6話「呪われた双剣の囁き」
神殿跡を後にしたヴァルトとリオンは、廃墟を抜けると再び荒野へと足を踏み入れた。
夜明けの光が遠い空を染め始め、二人の影を長く伸ばす。
冷たい風が砂塵を巻き上げ、血と灰の匂いを運んでくる。
ヴァルトの足取りは重い。
背に負う双剣の重みが、いつにも増してずしりと響いていた。
リオンは歩調を合わせながら、そっと声をかける。
「……無理はするな。お前の傷はまだ癒えてない。」
だがヴァルトは小さく首を振る。
「大丈夫だ。むしろ……この痛みが、今の俺を支えている。」
その言葉に、リオンは目を細める。
「……お前らしいな。」
二人は黙り込んだまま、荒野を進む。
その沈黙の中で、ヴァルトの耳に小さな声が忍び寄る。
最初は、風の囁きかと思った。
だが次第に、耳元ではっきりとした声に変わっていく。
(……お前は、何を背負う?)
ぎょっとして足を止める。
双剣を背負う肩に、確かに誰かの声が絡みついてくるように響いた。
(お前は……血の代償を払えるのか。)
低く、冷たい声。
それはまるで、双剣そのものが囁いているかのようだった。
ヴァルトは深紅の瞳を見開き、剣の柄にそっと触れる。
「……これは……。」
リオンが怪訝な顔を向ける。
「どうした?」
「……双剣が……何かを語りかけてくる。」
自分でも信じがたい言葉だった。
だが確かに、その声は双剣の奥から響いていた。
リオンは眉をひそめる。
「お前……呪われた剣の力に飲まれるなよ。」
「わかっている……だが……。」
ヴァルトは目を閉じる。
双剣は、血塗られた戦場の記憶を宿す呪われた武器。
だがその呪いの奥に、何かが潜んでいる。
かつて仲間と交わした誓いの残響すら、双剣に刻まれているように感じられた。
(俺は……この声に答えなければならないのか……。)
双剣をそっと抜くと、血のように赤黒い光が刃を包む。
その光の中に、微かに仲間の幻影が揺らいだ。
声にならない声が、刃を伝って心に届く。
(……立ち止まるな。進め……。)
幻のような声に、ヴァルトは静かに頷く。
「……進む。お前たちの声を……この剣に刻む。」
リオンはその様子を黙って見守っていた。
やがてヴァルトは剣を収め、肩の力を抜く。
「行こう、リオン。」
「……ああ。」
二人は再び歩き出した。
荒野の風はまだ冷たく、血と灰の匂いは消えない。
だがヴァルトの瞳には、確かな光が宿っていた。
神殿跡を離れた道は、やがて細い峡谷へと続いていく。
岩壁に囲まれたその道は、かつて交易路として使われていたらしい。
だが今は、血に濡れた石畳と倒れた荷車が散乱し、死の静寂に満ちている。
「ここも……戦の影が残っているな。」
リオンがぼそりと呟く。
ヴァルトは頷きながら、岩陰に転がる剣の破片に目を落とす。
「……ここで、どれだけの命が奪われたのか……。」
二人は言葉を交わさずに進んだ。
足元の瓦礫を踏みしめるたび、過去の亡霊が呻くように響く気がする。
だが――ヴァルトの胸には、双剣の囁きが確かに生きていた。
(進め。恐れるな。)
(この血塗られた道を……最後まで歩け。)
その声に背を押されるように、ヴァルトは前を向く。
リオンの横顔を見やると、その瞳にも決意の光があった。
「リオン……ありがとう。お前がいるから……俺は立っていられる。」
「お前もだ、ヴァルト。俺は……お前の背を預けられる仲間でいたい。」
その言葉に、ヴァルトの胸が熱くなる。
血と呪いに縛られた双剣を背負う自分に、なお寄り添う声。
それがどれほど心を支えているか、言葉にはできなかった。
峡谷の終わりに、小さな光が見えた。
それは夜明けの光ではなく、荒野の奥で灯る小さな焔のような光。
二人は互いに頷き合い、その光へと歩みを速める。
――その先に待つのは、また新たな運命の扉。
だが今のヴァルトには、その扉を恐れる理由はなかった。
峡谷の奥で瞬く小さな光は、古びた松明の焔だった。
瓦礫に囲まれた小さな空洞に、松明の光が淡く照らす。
ヴァルトとリオンは息を潜めながら近づき、視線を交わす。
「……誰かがいるな。」
リオンの声は低く、空気に溶ける。
ヴァルトは双剣の柄に触れ、ゆっくりと頷いた。
岩壁の影に潜み、二人は松明の下を覗き込む。
そこには、銀髪の仮面を纏う男――グリムが立っていた。
その無機質な瞳は、焔の光にかすかに揺れている。
「……グリム。」
ヴァルトの声は鋭く響く。
グリムは視線を向けると、仮面の奥で小さく笑った。
「双剣の主よ……よくぞここまで辿り着いた。」
冷たい声が空洞に響き渡る。
「だが、お前の双剣は血に呪われている。その囁きに……いずれお前の心も飲まれよう。」
ヴァルトは双剣を抜き、赤黒い光をまとわせる。
「呪いだろうと構わない。この剣には……俺の想いが刻まれている。」
「想い? それは甘い幻想に過ぎない。」
グリムは静かに近づき、仮面をかすかに傾ける。
「血の因果は絶えない。お前の足掻きは、世界に飲まれる運命だ。」
リオンが前に出る。
「戯言を言うな。俺たちは運命を変えるために剣を取った!」
だがグリムは声を潜め、無機質な瞳をヴァルトに向けた。
「お前に問おう、ヴァルト。双剣の囁きに抗えるのか。」
ヴァルトの脳裏に、再び低い声が響く。
(血を捧げろ……己の全てを。)
冷たい声が、胸を凍らせる。
「……俺は……!」
双剣を握る手に血が滲むほど力を込める。
だがその瞬間、セレスティアの声が遠くから届くように思えた。
「ヴァルト……あなたは、まだ終わっていない。」
あの優しい声が、呪いの声をかき消す。
「……俺は、負けない!」
ヴァルトは叫ぶように声を張り上げた。
「この双剣は、呪いであると同時に……希望だ!」
赤黒い光が刃を包み、空洞を真紅に染め上げる。
グリムの仮面が微かに揺れ、無機質な声が再び響く。
「……ならば、見せてもらおう。お前の意志を。」
その言葉と共に、空洞の奥から影が立ち上がった。
黒衣の騎士たち。仮面を纏い、グリムと同じ冷たい気配を纏う存在。
「ヴァルト、来るぞ!」
リオンが剣を抜き、二人は背を合わせる。
黒衣の騎士たちの剣が、無言のまま二人に迫る。
ヴァルトは双剣を振り上げ、赤い残光を走らせる。
一振りで影を切り裂き、二振り目で迫る敵の剣を弾く。
血飛沫が舞い、冷たい風が戦場を駆け抜ける。
「呪われた双剣だろうと構わない……この想いを誰にも奪わせない!」
ヴァルトの声が洞窟に響き渡る。
リオンもまた剣を振るい、敵の刃をはじき返す。
「お前となら、何度だって立ち向かうさ!」
二人の声は、死の静寂を断ち切るように力強かった。
グリムはその様子を、仮面の奥で冷たく見つめている。
「……見せろ。お前たちの『希望』の在り方を。」
血の匂いと剣戟の音が、空洞を満たしていく。
ヴァルトは痛む肩を気にも留めず、双剣を振るい続けた。
敵の剣が鎧を裂き、血が滲む。
だがその痛みは、仲間の声を胸に刻む力になる。
(お前は、一人じゃない……!)
仲間の声を感じながら、ヴァルトは双剣を強く握りしめた。
血塗られた刃に映る自分の瞳は、確かに迷いを振り払っていた。
そして――すべての影を切り裂いた瞬間、空洞に静寂が戻った。
息を荒くしながらヴァルトとリオンは立ち尽くし、互いに小さく頷き合う。
グリムは微かに仮面を傾けると、低く呟いた。
「……見事だ。お前たちの意志は、確かにここにある。」
その言葉を残し、グリムの影は音もなく消えていった。
残されたのは、血の匂いと双剣の赤い残光。
だがその光は、ヴァルトの胸に確かな誓いとして刻まれていた。
「リオン……行こう。まだ……終わらせない。」
「ああ……お前と共に、最後まで。」
二人は再び歩みを進めた。
呪いの囁きが遠のいていく中で、ヴァルトの瞳には光が戻っていた。
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