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3話「聖女の微笑み」


灰色の空に覆われた荒野を抜け、ヴァルトは小さな村の廃墟に辿り着いた。崩れかけた家々は無言の墓標のように並び、かつての営みの面影はすっかり失われていた。瓦礫に埋もれた生活の痕跡が、胸に重苦しい感情を呼び起こす。


(ここも……命を奪われた場所か。)


かすかな風に砂塵が舞い上がり、血の匂いと死の残滓が空気を満たす。ヴァルトは双剣を握り、慎重に歩みを進めた。


廃墟の中央に、小さな泉が残されていた。苔に覆われた石の縁に腰を下ろすと、濁った水面に自分の顔が映る。

深紅の瞳は、かつての仲間が言った言葉を思い出させた。


「ヴァルト……お前の剣は、俺たちの願いだ。」


その声はもう二度と聞けない。

だが、確かに残るその想いが、剣を握る力になる。


「……俺は、進むしかない。」


自分に言い聞かせるように呟き、立ち上がる。

すると、その場に小さな気配が忍び寄ってくるのを感じた。


ヴァルトは振り返る。

そこに立っていたのは、一人の女性だった。

白銀の髪を風に揺らし、蒼い瞳を細めてこちらを見ている。


「……君は。」


女性はゆっくりと歩み寄ると、微笑を浮かべて頭を下げた。

その微笑みは、荒野の中に咲く花のように静かで美しかった。


「私は……セレスティアと申します。」


名を名乗る声は柔らかく、聖女のような威厳と慈愛を感じさせる。

その姿は、この荒廃した世界には似つかわしくないほど光に満ちていた。


「あなたが……ヴァルトですね。」


彼女の言葉に、ヴァルトは眉をひそめる。

「どうして、俺の名前を……。」


セレスティアは静かに微笑むだけだった。

「私はあなたの戦いを、ずっと見ていました。あなたの剣に宿る想いを……。」


ヴァルトは双剣を握り直す。

「俺の戦いは、罪と血の記憶だ。それを見て……何を思う。」


彼女は小さく首を振った。

「それは、あなたが歩んできた道。苦しみも痛みも、すべてあなたの力になります。」


その声に、ヴァルトの胸がわずかに揺れた。

この世界に絶望しか見いだせない彼にとって、その言葉はあまりに優しかった。


「……俺は、信じていない。世界にも、運命にも。」


正直に言葉を吐き出すと、セレスティアは穏やかな瞳を向けた。

「それでも……あなた自身を、信じているでしょう?」


ヴァルトは息を呑む。

深紅の瞳が一瞬だけ揺れ、その言葉の重さを感じていた。


「俺は……仲間を守れなかった。あの日、何もできなかった。」


声が震える。

血塗られた双剣に刻まれた、消えない罪。

それを見透かしたように、セレスティアは静かに手を伸ばした。


「その痛みを、あなたは忘れないでください。痛みは、あなたが人として生きている証です。」


ヴァルトは驚いたように彼女を見る。

冷たい荒野の空気の中で、その言葉は温かく心に触れた。


「……痛みが……生きている証……。」


セレスティアは優しく頷く。

「それは、あなたが戦い続ける力にもなる。諦めない限り、あなたは必ず運命を超えられるはずです。」


その瞳に映る決意に、ヴァルトは目を逸らすことができなかった。

心の奥に沈んだ闇に、彼女の光が小さな灯をともすようだった。


(この人は……俺の弱さを見抜いているのか……。)


セレスティアは歩み寄り、そっとヴァルトの手に触れた。

その温もりに、ヴァルトは思わず息を呑む。


「……あなたは、もう一人ではありません。」


その言葉に、ヴァルトは深く息を吐く。

心に纏わりつく絶望が、ほんの少しだけ薄らいだ気がした。


「……どうして、そんなことが言える?」

「私は……あなたを信じているから。」


セレスティアの声は、確かにそこにあった。

血塗られた世界の中で、唯一無二の温かさを帯びた声だった。


ヴァルトは双剣を握り直す。

「……ならば、見ていろ。俺がどう生きるかを。」


セレスティアは微笑を深める。

「ええ……見届けます。あなたのすべてを。」


荒野の風が、二人の間を通り抜けた。

絶望に染まった世界の中で、セレスティアの瞳は確かに光を放っていた。


その光を胸に刻むように、ヴァルトは再び前を向く。

背負う罪と、血塗られた剣。

それでも、彼は進む。


それが――彼の選んだ運命だから。




灰色の雲が空を覆う中、ヴァルトとセレスティアは崩れた廃墟を背にして、静かに向き合っていた。荒野を渡る冷たい風に、セレスティアの白銀の髪がさらりと揺れる。彼女の青い瞳は、どこまでも澄んでいて、ヴァルトの瞳を真っすぐに見据えていた。


「……あなたは、本当にその双剣で世界を切り拓くつもりですか?」

セレスティアの声は、柔らかいが芯の強さを帯びていた。


ヴァルトは深紅の瞳を伏せ、荒野の地面を見つめた。

「この剣は、俺の罪の証だ。けれど……それでも、俺はこの剣で進むしかない。」

静かな言葉に、彼の心に刻まれた苦悶と決意が滲んでいた。


セレスティアは一歩近づき、ヴァルトの前に立つと、その手をそっと伸ばす。

指先がヴァルトの鎧に触れる。冷たい鎧の感触を越えて、彼の胸にそっと届く温もり。


「あなたが抱える痛みも罪も……私は知りません。でも、あなたの瞳を見ればわかります。」

「何が……わかるっていうんだ。」

思わずヴァルトの声が低くなる。苦しみを見透かされることが怖かった。


だが、セレスティアの瞳は優しく光っていた。

「それは、あなたが諦めていないということ。どれほど深い絶望を抱えていても……あなたは、まだ立っている。」


その言葉は、荒野を渡る風よりも柔らかく、けれど確かにヴァルトの胸を揺さぶった。

目を閉じると、かつての仲間の声が聞こえる気がした。

血塗られた戦いの記憶と、笑い合った日々。

それらが混ざり合い、剣に宿る想いとして重なっていく。


「……俺は……。」

ヴァルトは言葉を詰まらせた。

だが、セレスティアはその手を離さずにいてくれた。


「あなたが選んだその剣を、私は恐れません。あなた自身を信じていますから。」

その確かな声が、心に灯をともすようだった。


ふと、遠くで雷鳴が響いた。

厚い雲の向こうに光が閃き、荒野を一瞬だけ白く照らす。

ヴァルトはその光の中で、双剣を見つめる。

かつてはただ呪われた刃だと思っていた。

けれど今、その剣に仲間の想いが確かに宿っていると感じていた。


「……お前は……不思議な女だ。」

ヴァルトがかすかに笑うと、セレスティアも微笑んだ。

「そうでしょうか。私は、あなたの目に映る光を信じたいだけです。」


ヴァルトはゆっくりと顔を上げる。

その深紅の瞳に、かすかな決意の光が宿る。

「俺は……この剣で、もう一度立ち向かう。たとえ運命が血に塗れていようと……必ず切り拓いてみせる。」


セレスティアの目に、一瞬だけ涙が光った。

「……ええ。その想いこそが、きっと世界を変える力になるはずです。」


彼女はそっと手を離し、ヴァルトの肩に手を置く。

「行きましょう、ヴァルト。あなたの歩みを、私も共に見届けます。」


その言葉に、ヴァルトは小さく頷く。

背に双剣を収め、荒野を見渡す。

灰色の空の下、まだ先は見えない。

だが――心に一筋の光が差し込んでいた。


二人は廃墟を後にし、再び歩き出す。

足元を覆う瓦礫を踏みしめ、セレスティアの白銀の髪が風に揺れる。

その姿は、荒野の中に咲く光の花のように見えた。


「……セレスティア。」

ヴァルトが小さく名前を呼ぶと、彼女は振り返り、穏やかに微笑む。

「はい。」

その一言に、ヴァルトは深く息を吐く。


(たとえこの道が血に染まっていても……もう一度、立ち上がれる気がする。)


遠い空に、雷鳴が再び響いた。

それはまるで、彼らの決意を試すように空を裂く音だった。

だがヴァルトは恐れなかった。

セレスティアの瞳に映る自分の姿が、確かに前を向いていると感じられたからだ。


二人は荒野を越え、再び歩みを進める。

その足元には血塗られた過去が横たわるが、胸に抱くのは希望の光。

小さな光かもしれない。

だが、確かにその光が彼を支えていた。


(運命を超える……この双剣と共に。)


ヴァルトは双剣の柄をそっと握り直す。

その重みはもう、呪いだけではなくなっていた。

仲間の想いと、自分自身の誓い。

全てを剣に刻み、この道を歩むと決めた。


――いつかこの剣が、世界を切り開く光となると信じて。

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