87話 絶望の淵
――カイ視点
薄暗い空にわずかに光が差し込む頃、カイは剣ルクスを握りしめたまま荒れ果てた戦場の中央に立っていた。かつての瘴気魔獣との死闘ですべての仲間が血に染まり、蒼光の結界も呑まれかけたこの場所には、今なお焦土の匂いが漂っている。カイの左腕の傷は再び痛みだし、鼓動に合わせて鈍い疼きを胸中に刻んでいる。剣ルクスの蒼光はかすかに揺らめき、アリウスの魂が覚醒の余韻で囁くようにカイの意識を揺さぶる。
「この光……でも、どこまで持ちこたえられる?」
カイは剣先を天へ向けて構えたまま深呼吸を繰り返し、仲間たちの無事を願いつつ視界を見渡す。リリアナ、マギー、ガロン、ジーク、セレスティア、ルレナ――全員が数多くの瘴気魔獣と狂気の兵士を前にして戦い抜いてきたはずだった。しかし、その代償はあまりにも大きく、この瞬間、カイは自分の胸に忍び寄る深い憂鬱と絶望の色を感じずにはいられなかった。
「仲間たち……俺は、皆を守りきれるのか?」
その問いは声にならず、カイの胸中に重くのしかかる。剣ルクスの蒼光は確かに闇を断ち割ったが、その力は尽きかけている。瘴気の残滓は消えたかに見えても、今なおこびりつき、この大地を浸食し続ける何かが蠢いている。カイは意を決して剣を振り下ろしたが、その刹那、剣先を暗闇の奥底へ引き戻されるような強烈な衝撃を感じた。巨大な瘴気の渦が再生し、白い結晶は一瞬にして砕け散り、再び黒い瘴気が立ち上る。
「ぐっ……まだ、終わらないのか……!」
カイは剣ルクスを揺らしながら必死に平衡を保とうとした。その瞳には薄れゆく蒼光への不安と、絶望の淵へと突き落される恐怖が映っている。彼は剣の柄を握りしめ、意地ででも光を放ち続けようとするが、全身から力が抜けそうになるほど疲労は限界に近い。心臓を締め付けるような痛みが走り、カイはかろうじて蒼光を束ねたまま腰を落とした。背後には仲間の叫び声、斬撃の音、詠唱の響きが入り混じっているが、カイにはそれが遠い世界の出来事のようにも感じられた。
■ ■ ■
リリアナ視点
リリアナは杖を高く掲げながらも、胸の中では冷たい震えを抑え込んでいた。朝靄がすべてを包み込むかのようにこの場を覆っているが、その下には無数の瘴気魔獣が形を得つつあり、仲間の姿が影へと呑み込まれていくのを目の当たりにしている。瘴気は先ほどの決戦で消え去ると思われたが、それは一時の幻に過ぎなかった。今や瘴気はより純粋で深い闇となって再生し、リリアナの蒼光の結界を裂こうと渦巻いている。
「瘴気浄化・結界展開……もう、いくつ唱えたかわからない。でも、この結界だけが私と仲間をつなぐ唯一の希望なの……」
リリアナは左腕の傷を強く押さえつつ、立っているのも苦しいほどに疲れていた。詠唱を重ねるたびに杖から放たれる蒼光は弱まり、瘴気がむしろ結界のすき間を押し広げようとする。リリアナは涙をこらえ、最後の力を振り絞って詠唱を紡いだ。
「瘴気追放陣! 瘴気断裂陣! 瘴気封鎧陣!」
詠唱が終わると同時に蒼光の渦がリリアナを包み込み、瘴気の層を一瞬凍結させた。しかし、その冷たさが次第にリリアナの体力を奪っていく。仲間が盾となって攻撃を抑えている間、リリアナは杖を支える腕を限界まで使い詠唱を続けた。視界の端でマギーやガロン、ジークたちが斬撃を繰り出し、魔獣の亡霊を打ち払っている。だが、その数は増える一方で、瘴気の闇はどこまでも深い。
■ ■ ■
マギー視点
マギーは巻物を取り出す手が震えていた。瘴気追放陣、瘴気断裂陣を詠唱した直後でさえ、瘴気の残滓がさらに強固な塊となって再生しようとしているかのように感じられる。マギーは深呼吸を整え、再度巻物を広げて詠唱を始めた。
「瘴気追放陣、瘴気断裂陣……瘴気浄化陣!」
地面に描かれた複雑な紋様は白い光を放ちながら、一度は浄化されたはずの瘴気を再び引き寄せ、断ち切る。瘴気の塊は呻き声をあげながら粉々に砕けていくが、その破片が次の瘴気の塊へと繋がっていく。マギーは詠唱を止めずに次なる呪文を組み立てるが、自分の身体が呪文の詠唱に耐えきれないほど衰弱していることを痛感する。
「この瘴気は……一度打ち破っても、再生し続ける……私たちの力だけでは到底押し返せないほど強い……」
マギーは胸の奥が締め付けられるような絶望を覚えた。仲間が次々と倒れ、リリアナの結界すら崩れかける中で、自分ができることは詠唱を続けることだけ。だが、その詠唱すらも限界に近づいていることをマギーは感じ取り、涙をにじませながら次の呪文を書く筆を震えさせた。
■ ■ ■
ガロン視点
ガロンは剣ルクスを肩に担ぎ直しつつ、周囲を睨み続けた。瘴気魔獣の亡霊はすでに無数に現れ、ガロンの剣戟を押し返しながら次々と仲間へと襲いかかってくる。ガロン自身も膝を雷鳴のように震わせながら、瘴気の渦を断ち切るために全身の力を込めて剣を振り下ろした。
「うおおおっ!! 俺の剣がお前たちの瘴気を飲み込むぞ!」
ガロンの一撃は蒼光の閃光を伴って瘴気の亡霊を斬り裂き、その断片が白い結晶となって崩れ落ちた。しかし、ガロンの身体も限界に近づいており、筋肉は悲鳴を上げている。剣を一振りするたびに全身に激痛が走り、ガロンの膝は崩れそうになるほど衰弱していた。
「まだ……まだ終われねェ……仲間を守るためなら……」
ガロンは苦しげに息を吐きながら、剣ルクスを構え直した。その背中には万感の思いがこもり、剣先から迸る蒼光が弱々しくも力強く揺らめいている。ガロンは膝をつきそうになりながらも、仲間の背中を護り続けようと剣を振るい続けた。
■ ■ ■
ジーク視点
ガロンの剣戟に続き、ジークは短弓を肩に掛け直し、瘴気魔獣の亡霊が再び形を成そうとする隙を探っていた。かすかな黒い影が草むらの影から浮かび上がり、それが最後の瘴気魔獣なのかと悟った瞬間、ジークは矢を番え放った。矢は瘴気を纏いながら闇の悪意を貫き、瘴気魔獣は呻き声を残して崩れ落ち、白い結晶となって砕けた。しかし、その一撃でさえジークの身体を支えていた気力を奪ってしまい、膝に力が入らなくなるほど疲弊していた。
「兄貴、お前の背中は俺が護る……でも、俺の矢ももう限界かもしれねェ……」
ジークは自分の胸の奥に湧き上がる絶望をかき消そうと深呼吸を繰り返した。傷ついた身体は痛みで悲鳴を上げ、視界は暗く揺らいでいく。ジークは矢を番え続けるのが精いっぱいで、仲間が倒れていく絶望を前にして涙をこらえるのがやっとだった。
■ ■ ■
セレスティア視点
玉座の間跡地中央で祈りを捧げるセレスティアの目には、同行していた仲間が次々と倒れていく光景が焼き付いていた。杖先から放たれる淡い祈りの光は、ますます力を失い、瘴気を浄化しようとするたびにその彼女の魂も痛みを感じる。かすかに揺れる祈りの光が瘴気の亡霊を凍結させるが、その瘴気は再生して暗闇を広げようとする。
「愛と慈悲の光よ……どうか、これ以上仲間を喪わせないで……」
セレスティアは目を閉じ、涙をこらえながら祈りを紡いだ。やがて杖先の光が弱まり、その光が消えた瞬間、ルレナのかすかな声が響いた。
「セレスティア様……私が……私が代わりに祈りを……」
セレスティアは目を開け、ルレナへ向かって微笑みかけた。
「ルレナ、ありがとう……でも、私にはまだ祈れる力が残っている。皆を救うために、最後まで光を放つわ」
セレスティアは杖をしっかりと握りしめ、再び祈りの言葉を紡ぎ始めた。その祈りがかすかな光を取り戻し、瘴気の亡霊が再び浄化されていく。
■ ■ ■
ルレナ視点
剣を胸に抱えたルレナは、自分の小さな体が震えているのを感じながらも、仲間の背中を見つめ続けていた。仲間たちが苦しみながらも前を向いて戦い続ける光景は、ルレナの心に深い決意を刻みつけた。芽吹いた草の上に俯く仲間を見守りながら、小さな声でつぶやいた。
「セレスティア様の祈りがある限り、私も負けない……」
ルレナは剣ルクスの刃先から蒼光の祈りを放つように静かに剣を振り、闇の亡霊を断ち切ろうとする。その蒼光の欠片は仲間の手助けと重なり、廃墟に差し込む朝陽の光と共鳴してかすかな希望の輝きを放っていた。
■ ■ ■
――カイ視点
仲間たちが限界に挑みながらも祈りと剣戟を繰り返す中、カイは剣ルクスを高く掲げた。朝陽に照らされた蒼光は眩く輝き、まるで刃先が燃えるかのように揺らめいている。カイは深く息を吸い込み、全身の力を剣に込めて詠唱を始めた。
「ルクスよ……この光にすべてを託す。アリウスの魂と共に、最後の一撃を――」
しかし、その詠唱すらも体力の限界で途切れそうになる。瘴気の亡霊は最後の抵抗として大地から塊となって立ち上がり、朝陽すらも呑み込もうと迫りくる。剣ルクスの蒼光は一瞬揺らいだが、カイは意地で剣を振り下ろした。蒼光の刃は瘴気の亡霊の中心を捉え、眩い閃光が炸裂した。
「――これで終わる!」
蒼光の一撃は瘴気の亡霊を完全に断ち割り、暗闇はまばゆい光に飲み込まれて消滅した。その衝撃で大地が震え、瓦礫が飛散したが、そこからはまったく新たな光が立ち昇るかのように感じられた。カイは剣ルクスを握りしめたまま力尽き、膝を崩したが、その目には仲間と世界を守り抜いた誇りと救いの光が宿っていた。
廃墟の上に朝陽の光が差し込み、草木が揺れている。すべての瘴気は浄化され、仲間は互いに寄り添いながら深い安堵の息をついている。リリアナは杖を胸に抱え、涙を浮かべながら微笑み、マギーは巻物を閉じて深く息を吐き、ガロンは剣ルクスを肩に担ぎ直し、達成感の笑みを浮かべている。ジークは矢を背負い直し、静かに頷き、セレスティアは杖先から放たれる祈りの光を天へと解き放った。ルレナは剣を胸に抱えたまま、小さく頷いている。
「これで……絶望の淵から這い上がった。仲間と刃を合わせ、祈りを重ねたことで、我々はこの世界を救ったんだ」
カイは剣ルクスを腰に納め、深く頷いた。その背中には仲間と共に戦い抜いた誇りと、これから紡ぐ未来への希望が強く宿っている。
こうして、「絶望の淵」の章は、仲間たちが限界に挑みながらも祈りと剣戟で絶望を乗り越え、再び朝陽の光を取り戻す瞬間で幕を閉じた。彼らの旅は続くが、その先には新たな希望と平和が待ち受けている――。
87話終わり
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