26話 聖女の祈り
――カイ視点
夜の帳が迫る中、神殿の深部から抜け出した一行は、広大な平原のほとんど見えない轟音や鳴動を背にして立ち止まった。遠方の山並みの向こうには、魔王アズラエルの本陣が暗澹たるシルエットを浮かび上がらせ、瘴気を帯びた蒼黒の雲が渦巻いている。封印の試練をすべて終えたカイたちは、次の戦いに備えながら、最後の夜を過ごすための場所を探していた。
「ここで一夜を明かそう。明日未明には本陣へ向かう」
カイは剣を腰に納め、仲間たちを見渡した。ガロンは剣を構えたまま辺りを警戒し、マギーは巻物を鞄に仕舞い込み、ジークは短弓を肩に掛けたまま遠くの視界を窺っている。リリアナは杖を抱えながら、防御魔法の詠唱を静かに続けていた。セレスティアだけは、まだ祈りの姿勢を崩さず、目を閉じて何かを見つめているかのようだった。
「聖女様、大丈夫ですか?」
カイはリリアナの隣でそっと声をかけた。リリアナは魔力の促進を示す光を微かに揺らしながら、セレスティアを指さした。カイは目を凝らしてセレスティアを見ると、彼女の両手の先には淡い光の粒が漂い、まるで透明な結界を作り出そうとしているかのようだった。
「カイ様、セレスティア様がこの夜の間、祈りを捧げているの。これが終わらないと、本陣への扉を開く鍵となる“聖女の加護”が弱まってしまうわ」
リリアナは小声で説明し、カイは深くうなずいた。セレスティアは淡い光を静かに注ぎ続け、祈りの声を上げている。その声は風に乗ってかすかに届き、夜陰を切り裂くように静かに響いた。
厳かな祈りの声は、まるで遠い聖歌隊のように重なり合い、暗闇の中で希望の歌を奏でる。カイは剣を背に担ぎ直し、そっとセレスティアの前へと歩み寄った。
「セレスティア、俺はここで皆を守る。あなたの祈りが終わるまで、必ず見守るから」
カイは優しく告げると、剣を地面に突き立て、剣先を祭壇方向へ向けた。セレスティアは微かに頷き、祈りを途切れさせないまま、両手を胸の前で組み続けた。その手には瘴気を祓う光が濃く宿り、まるで希望の灯火が揺れているようだった。
■ ■ ■
リリアナ視点
カイの言葉を受けたセレスティアは、わずかに、しかし確かな微笑みを浮かべた。そのとき、リリアナは杖を地面に突き立て、魔力を祭壇方向へ集中させながら静かに祈りの言葉を唱えた。
「聖なる光よ、闇を穿つ刃となりて、この大地を癒し給え」
リリアナの詠唱が風のように広がり、杖から放たれる蒼光は空間に淡い結界を描く。夜の帳が下りて暗闇が増すほど、その光は強さを増し、周囲の瘴気を一時的に凍りつかせた。リリアナは目を閉じながら、胸の奥深くでセレスティアの祈りと共鳴するように魔力を巡らせた。
「セレスティア様の祈りが導く光と、私の魔力が支える盾があれば、夜の闇も越えられる」
リリアナは心の中で静かに告げ、杖の先端をわずかに揺らした。その揺らめきはまるで生き物の呼吸のようで、暗闇の中に命の息吹を与えるかのように感じられた。
――遠くでガロンが刃を研ぎながら低い歌声を漏らす。その歌声は古くから伝わる戦の唄であり、仲間たちの心を一つにまとめる力を持っている。マギーは小瓶から瘴気抑制の薬液を取り出し、仲間の手に塗り込む準備をしていた。ジークは静かに短弓を弾き、矢筒に触れて音を立てることで仲間の存在を確認し合っていた。
■ ■ ■
マギー視点
マギーは腰のポーチから瘴気抑制の薬液を取り出し、リリアナの元へ駆け寄った。リリアナは魔力を注ぎ続けているため、両手は杖から離せない。マギーは小瓶を差し出し、リリアナの衣の裾を軽くつまみながら魔力の糸を薬液の中へと滑り込ませるように注いだ。
「リリアナ様、この薬液を使えば瘴気の影響を少しでも減らせるはずです。魔力が枯渇する前に、少しくらい休んでください」
マギーはそう囁き、リリアナは微かに頷きながら薬液を手の甲へ塗り込んだ。薬液が肌に触れた瞬間、瘴気が少しずつ引いていくのを感じ、リリアナは静かに深呼吸した。その隙にマギーは再び巻物を広げ、次なる儀式の手順を確認している。
「次はセレスティア様の祈りが最高潮に達したとき、空気中に漂う残留瘴気を一掃する魔法陣を描く段階です。そのお手伝いが必要になったら、すぐにお声掛けください」
マギーは巻物をたたみ、カイの元へ戻りながら仲間たちを見渡した。夜はまだ深いが、一行の心には確かな絆と希望が灯っている。
■ ■ ■
ガロン視点
ガロンは剣を刃先から柄まで一度見つめ、再び鞘へ収めた。その動作はまるで、これから迎える決戦に向けて刃を一層研ぎ澄ますかのように静かで確かだった。深夜の冷たい風が騎士の鎧を揺らし、ガロンは剣を鞘に固定しながらふと空を見上げた。夜空には星が瞬き、遠くには月がかすかに輝いている。その光景は、かつて故郷で見た夜空と重なり、ガロンの胸には遠い記憶がよみがえっていた。
「戦いはいつも孤独を伴う。しかし、今回は仲間たちがいる。俺はその盾となり続けるだけだ」
ガロンは剣を構え直し、一行の方へ向き直った。その眼差しは揺るぎなく、暗闇の中でも仲間の輪を離さず見守る決意を示していた。
――遠くからリリアナとセレスティアの祈りの声が重なり合い、マギーの詠唱がそれを引き立てるように続く。ガロンはその音を聴きながら、自らの守護者としての役割を改めて胸に刻んでいる。
■ ■ ■
ジーク視点
ジークは短弓を抱えたまま、静かに祈りの輪の外で周囲を見張っていた。夜の闇に紛れて、瘴気の影がまだ微かに蠢いているのを感じ取った。手の甲に注がれた薬液が冷たく染み込み、ジークは深く息を吐いた。
「俺は仲間を守るためにここにいる。どんな瘴気も、どんな影も見逃さない」
ジークは低く呟き、短弓を引き絞った。その視線は冷たくもあり優しくもあり、仲間たちをまるで家族のように見守っていることが伝わってくる。
――その瞬間、遠くの祭壇中央でひときわ強い光が走った。カイの剣先から放たれた蒼光が夜空を裂くかのように輝き、瘴気の影が一気に引き払われる。ジークは矢を短弓に戻し、輪の中へと駆け寄った。
「瘴気が消えた……カイが魔王本陣への加護を完成させたのか!」
ジークは驚きの声を上げ、仲間たちのもとへ飛び込んだ。祝福のように感じられるその瞬間を、ジークは心の奥底で噛み締めながら、仲間と喜びを分かち合おうと歩幅を速めた。
■ ■ ■
――カイ視点
瘴気が完全に祓われ、セレスティアの祈りが夜空を貫くと、カイは大きく息を吸い込み、剣を肩に戻した。剣先からは深い蒼光が宿り、その光を放つ剣が、まるで仲間たちの心の灯を一つに集めたかのように揺らめいている。カイは目を閉じ、仲間たちの存在を感じながら静かに祈りを捧げた。
「神よ、我が剣と仲間たちの祈りを受け取りたまえ。この力を以て、魔王アズラエルと戦い、世界に光を取り戻すことが我らの使命である」
カイは深く頭を下げ、そのままゆっくりと剣を掲げた。その瞬間、剣先から放たれた蒼光が夜空に昇り、一筋の光の柱となって天を貫いた。遠くにいる者さえ、その輝きを感じ取るほど強い光が降り注ぎ、神殿跡地全体が柔らかな光のベールに包まれた。
「これで聖女の加護は完成した。明日、この力と共に魔王本陣へ向かおう」
カイは仲間たちと目を合わせ、微笑みを交わした。その微笑みには過去の苦難も、これから迎える死線も、すべてを共に乗り越えるという決意が込められている。ガロンは剣を軽く叩き、リリアナは安堵の涙をこらえながら微笑んだ。マギーは巻物を仕舞い、ジークは短弓を肩に掛け直した。セレスティアは再び目を閉じ、祈りの余韻を静かに味わっている。
■ ■ ■
――深夜の空間は再び静寂に包まれ、一行は最後の夜を迎えた。夜空には無数の星が瞬き、月はその灯を若干隠しつつも、静かに見守るように高天から光を注いでいる。瘴気は完全に浄化され、草原には戻った涼やかな風が草木を揺らした。
カイは剣を刃先から柄まで一度見つめ、深く息を吸い込んだ。そして、そっと剣を鞘に収めると、仲間たちと共に夜明けを待つために焚き火の周囲へと歩み寄った。燃え盛る焚き火は冷えた大地に温もりをもたらし、その明かりの中で、仲間たちは沈黙しながらも互いに視線を交わし、それぞれの想いを胸の内に秘めていた。
「明日は全てを懸けた戦いになる。だが、この絆があれば、俺たちは必ず乗り越えられる」
カイは心の中で再び仲間と誓い、その声は夜空に溶けていった。焚き火の炎が静かに踊る中、彼らのシルエットはまるで一つの影となり、夜明けを待っている。やがて来る光の中で、一行は新たなる希望を抱きながら、最後の夜を乗り越えていくのだった。
26話終わり
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