17話 聖女セレスティア
――カイ視点
夜明け前の空が淡く白み始める頃、カイは廃墟となった教会跡の前に馬を止めていた。周囲には瓦礫が散乱し、石畳はひび割れているが、その中央にひっそりと立つ柱だけは昔の面影を色濃く残している。カイは剣を鞘から抜き、刃先を倒れた柱に軽く突き立てた。魔王軍との戦いで荒廃したこの地に、かつて人々を癒し導いたという「聖女セレスティア」が今も祈り続けているという噂がある。仲間たちの情報を総合すると、彼女は傷ついた民衆を救い、その祈りの力で瘴気の痕を少しずつ払っているという。
「ここがセレスティア聖女の居場所か……」
カイは低く呟き、静かに馬を降りた。馬蹄の音が朝靄を切り裂き、瓦礫の上で軽く響く。高くそびえた廃墟の石柱が、暗がりの中でかすかにシルエットを浮かび上がらせている。カイは剣を腰に納めると、軽く膝を曲げて体を屈め、廃墟の奥へと進み始めた。
冷たい石畳を踏みしめながら、カイは周囲に耳を澄ませる。かすかな木の軋む音と、何かを切り裂くような微かな気配が聞こえてくる。視界の先には、炎の揺らめきのように淡い光が見えた。剣はもう必要ないと感じたカイは、静かに一歩、また一歩とその光の源へと歩を進める。すると、廃墟の奥にある小さな祭壇の前で、一人の女性が膝をついて祈りを捧げている姿が見えた。背に長い金髪が垂れ、白いローブが朝露でわずかに濡れている。その姿は、まるで現世の苦悩を背負っているかのように佇んでいた。
カイは息を呑み、剣を握った手を緩めた。女性の横顔には蒼い瞳が淡い光を宿し、その視線は遠くの山々を見つめている。カイは軽く一礼し、声を掛けた。
「……失礼します。セレスティア聖女ですか?」
カイの問いかけに、女性はゆっくりと顔をあげ、驚いたように青く澄んだ目でカイを見つめた。その目は慈悲に満ちているが、同時に深い悲しみと覚悟が混ざり合っているのが分かる。
「あなたは……カイ様では?」
セレスティアは静かに問い返した。カイは驚きながらも軽く頭を下げた。
「はい。リリアナやマギーから、聖女様のお力を借りたいと聞き、参りました。あなたがこの地で人々を救っていると伺い、直接お会いしたくて来たのです」
カイの言葉に、セレスティアは静かに息を吐き、小さくうなずいた。彼女は立ち上がり、その白いローブの裾をそっと払うと、カイの前に歩み寄った。細身の体には多少の疲労が見えるが、その立ち姿には揺るぎない気高さが漂っている。
「ここまで来てくださってうれしいわ。あなた方が来ると聞いて、ずっとこの場所で祈りを捧げていました」
セレスティアは優しい声で語り、カイは言葉を返す。
「ありがとうございます。聖女様の祈りは、魔王軍の瘴気を払う唯一の希望だと聞いています。私たちも微力ながらお力になりたいと考えています」
カイは深く頭を下げ、仲間たちの思いを託すように言った。セレスティアはその言葉に微笑み、カイを見つめた。
「わたしは、この教会の跡地に眠る“光の残滓”を利用して、瘴気を和らげています。しかし、その力もいつか尽きてしまうでしょう。魔剣ルクスの呪いを振り切り、魔王に勝利した暁には、この地にも本当の平和が訪れると信じています」
セレスティアは膝をついて再び祈りの姿勢をとり、カイはそっとその横に跪いた。剣を地面に突き立て、握り手を両手で包み込むようにして祈り始める。カイの剣に宿るルクスの鼓動が、共鳴するかのようにわずかに震えた。
「聖女様……私も祈ります。魔王の影を打ち払うために、仲間と共に戦う覚悟を固めます」
カイの低い声に、セレスティアは優しくうなずいた。リリアナたちが丘の上から見守るなか、カイは剣を祈りの対象にし、両手を添えた。セレスティアは手を胸に当て、再び祈りの言葉を紡ぎ始める。朝靄の奥からはかすかな光が差し込み、二人を包み込むようにして祭壇の前を照らした。
■ ■ ■
――セレスティア視点
聖女セレスティアは、廃墟の教会跡で続けてきた祈りの一節を終え、カイと視線を交わした。彼の瞳には覚悟と優しさが同居し、その姿にセレスティアは深い安堵を感じた。魔王アズラエルの瘴気が全土を蝕む中、多くの人々が希望を失い、絶望の淵に立たされた。この地に残されたわずかな光を守るために、自分の命を削って祈り続けてきた。だが、カイたちが来ることで、ようやくその祈りは実を結ぶかもしれないという、かすかな希望が胸に湧き上がる。
セレスティアは柔らかな声で囁いた。
「カイ様、あなた方のお力が必要です。ここから魔王城へ向かう道のりは辛く、魔王軍の瘴気や亡霊が待ち受けています。わたしは遠くから祈りの加護を送り続けますが、最終的にはあなた方の剣と心の強さが、この世界を救う鍵となります」
セレスティアの声には揺るぎない意思が込められており、その言葉は地面にしみ込むように静かに響いた。カイは深くうなずき、剣を抜いて柄を握りしめた。
「わかりました。聖女様の加護は我々の心の支えになります。今夜、ここで一夜をともにし、明日の決戦へ向けて準備を整えさせていただきます」
カイは剣の鍔を握りしめながら言い、セレスティアは微笑んだ。その笑顔はまるで静かな湖面のように穏やかで、カイの胸に深い安らぎをもたらした。
「ありがとう、カイ様。皆様に笑顔が戻る日を、私はいつまでも祈り続けます」
セレスティアはそう言い、日の出が近づく空を見上げた。朝陽の橙が遠方の山々を染める様子を見つめながら、セレスティアは胸の奥で祈りを新たにした。
■ ■ ■
――マギー視点
聖女とカイのやりとりを見守っていたマギーは、巻物をじっと見つめながら唇を噛んだ。情報屋として、これまで数々の戦略を立ててきたが、セレスティアの祈りの力がどれほどの影響を与えるかは計り知れない。だが、カイたちが聖女と心を通わせ、信頼を得られたことは大きな勝利だと直感した。
マギーはそっと巻物をたたみ、仲間たちに近づいた。
「今夜の作戦には、聖女様の祈りの加護が加わります。あの祈りは瘴気を抑えるだけでなく、戦場に立つ者たちの心を強く照らす力を持っています。カイたちの士気はこれでさらに高まるでしょう」
マギーは自信を込めて語り、仲間たちはその言葉にうなずいた。ガロンは剣を研ぎながら笑みを浮かべ、ジークは小さく拳を握った。リリアナはカイの横に立ち、静かに祈りの続きに移っている。
「よし、このまま聖女様とともに夜を過ごして、明日の朝には準備を整える。それから前線基地への最終進軍を開始しよう」
マギーは仲間たちに声をかけ、皆は静かに同意した。その輪の中には、僅かに揺れる朝靄が反射する魔力の光が見え、希望の鼓動を刻んでいるようだった。
■ ■ ■
――ガロン視点
ガロンは一行をまとめるべく、その場で陣形を整え直していた。腕に巻いた包帯には昨夜の戦いの血痕がまだ乾かず、肩越しにかかる甲冑は幾つもの傷が刻まれている。だが、その目には戦士としての誇りと、仲間を守る強い意志が感じられた。カイとセレスティアが語らう光景を背に見ながら、ガロンは深く息を吸い、仲間たちに最後の確認をした。
「皆、今夜はここで休む。昼過ぎに再び集まり、最終作戦の詳細を確認する。疲れを癒し、聖女様の加護を受けることを忘れるな」
ガロンの声は低く、だが確かな安心感を皆に与えていた。カイは剣を輝かせながらうなずき、リリアナは小さく微笑んで剣の鍔を撫でた。マギーは巻物を懐に仕舞い、ジークは短弓を腰に収めた。
「ガロン、私ももう少しこの祈りを続けさせてほしい」
リリアナがそっと言い、ガロンはうなずいた。
「もちろんだ。お前の魔力がある限り、我々はどこまでも前に進める。さあ、休息の準備をするぞ」
ガロンは仲間たちを促し、カイは剣を馬の背に置き、リリアナの隣に立った。その姿には、二人の間に深い信頼が育まれているのがはっきりと伝わってきた。
■ ■ ■
――カイ視点
再び廃墟の教会跡へ戻ると、セレスティアは祭壇の前でひざまずき、祈りを続けていた。儚い光を放つ蝋燭が幾つか並び、その灯はまるで希望の火を象徴するかのように揺らめいている。カイは静かに祭壇の前にひざまずき、剣を地面に立てた。その剣先は、まるでセレスティアの祈りに応えるようにわずかに光を宿している。
「聖女様、改めて感謝いたします。あなたの祈りは、我々の行く先に明るい光をもたらしてくれるでしょう」
カイはそっと呟き、剣の柄を両手で握りしめた。剣から伝わる微かな振動が、カイの胸に温かな希望を灯す。その隣ではリリアナが杖を抱え、目を閉じながら祈りの言葉を紡いでいる。
リリアナの魔力が剣に触れ、かすかな光が剣身を伝って剣先へと届いた。刃先は一瞬だけ蒼い光を放ち、その煌めきがカイの心を強く震わせた。カイは深呼吸をひとつし、剣を静かに抱える。
「明日、再び戦の火蓋を切る。魔王アズラエルとの最終決戦に向けて、皆の命を託す覚悟はできている」
カイは静かに決意を告げ、そのまま祭壇の前にひざまずいた。その姿勢はまるで深い祈りのようであり、剣と心を一つにして強く祈りを捧げる。
そのとき、カイの剣先からかすかな風が巻き起こり、廃墟の壁を伝ってかすかに鐘のような響きが鳴り始めた。剣から放たれた蒼い光は、セレスティアの祈りとともに周囲を包み込み、荒廃した街にわずかな安らぎを与える。その瞬間、カイは感じた――仲間たちの想いと聖女の祈りが一体となり、この場所に新たな希望の光を灯していることを。
「聖女様、リリアナ、皆の想いを胸に、俺は必ず魔王を討ち果たします」
カイは強く誓い、その誓いは剣先から放たれた蒼い光に乗って空へと舞い上がった。朝日の光がその光を受け止め、廃墟の破片に反射して無数の小さな輝きとして広がった。
こうして、「聖女セレスティア」の章は、仲間たちの想いと祈りが交錯する中で幕を閉じた。明日、魔王アズラエルとの最終決戦が訪れる。その時まで、カイはこの剣に宿る希望とともに、一歩も退かずに歩み続ける――。
17話終わり
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