5話「再会の光と影」
夜明け前の薄明かりの中、ヴァルトは静かに荒野を歩いていた。
肩に刻まれた傷は疼くが、その痛みは彼にとって、血塗られた戦いの証でもあった。
双剣を背に、彼は廃墟を抜けると、冷たい空気の中で立ち止まる。
(俺は、また一歩進んだ。だが……まだ終わりではない。)
戦いの熱が冷めたばかりの身体を、冷たい風が撫でる。
深紅の瞳が見据える先に、光と影が入り混じる神殿跡があった。
崩れかけた石柱が並ぶその場所は、かつて信仰の光が満ちていた場所だという。
ヴァルトは静かに息を吐くと、その足を踏み入れる。
瓦礫の間に立つ朽ちた像は、沈黙の中で祈りを捧げているかのように見えた。
(ここで……もう一度、あの光に触れたい。)
荒野の旅の中で、彼を支えた仲間の声。
セレスティアの祈りの言葉。
すべてを胸に刻み、ヴァルトは剣を握り直す。
その時――静かな空気を切り裂くように、柔らかな足音が響いた。
石柱の影から姿を現したのは、栗色の髪を陽に輝かせる男――リオンだった。
おおらかな笑みを浮かべるその顔は、かつての戦友の面影そのものだった。
「……ヴァルト!」
リオンの声に、ヴァルトの胸が強く打たれる。
「お前……無事だったのか。」
ヴァルトの言葉はかすれていた。
リオンは朗らかに笑い、拳を軽く叩きつける仕草を見せた。
「ああ。お前と同じだ、俺もまだ倒れちゃいないさ。」
その笑顔が、戦場で散った仲間の幻影を振り払う。
だが同時に、ヴァルトの胸には鋭い痛みが走った。
仲間を失った喪失感と、リオンの姿が重なるように蘇る記憶。
「……お前が生きていてくれて、良かった。」
低く、だが確かな言葉を絞り出すと、リオンは目を細めて笑った。
「お前も……ずいぶん険しい顔をするようになったな。」
冗談めかすその声に、ヴァルトもわずかに口元を緩める。
だが、二人の間に漂う空気は重かった。
笑顔の奥に、リオンもまた多くのものを背負っていると、ヴァルトには分かった。
「……お前は、何を求めてここに来た。」
ヴァルトの問いに、リオンは真剣な眼差しを向ける。
「俺は……お前と同じだよ。奪われたものを、取り戻すためにここに来た。」
その言葉は力強く、神殿跡に響いた。
ヴァルトはリオンの瞳を見つめる。
そこにはかつての仲間と同じ、決して揺るがぬ光があった。
「……お前もまた、運命に抗う者だな。」
「当たり前だろ?」
リオンは肩をすくめるように笑い、拳を握る。
「運命なんて、俺たちの手で変えてやるさ。」
その声は、灰色の空に確かに響いた。
ヴァルトの胸にあった迷いが、少しだけ溶けていく。
「リオン……共に戦ってくれるか。」
「もちろんだ。」
即答する声に、ヴァルトは深く息を吐いた。
かつて交わした誓いが、再び蘇る。
どれだけの血と痛みがこの道にあろうと、もう一度仲間と共に戦える――その事実が、剣を握る力になる。
「……お前となら、俺は恐れない。」
ヴァルトの言葉に、リオンは力強く頷いた。
「よし……じゃあまずは、その顔を見せろ。」
リオンは冗談めかした声でヴァルトの肩を叩く。
「俺の知ってるヴァルトは……こんな顔じゃなかったはずだ。」
その言葉に、ヴァルトはわずかに笑みを見せる。
血と灰にまみれた旅路の中で、その笑顔は確かに光を灯した。
――こうして、再会の光がヴァルトの胸に深く刻まれた。
神殿跡に残る静けさは、リオンの笑顔と共に穏やかな空気に変わっていった。
灰色の空はまだ曇っているが、ヴァルトの胸には小さな光が確かに灯っていた。
「リオン、お前は……俺のことをどう思っている?」
ふいに問うと、リオンは少し目を丸くしてから笑った。
「どうって……俺はお前の友だ。昔も今も変わらない。」
その言葉はまるで、長い旅路を越えて届いた確かな答えのようだった。
ヴァルトは小さく頷き、剣の柄を握り直す。
「……すまない。お前と向き合うことを、怖れていた。」
「はは、俺も同じさ。俺たちはどこかで……自分を許せてなかったんだろうな。」
リオンの言葉に、ヴァルトは目を伏せる。
二人の間には、血と涙で紡がれた過去がある。
だがそれでも――お互いに背を預けられるのは変わらない。
「それでも……今は違う。」
ヴァルトは顔を上げると、真剣な眼差しでリオンを見つめる。
「お前となら……俺は戦える。」
「そうだろ? それでいいんだ。」
リオンはにっと笑い、拳を軽く打ち付けた。
「さあ……立て。まだやることは山ほどある。」
二人は肩を並べて、神殿跡を歩き出した。
崩れた石畳を踏みしめるたび、瓦礫の隙間から小さな花が咲いているのが見えた。
その儚い命の光景が、胸に希望を呼び起こす。
やがて神殿の奥へ進むと、薄暗い空間に聖女の像が佇んでいた。
その像は傷だらけで、半ば崩れていたが、それでも慈悲深い微笑を浮かべているように見えた。
「……ここは、セレスティアの居場所でもあるのか。」
リオンの呟きに、ヴァルトは小さく頷く。
「彼女は……俺の剣を信じてくれている。あの微笑みが、どれほど俺を支えているか……。」
「わかるさ。あの瞳は、誰よりも優しい。」
リオンの言葉は、柔らかく響いた。
そしてその瞳に、どこか羨望のような色が宿るのをヴァルトは見逃さなかった。
「……リオン。」
「なんだ?」
「お前も……誰かを想う気持ちがあるのか。」
問うと、リオンは苦笑し、手を後ろに組むようにして顔を逸らした。
「……今は、それどころじゃないさ。だが……あいつに救われたのは、きっとお前だけじゃない。」
ヴァルトは言葉を失い、目を伏せる。
セレスティアの瞳に映る自分――それは罪深い剣士ではなく、希望を託すに足る者でありたい。
「お前と、彼女がいれば……俺は迷わずに進める。」
静かに言うと、リオンは深く頷いた。
「なら、その道を一緒に歩こう。どんな地獄でも……二人ならきっと乗り越えられる。」
その時、神殿の奥で微かな光が揺れた。
二人は顔を見合わせ、ゆっくりと歩を進める。
そこにあったのは、古の祈りを刻む祭壇だった。
「ここに……何かあるのか?」
リオンが目を凝らすと、祭壇の中央に一冊の古びた書物が置かれていた。
ページはぼろぼろに破れ、血のような染みが滲んでいる。
「……これは……。」
ヴァルトはそっと手を伸ばし、書物を開いた。
その瞬間、古の言葉が脳裏に響く。
まるで世界の深層が、彼に語りかけてくるようだった。
(……運命を切り裂く者。血に塗れし剣の主。)
耳鳴りが響き、意識が遠のきかける。
だが隣にいるリオンの声が、ヴァルトを現実に引き戻した。
「ヴァルト!」
ハッと目を開け、書物を閉じる。
冷たい汗が額を伝うが、胸の奥に微かな確信が生まれていた。
「……この書には、何かが刻まれている。運命を超えるための鍵が。」
「お前は……その全てを背負う気か。」
リオンの問いに、ヴァルトは静かに頷いた。
「俺は……この剣に全てを懸けると決めた。あの日、仲間を失った瞬間から。」
その言葉に、リオンは静かに拳を握る。
「なら……俺もお前の背を預ける。ヴァルト、お前の道を共に歩む。」
二人は目を合わせ、互いに微かに笑った。
廃墟の冷たい空気の中で、その笑顔は確かに温かかった。
――夜明けが、少しずつ近づいていた。
遠い空に、かすかな光の兆しが滲み始めている。
血塗られた双剣と、信じ合う仲間。
そして、聖女の微笑みが胸に灯る。
ヴァルトはその全てを力に変え、再び歩みを進める。
次に待つ運命を超えるために。
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