43話 小さな温もり
リリアナ視点
砂塵が風に混じり舞い上がる荒野を抜け、風見宿の小さな廃墟街道を歩き続けた一行は、ようやく安息の場所へと辿り着こうとしていた。かつて賑わっていたはずの宿場は、瘴気の侵襲と魔獣の襲来によって廃墟となり、建物の骨組みだけが朽ち果てたまま残っていた。しかし、その廃墟の奥にはひっそりとした温もりを感じさせる小さな家屋が一軒、瓦礫の中に佇んでいるのが見えた。
リリアナは杖を胸に抱えたまま、その家屋をじっと見つめた。瘴気に汚染された大地の中で、なぜかそこだけはわずかに魔力の気配が薄く、乾いた草が生い茂っている。リリアナは小声で呟いた。
「まるで、ここだけが別世界みたい……」
杖先から放たれた蒼光が、その家屋の周囲をそっと包み込み、瘴気を払うかのように薄く霧を吹き飛ばした。リリアナの心には緊張感と同時に、懐かしさのような温かい感情が芽生えていた。
「カイ様、あの家ですよ。もしかしたら誰かが住んでいるのかもしれません。小さな灯りが見えるような気がします」
リリアナは仲間たちに振り返り、そっと笑みを浮かべた。昨夜まで続いた激しい戦いの疲労を引きずりながらも、仲間たちもまた廃墟の奥にある家屋の存在に気づき、目を細めている。マギーは巻物を抱えたまま真剣な眼差しでその家を見つめ、ガロンは剣を肩に担いだまま警戒を怠らず、ジークは短弓を引き絞りながらも心の中では安堵を覚えているようだった。セレスティアは杖を胸に抱え、静かに祈りの光を放っている。その優しい光は、家屋の小さな窓から漏れるかすかな光と重なり合い、リリアナの胸をじんわりと温めた。
「よし、行こう。短い休息になるかもしれないが、ここで怪我の手当と補給をしておきたい」
カイは剣を背に担ぎなおし、一行の先頭に立った。その声には安堵と同時に、次なる戦いに向けた緊張感が混じっている。仲間たちは頷きながら廃墟の中を歩み進め、やがて小さな家屋の前に立った。
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ガロン視点
ガロンは剣を背に担ぎ、廃墟の間を進む中で周囲の気配に目を配っていた。荒野を渡ってきた時のような魔獣の気配は感じられないものの、廃墟の瓦礫と雑草が入り混じる中にはまだ瘴気がわずかに漂っている。ガロンは剣を腰に戻し、剣先から纏う蒼光を家屋へ向けて放った。
「気を付けろ……ここは一見安全に見えるが、魔王軍の罠や瘴気呪術が潜んでいる可能性がある」
ガロンは低く呟き、剣を再び構えたまま周囲を警戒しながら家屋へと足を踏み入れる。家屋のドアは古びて軋み、開けるとガタリと不気味な音が響いた。ガロンは剣を握る手に力を込め、仲間たちを見渡しながら慎重な足取りで建物内へ進んだ。
家屋の中は想像以上に荒れていなかった。むしろ、床には小さなラグが敷かれ、炉からはわずかに灰が残っている。ガロンは眉をひそめつつ、剣を腰に納め、仲間たちに目配せを送った。魔獣の痕跡や瘴気残滓を探すようにゆっくりと周囲を見回しながら、ガロンは深く息を吐いた。
「ここは……誰かが最後の時を過ごした場所か。それとも、まだ生きる者が隠れ住んでいるのか」
ガロンは呟き、目を細めると床に散らばる雑貨や小瓶、結界の跡を調べ始めた。その中には簡単な食器類や、古びた薬袋、さらに小さな結界護符が落ちている。これらの品々は、すべてかつてこの家にいた人物が自身と食糧を守るために残した痕跡だとガロンは直感した。ガロンは剣を再度肩に担ぎ直し、仲間たちと共に家の奥へと進み、その温もりの正体を確かめようとした。
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ジーク視点
ジークは短弓を肩に掛けたまま家屋に足を踏み入れると、家の中に漂うかすかな生活の香りに気づいた。荒野を抜けた廃墟街道の中で、ここだけが生きているかのような暖かさを感じる。ジークは短弓を脇に置き、床に散らばるわずかな食べ残しのクズや、壁にかけられた錆びた燭台を見つめた。
「まだ誰かがここにいる……?」
ジークは小声で呟き、荒れた壁の隙間を凝視した。やがて、家屋の奥から子供のようなくぐもった声がした。ジークは驚きながらも、慎重に息を殺して声の方向へと歩み寄った。その声はかすかに「お腹が……」と繰り返され、ジークは優しく問いかけた。
「ここに誰かいるのか?」
しばらく沈黙が続いた後、足音がかすかに響き、古びた戸口からひとりの少女が顔を覗かせた。黒い髪をぼさりと垂らし、瘴気の影響か顔には痩せた色素が浮かんでいる。ジークは矢を腰に収め、そっと短弓を背に戻して膝を折ってその少女の目線に合わせた。
「大丈夫か? 怪我はないか?」
ジークの低い声に、少女はわずかに唇を震わせながらうなずいた。その様子を見たジークは、静かに微笑みかけ、そっと手を差し伸べた。
「ここはもう安全だ。俺たちは魔王軍と瘴気を打ち破る旅の途中で、傷ついた者や困っている者を見捨てることはしない。食べ物と水を持っているが、よかったら分けてほしいか?」
少女は驚いたように目を見開き、やがて小さくうなずいた。ジークはすぐに背負っていた荷物から乾パンと水袋を取り出し、少女に手渡した。少女はそれをぎゅっと抱きしめ、涙をこらえながら言った。
「ありがとう……私はルレナ。ここでひとりきりだった。魔獣たちに襲われて、皆逃げてしまったの」
ジークは優しくうなずき、立ち上がって仲間を呼びに向かった。「カイ様、リリアナ様、マギー様、ガロン様、セレスティア様、こちらに生きる者がいます」
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マギー視点
ジークの声を聞いたマギーは巻物をたたみ、魔力を詠唱しながら家屋の奥へ駆け寄った。たどり着くとそこには少年のように見える少女・ルレナが縮こまって立っている。マギーは彼女を見つめながら、呪文を込めた手をそっと差し伸べた。
「ルレナさん、私はマギー。あなたがここでひとりぼっちで苦しんでいたのなら、私たちが力になります。今はまずあなたが無事であることが何より大切です」
マギーはやさしく微笑み、手に握っていた瘴気抑制薬液を彼女に差し出した。ルレナは恐る恐る両手を伸ばし、薬液を受け取ると、マギーは背後の仲間たちに向かって小声で呟いた。
「瘴気に汚染された痕跡はありましたが、彼女はまだ生き延びていたようです。この子に一時的な保護を与えてから、荒れ地を進む準備を再開しましょう」
マギーはルレナの肩にそっと手を置き、穏やかな視線で彼女を見守った。その姿はまるで母親のように優しく、ルレナの心に一筋の安堵をもたらした。
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ガロン視点
ガロンは剣を肩に担ぎながら、マギーの言葉にうなずき、周囲の安全を改めて確認していた。廃墟の家屋に生きる者がいることは想定外だったが、魔王軍の恐怖が蔓延るこの世界において、一人でも多くの命を救うことが己の誇りであるとガロンは感じている。
「よし、この子は俺たちが守る。ここから先は再び危険が待っている。お前がこの先を生き抜くための力を、仲間と一緒に与えよう」
ガロンは剣を握り直し、仲間たちへ目配せを送った。カイは剣を握る手を軽く振り、リリアナは杖を優しく掲げて祈りの光を放ち、セレスティアはそっと手を合わせて祈りを続けた。また、ジークは再び短弓を肩に掛け、マギーは巻物をたたみ直して次の呪文構成を考え始めた。その全員の背中に、ひとりの少女を守る決意が強く刻まれている。
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ジーク視点
ルレナが差し出した薬液によって瘴気の影響を少し抑えた後、ジークは再び周囲の警戒に目を光らせた。荒廃した宿場でも、魔王軍の残党や盗賊が潜む可能性は高い。ジークは短弓を軽く引いて、次なる危険に備えた。
「ここで油断すれば、また仲間を危険に晒すことになる。俺はこの矢で、君を守るからな」
ジークはルレナに向かって優しく問いかけると、ルレナは小さな声でうなずき、再び涙ぐんだ。ジークはその背後に立ち、まるで兄のように少女を守る覚悟を胸に抱いていた。
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セレスティア視点
ガロンやジークの行動を見守りながら、セレスティアは静かに祈りを続けていた。その祈りの光は、リリアナとマギーが展開した結界と重なり合い、一行と新たに保護すべきルレナを包み込む守護のヴェールを作り出した。
「愛と慈悲の光よ、この子の心に温かな希望を灯し、力を与え給え。ここで一息ついた後も、共に歩む力を授け給え」
セレスティアの祈りの声が草原に溶け込み、杖先から放たれる光が一行とルレナを柔らかく包み込んでいる。セレスティアは目を閉じ、仲間たちの未来を見据えるように再び祈りを捧げた。
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――カイ視点
一行と共に小さな温もりをくれたルレナを保護しながら、カイは廃墟の入口に立ち、仲間たちを見渡した。リリアナは杖を下ろし、一息ついた表情でルレナのほうを見つめ、マギーは巻物を胸に抱えながら少女に寄り添っている。ガロンは剣を握りながらも柔らかな瞳でルレナを見守り、ジークは短弓を背に掛けて慎重に周囲を警戒し続けている。セレスティアは祈りを終えた手を杖に乗せて、やさしい微笑みを浮かべている。
「皆、よくやった。今晩はここでルレナと共に休息を取り、明日からまた魔王本陣への道を歩もう。小さな温もりが、きっと次の力になる」
カイは静かに呟き、剣を腰に納めた。その背後では荒野に沈む夕陽が草原を赤く染め、一行のシルエットを浮かび上がらせていた。ルレナはそっとカイに礼を言い、小さな手でマントの裾を握りしめながら感謝の意を示した。
「ありがとう……皆さんのおかげで、生きる希望を取り戻せました」
ルレナのその言葉に、仲間たちは互いに静かに頷き、夜空に浮かぶ雲がわずかに揺れた。
こうして、「小さな温もり」の章は、廃墟の宿場でひとりの少女を救い、新たな家族のような絆を結んだ一行が、小さな温かさを胸に再び魔王本陣への旅路を歩む場面で幕を閉じた。仲間たちの心には、新たに芽生えた希望と共に、どれほど小さな存在であろうとも見捨てないという誓いが深く刻まれている――。
43話終わり




