8話「灰色の迷宮」
夜明けの光が、荒野をかすかに照らしていた。
血と灰に染まった戦場を越えたヴァルト、リオン、そしてセレスティアの三人は、薄明かりの中を黙々と歩き続けていた。
彼らの影は長く伸び、その背に刻まれた傷と想いが、なおも重くのしかかっている。
「……あのレイヴンの言葉……お前はどう思った?」
リオンの問いに、ヴァルトは少しだけ瞳を伏せた。
「すべては血に帰す……。あいつは、俺の剣に宿る呪いを知っているようだった。」
リオンは険しい顔をしながらも、笑みを見せた。
「お前の剣は呪いなんかじゃないさ。仲間の想いを背負う剣だろ?」
「……ああ。」
短い答えだったが、その声には確かな決意があった。
足元の瓦礫を踏む音が、静かな空気に響く。
やがて三人は、朽ち果てた古の迷宮の入口に辿り着いた。
苔むした石の門が、冷たい空気を湛えながら立ち塞がる。
「……ここが、“灰色の迷宮”か。」
ヴァルトは呟く。
古の伝承に語られる、この迷宮の奥には世界の深淵に迫る禁忌の書が眠っているという。
「運命を超える鍵があるなら……ここしかない。」
セレスティアの声がわずかに震えていた。
けれどその青い瞳には、決して揺るがない祈りの光が宿っている。
リオンは剣を構え、ヴァルトの背中を軽く叩いた。
「さあ行こう。俺たちなら……必ず乗り越えられる。」
「……ああ。」
三人は迷宮の中へと足を踏み入れた。
石壁に覆われた細い通路は、ひんやりとした空気に満ちている。
苔の匂いと、どこか遠い血の匂いが混じり合い、息をするのも苦しいほどだ。
足元の水たまりに映る自分の顔を見つめ、ヴァルトは拳を握る。
(この迷宮の奥で……俺は何を見つけるのか。)
通路の奥から、微かな光が見えた。
それは、どこか不気味な緑色の光。
三人は息を呑み、そっと歩を進める。
石壁に刻まれた古の紋章が、かすかに光を帯びる。
その光を頼りに、ヴァルトは双剣の柄を強く握った。
「……この先に、すべての答えがある気がする。」
リオンは横で小さく笑った。
「なら……お前の剣を信じろ。迷宮に飲まれるなよ。」
緑色の光に照らされ、古びた扉が現れる。
その扉には、禍々しい文様が刻まれていた。
ヴァルトはそっと手を触れると、冷たい石の感触が指先を震わせる。
「……ここを開けたら……もう、戻れないかもしれない。」
セレスティアは静かに頷いた。
「それでも、あなたの道を信じます。」
ヴァルトは深呼吸し、ゆっくりと扉を押し開けた。
その先には、闇と光が交錯する空間が広がっていた。
石畳の中央には、古の書が浮かぶように置かれている。
「……あれが……。」
リオンが呟き、剣を構える。
だがその瞬間、空間を満たす空気が震え、禍々しい声が響いた。
「……ようこそ、血塗られた運命の探求者たちよ。」
声の主は、再び現れたグリムだった。
その銀髪の仮面は、微かに揺れながら三人を見つめる。
「……お前か。」
ヴァルトの声は鋭くなる。
グリムは冷たい声で囁くように言う。
「この迷宮の奥にある禁忌の書は、お前の運命そのものだ。だが……その代償は、お前自身の血だ。」
リオンが剣を突き出す。
「俺たちは……運命を超えるために来た! お前の言葉に屈しない!」
セレスティアもまた、胸の前で小さく祈りの言葉を紡ぐ。
「どうか……ヴァルトの剣が……闇に囚われませんように。」
ヴァルトは深紅の瞳をグリムに向け、双剣を抜く。
赤黒い残光が、迷宮の闇に一筋の光を生む。
「……俺の運命は、俺が決める!」
その声は、迷宮の石壁に反響し、血の匂いに満ちた空間を震わせた。
迷宮の奥、石の間に響く冷たい声。
ヴァルトの背筋を凍らせるその声は、まるで迷宮そのものが語りかけてくるかのようだった。
だが彼は、決して退かない。
「……この双剣に刻まれた想いを、お前に踏みにじらせはしない。」
ヴァルトの声は低く、それでいて確かな強さを帯びていた。
グリムの仮面の奥から、無機質な声が漏れる。
「ならば……お前の血と想いが、どこまで抗えるか……見せてもらおう。」
その言葉と共に、迷宮の奥から禍々しい力が溢れ出した。
石畳に走る赤黒い亀裂、そこから滲み出る血のような光。
ヴァルトは双剣を握り、足を踏みしめた。
「リオン……来い。」
「任せろ。お前の背を支えるのが、俺の役目だ。」
リオンの声に、二人の間に確かな絆が通う。
セレスティアは小さく息を呑み、胸の前で祈りを捧げる。
「どうか……二人の想いが闇に呑まれませんように。」
迷宮の中心、浮かぶ古の書が青白い光を放つ。
だが同時に、その書は禍々しい気配を滲ませていた。
「……これが、世界の深層に迫る禁忌の書……。」
ヴァルトは低く呟く。
グリムがゆっくりと手を伸ばし、書の上に手をかざす。
「この書に記されたものは、血の因果と呪いの系譜……お前の剣と同じく、血の呪いに染まった真実だ。」
「……ならば、その真実ごと俺が斬る!」
ヴァルトの双剣が赤黒い光を放ち、血の匂いを纏う。
次の瞬間、グリムの影が迷宮の空間を覆うように広がった。
「来るぞ!」
リオンが叫び、剣を構える。
黒い影が、無数の腕となって三人に迫る。
その冷たい触手のような影は、まるで心の奥に巣食う恐怖を具現化したようだった。
「……くそっ!」
リオンが影を切り裂くが、次から次へと現れる腕に押し返される。
ヴァルトは双剣を振るい、赤黒い残光を描いて影を断ち切る。
「……負けない! この剣に……俺のすべてを刻む!」
影の腕は冷たい風のように絡みつき、ヴァルトの意志を試すかのように囁く。
(お前の血は呪いだ……抗っても無駄だ……。)
冷たい声に、ヴァルトの瞳が一瞬だけ揺れる。
だが――セレスティアの声がその迷いを振り払った。
「……ヴァルト、あなたは……光です。」
青い瞳に映るその言葉が、ヴァルトの胸に深く響く。
「……ああ。俺は……お前の祈りに応える!」
赤黒い光が再び強く瞬き、ヴァルトは双剣を大きく振り抜く。
その一閃が、影の腕を真っ二つに裂いた。
光が走り、禍々しい闇を一瞬だけ切り裂いた。
「……見事だ。」
グリムの声は、どこか愉悦を帯びていた。
「だが……お前の剣は、まだ血に塗れている。その呪いから……逃れられはしない。」
「……逃げるつもりはない!」
ヴァルトは叫ぶように言い放つ。
「呪われていようと……俺は、この剣と共に進む!」
リオンが隣で剣を振るい、笑った。
「そうだ……呪いだろうが何だろうが……お前の剣は、お前の意志だ!」
影の腕が再び迫るが、二人の剣は恐れを斬り裂くように交わる。
血の残光と銀の閃光が、迷宮の闇に小さな光を生む。
セレスティアは祈りの声を強め、青い瞳を見開いた。
「どうか……彼らの剣が……世界を照らす光になりますように。」
グリムの影が崩れ、迷宮の空間に再び静寂が訪れる。
ヴァルトとリオンは荒い息を吐きながら、互いに頷いた。
「……お前の剣は……呪いだけではない。」
グリムの声が、仮面の奥からかすかに響いた。
「それを証明したお前たちの意志……見せてもらった。」
そして、グリムの影は迷宮の奥へと消えていった。
残された古の書が、淡い光を放ちながら彼らを見つめている。
ヴァルトは双剣をゆっくりと納め、深紅の瞳で書を見据えた。
「……この書を手に入れれば……俺たちは、血塗られた運命を超えられるかもしれない。」
リオンが笑みを浮かべる。
「なら……進むしかないな。」
セレスティアもそっと微笑んだ。
「ええ。あなたの剣を、私は信じています。」
三人はゆっくりと歩を進め、禁忌の書へと手を伸ばす。
その手に託すのは、決して折れぬ意志と、仲間と共に歩む未来への願いだった。
血と呪いに満ちた迷宮の闇を超えて、光は確かにそこにあった。
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