決意を見て、胸が締め付けられるような思いを抱いた。彼は右手で彼女の肩を支え、左手で杖を抱えたまま固く握りしめた。
「セレスティア、お前の足を引きずった痕がある……無理をしてここまで来たのか?」
カイは声を震わせ、彼女の傷口から滴る血を指で拭いながら問いかけた。セレスティアはかすかに笑みを浮かべ、囁くように言葉を紡いだ。
「カイ……私の命はもう長くはない。神殿を離れ、この地に残るのは危険すぎた。だがどうしても……どうしてもあなたたちに伝えなければならないことがあったの」
セレスティアの声はかすれ、言葉は途切れ途切れだったが、その中には深い慈愛と覚悟が宿っていた。カイは剣ルクスの柄を強く握りしめ、蒼光を静かに揺らしながら彼女の言葉を受け止めた。草木の隙間からは風に踊る朝露が光り、セレスティアの涙と混ざるかのように煌めいている。
■ ■ ■
リリアナ視点
カイから事情を聞きつけ、リリアナは杖を胸に抱えたまま祈りの光を消すと、オークの根元に座り込むセレスティアのもとへと駆け寄った。彼女の顔には驚きと動揺が交錯し、手足が震えている。杖先から放たれた淡い蒼光を気にしつつ、リリアナは膝をついてセレスティアの横顔を覗き込んだ。
「セレスティア様、どうなさったのですか?」
リリアナは声を震わせながら問いかけた。セレスティアはかすかに笑みを返し、リリアナの手をそっと握りしめた。その手は氷のように冷たく、リリアナの胸に深い痛みを呼び起こした。
「リリアナ……ありがとう。あなたが私をここまで導いてくれた。だが、私の時間は……もう残されていないの」
リリアナは涙をこらえ、セレスティアの手をしっかり握りしめたまま、必死に言葉を探した。
「そんな……いったいどうして……?」
リリアナは震える声で言葉を紡いだが、セレスティアは微笑みながら首を振った。
「この神殿には、瘴気の根源を封じるための聖なる泉が眠っている。その泉に触れる者は魂の一部を奪われる。その代償として、世界を浄化する力を得ることができるの。私は……その泉に触れたの」
リリアナは驚愕し、杖を握る手をさらに強く握りしめた。
■ ■ ■
マギー視点
リリアナの悲鳴を聞きつけ、マギーは巻物を抱えたまま駆け寄った。草むらの向こうから、かすかに聞こえるリリアナの声は焦燥に満ちていた。マギーは杖先の蒼光を消してセレスティアのもとへ走り寄り、息を荒げながら彼女を見つめた。
「セレスティア様……どうかお聞きください。私たちはまだ、世界の真実を解き明かすために必要なのです。どうして命を賭してまでここに来られたのですか?」
マギーの問いに、セレスティアは微笑みながら答えた。
「世界の真実……それは、あなたたちが知るべきこと。神々はかつて、人間を試すために瘴気を生み出したと言われている。その瘴気を浄化するには、この泉の力を借りなければならず、その代償として命を落とす覚悟が必要なの。私はその覚悟を……」
マギーの胸にはただ事ならぬ衝撃が走り、巻物を強く握りしめる。湧き上がる言葉を飲み込みながらも、マギーはそこで立ち尽くすしかなかった。
■ ■ ■
ガロン視点
マギーとリリアナの間に割って入るように、ガロンは剣ルクスの柄を握りしめながら駆け寄った。一族の誇りを胸に刻む彼の顔には不安と怒りが混ざり、剣先の蒼光が揺らめく。
「セレスティア……汝が何をしたのかはわからぬが、今は休め。俺たちが必ずお前の意思を継いで、この世界を守り抜く!」
ガロンは深く息を吐き、剣ルクスを振りかざすことで蒼光を大地に映しだし、瘴気の欠片を凍結するように祈り続けた。セレスティアはガロンの言葉に微笑みながら、静かに頷いた。その姿は勇猛な剣士と共に戦ってきた聖女としての威厳をわずかにたたえていた。
■ ■ ■
ジーク視点
剣ルクスを振るうガロンの背中を見つめながら、ジークは短弓を胸に抱え、セレスティアのもとへ駆け寄った。彼の瞳には驚きと悲しみが交錯し、弓を握る手がかすかに震えている。
「姉さん……どうして、そんな……」
ジークの声は震えていたが、その奥には強い決意があった。彼は再び矢を番え直し、草むらに潜む瘴気の残滓を狙い撃ちにした。矢は瘴気を貫き、白い結晶となって舞い散った。
「俺たちは……世界のために戦ってきた。姉さんの想いは、俺たちが引き継ぐ」
ジークは深く頷き、その瞳には兄としての覚悟と新たな誓いが刻まれていた。
■ ■ ■
セレスティア視点
ガロンとジークの覚悟を見届けたセレスティアは、かすかに微笑みながら杖をしっかりと握りしめた。彼女の目には希望と悲しみが入り交じり、辛くも誇らしげな光が宿っていた。荒廃した神殿跡地に差し込む朝陽は、セレスティアの銀髪を黄金色に染め、まるで聖なる天使のように輝かせている。
「みんな……ありがとう。あなたたちの瞳にこそ、この世界の希望が映っているわ。私はあなたたちに大いなる力を託す……それが私の遺言」
セレスティアは杖を胸に抱え直し、かすかに息を吸いながら繰り返した。
「この泉の水には、世界を浄化する力が宿っている。その力を使うには、大いなる犠牲が必要なの。私はすでにこの地を離れることはできないけれど、あなたたちにはその力を託す。どうか取り扱いを誤らず、この世界の光を守り続けて」
セレスティアの祈りが静かに夜明けの風と共鳴し、杖先から放たれる祈りの光が草木に揺れる瘴気の残滓を凍結させた。
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ルレナ視点
ガロンとジーク、マギーの背中を見つめながら、ルレナは剣を胸に抱えたまま膝をついた。朝陽に照らされる彼女の瞳は、セレスティアへの感謝と痛切な別れの悲しみで揺れている。その小柄な体が震えるほどの悲しみを胸に抱えつつも、ルレナは剣先から蒼光をゆっくりと大地に送り続けた。
「セレスティア様、私はあなたの意思を受け継ぎます。世界の浄化のために、この剣を振るい続けます」
ルレナの声はかすかに震えながらも、その言葉には揺るぎなき決意が宿っていた。彼女は剣を強く握りしめ、仲間たちと共に新たな希望を胸に抱いた。
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――カイ視点
セレスティアの遺言を胸に刻んだ仲間たちは、それぞれの想いを胸に握りしめながら立ち上がった。カイは剣ルクスを引き抜き、杖先から蒼光を放つリリアナと共に封印の泉へと歩みを進める。マギーは巻物を抱え、封印の儀式に必要な呪文を復唱しながら彼らの後に続き、ガロンは剣を肩に担ぎ直して草むらを切り裂きながら先導する。ジークは短弓を構え、草むらの闇を狙い撃ちにして仲間たちの安全を確保し、ルレナは剣を胸に抱えて涙を光に変えつつ後方を護る。
「セレスティアの想いを無駄にしない。大いなる犠牲を経た泉の力を、世界の光として紡ぎ返すんだ」
カイは深く頷き、剣ルクスを大地に突き立てた。その蒼光が夜明けの光と手を取り合うかのように揺らめき、草木は静かに再生の誓いを捧げるかのように揺れた。遠くから聞こえる鳥のさえずりが、まるで仲間たちの新たな旅立ちを祝福しているかのように感じられた。
「これからも、俺たちの旅は続く。神殿の奥に眠る泉の力を使い、瘴気の根を完全に断つ。そして、この世界を二度と暗闇に染めさせない」
カイは剣ルクスを腰に納め、仲間たちと共に封印の泉へと歩を進めた。聖女の遺言が彼らに託した大いなる責務を胸に抱きながら、彼らの影は朝靄の中へと溶け込んでいく。新たなる脅威を乗り越え、彼らの旅はさらに深い世界の真実へと続いていく――。
94話終わり
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