16話 小さな街の希望
――カイ視点
朝靄が立ち込める丘を下りきったところに、小さな街がひっそりと佇んでいた。その名はヴェレンディア――戦火により荒廃した領地の最果てにある唯一の集落であり、魔王アズラエルの侵攻を逃れた人々が最後の希望を託す場所だった。カイは馬を歩かせながら、街の全体像を眺めた。木造の家屋は幾つかが焼け焦げ、屋根が剥がれ落ちたまま放置されている。だが同時に、瓦屋根を新たに葺き替える作業を続ける大工や、傷ついた家畜に餌を与える農夫の姿も見え、その光景に胸が熱くなった。
「ここがヴェレンディアか……思ったよりも小さいが、人々の心は大きな希望で満たされているように見える」
カイはそっと呟き、馬を更に進めた。馬上からは、かすかに漂う薪の煙と、農地を耕す鋤の音が聞こえてくる。遠方にそびえる山々が街を囲むように連なり、その麓からは涼やかな湧き水が流れ込んでいる。水音がカイの鼓動に合わせるように耳に届き、疲れた心をそっと癒す。
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――ガロン視点
ガロンは馬上で剣を軽く振り、金属の刃先を確かめながらカイに視線を送った。彼の背後には、槍兵と弓兵の小隊が慎重に歩を進めている。ガロン自身も、この街に住む人々の希望を守るべく強い覚悟を胸に抱いていた。昨夜までの過酷な戦いを経て、仲間たちと共に力を合わせて前線基地を攻略することはできたが、ヴェレンディアには依然として魔物の脅威が及んでいるとマギーから報告を受けている。ガロンは険しい表情で街の入口を見下ろした。
「カイ、この街には魔物の牙跡があちこちに残っている。特に北門の防壁は一度壊されており、今は即席の柵で補強している。だが、いつ魔物が再び襲来してもおかしくない状態だ」
ガロンは地図に示された北門の位置を指すと、剣を馬に預けて地面に降りた。その背中には、仲間への信頼と街の人々を守る責任感が刻まれている。
「お前は市長のティリウスを探せ。彼から状況を詳しく聞いて、こちらの作戦を伝える。俺は柵の緊急修復班と合流して、敵の侵入経路を固める」
ガロンはカイに向かって静かに指示を出した。カイは深くうなずき、馬をゆっくりと歩かせながら馬上から柵の様子を観察した。北門近くには、倒壊した防塁の残骸が積み重なり、その隙間を塞ぐために木の杭と鉄のワイヤーがぎりぎりで支えられている。
「分かった、ガロン。俺はティリウス市長に会いに行く」
カイはガロンに返事をすると、柵の横を通り抜けて街の中心部へ向かう道を選んだ。彼は心の中でリリアナとマギー、ジークの顔を思い浮かべた。リリアナは癒しの魔法で住民を支え、マギーは情報を集めて補給と防衛の計画を立て、ジークは細道を警戒している──すべてがこの街を“希望の灯”として輝かせるための役割を果たしているのだ。ガロンの役割もまた、砦を守る柱として機能している。カイは仲間たちの想いを胸に、ティリウス市長のもとへと足を急いだ。
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――リリアナ視点
リリアナは馬上で額に手を当て、透き通るような魔力を感じ取っていた。彼女の胸には、ヴェレンディアの人々が抱える不安と希望が交錯して揺れ動いている。その中で、昨夜の浄化魔法によって前線基地の瘴気を祓った経験が、リリアナの中にさらなる使命感を生み出していた。魔力を使いすぎて体力は限界に近かったが、今この瞬間、街の人々の笑顔を取り戻すために立ち上がることこそが聖女としての役割だと確信している。
「カイが行くなら、私はこの場で癒しの魔法をかけ続けよう」
リリアナは深呼吸をして魔法陣を馬の背で描き始めた。その描写はまるで水面に広がる波紋のように、淡い光の輪を作り出し、周囲に拡散していく。魔力が地面を伝って住民たちの心身に届き、傷ついた体と傷ついた心をゆっくりと溶かして癒していく。
街の通りには既に患者役の負傷者や病に倒れかけた子供たちが集められ、リリアナの魔力に身を委ねている。疲労と痛みに顔を歪めていた彼らの表情は、徐々に安らぎを取り戻し、涙と共に安堵の笑みが浮かぶ者もいた。リリアナはその姿を見て優しく微笑むと、深い祈りを心に込めながらさらに魔法を唱え続けた。
「どうか、この街に再び光を――」
リリアナの声は囁きに近いが、その響きは確かに住民たちの心に届き、希望の種を蒔く。魔力の光が住民たちを包み込み、傷ついた心と体をゆっくりと癒していく。リリアナはその場を離れず、仲間たちが街の防衛に当たっている間、全力を尽くす覚悟を固めた。
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――マギー視点
マギーは地図を折りたたみ、街の中心にある焚き火のそばで仲間とともに配給物資を整理していた。屋台に並べられた食料や武具、薬品はまだ十分とは言えないが、魔術師団前線基地攻略の際に奪取した物資が拠点としてここに運ばれている。子供たちが焚き火の周りで暖を取りながら、時折マギーに近づいてきては興味深そうに地図を覗き込む姿が見える。
「マギーお姉ちゃん、魔王はどこにいるの?」
小さな少年が興味津々の瞳でマギーを見つめている。マギーは微笑みながら地図を隠し、優しく答えた。
「魔王様はこれよりずっと先の山の向こうにいるって言われているよ。でも、心配しなくていい。みんなが守ってくれているから」
マギーはそう言いながら、その小さな手をそっと撫でた。子供は安心した表情でうなずき、焚き火に戻って行った。その瞳には再び笑顔が宿り、マギーはその姿に胸が熱くなった。
一方で、マギーの背後では、補給担当の兵士たちが手早く木箱を開いて武器や食料を分配している。馬車には新たに食料を積み込む作業が行われ、増援を待つ騎士団員たちに水筒や乾パンが手渡されている。マギーは地図を手にしながら、次に必要な物資と調達ルートを頭に叩き込み、カイたちが危険を乗り越えるための後方支援に思いを巡らせていた。
「次に必要なのは、川の向こうにある温泉地の水と、そこから採れる薬草だわ。リリアナにも回復薬を少し渡しておきたい。あとは、ガロンが配置した柵の近くに新たに補強用の木材を届ける必要がある」
マギーは懐から小さな巻物を取り出し、必要な情報を書き留めていく。その背後には、焚き火を囲む住民たちの輪ができており、マギーの補給作業を見守っている。住民たちはマギーの手際の良さに感謝し、頭を下げたり、揚げ物を差し入れてくれたりしている。マギーはその度に笑顔で会釈し、情報屋としての役割を果たすことに誇りを感じていた。
「よし、これで夜には物資を手配できるはず。次の動きは夜の巡回に合わせて配送を開始しよう」
マギーは仲間たちに報告し、再び地図を懐に収めた。その視線は真剣だが、確かな自信に満ちていた。次に必要なのは、魔術師団の動向を探ることと、もし敵が再び奇襲を仕掛けてきたときに備えることだ。そのために、マギーは仲間たちの隙間を縫いながら、情報を収集し続ける覚悟を胸に刻んだ。
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――ジーク視点
街の北外れにある廃屋の影で、ジークは細い矢を肘に押し当てながら辺りを警戒していた。廃屋の中には先ほどマギーが発見した匿い場所の入口がある。その奥に潜む魔術師団の残党や、盗賊団の残りかもしれない敵を排除するためにジークは潜入を試みる。だが、今の時点では人の気配はほとんどなく、薄暗い廃屋の中を歩くたびに木材が軋む音がするだけだ。
「音を立てるなよ……何かが潜んでいる」
ジークは小声で呟き、身体をかがめて廃屋の中を進んだ。懐中に忍ばせた小型のランプを点火し、その光で薄暗い部屋を照らし出す。壁に貼り付いたカビが光に照らされ、瘴気の影のように揺らめいて見えた。ジークは息を潜めながら一歩一歩進み、床板のへこみや柱のひび割れを鋭い目で見極めていく。
奥の部屋に入ると、そこには粗末な木製のテーブルといくつかの壊れた椅子が置かれていた。テーブルの上にはまだ使われかけの薬瓶や紙片が散乱している。ジークは素早く薬瓶を確認すると、その中身が毒薬ではなく、魔力を増幅させる薬草の抽出液であることに気づいた。これが魔術師団の魔法使いのために使われていたものかもしれない。この情報はマギーに伝える必要がある。
「これは……魔力増幅剤か。奴らはまだ魔術を使う気だな。だが、これだけでは俺たちを圧倒するほどの力は得られないはずだ」
ジークはランプを机の上に置き、周囲をさらに探る。テーブルの下には隠し扉らしきものがあり、そこには暗号化された地図の一部が刻まれていた。ジークは暗号を一瞬で解読し、その地図を確認して部屋を出た。廃屋の外に出ると、朝の冷たい風がジークの頬を打ち、その目には鋭い決意が浮かんでいた。
「情報を持って戻るわ……」
ジークは小型の地図を懐にしまい込み、廃屋から離れた。彼の任務はここまでだが、この先に待つ魔術師団前線基地攻略の鍵となる情報を持ち帰ることができたという自負があった。仲間たちがこれをどう活かすかはわからないが、ジークは自分に与えられた役割を果たせたことに満足していた。
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――カイ視点
ジークが廃屋から戻ってきた頃、カイは街の外縁にある丘を指し示しながら仲間たちを集めていた。その丘は僅かな高台になっており、遠くに魔術師団前線基地の尖塔が小さく見える。カイは剣を腰に収めたまま、馬上から仲間たちに指示を出す。
「皆、ジークが重要な情報を持ち帰った。魔力増幅剤と敵の隠し通路の地図の一部を手に入れたらしい。この情報を元に、今夜の作戦を練り直す必要がある」
カイは疲労が隠せなくなった目元をリリアナに向け、彼女は静かにうなずいた。リリアナの魔力は依然として小さな光の玉を灯し続けており、その光は仲間たちを柔らかく包んでいる。
「マギー、この情報を基に補給物資や奇襲経路などを再確認してくれ。ガロン、俺たちは今夜前線基地を襲撃するための陣形を整える。ジーク、廃屋で見つけた地図を他の護衛隊に渡して周囲を封鎖し、敵の増援が来ないように手配してくれ」
カイは仲間たちに声をかけ、リリアナはその周囲で魔力の光を揺らしながら強くうなずいた。ガロンは剣を握りしめ、険しい表情で「了解した」と短く答えた。ジークは懐のポケットから小さな地図を取り出し、破損した部分を魔法で修復しながら持ち帰った情報を仲間に説明し始めた。
「敵は廃屋の奥に隠し通路を構えていた。暗がりを利用して物資を運び込み、増援部隊を隠す計画を立てていたらしい。この地図にはその通路の入り口と出口が示されている。私が通路を封鎖する間に、皆は前線基地の真上から奇襲をかけるべきだ」
ジークの報告に、仲間たちは真剣な面持ちで聞き入っている。カイはジークの説明を聞きながら、前線基地の位置を改めて確認した。塔の尖塔は霞んで見えづらいが、瘴気の黒い柱がそびえ立ち、悪意を含んだ光を放っている。
「よし、夜が来る前に準備を整えよう。まずは補給物資を分配し、魔力を補充しておく。リリアナ、カイの右肩に少し魔力回復の魔法を注いでくれ」
カイは馬から降り、リリアナは素早く隣に来てカイの右肩に掌を当てた。淡い蒼光がカイの体内へと溶け込んでいくのを感じ、カイは目を閉じて深く息を吸った。魔力の温もりが胸の奥を温め、昨夜の疲れを緩やかに和らげる。
「ありがとう、リリアナ。お前の魔力があれば、どんな瘴気も恐れる必要はない」
カイは礼を言い、仲間たちと合流した。他の仲間たちは既に装備を整え、剣や槍、弓矢、魔道具、薬草などを分配している。マギーは新たに調達した薬草を袋に詰め込み、残りの薬品を仲間たちに手渡している。ガロンは仲間たちの動きを見守り、必要な指示を飛ばしている。
「カイ、リリアナ、準備はできているか?」
ガロンが問いかけると、カイはしっかりとうなずいた。リリアナも魔力の光を揺らしながらうなずいた。カイは剣を馬上に納め、夜の闇に備えるように剣の柄に手を置いた。
「すべて準備は整った。今夜は前線基地を叩き、あの塔を破壊する。仲間と共にこの地を魔王の影から解放するんだ」
カイの声には揺るぎない覚悟が込められており、その声が仲間たちの胸に深く響き渡る。夜はまだ深いが、やがてやってくる決戦の時を前に、一行の心は完全に一つになっていた。
こうして、「小さな街の希望」を胸に抱いたカイたちは、仲間一人ひとりの想いを乗せて、再び前線基地への旅路を進めていった。夜の闇を切り裂くその刃と、魔力の光が、やがて到来する大いなる戦いを照らす希望となる――。
16話終わり
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